ファイナルウォー:三つ首の龍

 ヴォルフはくんくんと鼻を鳴らした。

「何すか団長、変な匂いでもします?」

「なぁんか来るなあ。あっちはゲハイムの一団か……押してるが、ね」

 団員たちが怪訝な顔をする中、ヴォルフだけが面白そうに笑っていた。

「まだ、ここも勝ち切れるとはわからんぜ」

 白騎士ではないが、どこか似た匂い。


     ○


「やあやあやあ、我らは正義の執行者! 地上の正義を司るローレンシア騎士団団長、アスターである! 我と思う者は前に出よ! 我が戦斧が引き裂いてくれよう!」

 誰も認めていない狂人集団、自称ローレンシア騎士団。実態は荒くれ物の集まりで、傭兵であるが、彼らの首領、騎士団長アスターだけは本気で自分を世界が認めた正義の執行者だと認識している。七王国全てから国外退去を言い渡されてなお、彼の信念は揺らがず正義を執行し続けた。自分の正義を理解してくれた男に出会うまで――

「くそ、こんなふざけたやつなのに……強いッ!」

 ラファエルはアスターを相手取り苦戦していた。自慢の弓も分厚い鎧は通さず、戦斧の扱いも巧み。矢が届かず、近接戦では歯が立たない。他も狂っているのか戦場で嫌な匂いをさせている。何か薬の類であろうが、矢を浴びせても一切ひるまず猛進する彼らを相手にラファエルの弓騎兵隊は大いに苦戦していた。

「正義だぜェ!」

 涎を撒き散らしながら剣を力任せに振るう連中。ただ、それはそれで厄介なのだ。何しろ生半可な抵抗では動きの一つすら止まらないのだ。

「諦めよ、我らが正義は絶対! 大悪であるアルカディアにいる時点で貴様は負けているのだ! 正義は勝つ。お母さんに習わなかったか?」

「舐めるなよ! 僕はラファエル・フォン・アルカディアだ!」

「その意気やよし……ん、アルカディア?」

 剣で斬りかかるラファエルを巧みにいなして逆に戦斧の一撃をお見舞いする。ギリギリで防御が間に合ったものの、落馬は余儀なくされた。絶体絶命の窮地。

「それが真であればよき武功となるであろう! ふはは、これでまた我が正義の名も上がるというもの! しかし、弱いなあ小僧ゥ」

 ラファエルとてこの世代では強い方である。アルカディアでも同世代でベアトリクス以外に負けたことはない。正直、剣を使っていた頃のクロードとは勝率五分であったが、槍を使い始めてからはラファエルが圧勝している。

 しかし、それは同世代、しかもアルカディアのみの話。この無差別である戦場にとってそんなもの何の意味もない。アスターの方が強かった。自分は弱かった。それだけのこと。

「くそ、僕がこんなところで……死んでたまるかよッ!」

 まだやるべきことが山ほどある。自分は戦場で死ぬべき人間じゃない。新時代、政治の世界であの人の背中を守る役目がある。それは自分にしかできない。

「死ねィ!」

「ちくしょう!」

 アスターの方が強い。ラファエルではどうしようもなかった。


     ○


「さーて、一丁やりますか!」

「騒がしいです。耳元で大声を出さないでくれますか?」

「まあまあ、とりあえず行こうよ。何かやばそうだし」

 謎の一団が戦場を睥睨していた。

 動き出す影。それは早く、そして整然としていた。


     ○


「アスター様! 所属不明の一団がこちらへ接近しております!」

「むむん! 今良いところなのだが?」

「しかし意外と数が多いと言いますか、結構隊列が整っていると言いますか」

 アスターはすでに仕留める寸前の獲物から目を離した。騎馬五百程度、それなりに数が揃っていることと部下の言う通り乱れ無き隊列が傭兵のそれではない。間違いなく訓練を積んだ群れ。それもかなりの練度と見る。

「ふん、団旗も掲げぬとは騎士の風上にも置けぬ手合い。大した実力などないわ」

 こう言い捨てるアスターであったが、一糸乱れぬ軍馬の群れは彼にとって理想としていたもので、それが傭兵では手に届かぬから薬物などで誤魔化している。本当はああいう騎士団が欲しいのだ。

「先頭の小僧がリーダーか。面白いッ! 我が直々に相手をし、その首をもって連中を我が軍門に下らせよう。それが良い。そうすべきだ。改心すれば皆友、嗚呼美しき正義かな」

 ようやく念願の騎士団が手に入る。そう思うと弱い王族の首などどうでもよくなってしまった。無論、逃がす気はないが、今の優先事項はあの騎士団である。

「よォし、やあやあやあ、我らは正義の執行者! 地上の正義を司るローレンシア騎士団団長、アスターである! そこな騎士、我と一騎打ちにてあいまみえようぞ!」

「……俺やだよ何かあいつきもいもん」

「僕も嫌だね」

「私も嫌です。それにどう考えても異人、貴方が呼ばれていますよ」

「がんばれッ! 心を込めて応援してるから」

「……テメエらあとで覚えとけよ」

 規則正しい隊列を抜け出してきたのはやはり先頭、騎馬隊を率いていた中心人物である。露骨に嫌そうな顔をしているのを見てアスターはほくそ笑んだ。おそらくは己と戦うのに自信がないのだろう。間隙を突いて手柄を得るつもりが、つくべき陣営を間違えた。

