ファイナルウォー:無数の思惑

 ウィリアム不在のアルカスは表向き平穏であった。それは世界の動乱が水面下で進んでいることと同様に外には漏れ伝わらぬ戦い。ゆえに泥臭く、血生臭い。人の隠すべき本性があらわになる――闇の闘争。

「…………っ」

「残念でしたァ。貴族様のお屋敷だぜ? 番犬の一匹や二匹いるに決まってんでしょーよ」

 黒星と呼ばれる暗殺者が数名、別口の暗殺者に囲まれながらにやにやと薄ら笑いを浮かべていた。人数的に勝るのは暗殺者たち。黒星は単独で普通なら勝てる戦いである。だが、彼らは知っていた。

 闇の王直属の暗殺部隊。昨今は鳴りを潜めていたが、彼らの力量は闇に生きる者なら誰もが知る周知の事実である。

「あ、白龍さん」

 最強の暗殺者の名前が出てとっさに背後を見てしまう。彼らにとって絶対者である男の名は、彼らから敵に背を向けるという愚行を引き出してしまった。

「そんなにびびるなよ。俺にびびれ雑魚ども」

 するりと彼らの横を通り抜ける影。黒星が、その横を通り抜ける刹那に細い針を頭蓋の中に滑り込ませる。その技術は常人の理解が及ぶ範囲ではない。細い針の一撃は血が出ることもなく、痛みを感じる暇もなく、彼らの身体を機能停止させた。

 自らが滅んだことを理解することもなく彼らは崩れ落ちる。

「二流三流とよくもまあ雑魚を集めたもんだ。二日前にも似たような三流が死にに来たけど……本当に救いがたいね。雇い主も、雇われてるこいつらも」

 腕の立つ闇人であればあるほど、闇の王の勢力をそのまま受け継いだウィリアムと敵対することを避ける。知れば知るほどにその首は遠いのだ。少なくとも裏で殺すことは不可能に近い。毒を支配し、腕利きの暗殺者を数多く召し抱え、何よりも本人が強い、強過ぎる。

「本人は無理だけど子供なら……なんて本当に浅はかな連中だよ。だからこそ夢を見ちまう。その夢はかなわず、悪夢になるってのに」

 彼らの足跡を辿れば雇い主にたどり着いてしまう。この程度の実力で足がつかないことはありえない。すでに黒星の部下が追っており、夜明けまでにはすべての方がつくだろう。

 二流未満の暗殺者たちは血の一滴すらこぼれることなく絶命し、あとは体一つ運べば証拠は完全に隠滅する。物音ひとつ立てていない、アルフレッドはもちろん家人のイーリスや使用人たちも眠りの底であろう。

「……ま、あのヒルダってのは勘付いてそうだけど」

 黒星の気配には気づいていないが、屋敷に二流、三流が立ち入れば嫌でも気配を読み取ってしまう。足音、息遣い、この前ほどではないが彼らも全然なっていない。武人としてそこそこ鳴らした彼女なら察知は容易であろう。

 それが突然消えたなら必然、他者の存在も気づいてしまう。だが、それを知りながら彼女は動かない。そこに害意がないことを理解しているから。敵意や殺意を持った者を消し、そのまま自らの気配も消す。何度か続けば黒星を知らずとも目的は明確になる。

「満更馬鹿じゃないってことか。うまくやっていきましょう、互いにね」

 黒星は闇に紛れて姿を消す。自分は実力を買われてこの場を任されているが、本当の激戦区はこのガードナーの屋敷ではない。

 真の激戦区は――王宮であった。


     ○


 薄いネグリジェが肌蹴た状態で、クラウディアはごちそうさまとばかりに舌なめずりをした。隣にはあまりにも強烈な体験に意識がもうろうとしている貴族の男。文官の中でも多くの仕事を任されている俊英であり、真面目な優等生タイプの男であったが、アルトハウザーを滅ぼした魔女にとって容易い相手。女など自分の女房くらいしか知らぬであろう男を堕とすことなどわけはない。

 王宮に舞い戻ったクラウディアは早くも自身の勢力を作り上げていた。以前までの己なら遊び程度で済ましたことも、明確な目的、国盗りが控えている以上しっかり堕とし切って手駒とせねばならない。

 妖艶なる魔女は年月を経て、アルトハウザーを喰らい、さらなる魅力を手に入れていた。飛び交う黒いうわさをものともせず、彼女は好きなように動き好きなように喰らう。彼らが男であり、性欲がある以上己には抗えない。

「なんぞ、また妾を狙う鼠が紛れておったか」

 行為の最中、物陰でがさりと音が鳴った。色を嫌というほど知るアルトハウザーの当主や大貴族たちなら勘ぐる余裕もなかっただろうが、相手はしょせん青二才。余裕が有り余っていたため、武とて無縁の彼女も色々と察知していたのだ。

