ファイナルウォー:烈日に成ろうとした男

 進撃の『正義』。とうとう重い腰を上げたアポロニアと中央に戻ったヴォルフの二枚看板を前にアルカディア軍は為すすべなく後退を余儀なくされた。中央が押されれば必然、戦場の端も押されていく。あえて中央を押させて包囲陣形とする戦術もあるが、戦場が広過ぎるのと中央の巨星二人が率いる軍が強過ぎるため包囲が完成する前に中央が瓦解してしまう。群れの『強さ』に差があり過ぎる。だから、戦術の入る隙間がない。

 炎が舞い、黒き牙が穿つ。

「どーだオラァ!」

 狼の咆哮。

「天を焼け、我が炎よ」

 紅蓮の凱歌。

 戦場における絶対者二人の共闘は、かの超大国ですら歯が立たなかったほど強力である。個人戦であれば対抗できるギルベルトも『戦争』では彼らに一歩も二歩も及ばない。初代剣聖が絶対的剣の使い手であったと同時に、戦場ではそれなりに勝てる将止まりだったこと。其処を目指したオスヴァルトでは戦場の王二人には届かない。

 戦場におけるアルカディアの主攻はグレゴールとシュルヴィアだが、彼らの強みは攻める戦であり、防衛戦でその強さは十全に発揮できるわけではなく、また発揮したとしても彼らでは巨星には届かない。

「ガルムさん、けん制を」

「一騎打ちの怪物を倒してやるって気概は?」

「弱点を抱えたまま、戦場に出てくるのが間違いだ」

「ごもっともで」

 さらに『正義』側は巨星だけではない。

「戦争をしよう。剣聖殿」

「天獅子か! 当主に近づけさせるわけには――」

 ユリシーズはオスヴァルトの剣を修める側近二人に囲まれる。二人とも剣の達人、本来の序列であれば軍団長として一軍を率いる立場にあるが、初代剣聖やベルンハルトがそうしてきたように実力ある彼らを側近として置いていた。

 彼らもまたその役割に誇りを持っている。

「素直な剣だ。素直が過ぎる」

 その誇りごと天獅子の刃は同時に二つの剣を宙に舞わせた。驚愕する間もなく彼らの首も舞う。剣を飛ばされたこと、首を飛ばされたことにも気づかず彼らは絶命した。

「貴様! よくも兄弟子たちを!」

 ベアトリクスが吠えるもそちらに視線すら向けないユリシーズ。彼の眼は剣聖のみを捉えていた。敵は一人、他は有象無象でしかない。黒の傭兵団序列二位にして巨星に次ぐ存在となった彼にとっては物足りない相手だろう。

「戦争か……良いだろう。後ろの連中も含めて俺が相手だ」

「貴殿の相手は俺だ。無論、乱戦での戦いになるが」

「一向に構わん。剣さえ交えれば、今の俺にとって乱戦も一騎打ちも大差ない」

「欠点はないと?」

「剣しか使わんのが欠点だ。今までも、これからも、オスヴァルトは変わらない」

 先日、弓に不覚を取ってなお揺らぐ気はないと断言する。その言葉の強さにユリシーズは笑みをこぼした。これもまた強さ、人が迷いのない剣と化せば、中途半端にかじった程度の群れなら一振りで断たれるだろう。

「欠点はないみたいだぜ? 昔の団長とやり合って生き延びた化けもんだ。勝てるか? ユリシーズ副団長よ」

 乱戦でも構わない。確かに、剣の怪物から放たれる闘志はその程度で揺らぐものではないと言っている。歳月か、それとも何か別の要因があるのかはわからないが、剣聖は本当の意味で完成していた。

 ただの剣は考えない。だから、戦いの形式は状況など関係ない。

「昔の団長なら俺でも勝てますよ。問題は、たぶん目の前の怪物も成長しているということ。ふ、久しぶりに……高まってきたぜッ!」

 天獅子は凄絶な笑みを浮かべていた。闘争における獅子の笑み。ディノとの激戦を経て爆発的に成長した男は、いつしか己が主である狼と同様に戦う相手を失っていた。アポロニアは己が前に立つことなく、ヴォルフは獅子の王である。

