ファイナルウォー:隻灼眼の狼

 自分を守るための弱者の鎧を脱ぎ捨てた男は闘争本能の赴くままに剣を振るった。技術は肉体に染み付いている。そこはすでに反射の領域。思考は要らない。どうせ考えている暇などないのだ。全部、委ねろ。

 熱情が頭を焼き尽くす。

「ハハッ! スピードもパワーも段違いに上がりやがった」

 だが――

「それでも俺が最強だッ!」

 ヴォルフの剣をすべて捌き、狼は死に体となった。そう思った瞬間、ありえない軌道を描きカイルの頭部に回し蹴りが炸裂する。柔軟かつ大胆、互いが刃物を握りしめているにもかかわらず、肉弾戦をいとわない発想と覚悟がこの男の強さ。

「騎馬でもつえーが地上戦の俺様は無敵だぜ。負けたことねーもん」

(あ、団長嘘ついてる)

(ストラクレスに負けてたじゃん)

(ユーウェインにも初めの頃は転がされてたし、ウェルキンゲトリクスにもボコされてた)

 ヴォルフの当時を知る初期メンバーは心の中で突っ込みまくった。すでに十人を切った彼らはガルムを除く全員がヴォルフの直参である。長い付き合い故、表向きのリスペクトは薄い。しかし、ヴォルフが死ねと言ったら死ねる連中でもあった。

「まだまだッ」

 ヴォルフの蹴りは軽いモノではなかった。それこそその辺の戦士なら一撃で首ごとへし折っている。驚嘆するほど強靭な肉体、恐ろしいタフさである。

(でかい、速い、センスも抜群。なるほどな、素質だけなら俺より上だわこいつ。俺より少し劣るアジリティーをエル・シドにくっつけたようなもんだわな。そりゃ強ェさ)

 もちろんスピードはヴォルフだが、カイルも速いしそれ以上に強い。肉体の素質はカイルの方が上。精神面ではヴォルフが勝れども鎧を脱ぎ捨てたカイルも嫌悪や憤怒で塗り固めており多少は食い下がってきている。熱情が続く限り、そこまでの差は生まれない。

 現実はヴォルフが勝っている。カイルの攻撃は当たらず、ヴォルフの攻撃は致命に至らずとも当たり続けている。このままいけば早晩、ヴォルフが勝つだろう。

 何故か、

(だがよ、経験値は俺の方が上だな。テメエもそれなりの修羅場をくぐってんだろうが、俺やあいつほどじゃねえ。何度も死にかけて、何度も泥にまみれて、くそつええ化けもん共としのぎを削って、積み上げたもんは俺の財産だ)

 それは圧倒的経験値の開き。

(テメエの背中には何人いる? くそ重てえもん背負って戦う覚悟はあるか?)

 そして背負うものの大きさ。将たる者、王たる者は数え切れぬ人の魂を背負う。その重みもまた彼らの力となるのだ。ストラクレスが肉体的に勝るエル・シドや精神面で圧倒するウェルキンゲトリクスに張り合えたのは、背負う者としての力にあった。

 すべてを高次元で兼ね備えるヴォルフはまさに最強。カイルは突き抜けた強さはあれど時代を背負う覚悟まではない。重みに欠けるのだ。どこまでいっても。

「っとぉ!」

 それでも食い下がれるのはやはり圧倒的才能、生まれ持った素質が一回り上。

(……ったく、本当に、良い貌だぜまったくよ)

「もっと鋭く、もっと迅く、もっと、もっと」

 ヴォルフは敵であるカイルの顔を見て苦笑を禁じ得ない。窮地のはずなのに、カイルは笑っていたのだ。楽しそうに、嬉しそうに、嫌悪や憤怒は鳴りを潜め、少しずつ戦いを楽しんでいるような顔になってきた。もちろん根底としてヴォルフや同種の者たちへの嫌悪はあるだろうが、それ以上に今のカイルは競い合えるという状況を楽しんでいる。

 やせっぽっちの親友は強くなった。最後には自分と戦えるまで成長した。今はもっと強くなっているだろう。だが、彼はカイルの敵になりえない。例え赤の他人でも、友人としての様々を考慮から外したとしても、戦士としての資質に差があり過ぎるのだ。

 今までの敵、ほとんどが成長したやせっぽっちの騎士よりも弱かった。ゆえに彼は本当の意味で競い合えたことはない。しのぎを削り、高め合う。そんな経験はこの男が初めてであった。自分に比肩する才能と、自分を凌駕する経験値。

