ファイナルウォー:最強の剣闘士

 ヴォルフはふと戦場の外れ、本丸とはかけ離れたステージの脇が気になった。隣に立つユリシーズも同じような感覚を覚えたように見受けられる。はっとそちらを見て、視線が、意識が、闘争心がそちらへ吸い寄せられる。

「なーんかいるなァ、あそこ」

「俺が行って確かめてきます。団長、許可を」

 天獅子、ユリシーズ・オブ・レオンヴァーン。ヴォルフたち新星が巨星たちを落としたあの日から、最も伸びた男と言えば彼をおいて他にはいない。小さかった身体もヴォルフほどではないが人並み以上に成長し、元々兼ね備えていた小兵ゆえの器用さに力が加わった。しかしそれは彼の成長の一要因でしかない。

「俺が、か。昔は、自分が行くであります! ってな感じだったのになあ」

「……昔の話です」

 一人称の変化や口調の変化に見られる精神の成熟、これも一つの要因。

「今はダメだ。普通にやってりゃアルカディアがジリ貧って状況。ビラビラちゃんはこれで良しとしているが、俺からすると危険な状態ってやつよ。ま、だから俺たちを温存してるって話なんだろうが……お前はいつでも準備しておけ。俺の次に強いんだろ?」

「今は、ですが。王より強くなければ騎士に意味はありません」

「言うねえ。とりあえず勝てるってとこからの逆転はあいつの十八番だ。警戒するに越したことはねえ。だが、警戒し過ぎても駄目だ。取れるとこは取る。リクハルドとユーフェミアがオストベルグ方面を押さえている間に、勝ちきりゃ俺らの勝ち。勝ち切れずとも温存していた俺があいつの首を取れりゃあ俺の勝ち。な、完璧だろ?」

「あの男は俺が倒します。たぶん、俺の方が相性良いですよ」

「……そりゃあ否定しないがよ。レオンヴァーンにあいつを喰える牙はあるか?」

「無ければ創るまでです。数多ある獅子の剣を下地に、勝てる牙を生やせばいい」

 そう、ユリシーズがヴォルフら巨星に次ぐ序列に食い込んだ最大の要因が、一度故郷に帰りレオンヴァーンの歴史が持つすべての、それこそ色物のような技に至るまですべてを体得して帰ってきたところにある。その圧倒的下地をもとに生来の器用さが無限の剣技を生み出す。彼に決まった型はない。膨大な数の型を得て、そのすべてを利用し型破りとなっているのだ。ゆえに天獅子、戦場を縦横無尽に多様な牙で喰らい尽くすことからその名がついた。黒の傭兵団二位の実力者である。

「勝てたとしても俺の次な。あいつは俺の獲物だ」

「早い者勝ちが俺たち黒の傭兵団の信条。俺はそれに沿うまでです」

「可愛くねえ大人に育っちまったなおい」

 大人になったのはヴォルフの方だとユリシーズは思う。作戦とはいえ緒戦の顔見せ以降、ほとんど動いていない巨星。無論、相手の対策もしっかりしているし、それをこなせる将がかなりいるのも事実。だが、昔のヴォルフならその対策や作戦をも喰らう勢いで攻め立てたはず。思った以上に慎重になっている。

 それはきっと、アルカディア軍が相手だから。背後にあの男の影がちらつくから。

(自制を言い聞かせている。俺にじゃない。自分にだ。普段の団長なら一目散に突っ込んでいる。それだけの雰囲気だった。それに、あの雰囲気、どこかで――)

 動きたくとも動けないジレンマ。ヴォルフは平静な顔をしているが時折視線が隅の方、渓谷の方へ向いているのが散見された。狼をして興味津々、獅子もまた大きな興味を持っている。それでも動かないのはいずれ現れるであろう男への警戒から。無駄に消耗せず、最後の大舞台で決着をつける。それが狼である男の宿願であった。


     ○


 アポロニアもまた目を大きく見開いた。アークランドの陣に残っているのは現在、メドラウトと己のみ。そのことについてメドラウトが話を振ってこないのは気を使わせてしまったからだろう。そのことにアポロニアは少しほっとした。

 あの日、英雄王に刻まれた傷は右腕であるベイリンを切り取られただけではない。むしろその後、永遠に勝利することを奪われ、永劫消えぬ悪夢の炎を見た。

「……姉さん、汗」

 知らぬ間にあの日を思い出していた。ローレンシア最大の要衝、聖ローレンスを喰い取った代償はあまりに大きい。あれだけ自分と距離を置いていたメドラウトが、優し気に自分の額をぬぐってくれる。まるで幼気な幼子に接するがごとく。

 それだけの傷を負ったのだ。癒えぬ、心の傷を。

 知ってしまった。知りたくなかった、現実を。

「アテナは今頃何をしているかな? 皆を困らせてないだろうか」

 ふいにメドラウトが話を振ってきた。それは彼の娘であり、あの日、聖女と共に死を選ばんとした殉教者たちの中でたまたま生き延びた女性との間に生まれた子。あの悲劇の中で唯一、ほんの少しだけ救いのあるお話。

