ファイナルウォー:紅蓮絶焼
時は少しさかのぼり――
「姉さん! いきなりどうしたんだ?」
「出陣する」
「この戦の総指揮はエル・シドだ。彼女の言うことに従うべきだ。姉さん、いや、陛下は彼らが隠し持っている切り札を倒すための切り札なんだから、待機してなきゃ」
「私は、私より輝くものを許せない」
「……意味が分からない」
「本当にそうか? あそこで衝突する二つの星、何も起きぬと思うか? 何も生まれぬと思うか? 私はそう思わん。だから、出るのだ。私が中央を取る。それで、あそこを攻める理由は消える。新たな星は、生まれさせない」
アポロニアの歪んだ笑顔をメドラウトは直視出来なかった。
「これ以上、私の頭上に輝くな」
紅蓮の女王、出陣す。
○
「あれ、女王陛下が動くみたいだけど……いいのエルビラちゃん?」
エルンストは重い腰を上げた『戦女神』を見つめる。その顔つきは超然としていてその真意を掴ませない。エルビラ、二代目エル・シドもまた少し驚いた表情でアポロニアとその一団が『正義』の陣形、最前に躍り出るのを見ていた。
「……何のつもりですか、アポロニア」
前線の兵たちもいきなり現れた騎士たちに困惑していた。ただ、その困惑も――
「我が名はアポロニア・オブ・アークランドである!」
たったの一言で掻き消えた。鮮烈な『声』、脳髄を蕩けさせるほどの熱量が頭の中を駆け巡った。ただ名を名乗っただけ、それだけで彼らの気分は大いに高揚する。
「正義の皆よ、連日の戦、よく頑張っている。大国アルカディア相手に優勢、充分な戦果と言っていい。だが、私は優勢を続け、相手から参ったと言わせて己が陣営に有利な和平を結ぶ、そのような戦をしに来たわけではない」
エル・シドの狙いは和平ではなく大局を見越した温存であるが、現場の兵士たちもそれを理解しているとは限らない。それを上手く利用した話術。存外、アポロニアという女王は愚かではないのかもしれない。エル・シドがあえて言わなかった部分を利用する器用さも持ち合わせていた。
「私は勝ちに来た!」
大気が震える。アポロニアの髪が、ありえないが紅蓮の髪が逆立って見える。まるで炎のように、ため込んだ灼熱は地の底から噴出する溶焔の如し。
「眼前の敵をすべて蹂躙し、一兵残らずすり潰し、燃やし、穿ち、喰らい、ここに見える地平、その彼方まで征服するッ! 私はそのために来た!」
優勢とはいえ一気に決め切ることの出来ぬ状態は、一般の兵士にとってストレスになっていただろう。特に、戦慣れしていない奴隷階級や初陣の新兵たちはそれらに押しつぶされそうになっていたはず。だからこそ彼らは炎にすがる。楽だから、心を預けてしまう。
「良い土地だ! 南は小麦、北は鉄、何だってある。大国アルカディアすべてを征服してみろ。この場全員がアルカディア人を奴隷とし、奴隷どもを使役し作らせた作物、溢れんばかりの食物に囲まれ、貴族が如き生活を送ることが出来る! 想像せよ、自らが掴み取った勝利の未来を! パンも、金も、酒も女も望むがままだ!」
アポロニアの紅蓮が彼らの心を焼き尽くす。アルカディアに恨みのある連中は当然だが、そんなもの欠片も持たない連中でさえその心に炎を宿した。彼女が燃やしたのだ。ありもしない、芽生えるはずのない炎を。
言葉で、無理やり燃やした。
「さあ征服を始めるぞッ! 眼前の敵を一人残らず駆逐せよ! 奴らを人と思うな。我らの名を、大義を思い出せ! 我らの名は『正義』、大義は常に我らがもの! 世界の邪悪、悪辣非道の国家アルカディアに正義の鉄槌を下すのだッ!」
そして自分たちを全肯定させる。正しい行いなのだと錯覚させ、彼らの心にとってそれを真実としてしまう。炎と錯覚、人はそれだけで容易く人道を踏み越える。そもそもその対象を彼らは同じ存在と思っていないのだ。
「今日は良い日だ。皆の者、私と生き、私と死ね。全軍、突撃ッ!」
仕上げは極上の声色で、皆に届く声にもかかわらず耳元で囁かれたかのような心地とさせる。神の化身と見紛うばかりの『戦女神』、戦場のアイドルが自らに寄り添ってくるような感覚は彼らを絶頂の彼方へ吹き飛ばした。
大炎が一気呵成に燃え広がった。
「俺たちが正義だッ!」
正義の炎がアルカディア軍に襲い掛かる。
○
「やってくれましたね、アポロニア」
自分の手駒であるはずのエスタード兵ですら燃やされた。その事実にエル・シドは歯噛みする。決して理屈の通った話ではない。冷静に聞けば内容の欠片も、一片の品性すらない下衆のセリフ。それでも彼女が言えばそれが真実で、何よりも正しい。
「いやー、僕もモチベーターとしては結構自信があったんだけどね。あれは勝てないや。あんなめちゃくちゃを通して、その上で圧倒的優勢ってんだから」
「才能は認めます。しかし、折角優位に運んでいた戦場を破壊してまで、両軍消耗する総力を結集した短期決戦を選ばせた。その罪は重い。ここで勝っても必ず、どこかで歪みが来てしまう。愚かな選択です」
