ファイナルウォー:最強決定戦

 渓谷を守護する守備隊はカイルのおかげで順調な仕上がりを見せていた。戦場の端で流れてきた敵軍相手に勝ち癖と経験を積んだ彼らは、それなりに戦えるようになっていた。気持ちの上では常勝、アルカディア軍、そう思い始めた矢先――

「……ん?」

 カイルの脳裏に嫌な影がちらつく。この場の誰も気づかぬほど微量の闘志。まだ距離はあるが少しずつ、着実に近づいてくる。最初は騎馬隊かと思っていた。背後に複雑な地形の森を抱える彼らにとって騎馬隊は敵にならない。

 だが、この足音は馬のそれではなく――

「全員戦闘準備ッ! 何か来るぞッ!」

 カイルは一瞬で警戒レベルを最大まで引き上げた。あまりにも小さな足音ゆえ距離と方向を誤った。剣闘王にとって索敵というのはそれほど得意分野ではない。いつも敵は見えていたし、闘技場より外側まで感覚を広げる必要がなかった。

「薄っすらとだが足音が聞こえる。だが、それがどこから聞こえるのかまでは――」

「随分のんびり屋さんだなおい」

 だから彼らを捉えることが出来なかったのだ。

「しまった、上かッ!」

 正しくは側面、崖の上で弓兵として待機していた者たちを音もなく、悲鳴の一つもあげる間もなく殺傷し、彼らはずらりとカイルたちを睥睨する。

「暗殺者ばりに足音を消せるのか……しかも集団で」

 カイルの言葉には感嘆の色が含まれていた。ここまで戦場を感じてきた中で、一部の怪物以外思ったほどレベルの高い場所ではないと感じていた。だが、眼前の彼らは違う。一人一人の武力はもとより、匂い立つ実戦経験とそこに裏打ちされた実力、応用力。

 高いレベルでまとまっていた。最初の重装歩兵とは毛色の違う彼らをカイルは厄介だと思った。無論、それでもこの人数相手なら何とかなると思う自分もいたが。

 あの男さえいなければ――

「この通り上は取った。片側でもお前らにとっちゃ致命だろ、ん?」

 見下ろすこの怪物さえいなければ――

「さて、ここでビッグチャンスだ。この俺と一騎打ちして、勝ったら後ろのこいつらは退かせる。俺も退く。俺が勝ったら素直に通せ。通さないって言っても通るけどな。ま、お前らに拒否権はねえよ。我こそはってのは手を上げな」

 この集団には勝てない。そもそもこの男にすら――

「俺がやる」

 それでもカイル以外に戦える者など残っていない。気持ちだけ強くなっていたが本当に強いモノを前にして彼らは自分たちが夢を見ていたのだと知る。カイル以外、抵抗の意思すら湧いてこない。

「ほー、でけえなおい」

 斜度がかなりあるはずの崖をまるで平地のように悠々と下ってくる男。動きの端々から伝わる別格感。感動すら覚えるほど、その男が歩くだけで強さが匂い立つ。

「ヴォルフ・ガンク・ストライダーだ。当然知ってるだろ?」

「ああ、このローレンシアで知らぬ者はいない」

「感心感心。俺はおめえを知らねえが、まあ聞きたくなったら聞くわ」

 ヴォルフは当たり前のように、石畳の上を歩くような姿でカイルたちと同じ地平に降り立った。圧倒的強者のオーラ、弓引く者すらいないこの状況は異常である。

「聞きたくなるぐらい頑張ってくれよ、でかいの」

 そして怪物が、動き出す。


     ○


「あんちゃあああん。おいていかないでよお」

「ゼノ兄まてー!」

「ぬぅわっはっはっは! そんなに焦るなマイブラザー。ゼナも慌てる必要など皆ィ無。このゼノ・シド・カンペアドールの膝は、逃げぬのだ」

「濃い顔きもーい」

「お褒め預かり光栄の極み。ほれ、ゼナはこっち。キケはでかいからそこだ。この布陣で完ッ璧! 最高かつゴージャスな景観が君の手に」

 濃い顔の青年、ゼノが指示した通りの場所に座る二人。巨漢のキケとまだ十代前半にしか見えないゼナは何だかんだと指示通り動く。

「うわー、良い景色だねえあんちゃん」

「そうだろうマイブラザー。このゼノが一晩かけて地図や地形の情報を精査し見出した場所。おかげで寝不足だが、んまあ必要悪だろーう」

「ねね、ゼノ兄、遊びに行っていい?」

「ふはっ! 血気盛んだなゼナ嬢。だが駄目だ。このゼノ、おそらく二年若ければあの場に割って入っただろう」

「二年ってことは、あんちゃん十六歳だ」

「ふ、ヤングな時代さ。割って入り、そして死んでいた。キケ、ゼナ、よぉく見ておけ。そして感じろ。ここから見えるのが頂点で、俺達も知らぬ怪物がいる世界の広さも同時に見られる。驕るには十年早い。俺も、お前たちも、なァ」