 勝てないかもしれない。そのことにカイルは胸が熱くなる。その状態の名をカイルは知らなかった。ただ純粋に、名も知れぬ感情に身を任せ、カイルは全力を注いだ。

(戦いが好きな貌してんな、おい)

 ヴォルフもまた同種の笑みを浮かべた。この男とならまだ先が見えるかもしれない。あの男との前にここで己を高めておくのも悪くないだろう。自分の今後を脅かすかもしれない怪物を喰らい、強くなって白騎士との決戦に備える。

 効率的で、最高に胸躍る展開ではないか。

「もっと喰らいついて来いよ! まだまだ上がるぜェ!」

 ヴォルフの加速に引っ張られてカイルもまた強さを増していく。異次元の戦いが其処にあった。この戦いの先に真の最強がいる。敵も味方も、二人から目が離せない。怪物同士の高め合いに第三者ですら胸が躍った。


     ○


「はー、強いねえあんちゃん」

「ディノ様とどっちが強いかなー」

「ゼナ嬢には少しばかりこの戦いは早過ぎたかな。今のエスタードに彼らと並ぶ人物はおらんよ。まっこと残念なことだが。まったく、嫌になる。これほどの化け物どもと十、二十年そこらしか年が離れていない自分たちの運のなさに、なァ。まるで届く気がせん。百年経っても、俺はあの場に立つことすら出来んだろうさ」

 カンペアドール最高傑作の弱気発言。ゼナはそれを聞いて「ぶーぶー」と言っているが、キケは兄の弱気に心底同意する。自信家のゼノをしてあの二人は桁が違い過ぎた。どう成長しても常人が届く範囲にあの二人はいないだろう。百年に一人の逸材が完璧に仕上がった存在と、五百年に一人の逸材が今もなお成長している。そんなものに割って入れる自信はそれなりの目利きであるゼノになかった。

「まあ見学できただけでここに来た価値はあった。それだけの戦いだ。ディノ様への報告はよく考えなければな」

「あー、ディノ様にそのまま言ったら間違いなく突っ込むもんねえ」

「ディノ様が勝つのっ!」

「あと六年したらわかるさリトルレディ。……ん?」

 ゼノはふと別の方向を見た。何か、予感がしたのだ。目の前で繰り広げられている純粋な闘争とは異なる何かを。それは見た目に美しい炎であったが、どこかほの暗く、何か嫌なものを孕んで燃えている。

「あれは……キケ、ゼナを頼む。俺は少し様子を探ってこよう」

「あんちゃん?」

「説明している余裕はない。アデュー」

 ゼノは一目散に駆け出した。遠くに見える粉塵、あまりにも遠くキケらはそれが何のものであるか察知することも出来なかった。だが、それは間違いなく何かが動いた証で。それによって連鎖的に様々なモノが揺れる可能性は十分にあった。

 さざ波か、それとも大波か――


     ○


「貴様ッ! 何故アルカディア兵以外が此処に――」

「失礼。無礼極まるが押し通らせてもらう」

 ゼノは愛用の盾を構えて疾走する。エスタード最高の剣鍛冶が作り上げた珠玉の一品。弓はもちろんクロスボウすら受け切る防御力。ゆえにかなりの重量はあるが、ゼノの動きにそれを感じさせるものはない。

「失敬」

 すべての攻撃を盾でいなし、流れるような動きですり抜けざまに剣で首を断つ。父譲りの鉄壁とカンペアドールが持つ闘争への才が彼の技を十代にして此処まで高めた。あっさりと見張りの数名を騒ぎになる前に仕留めたゼノであったが、その顔は浮かない。

「ふぅむ、あの戦いを見た後では遅い弱いセンスに欠ける。精進せねばなァ」

 ゼノはこの戦場すべての地形をある程度把握していた。武力こそ武人の価値。それも今は昔、エルビラの台頭があって消えた価値観である。武人たるもの兵法に精通せねば先はない。ゼノは将たるもの、武だけでなく戦にまつわるよろずを高めるべきと考えている。

 だからこそ、無駄なく最短でこの場へ到達できた。見晴らしがよく、戦場の端でも主戦場を俯瞰できるこの場を。そして知る。あの粉塵の意味を。

「やはり、か。意図はわからぬが……やってくれるな紅蓮の女王よ」

 戦場が、燃えていた。


     ○


 ヴォルフは呆れ果てていた。

「なんつータフさだよテメエ。その辺の奴なら百回は死んでんぞ」

 傷だらけ、満身創痍のカイルは数多の打撃、斬撃を受けてなお膝の一つすら屈しない。ヴォルフのみならず周囲の視線も驚愕から呆れに変わっていた。ヴォルフもまたそれなりの手傷を負っている。少しずつ強くなるカイルの攻撃もかすめるようになってきたのだ。

