ファイナルウォー:実りの秋

 季節は秋、実りの秋である。ウィリアムが管理を任せられている領地でも多種の果実が収穫され、商流に乗り遠方まで売られるものもあれば、足が短くさっさと現地の者たちが食べてしまうものもあった。果実は酒の原料にもなり、その製造も活発化する。

「あまり面白いモノではなかったですね」

「そんなことはございません。こういった景色こそ国の宝ですから」

 そう言った光景をウィリアムはこちらに来てもらった賓客、エレオノーラに見せるべく案内をしていたのだ。昨日到着したばかりであるが、元気なもので昨日の晩餐会では食べるのもそこそこにウィリアムと踊りたがったものである。

 今日の見学も同じ。二人で見たいとエレオノーラが強く希望した。

「本で読むだけでは見えないこともあるのですね」

「ええ。読むだけでは不足、見てなお不足、本当を知るにはやってみないことには」

「なるほど。その通りですね!」

 頷いたエレオノーラは一目散に酒の製造現場に駆け出した。ウィリアムが止める間もなく人の輪に割って入り、農民に頭を下げてお願いしている様は一国の王女とは思えない。

「……おいおい」

 水で足を丁寧に洗って大樽の中へ。葡萄を足踏みし始める一国の王女。その無邪気さは高貴さとは無縁で、それゆえにこの場全てをあたたかく魅了する。

「不思議な感触。でも気持ちいいですよウィリアム様」

 ウィリアムの名を聞いてぎょっとする農民たち。ウィリアムは彼らに申し訳なさそうな笑みを浮かべる。伯爵程度で地に頭を打ち付けんばかりに頭を垂れる。つまり、当たり前だが彼らは彼女の素性を知らないのだ。

 知ったらきっと泡を吹いて倒れることだろう。

「申し訳ないな。私の客人が邪魔をしている」

「め、滅相もございません。むしろ伯爵様の客人にこのような下賤の仕事をさせてしまい申し訳ございません。何卒、ご容赦いただきたく――」

「そう遜るな。仕事に貴賤などあるものか。お前たちの作る酒が人に笑顔を与える。それがこの国の活力となる。私からするとお前たちの方が私などよりよっぽどこの国の役に立っているさ」

「そ、そんなことはございません!」

「あっはっは。お嬢様、お気は済みましたかな?」

「まだです。仕事は完遂してみせます」

「……重ねてすまない。あとでこの補填はしよう。少々場を借りるぞ」

「はは!」

 一心不乱に。天真爛漫に、満面の笑みで葡萄を踏んでいる彼女を見て、ウィリアムは改めて思う。彼女の生き方は、性質は自分とは交わらない。『ウィリアム』が初めて愛した彼女と同じように。

 ウィリアムに人を笑顔にする力はない。それは彼の仕事ではない。

 そのことにウィリアムは少しだけ空しい思いを抱く。ここで彼女が、彼女のような人が皆に笑顔を与え、あたたかさを与える。さながら今も燦々と降り注ぐ陽光の如く。その偉大な仕事と自分は対極にいて、これからも交わることはない。

 そのことに、ウィリアムは空しさを感じるのだ。


     ○


「今日はとても楽しかったですね」

「ええ、貴女といるとなかなか落ち着く暇がない」

「それは楽しかったのですか?」

 ぷうと頬を膨らませるエレオノーラを見てウィリアムは苦笑した。

「楽しさ半分、ハラハラ半分といったところでしょうか。これだけ感情が動いたのは久しぶりです。北方では穏やかな日々が続いてましたので」

「やはり北方での暮らしがよかった、ということですか」

「よくもあり悪くもある。子育てには最適だったと思います。私の息子ながらのびのびと、優しく育ってくれました」

「まるで貴方が優しくない風に聞こえます」

「優しくはないでしょう。優しく振舞えるように努めていましたが、どこかよそよそしい。私の本質は優しさとは対極です。自分に、他者に厳しく、結果を出し、出させ、高みを目指す。其処に止まりたい人間は置いていく」

「あまり好きではない考え方です」

「それでいい。私の持たぬ貴女の優しさが国の宝。私の取りこぼしたものを、貴女が掬い取ってくれる。私が高め、貴女が守る。それが、一番この国が栄える方法でしょう」

 エレオノーラの頬がかあっと赤く染まる。ウィリアムの言っていることは、聞き方によれば一緒になろうという風に聞こえて、エレオノーラはウィリアムの顔を直視出来ないでいた。どういう意味だろうか、他意はあるのか、真意は――