 あまりにも濃い顔ゆえ勘違いされやすいが、三人の中で一番年長のゼノでさえ十八、キケは十六、ゼナは十二、若過ぎる面々だが、二代目エル・シドが期待する有望株たちである。特にゼノは若干十六でカンペアドールを継いだ鬼才。顔の濃さとしゃべりの濃さ、欠陥はあるものの実力、血統共に新時代の旗手に相応しい素質を兼ね備えていた。

 かの『烈鉄』ラロ・シド・カンペアドールの実子にして、偉大な父と同じく守戦を得意とし多くの『烈』に戦いを叩き込まれたカンペアドールの最高傑作。

「この戦、俺たちが活躍する場はない。あくまで添え物だァ。その分しっかり見て、糧とし、成長せねばな。エスタードにとっては、どちらに転ぼうともォ、プラスにする。それぐらいの意気込みで見学だぞ。瞬き厳禁だ」

 ここまで徒歩にて辿り着いた。渓谷よりも山側、つまりほんの少しだが敵の後ろについているのだ。そうなれば当然、交戦のリスクは上がり危険も付きまとう。現にここに至るまで何度となくアルカディア兵と交戦した。そしてその度に――

 道なき道に横たわる死体。その先でカンペアドールの子らは頂点を見つめる。

「ところで何でエルビラは狼のおじちゃんがあそこ攻めるの許したの?」

「エル・シド様、だ。ゼナ嬢」

 ゼノはゼナの頭を撫でてやる。ちょっときつめに――

「黒の傭兵団は山岳戦のエキスパートだ。初期メンバーには劣るが、それでも腕利きの傭兵集団なら当然山に強い。良い傭兵は足が良いからなァ。つまぁり、渓谷を抜けてなお彼らは速度を落とさず敵の背後に回り込み、遊撃し続けられるということ。神出鬼没に黒狼が現れてみろ、その噂だけで、アルカディア兵は夜も眠れぬさ」

 騎馬隊では通れず、道を往くには狭過ぎる。だが、道なき道をある程度の水準で踏破できる集団があれば、そこは落とすに足る理由を得る。其処を抜け、後ろからヴォルフがやってくるかもしれないというプレッシャーは想像を絶する効果を生むだろう。

「さあ、始まるぞォ。先手は、いつだってあの男、か」

 ゼノの視線の先、動き出したのは――


     ○


(迅いッ!?)

 全身がばね仕掛け。ゼロからの伸びが異様。カイルの予想より遥かに速い動きで距離を詰められる。避けるか受けるか、考える間もなく選択肢は絞られた。

 明らかに出遅れた動き出しの迎撃を見てヴォルフは哂う。正解だが、それで生き残れるかは別なのだ。仮に相手の方が力が強くとも、充分に速度を乗せた己が一撃ならば、烈日でさえ打ち破れる。加えて自分はあの日よりもさらに強くなった。

「わりーないきなり、俺の勝――」

 明らかに出遅れている。明らかに押し込まれた状態。明らかに不利な体勢。

 それなのにこの手に感じる手応えは――

(強ェ!?)

 触れ合った瞬間、互いが互いの戦力を理解した。カイルは相手が速さと強さを兼ね備えた化け物だと察知し、ヴォルフはそれらを上塗りするパワーに驚愕する。

 両者の勢いが止まる。剣と剣が中空で停止していた。

 遅れて耳を劈くような轟音が炸裂する。大気が震え、地面すらぐらつく錯覚を覚えるほど、二人の怪物の衝突は見る者にとって脅威に映った。敵味方関係なく、生命の危機を本能が訴えてくる。それほど二人は人間離れしており、その相乗効果は計り知れない。

「疾ッ!」

 均衡を崩したのはヴォルフであった。するりと相手の剣をそらすように抜け出し、そのまま懐に潜り込む。そこで待ち構えていたのは――

「憤ッ!」

 カイルの裏拳。咄嗟に首を捻ってかわすも、その破壊力はかすっただけで肉を破壊する。頬の肉が薄く千切れ飛ぶ。パワーとキレのある動き、何よりも応用力の高さがフィジカルだけの戦士ではないと語っていた。