(んま、俺のが余裕あるけどな。戦力の引き出しは、さすがに尽きてきたけど)

 これ以上の成長はヴォルフにとっても危険域。戦力の拮抗で己を高めようとの目論見であったが、どうにも成長曲線が割に合わない。際限なく、加速度的に強くなっているカイルの伸びしろは、ヴォルフをして底無しの感覚に陥ってしまう。

(もーそろ喰っとくか。今なら、まだ俺だろ?)

 素材が上なら行きつく先はその分上となる。ヴォルフの限界値とカイルの限界値では少々差があった。無論、その他大勢に比べれば微々たる差だが、それでも無視していいはずがない。世界最強、いずれ抜かれる可能性があるなら――

(九割五分、俺が今出してる戦力だ。テメエは九割三分ってとこか? 今までは徐々に上げてきたが、次の一手は一気に上げるぜ)

 今この場で芽を断っておく。

「ちーとばかしきちーの往くぜェ」

 烈日と戦い身に着けた十割の世界。ヴォルフ以外にはウィリアムしか到達していないはずの領域。ただし、ヴォルフとウィリアムではモノが違う。十割の意味が違う。

「……まだ先があったのか」

 戦慄するカイル。それほどに眼前の狼は巨大な牙を隠し持っていた。太陽を喰らう狼、まるで神話が如しその異様にカイルは震えを隠せなかった。ヴォルフがカイルを警戒するのと同様にカイルもまたヴォルフを恐れていた。

 今までの人生になかった苦戦、拮抗、もう少しで追いつけると思った矢先にこれである。相手は勝負巧者で、自分より先に進んでいる。世界最強の生物という看板に偽りなし。

「いたァだきまァスッ!」

 ヴォルフが牙を剥き出しで突貫してくる。カイルの脳裏には死のイメージが焼き付く。黒き狼は死を運ぶ悪魔。自分はその生贄。

 死ぬ。その瞬間、走馬燈は守るべきだった最初の笑顔。そして最後の笑顔が駆け抜ける。ここで死ねば最後も取りこぼす。二度と失わぬために自分の天職を捨てた。ただ彼女を守りたい一心ですべてを注いできた。まだ、死ねない。まだ、守り足りない。

「亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜ッ!」

 カイルは心の底から力を欲した。自分の可能性を、カイ・エル・エリク・グレヴィリウスという大英雄になる道を捨てて小さな世界を選択した。今も同じ、たった一人を守れたならそれでいい。今、自分が死ねばそれは守れない。

 大英雄の可能性は要らない。その他多くの立身出世、その道も要らない。全部捨てて良い。だから、今、この場を生きる力をくれ。もし己にそれだけの力が眠っているなら、この瞬間だけで良い。

 他には何も要らない。だから、最後の笑顔だけ――守る。

「……まずいッ!」

 ユリシーズのみこの状況を完全に把握していた。一気に最大戦力である十割で勝負を決めようとしたヴォルフ。それに呼応して、咆哮と共に同じ領域に到達したカイル。二人とも十割ならば、勝つのは素養で勝るカイルである。

 ヴォルフは眼前の敵が自分を超えたことに気づき、笑おうとした。

(……笑えねえよな)

 両者とも人間の限界値に達している極限の状態。

 カイルの剣が狼の速さを捉えた。ヴォルフは咄嗟に双剣をクロスさせカイルの一撃を正面から受け止める。とてつもない衝突音と共にヴォルフが吹き飛んだ。

(笑えねえよ)

 カイルの追撃。その躊躇なき一歩は殺意に満ち溢れていた。ヴォルフは着地の瞬間、足首と膝の動きだけで勢いを殺し、即座に回避行動を取る。それだけやってようやく紙一重。しかも二の剣、三の剣と怒涛の勢いで攻め立ててくる。

 誰が見ても強いのはカイル。その状態が、本当に、心の底から――

(そうか、これが――)

 カイルは巨大な剣を大上段に振りかぶった。とどめの一撃、回避は間に合わない。受けなどとてもじゃないが無理。必死の状況にヴォルフは――

(テメエの景色。テメエの眼には、俺はこう映ってたのか?)