 特に最近は勢力づくりのため土台たる人物ばかりを狙っていた。仕事一筋の真面目人間にしろ色を知った気になっている若造にしろ、クラウディアにとっては遊び相手にもならぬ相手ばかり。少々退屈に感じていたところである。

「ウィリアムの玩具よ。妾のモノにならぬか? 色々楽しませてやろう」

 物陰から反応はない。幾度声をかけても姿を現さぬ影。自分が盟約を結んだ相手は彼女の想像以上に良い手駒を揃えているようであった。それこそ、己に必要とされる役回りは王家の血、それだけである。だからこそ、彼女は本気で遊んでいるのだ。その先で待つ本当の遊び相手のために。

「つまらぬ、が、面白い。さて、明日は何を喰ろうてやろうか」

 しゅるりと舌なめずる魔女はすでに空腹であった。腹の足しにもならぬ相手ばかりを相手にし過ぎた。効果的であっても、そろそろ骨のある相手を堕としてみようかと画策する。

 大貴族か、はたまた――

 魔女の毒は確実に王宮を蝕み始めていた。


     ○


 白龍はクラウディアを狙う暗殺者を音も無く仕留め、その遺体から足跡を辿った。それは妙にくっきりとした匂いを残し、まるで導くかのように答えに到達させる。

「……第二王子エアハルト。隠す気はない、か」

 クラウディアの危険性とウィリアムの狙いを理解している彼こそが王宮における最後の障害。いつかはぶつかる必要のある相手だが、戦いの場が王宮である限りまだまだウィリアムは力不足。遠方に飛ばされ、築き上げてきた影響力も陰りを見せ始めている。

 こちらに戻ってこない限り敵はクラウディア一人。正しい判断とその実行力、加えて敵の寝室からにおう気配は白龍でさえ油断できぬ感覚を覚えた。

 守護も万全。そもそも王子は暗殺ではなく表から堂々と座を簒奪するのが主の意向である。ゆえに白龍は手出しする気はなかった。するとしても、自分一人ではなく黒星など精鋭を集めて、成功率七割強といったところか。

 高いリスクと天秤にかけて、七割は決して実行に移せる確率ではない。

 白龍が姿をくらませると同時に、王子の護衛もまたにおいを消す。エアハルトは外交ルートから白龍たちすら知らぬ存在とも繋がっている。それが確認できただけでも近寄った価値はあるというもの。

(挨拶と抑止力だな。こちらが攻めたくない一方で、あちらも攻められたくはない。あくまで戦場は表側。そうするための邂逅、か)

 要件は理解できた。狙いは双方ともに一致している。ただし、クラウディアに関しては今後も狙ってくるだろう。そちらの繋がりは王子にとって一番の懸念材料なのだから。そこさえ潰せば、何事もなくば、そもそも戦いにもならない。

 まだ王宮での政争は始まったばかり。あらゆる物事に気を配らねば白龍でさえ喰われかねない。そもそも主が守護を命じた相手が隙あらば喰らおうとしてくるのだ。まこと、この王宮は油断も隙もない場所である。


     ○


 ウィリアム伯爵が統治する領地は一国に相当する。マァルブルクより北が削られているとはいえ七王国の半分(北側の方が広いものの)を手中に収めているのだ。如何に中央からすれば左遷とはいえ、一貴族の領地としてはやはり破格。これはガリアス、ネーデルクスとの戦で見せた圧倒的活躍によるものである。

 カール亡き今、アルカディアは武力の面からウィリアムを欠くことは出来ない。出来ないがこれ以上増長させることもしたくない。あまりに冷遇すれば国民人気の高い英雄をないがしろにする王家という構図が見え透いてしまう。

 妥協案が今の状態なのだ。ただし、周辺はエアハルト派の貴族が北側を押さえマァルブルク以南を完全に封殺している状況もあった。商売関係もこの地理関係で自由が利かず、大きな制限にはさすがのウィリアムも頭を悩ませていた。

 問題は他にもある。

「ウィリアム伯爵。街道の拡張が遅れております。急ぐよう指示を出しておきました」

「人員の増加は?」

「手配済みです」

 優秀な副官。王族であるラファエルをこのような辺境に連れてくるわけにもいかず、代わりにと配属されたのがこの男。優秀さは折り紙付き。思考を先回りしての行動は在りし日のアンゼルムを想起させた。

 非の打ちどころのない副官であったが、一つだけ難点があった。それは彼がエアハルト派であり、第二王子が絶大の信頼を寄せる無二の親友であったのだ。ウィリアムも何度かカマをかけてみたが、冷たい笑みが返ってくるだけであった。揺らがず、曲がらず、粛々と自らの職務を遂行し、その上で監視も怠らない。