「やんちゃ盛りだからな。まあ、我らの血筋だ。大人しくはならぬだろう」

「あっはっは、違いないね。僕より姉さんに懐いているし、髪の色なんてほんとそのままだからさ。ガルニアスよりもケイオスの血が強いんだろうね」

「夫人にもケイオスの血が流れていたのだろう。あそこまで強く出るとは思わなかったが」

「まるでルシタニア人みたいだよ。可愛らしいけどね」

「ああ、可愛らしい子だ。守って、やらねばな」

 苦笑するアポロニアの瞳にあの日まであった炎はない。彼女が傑物なのは皆が知っている通り。しかし、それで彼女が満足しているとは限らないのだ。目指していた場所に到達できるとは、限らないのだ。

 英雄になるべくして生まれてきた傑物。心は王、センスは怪物、だが――

「まだ姉さんが出る幕じゃない。このまま出る幕なく終わるかもしれないけど」

「それはない。あの男がいる。白騎士が出てきたら呼んでくれ」

 白騎士、その名を口にする時だけ、彼女の眼にほんの少しの炎がちらつく。それは残り火のような脆弱さで、その意味を察するメドラウトには直視出来ぬものであった。

「ああ、わかっているさ。そうしたら僕もちょっと顔を出してくるよ。陛下はどんと構えてくれてればいいさ。それが王ってもんだろ?」

「……そうしよう」

 席を外したメドラウトはアポロニアの視線の届かぬところで初めてあの雰囲気を感じた、戦場の隅を見る。最近では落ち着きつつあったアポロニアにあの日を思い出させた雰囲気の爆発、つまり彼女は感じ取っているのだ。

 そこで戦う人物もまた、己の届かぬ領域に住むものなのだと。

「神は残酷だ。誰よりも才溢れ、誰よりも先んじた英雄に、最後の一段を与えなかったのだから。それはある意味、何も与えないよりも、残酷なことだよ」

 メドラウトは天を睨んだ。人の拠り所としての神は許しても、人をおちょくるように才や富を分配する神は許せない。与えるなら最後まで与えろ、与えぬなら最初から与えるな。望みを、確信を、抱かせないでくれ。

 世界は、本当に残酷である。


     ○


「……ばけもんかよ」

 彼らの視界に広がっていたのは、ほぼ一人で百人近い重装歩兵をせん滅した化け物が生み出した地獄絵図である。人同士が争ったとは思えぬほど、おぞましい形状をした屍の数々。鎧はひしゃげ、兜は潰れ、中身は見るも無残な肉と骨、臓物の飛び散る血のシチューが如し。

 その上に君臨する男は最後の一人の首を引き千切った。殴るでも、斬るでもなく、力任せに引き千切る。あまりにも凄惨な光景に味方すら吐き気が止まらない。

「人相が変わっていて気づかなかったぜ。雰囲気も、ただのおっさんだったしな」

「剣闘王カイル。最強の剣闘士、生涯無敗の怪物だ」

 奴隷たちが目指す先、市民たちが熱狂した市井の英雄。突如表舞台から姿を消し、世俗から消えた怪物が帰ってきた。彼を直接見ていた者は、彼の舞台姿しか知らない。だから気づけなかったのだ。張り詰めた王者の雰囲気、奴隷ながら気品のある顔立ち、それを増幅する巨躯。すべてがそろって剣闘王なのだから。

「嘘だろ、あのおっさんが剣闘王……俺の、目指す頂点」

 あまりにも遠い背中に愕然とする。人間が届くようには見えない。

「力も技も、速さすら化け物。加えてあれだけ戦ったのに息一つ乱れていない。無尽蔵な体力と人間離れしたフィジカル。そして小兵並みのアジリティも兼ね備えている」

 オットーの知り得る最強はヒルダが連れてきたグレゴールやギルベルトらアルカディアでも有数の武人たちである。彼らの技や強さには感動を覚えたもの。特化した部分をさらに高めて上を目指す。そんな姿に憧れた。

 しかし、目の前の怪物は全てを兼ね備えているのだ。

「ブランクは大きいな。本調子には程遠い。早く実戦感覚を取り戻さねば」

 しかも、さらに上があると彼は言っている。その眼に嘘や虚勢は見受けられない。そもそも彼のレベルでそんなことする意味もない。単純に、先があるのだろう。底知れぬ怪物、こんな人間がアルカスのどこかにいた。その事実が恐ろしい。

「この道幅なら少し動くだけで両の手が届く。出来る限り守ろう。今のうちに実戦経験を積んでおくと良い」

 ぽんとオットーの肩を叩くカイル。血濡れの怪物はその姿に似合わず優しげに微笑んでいた。先程見せた鬼神のような表情とは打って変わり、その顔に覇気一つ見受けられない。それでも事実は揺らがず、彼が怪物なのは変わらなかった。

「怪物どもが動き出す前に、な」

 カイルは獰猛な表情で夕暮れの方を見る。

 そちらに布陣するまだ見ぬ怪物を想いながら――


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