「やるねえッ!」

 ヴォルフは首を捻った方向に身体を入れてやる。その捻じれを利用して、勢いよく足を跳ね上げた。ほぼゼロ距離、こんな至近で蹴り技が出るとは思っていなかったカイルは、顎に思いっきりヴォルフの蹴りを喰らってのけぞる。

 柔軟かつ奔放、

「やるな」

 カイルは首をぽきぽきと鳴らして血の混じったつばを吐いた。

「首、折るつもりで蹴ったはずなんだがよ」

「だろうな。結構痛かったぞ」

 大したダメージがないことに少しだけヴォルフは苦い笑みを浮かべた。力と技術だけでも厄介なのに、さらにタフさまで持ち合わせているとは驚きを通り越して笑うしかない。

「……ウィリアムの野郎が奴隷を解禁した理由が分かったぜ」

「……ッ!?」

 突如出てきた親友であった男の名。その反応にヴォルフもまた不思議そうな顔をする。

「随分過剰に反応するんだな。テメエみたいなやつをあいつが見逃すわけがねえ。法律変えてでもこんだけの怪物なら手駒に欲しいもんだ」

「悪いが会ったこともない。俺如きを英雄白騎士が知るはずもない」

 ヴォルフはその返しに尚更興味がわいてしまった。同じ国内であの男がこれほどの怪物を見逃すはずがない。むしろどんな手を使ってでも、大枚叩いてでも身分を塗り替え早々に手駒としたはず。遅くとも奴隷解放を機に自身の陣営に取り込む。それぐらいの価値はある。地上最強の生物と自他共に認める自分に、それなりに喰らいついてくる相手などローレンシア全土でも数人程度のもの。絶対に手に入れたい武力。

 しかもまだ、互いに余裕があるときた。

(見逃すはずがねえ。知らねえはずがねえ。でも、この男はこんな場末でくすぶってた。本来、エルンストの坊ちゃんが重装歩兵を繰り出した時点で落とせていた場所に、大して戦力的価値のないこの場に、こんな怪物を配置する。あり得るか?)

 ヴォルフは頭の中で一つの仮説を組み立てた。存在を知り、実力を知り、全てを知った上で手駒としない理由を頭の中で弾き出す。ウィリアムにとっての例外、手駒とせず争いの外側に置き、奴隷解放をしてなお自分の外側に、意識的に外していたとしたら――

「……テメエの首を見たら、あいつの貌がどう歪むのか見たくなったぜ」

 ヴォルフの中でモチベーションが一気に跳ね上がった。確かに強い相手である。燃えるには十二分な手合い。だが、それでもなお燃え切らなかった理由は相手の奥に潜む弱さ。見た目や表向きの強さは怪物級だが、どこかヴォルフには弱さが透けて見えていた。

 どちらかが死ぬまで戦えば自分が勝つ。そんな確信があったから、燃え切らず楽しむ方向にシフトしていた。だが、もし仮設通りであれば、あの男の例外が眼前の怪物であったなら、その首を掲げて煽るのは最高に良い気分になるだろう。

 激情と共に最後の勝負。最高のフィナーレ。

「だからその男と俺は何の関係も――」

「答え合わせは首を見せてするから……テメエは気にすんなァ!」

「ッォ!?」

 さらに加速。ゼロからマックスまで刹那の時。そしてそのマックスが尋常ではない。カイルの知る誰よりも最高速がまたしても同じ人物に塗り替えられた。それも、ほんの少し跳ね上がった程度ではない。

「ぐ、がァ!」

 出遅れた。しかし力で巻き返す。先程はそれが出来た。だが――剣撃の轟音、のけぞるはカイルの巨躯。ヴォルフは歯を見せて笑った。そこからは圧巻の回転数。カイルは全力を賭してしのぐのが精一杯。余力はない。反撃する隙も無い。

 そもそも、ほんの一瞬、瞬きしただけで死ぬ。それほどに今のヴォルフは鬼気迫る勢いであった。凄絶な笑みと共に、ヴォルフはさらなる加速を見せる。後退に次ぐ後退。押され続けるカイル。これが最強だと言わんばかりのヴォルフ。

(カイル殿、貴方は強い。俺の記憶通りの強さだ。まだ、俺では届かない。アーク王、あの人、自分を圧倒した強さは健在。ですが、今の団長は貴方を知る俺が最強だと認める男です。エル・シドの最大を超えた新時代の最強、ヴォルフ・ガンク・ストライダーを前にした不幸。残念ですカイル殿)

 ユリシーズは残念そうな目でカイルを見ていた。当時感じた圧倒的強さそのままに剣闘王は君臨している。力強く、見た目に反して俊敏で、高い闘争センスも持ち合わせている。それでもなおヴォルフに負ける要素はなかった。