 彼の部下も含めてしっかりとした制限となっていた。

 外側はもちろん、近くにも敵は潜み、南には超大国。一つ間違えれば、最悪はかの国が再度攻めてくる。今度は前回のようにはいかないだろう。そうならないためにはうまく部下たちを制御し、来るべき時に備えてバランスを整えておかねばならない。

「そう言えばこちらへの赴任となってからご挨拶をしていなかったな。来る来ないは別にして招待状の一つでも送らねばまずいだろう」

 ぴくりと副官の眉が弾む。

「どちらの、姫でしょうか?」

 露骨な警戒心。おそらくエアハルトから特に言い含められているのだろう。

「安心したまえ。エレオノーラ様の方だよ。もう一人に送ったところで縁もゆかりもない私からでは、招待状が破かれるのがオチだ」

 ウィリアムと副官の間に見えない火花が散る。どう動くべきか、相手に悟られず、相手の裏をかき、自然に、動きを制限する方法は――

「エレオノーラ様宛の書状、私が作成しても?」

「あくまで私が書いた、という体裁をとるのであれば任せるよ」

「承知致しました」

 どう動くのが最善か、下手を打てぬ冷たい争いが身近でも起こっていた。


     ○


「着任後の様子を見るに、白騎士は容易くマァルブルクから動けないようだ」

「しかも周辺を固めるのは敵対派の貴族たち。眼前には超大国が圧を放つ、か」

「ガリアスには今回の件、手出しする気はないと内々で話は付けたよ。そもそも競争相手を潰す策に労せず乗っかれるならおいしいポジションだ」

 いつの間にかガリアスとも話をつけたというエルンストに周囲は慄いた。第一回の会合以降、不定期で開催されるそれに彼は必ず己が手腕、ゲハイムの機動力と組織力を見せつけてきた。いざ戦争となれば自分たちが数に劣ることは重々承知している。だからこそ今、その存在感を見せつける必要があるのだ。

 この曲者どもになめられず上に立つために。

「彼らは動かない。同じ理由でネーデルクスも動かないように出来る。理由さえ作ってやれば……少ない手間で一国を押さえることが出来るはずだ」

 ガリアスとネーデルクス。この場にはいない盤上を覆す力を持つ勢力の介入もさせないよう彼らは暗躍していた。特にガリアスはどう動くにしろ影響力が大きいため、行動を明確化させておく必要がある。

「その辺は好きにしろ。俺ァあいつとやれんならそれでいい」

「もちろん舞台は用意させますよ。でも、緒戦は諦めてください。オストベルグ側に配置されている戦力は決して多くない。ガリアスとの不可侵条約に頼り過ぎている。そこをヴォルフさんたちに攻めてもらうには少々、豪華が過ぎる」

 エルンストは手を広げた。

「まずはラコニアを落とします。ダーヌビウスから一直線に、全戦力をもって攻め潰す。これで北と南にアルカディアが分断できる。そこの抑えにリクハルドやユーフェミア殿を配置し、耐え凌いでいる間にアルカスを落とす。この後であれば好きなだけ、思う存分孤立した白騎士と戦えますよ? 如何でしょうか?」

 ヴォルフに異はなかった。勝つためにやるべきことは共有できている。白騎士を本筋に介入させない。戦わずして勝つのが理想。ヴォルフとしては決して望んでいた流れではないが、勝つためには仕方がない。

 ある程度窮地を作らねば、今のあの男は自分の剣を抜こうとしないだろう。まずは剣を抜かせる。そこからヴォルフの望む決着が始まるのだ。

「エスタードはそろそろネーデルクスとの戦をまとめてください」

「すでにエル・シドが交渉のテーブルについている。まもなく終わるだろう」

 エル・シドの代理としてこの場を任せられている男が言い放った。

「これでかの地で戦っていた勇士たちも合流する。ようやく始められますね」

 機は熟した。準備は十全。戦力も充実。アルカディアは仲間内で足の引っ張り合いに熱を出し、世界の動きにまるでついていけていない。自分たちの望む通り戦争が終結し、ガリアスに次ぐ第二位としてゴールインする。そう彼らは疑っていないだろう。その道は一歩手前まで来ていたのだから。

 だが――

「大義は我らに在り! 今こそ秩序の敵、悪の枢軸、アルカディアを打倒する時である! 我らは三国の枠を超えて、世界中から集まりし正義の軍勢である。我らを束ねるのは世界の正義、その名はただ『正義(ユスティーツ)』でいい。共に往こう。正しい世界へ。導こう、秩序あるあたたかな食卓へ。いざ、征かん、『正義』の名のもとに」

 最後に『正義』が立ちはだかる。

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