「ふはは! 我が勝利した暁にはそちらの騎士団、我が面倒を見ようぞ!」

「……冗談は顔だけにしとけよ」

「……ん? 我が強さと偉大さを理解できていないと見えるな」

「まあどうでもいいや。それに、万が一俺が負けたってあいつらはテメエの下になんかつかねえよ。そもそも俺の言うことだって聞きゃしねーんだから」

「何を言って――」

 対峙するはまだ二十代にも満たないであろう小僧。されど彼が槍を一振りした瞬間、空気が変貌する。濃密な殺意の奔流、その渦巻にアスターは龍を見た。

「龍ノ型、『竜哭』ってな!」

 その雰囲気そのままに槍がうねり空気との振動で嘶く、さながら昇竜が天を駆けるが如く、その槍は破壊的な一撃と化した。アスターの分厚い鎧と肉厚な身体をぶち抜き、一撃で心の臓を龍と化した槍が咬み砕く。

「白虎ノ型、『白爪』です」

「大蛇ノ型、『蛇蝎』だよ」

 流麗なる鋭い一撃がアスターの胴を薙ぎ、ねっとりと絡みつくような槍がアスターの頭部を醜く喰い千切った。一見してやり過ぎ、二度見てもやり過ぎである。

「戦場で型の名前なんて普通言わないけどね」

「この男は私たちを下に見ていました。許せないことです。我が誇りと共にネーデルクスの槍が誅するべきでしょう」

「……それ言ったら駄目な奴じゃん」

「……失言でした。提案です、聞かれた可能性のある敵は殲滅しましょう。良いですね? 異人」

「提案じゃなくて命令じゃねーか。ん、ってかラファエルか?」

 先頭の男が地面に倒れていたラファエルの前に立った。先程、自分を圧倒した相手をさらに圧倒してみせた怪物。ラファエルは震える。自分ではどうしようもないほどの実力差に。すでに自分は剣を握る握力すら残っていないのだ。

「顔上げろよおぼっちゃん。色男が台無しだぜ?」

「……お前、その声は――」

 ラファエルが顔を上げるとそこには見知った顔があった。

「クロード、なのか」

 クロード・リウィウス。ラファエルとは旧知の仲で、ガリアスから来た異国の男。尊敬する人が同じなこと以外、趣味も嗜好も何もかもが合わない相手であった。何かにつけて自分と競争し、その度に負けていた。それなりの才能はある。だが、それを後押しする環境と血筋を持たない男。生涯、負けることのない相手。

「あったりまえだろ。しっかし、ひでー状況だな。お薬やってんのか? 不細工な面がより醜くなってやがるぜ。まあ、任せとけよ。それなりに、修羅場は潜ってきた」

 その背中は大きく、いつの間にかとてつもなく巨大な溝が生まれていた。

「この程度なら問題じゃねーな」

 良く見ると顔中傷だらけ、ちらりと見える肌にも夥しい数の傷跡が見える。それなりの修羅場と本人は言っていたが、とてもその程度のものとは思えない。

「ちと待ってろ。すぐ、巻き返してやるぜ」

 そう言ったクロードはひょいと馬に跨り、仲間と思しき者たちに目配せした。

「ジラントで征くか」

「命令しないでください。私がそうしようと思っていたのです」

「どっちでも良いよ。さっさとやろう」

 クロードを先頭として左に白銀の鎧をまとった女性が、右に黒い鎧をまとった青年が並ぶ。全員が槍を持ち、三人とも異なる構えであるがどことなく似通った部分はあった。

「総員、私たちについてきてください」

「遅れたらクビだよ」

「んじゃ、征きますか」

 三人横並び、それだけで圧力が相乗していく。三人が槍を合わせた。先ほどまで口喧嘩の絶えなかった三人であったにもかかわらず、合わせた瞬間からまるで一つの生き物のように動き出す。それは、さながら三つ首の竜の如き異様と成りて――

「「「三位一体、ジラント」」」

 三つ首の竜が狂乱の騎士たちを蹂躙した。

「はは、運が良いぞ貴様ら。ネーデルクスの至宝、槍術院が誇るジャン様以来の天才、シルヴィ・ラ・グディエ、幼少よりかの蛇蝎に兵法を、フェンケ様に戦い方を学んだ槍術院の鬼才ディオン・ラングレー、あとは……異人の割りに筋の良いクロード・リウィウス。この二人とおまけ相手に戦えるとはな」

「おい聞こえてんぞゴラァ!」

「達人二人のアンフィスでさえ化石となった兵法なれば、達人三人を並べたジラントなぞ幻の兵法と言えるだろう。まあ、三貴士クラス二人を並べてアンフィス。おまけを容認している時点で敷居はアンフィスの方が上だがな」

「だから聞こえてんだよオイ!」

「「集中しろ!」」

 味方からぼろ糞に言われているクロードだが、彼が先頭で中心に立つことに異を唱える者はいなかった。それほど長くいたわけではない。しかし、あのエスタード対ネーデルクス、夥しい数の死者が出た地獄を共に乗り越えた。それも、誰よりも真摯にネーデルクスの槍を学びながら。その姿を彼らは見ている。

 だから異人が前に立つことを彼らは許容する。その資格があることを知っているから。

「まあ運が良いさ。三人、このレベルの槍使いが並び立つことなど滅多にない。ありがたく味わえよ薄汚い傭兵ども。これが槍のネーデルクス、新しい時代だ!」

「熱くなってるとこ悪いが、ネーデルクスって言っちゃダメ」

「あ、そうだった」

 ジラント、幻の兵法が戦場を蹂躙する。遥か昔、三貴士の始まりにこのジラントがあった。三貴士すべてが槍使いであった初代が用いた戦術とも呼べぬ技。アンフィスと違いそれほど目立った戦績は残せなかったが、それでもそれが始まりなのだ。ネーデルクス長き歴史の。そこに異人が混ざること、これもまた新しい時代なのだろう。

 何よりも、この三人は強かった。もう少し年を経ればいずれは巨星すら届き得る。そんな夢を見させてくれる才覚であった。

 三つ首の龍が暴れ回る。

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