 氷のような、どこかで見たことのある眼をしていた。

「なるほど、不愉快だ」

 ヴォルフの脳裏に駆け巡る強者たちの記憶。烈日、英雄王、黒金、そして白騎士。皆、途方もない偉業の果てに英雄となった。それらを超え、世界最強の生物と呼ばれた己もまた尋常ならざる道を通ってこの場にいる。

 目の前の敵は己を倒して頂点に立つにふさわしいか、答えは――

「テメエに頂点はやれねえ」

 断じて否。

 黒き狼の王は太陽を背に剣闘王の前に君臨する。烈日を喰らい我がものとしたかの半世紀の偉業。背負うは己が名だけではない。喰らった者たち全ての名を背負い、超えた者の責務を全うする。

 あの日、一度だけ到達した十割の先、限界を超えたヴォルフだけの領域。

「これが最強だ」

 隻灼眼に黒き灼熱の毛並み。太陽を落とした『最強』が其処にいた。

 十割に達したカイルが振りかぶり今にも剣を振るわんとしている最中、ヴォルフは悠然と二つの牙を構える。ゆったりとした動きに見えるが、あくまでそれは錯覚に過ぎず、超高速の世界でその動作は行われている。

 カイルは剣を振り下ろしながらもその先、末期を直感し――

「そこまでです!」

 獅子の牙がカイルの剣を捉える。十割のカイルが振り下ろす必殺、その剣の横っ腹を正確に切っ先で射抜き、刃の到達点を半身分ずらしてみせた。

 ヴォルフはそれを瞬きもせず見送った。剣は紙一重でヴォルフの左足すぐそばの地面を大きくえぐる。巨大な炸裂音と共に土煙が立ち上った。

「説明しろ」

「戦女神が動き出しました。あそこにいるエスタードの将の見立てでは、おそらく中央は突破、敵拠点もほどなく落ちる、と」

「決着を止めた理由が聞こえてこねえな」

「止めた理由もわからぬほど頭に血が昇っているのですか?」

 ヴォルフとユリシーズが睨み合う。大概の者ならヴォルフに睨まれた時点で及び腰になるが、ユリシーズはそれを受け止めて自らの信念に沿う形であれば睨み返せるほどの胆力がある。今回は状況が変わった。変わらずとも、ここで『それ』を使うのはあり得ない。

「まだ戦は続きます。『また』半年、ろくに戦えぬ生活を送る気ですか?」

「今の俺ならあそこまでにはならねえよ」

「その保証はどこにもない。今、貴方を欠くわけにはいかないのです。最強を決める戦いならアルカディアとガリアスを討ち果たした後で良い。そうではありませんか?」

 ユリシーズは退かない。そして、正しいのも目の前の獅子。ヴォルフは苦笑して雰囲気を崩した。本当に、似て欲しくない部分まで兄に似ている。そう思うと色々と馬鹿らしくなってしまったのだ。

「ったく、水差し女め。ビラビラちゃんの指示か?」

「それは彼らが否定しました。おそらくはアークランドの独断」

「意図は不明だがよく落としたな」

「それなりの犠牲はあったかと」

「……『ここ』でそんだけ消耗して次に戦えるのかねえ」

 ヴォルフはため息をついて「やれやれだ」と首を振った。すでに戦意はないのかカイルやアルカディア兵たちに背を向けて歩き出す。

「何が、起きた?」

「大局的な話なら聞いた通りです。じきにここは我らの勢力圏になる。中央が突破された時点でここは戦略的価値を失いますから。守る意味もない。退いて、本隊に合流すべきですよ。このままでは孤立するだけ」

「さっきの、雰囲気の話だ。俺は、あのままだったら――」

「伊達や酔狂で世界最強の生物と自負しているわけではありません。あそこは俺達の団長、ヴォルフ・ガンク・ストライダーだけの領域。俺が介入しなければ、貴方は死んでいたでしょう。これは貸しにしておきますよ……カイル殿」

(団長もただでは済まなかったでしょうが)

「君は、そうか、あの時の少年。随分、強くなったみたいだな」

「貴方ほどではありません。日々精進です。では、俺もここで退かせて頂きます」

 突如終わりを告げた一騎打ち。突如現れ、突然去っていった黒の傭兵団を見送るアルカディア兵たちには困惑の色があった。カイルもまた愕然と自身が振り下ろした剣を見つめていた。あそこで彼が割って入ってこなければ自分は――

 カイルが味わうは敗北の味。

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