 全力で戦うのは一年ぶり。あの若き三人の槍使いと戦った以来のこと。こと一対一でとなればディノ以来まともに全力を出せていない。

「よっしゃ行って来い。骨は拾ってやる」

 天獅子と剣聖が言葉無くぶつかり合った。レオンヴァーンとオスヴァルトの剣技、その咬み合わせは大陸有数の美しさと激しさを兼ね備えていた。互いに技巧の限りを尽くした戦いは乱戦の中だというのに視線を惹きつける引力を持っていた。

 その戦いは見事。だが、その間も戦争は続く。剣の究極とも呼べる戦いが始まった瞬間、またもアポロニアが再燃し一気呵成の攻めを見せた。本人自らが先頭に立ち、中央を押し込む。弓でも槍でも止まらない。全てをねじ伏せ薙ぎ倒し進撃する炎の化身。

 ギルベルトを欠いたアルカディア軍にそれを止めることは不可能であった。

「端っこにいたって意味ない。貴方は中央で戦うべきです!」

「そうだぜ剣闘王、あんたがやらないで誰がやるってんだ」

「……良いのか? 勝手に配置を動くのは命令違反なんじゃ」

「アルカディアの窮地に些細なことです!」

「どうなっても知らんぞ。それに、ヴォルフとやらには勝てんからな」

 不可能で、あった。

「馬、もらうぞ」

 戦場の側面、瓦解する中央に止めを刺そうと回り込んでいた騎馬隊の側面に一人の男が突っ込んだ。巨躯、からは想像もつかないほどの跳躍力。馬の上に飛び乗り、騎手の首を力任せに千切った。

「まったく、馬なんていつぶりだ? ちゃんと動いてくれよ」

 男の心配は杞憂であった。飛び乗られた瞬間には、馬は自らが背に乗せる男の『生来』を本能が察知し、敗北した男から新たなる主へと忠誠を移していたのだ。

「貴様、いったい何――」

「覇ァ!」

 一振りで人が舞う。雑草を刈り取るがごとく肉と骨が宙を舞った。

「……絵になるなぁ」

「本当に奴隷身分だったのかよ。まるで王様じゃねえか」

 馬を巧みに操り、一騎当千の働きを見せる解放奴隷の名を知る者は少ない。だが、その存在が戦場に現れたことに気づかぬ者もまた少なかった。

「あんちゃん!」

「ああ、あの怪物が中央に来た! 全員、絶対に近寄るなよォ!」

「あ、ディノ様だ!」

「……あの人はァァァアア!」

 ゼノは何度も説明をして、説得を尽くして、ようやく納得してくれていたと思いきや、現れた瞬間、進路をグレゴールたちからずらして新たに現れた存在へ向かう。まったく心に響いていなかったことにゼノは絶望していた。

「本当に死ぬぞ! あの怪物はモノが違う!」

 ゼノの心配をよそにディノは猛進していた。

「アポロニア様?」

 いきなり動きを止めたアポロニアは戦場の端に視線を移した。決して届く距離ではない。普通なら、ここから一歩も速度を緩ませず到達することはあり得ないと切り捨てる。普通なら、そう、普通の相手であったならば――

「左翼の厚みを増しておけ」

「御意!」

 アポロニアの心配は杞憂か否か。

「勝負だでかいの!」

「……そっちもでかいだろうに」

 ディノは男に到達していた。噂にたがわぬ怪物。まさに、命を燃やすに相応しい手合い。ディノは人生で最高潮にまで闘志を高めていた。自分はエル・シドのような怪物に成れない。半世紀もの間、頂点で輝くなど死んでも不可能。自分の限界は此処。これ以上はないと思ってしまった。ならば後は下降線をたどるだけ。

「最後に、一瞬でも最強になって、俺は太陽になるッ!」

 一瞬で良い。一瞬だけ、憧れに近づかせてくれ。願いは――

 ほんの一瞬、眼前の男が『あの男』に被った。全てを焼き尽くす怪物の姿に、全てを奪われたあの日を、思い出す。だからだろうか、少し、意地になってしまった。

「悪いな、前までなら少しは勝負になっただろうが」

 巨躯の男、カイルは静かに瞑想する。頭のリミッターをゆっくり外していき、

「今の俺は、お前じゃ勝てん」

 巨大な石斧がカイルの頭に振り下ろされる。明らかに相手が有利な状態から、カイルは一瞬で巻き返して石斧を粉砕。その勢いのままディノを一撃で両断した。

「天地が逆さまになってもな」

 出す必要はなかったが十割を引き出して打ち込んだ刃は、己の思っていたよりも遥かに高い破壊力を帯びていた。これほどの得物と分厚い鎧、筋骨隆々な身体を裂いてなお余裕のある手応え。もはや人の枠ではない。