 苦境のカイル。頭の中から目の前のこと以外消えていく。日々の生活、過去の栄光、仕事のこと、友とかわした約束、守れなかった自分、守ってもらった自分、またも取りこぼした己の弱さ、眼に入れても痛くない最愛の娘、友の事。

 最後に残ったのは原初の敗北。日輪に刻み込まれた絶望。

 目の前の怪物は――

「この世は弱肉強食だぜェ! 俺が一番強い! だから、常に俺が奪う側だッ!」

 まさにあの日全てを奪い去っていった劫火そのもの。確かにあの日奪われたことで自分は一生の友を得た。それらも結局取りこぼしてしまったが、そもそもあの怪物が現れなければ自分はもっと強くなれたはず。心を強く持ち、友と共に修羅へ落ち、ほんの少しでも支えになれたかもしれない。自分が弱くなったのは、あの日の絶望のせい。

「俺に奪われとけ、負け犬よォ!」

 そうこじつける己が弱さが嫌いであった。言い訳をして、結局容易い道へ行ってしまう。その結果が今、一番守りたかった存在は二人ともすでに届かぬ場所にいる。そして今、この場で死ねば最後の望みすら、今の最愛を守ることすら出来なくなる。

「本当に、俺は度し難いな」

 カイルは弱々しげに笑った。明確な隙、進撃のヴォルフがそれを見逃す理由はない。袈裟懸けに一閃、ヴォルフの牙が肉を裂いた。如何にカイルの肉体とて狼の一撃は安くない。安くないからこそ――

「……初めましてで悪いが、俺はお前が嫌いだ。お前のような男が、あの日見た絶望が、俺が弱くなった原因が、俺は嫌いだ」

 一撃を入れたのはヴォルフ。噴き出る血潮がそれを示している。だが、雰囲気の変化を察しヴォルフは久方ぶりの後退をした。最強の嗅覚が、危険な匂いを察知したのだ。匂い立つ、危険、危機、鬼気、憤怒の修羅がそこにいた。

「先に謝っておく。ここからはただの八つ当たりだ。人生で二度目、どうしようもなくお前らのような人種が、嫌いで嫌いでしょうがない。だから消えろ、俺の視界から、俺の周囲から、俺の世界に、お前らは要らない」

 烈日が与えた絶望はカイ・エル・エリク・グレヴィリウスという少年に大きな傷を残した。それが元になって歴史に名を遺したであろう大英雄の資質を持つ少年が弱くなったのは事実。自分を過小評価し、小さな世界だけで完結する。そうなったのはその傷が原因であろう。だから、彼は彼の資質以上に弱くまとまってしまった。それで本人が満足し、彼が望む小さな世界ではそれ以上必要なかったから。

 だが、今は違う。必要が目の前にいる。そもそもここは自分の小さな世界ではない。なら、もう皮をかぶる必要はないのだ。だってほら、目の前の最強は自分よりも貧弱で、すばしっこいだけの狼ではないか。己は獅子、獅子の中でも最強の王たる資質を持つ。

「俺からお前らに髪の一本だってくれてやるものはない」

 カイルは全身に力を入れた。筋肉が異常に盛り上がり、相当深かった傷を圧迫し血の噴出を止めてみせた。ありえない光景。常人が同じことなど出来ようはずがない。

「奪えるものなら奪ってみろよ、最強君」

 カイルの闘争本能と殺意に火が付いた。人生で二度目の嫌悪。彼の帯びた傷は彼を弱くした。だが、その傷が怪物を進化させることもある。刺激さえしなければ現れることのなかった最後にして最高の才能。

 かの烈日が本能的に恐れた大英雄の資質が炸裂する。

「ハッ、こりゃまた……悪くねえ面になりやがった」

 ヴォルフの本能が叫ぶ。この男、危険であると。烈日との戦以来、この感覚は訪れたこともなかった。当たり前である。最強を超えた最強が恐れる者などいるはずがない。そう思っていた。事実、ここまではそうであった。

 ここからは、未知の領域。何故ならば、あの日から格段に強くなったヴォルフが、あの日と同じ感覚を覚えているから。つまり目の前の怪物は――

「あいつと決着をつける前に、どうやら命張る局面が来ちまったか」

 苛立ちを地面にぶつけ、咆哮する怪物。大気が先ほどの比でなく張り詰める。

「おもしれえ。誰が最強か、教えてやるよ三下ァ!」

「俺のモノは誰にも奪わせない。俺自身も、だ」

 奪い続けてきた最強と、奪わせぬよう生きてきたが何一つ守れなかった最高が衝突する。

 戦場の片隅で、世界最強が決まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る