「ふっ、殿下に聞かれては怒られてしまいますね。大事な妹君にちょっかいをかけるなど許されないでしょう。私の身分ではエレオノーラ様も含め、高嶺の花ですので」

 こんな発言をされては疑いようもない。

「お、お兄様はウィリアム様を買っておられます。今でこそぎくしゃくしておりますが、それはたまたま噛み合わぬだけで、きっと反対されることはないです、はい」

「で、あれば良いのですが」

 まるで夢でも見ているかのよう。ずっとあこがれていた。二度、届かぬと知って悲しみに暮れた。それが今、手元に転がり込んできた。そんな僥倖、あっても良いのだろうか。

 兄の言っていたことも気にはなる。結果として、兄の予言は成就した。だが、たまたまということもあるだろう。そんな懸念よりも今は――

「お姉さまともお会いしていると聞きました。ウィリアム様は、ご夫人を亡くされて寂しいのです。だから私にもこのようなことを」

「クラウディア様に関しては少々、警戒すべき部分がございます。王女殿下にこのような物言い、失礼に当たりますが……レオデガーは私の好敵手であり友であった。アルトハウザーの様子を知るものとして、それを波及させるわけにはいきません」

 ウィリアムの眼が鋭く光る。それを聞いてエレオノーラはホッとするとともに己が姉の凶行を恥じた。上に立つ者なら誰もが知っている王家の醜聞。兄の入れ知恵により穿った見方をしていたが、レオデガーとは融資を受けるほどの仲、であれば今ウィリアムが言ったことをまず考えるべきであった。

「ルトガルドに関しては、確かに私も弱っています。ヴィクトーリアに続き愛した者がこの世を去った。私は女性を不幸にする星の下に生まれたのでしょう。伴侶を得るべきではない、そう思い、少し寂しく感じてはいます」

「そ、そんなことはありません!」

 ウィリアムがちらりと見せた弱さ、それを見てエレオノーラは少し勇気を得た。きっと、彼の弱さを見た者はそれほど多くないはず。自分はそれを見るに値した。弱さを見せてくれたことに胸が弾む。

「そう言っていただけると勇気が湧いてきます。やはり貴女は太陽だ。簡単に私の心を温めてくれる。貴女がそばにいたら、などとつい考えてしまう」

 自分は選ばれた。そのことにエレオノーラは歓喜する。兄の見当違いな発言など記憶の片隅に放り込んでおけばいい。姉のことだって懸念ですらない。

「失礼致します。夕食のお時間になります。準備が整いましたのでお部屋の移動をお願いいたします」

 その空気を裂いて現れたのはエアハルトが信頼を寄せるウィリアムの副官。エレオノーラも良く知る人物であった。それこそ何度か婚約の話が出たほどである。

「わかった。すぐに向かおう。さあ、参りましょうかエレオノーラ様」

「は、はい!」

 ウィリアムの差し出した手を取り、その硬質な冷たさに胸が躍る。恋する乙女は人生の絶頂にあった。ずっと憧れていた物語のような、ドキドキの中に自分がいる。

(何を考えているウィリアム・リウィウス。エレオノーラ様を足掛かりに王は目指せん。あの方は優し過ぎるし、エアハルト様に本当の敵意は向けられない。狙いはクラウディア様ではなかったのか? それとも、何か別の狙いが?)

 困惑する副官の横を笑顔の二人が通り抜けていく。このまま二人が結ばれたならエアハルトにとっては好都合。むしろ推奨するだろう。エレオノーラが愛しているのは英雄ウィリアム・リウィウスなのだ。王位を得るためにどんな手段も講じる怪物ではない。だから安全なのだ。王家の血筋がある以上、夫婦の力関係はエレオノーラが上となる。彼女の意に添わぬ動きは出来ぬようになってしまう。だからある程度狙いがい一致するであろう怪物同士が組むと予想していたのだが――

 狙いはあるのか、彼が考えている間にも世界は動き出す。


     ○


 ダーヌビウスからルーリャを渡る人の群れ。最初はまたアークランドが小競り合いを仕掛けてきたと戦意をもってアルカディアの兵は剣を抜いていたが、次第にその顔は曇り――最後には絶望に染まる。

「正義、執行ッ!」

 何が起きたのかわからぬまま、アークランドを監視していた兵たちは蹂躙されていく。ろくに抵抗も出来ぬまま、その『数』に圧倒された。

 正義が血しぶきにまみれ現れた。

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