「は、はは、さすがにこりゃ死んだわ」

 ディノは呆然とするしかない。見せつけられた力の差。生涯最強の瞬間すら鎧袖一触で粉砕された。文句のつけようがない敗北。相手の視線はすでに自分を見ていない。雑兵を一人、片づけたのと同じ感覚なのだろう。

「ちくしょう、エル・シドに、なれなかったぜぇ」

 最後に浮かぶのはラロとピノ、おまけでテオ親友三人との約束、誓い。結局全員果たせぬまま散る。その無様にディノは苦笑しか浮かばなかった。

「エル・シド、か。あんな奴に憧れる気が知れん」

 エル・シドの名を聞いてカイルは不快げにディノの方を見た。強さでは気を引くことも出来なかったが、エル・シドの名には反応を見せる。

「聞き捨てならねえな。ゴブ、俺の憧れにケチをつける気か?」

 血を噴き出しながら、それでもなお憧れは揺らがない。

「俺の国を滅ぼした破壊者だ。父を殺された。知り合いも、友人も、全部だ。弱肉強食、強く生まれた者がそれを口にする。その傲慢さが嫌いなんだよ。強ければ何をしてもいい。心の底からそう思っている。その性根が気に食わない」

 ディノは反論しようとするもすでに言葉が発せないことに気づいた。

「エル・シドが狼に喰われた。お前も、俺に斬られここで死ぬ。弱いから、死ぬ。本当にくだらない。原始的で、野蛮で、知性の欠片もない……それが全てなら人に生きる価値などない。人に光はない。人間それだけではないと、俺は信じたい」

 そう言い捨ててカイルは戦場に飛び込んでいった。ディノは反論すら許されなかったこともまた受け入れた。勝者が語り、敗者が黙す。何の問題もない。まさに自分の思い描いた通りの構図である。

(テメエも戦士だろうに。んな綺麗ごと、吐いてんじゃ、ねえ、よ)

 それでも死が苦いのは、何故だろうか。

「ディノ様ァ!」

 ゼナの絶叫が戦場に響いた。エル・シド亡き後、エスタードを支えた武人の死。現場を目撃した者は何も口に出来なかった。あまりにあっさりと自分たちの最強が殺されたのだ。まるで雑兵を斬るがごとく。

「……だから言ったろうに。何故焦る、ディノ・シド・カンペアドール」

 ゼノもまた己が代表の愚行に血がにじむほど歯噛みしていた。こんな場所で無駄死にする。その程度の命ならあれほど輝かないでほしかった。エル・シドの代わり、少なくとも将兵はそう思っていたのだ。それが、こんなにも容易く――

「ありゃあスヴェン王の再来だ。グレヴィリウスの亡霊。あの姿は準七王国の王にして偉大なる武王スヴェンの生き写しではないか」

「どっかで見たことあると思ってたらそれだ。あの時ゃ新兵だったからよ、記憶が曖昧で」

「確か行方不明の息子がいただろう? 確か名は、カイ・エルだったか」

 古参の兵たちは自分たちの将を破った存在を思い出す。国を守るためにエル・シドと激闘を繰り広げたスヴェンという怪物の記憶は彼らの脳裏に焼き付いている。すでにかすれたセピア色の思い出成れど、エル・シドに食い下がった怪物を忘れるほど老いてはなかった。

「そんなことはどうでもいい。とにかく立て直す。他はともかくエスタード軍にとってこの衝撃は大き過ぎる。単騎で趨勢は返らんだろう。あとは他に任せるぞ」

 ゼノの指示にのろのろと動き出すエスタード軍に覇気はない。


     ○


 二代目エル・シド、エルビラはその報せを聞き静かに目を瞑った。

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