「人がすべて正しいとは限らない。アルカディアが、ガリアスが、僕の祖国と大事な人を奪ったように、この姿もまた人の真実で、だからこそ僕らが正しく導いてあげなきゃいけないんだ。本当にすごいや、戦女神ってのは。全員もれなく、僕の大嫌いな顔をしているんだもん。ケダモノと何が違うんだろうね、こいつら戦士ってさ」
エルンストの眼は異様な冷たさを孕んでいた。その視線に敵も味方もない。
「ま、あんまり先のことばかり考えても意味ないよ。ここは勢いに任せて勝たせてもらおう。ヴォルフ君には悪いけど、後ろが静かな内に勝負を決めたいのは本音だからね」
「彼に指せる手はありません」
「本当にそう思ってんの?」
エルンストのぞっとするようね視線。エル・シドは一瞬揺らぎかけた。
「上手く立ち回ろうったってそうはいかないよ。僕ら『正義』は一蓮托生だ。わかっているよね? 裏切りは、許さないから」
エルンストの背後にはレスターとカロリーヌが控えていた。どちらも闇の世界に身を浸している武人。夜闇に紛れ、その刃は容易く喉元を掻っ切るだろう。暗殺できない相手などごくわずかの怪物だけ。
「わかっています。だからこそ私は最善を往きたいのです」
「僕は君を信じているよ。君は賢いって、僕は知っているからね」
その眼は、おそらく誰も信じていない。味方すら。信じていたモノは全て過去。最後の一人、愚かな弟は自分を裏切って別の道を往った。許されないことである。だから彼を地の果てまで追ってレスターに仕留めさせた。信じるものは何もない。すべてなくなった。
「さあ、勝ってよアポロニアちゃん。僕は君の力を信じているからね」
エルンストは微笑む。その微笑みに往年の温かみは、ない。
○
アポロニアの出陣、これをアルカディア陣営は待ち望んでいた。ヴォルフ、アポロニア、どちらかが突出する。戦術的にあり得ない戦力の分散、悪手と成り得る軽い手を待ち望んでいたのだ。ここしかない。
「お願いします!」
「任せろ」
二代目剣聖、ギルベルト・フォン・オスヴァルトが出陣する。
「ついてこいベアトリクス。オスヴァルト総出でアポロニアの首を取る!」
「はい、兄様!」
剣聖の系譜、彼らもまた総力を結集して戦うことを待ち望んでいた。一人一人が剣の達人、彼らの群れはそれすなわち剣である。アルカディアが誇る剣士集団、オスヴァルトがとうとう動き出した。
○
アポロニアは直感で強い群れが来ることを嗅ぎ取った。特に先頭に立つ男は自分に比肩する。そう感じた瞬間、アポロニアの貌に暗い影が落ちた。また、自分に並び立つ存在が現れた。そのことに強い嫌悪を感じる。
白騎士との戦いで自覚させられた想い。英雄王に刻み込まれた想いを拒絶する現実。願いと現実は相反する。自分は永久に届かない。だから、すでに上に立っている者は良い。良くないが、今の自分が何をしても届かないのだ。眼を合わせず、視界に入れなければ良い。黒狼王にしているように。
その代わり、並び立つ者には違う手を取る。
「進路を少しずらす。サー・トリストラムはそのまま進め」
「御意」
アポロニアは笑った。昔の自分なら喜んで突っ込んだだろう。夢見る乙女、頂点を追い求める、天瞬く星になりたかった少女であれば、そうした。
「相手は剣だ。卿なら勝てる」
「確実に勝利いたします」
「頼んだぞ我が騎士。我らは迂回しながら炎をあおる。元々数で勝る我ら側、士気を向上させて一人を二人分にしてやれば、容易く勝てる」
アポロニアは対等の敵との交戦を避けた。もう、夢見る乙女ではない。自分に近づく星は確実に落とす。自分は、彼と戦うまではせめて二番、そこにいなければならないのだ。自分が選んだ、白い星と戦うまでは。
「墜ちろ剣聖」
アポロニアは哀しげに嗤った。
○
「兄様ッ!?」
オスヴァルトの攻めは――
「この強矢、噂に名高きフェイルノートか」
「弓騎士だ! 全員警戒を強めろ!」
弓騎士トリストラム率いる弓騎兵隊を前に粉砕された。フェイルノートの超射程は別格としても他も普通の弓騎兵とは一線を画す射程と精度を兼ね備え、エウリュディケが率いる弓騎兵と同等の戦力と称されていた。
ギルベルトすら釘付けにするフェイルノートを扱うトリストラム。剣を主力とするオスヴァルトに間を詰めさせる隙すら与えない弓騎兵隊。如何な達人とて自分の間合いに入らねば何もできない。トリストラムの率いる騎馬隊はオスヴァルトを完全に封殺していた。
「警戒を強めても何も出来ぬ。もはや戦場に、ロマンはないのだから」
「ギルベルト様と剣を交えろ! 『戦女神』の名が廃るぞ!」
「その名を呼ばれた時から、かの英雄王を討ち果たした時から、あの御方は夢を見ない。それは忌み名だ、我らにとっても、あの御方にとっても」
トリストラムは誰にも聞こえぬ声で囁いた。そしてフェイルノートを用いてギルベルトを完封する。これでアルカディアは切り札を失った。
アポロニアが士気を上げる。戦況は一気に傾いた。
遠方で聞こえる鬨の声、オスヴァルトらは顔を歪めた。
歓喜に沸く『正義』陣営をよそに、トリストラムの表情は暗いままであった。
「早く来い白騎士。早く、あの御方を救ってくれ」
トリストラムは哀しげに首を振る。
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