ファイナルウォー:策謀のダーヌビウス

 水神の都、ダーヌビウス。二股に分かたれしルーリャ川という天然の要害。難攻不落と恐れられた都市は現在アークランドが支配している。今までかの国唯一の弱点である後背の山脈、南側に連なるその先には、自ら攻めることをしなかった聖ローレンスという七王国があったのだ。それを滅ぼし、積極的に攻め滅ぼす国家が背後に来たことで不落の都市はあっさりとその主権を放棄した。

 支配権がアークランドに移ってから今まで、この都市はユーフェミア・オブ・レオンヴァーンが守護を任されていた。こと守備に関して彼女の右に出るものはアークランドにはおらず、唯一の弱点である背後が自国領となれば鉄壁も極まるというもの。

 そんな場所に、集うは世界を震撼させる大物たち。

「おいコラ、何ガンくれてんだアポロニアちゃんよォ。王会議の時の借りを今ここで返してもいいんだぜぇ」

 黒狼王、ヴォルフ・ガンク・ストライダー。自他ともに認めるローレンシア最強の怪物。その武力が頂点であることに疑いの余地はないだろう。実績からして並ぶ者は三人しかいないのだ。世界最強であった巨星を討った新たなる巨星。それがこの男。

 そしてもう一人もまたこの場にいる。

「…………」

 戦女神、アポロニア・オブ・アークランド。ヴォルフと同じく巨星を屠りその名を歴史に刻み込んだ傑物。歴史上、彼女ほど強い女性の将は生まれないだろうと言われている。ローレンシアでも最強ではないかと噂されているが、最近の戦績を見るに強い相手、特にヴォルフを避けている印象があり評価は一段落ちつつある。

「覇気のねえ面だ。それで戦女神とは笑わせるぜ、なあ」

 ヴォルフの背後に連なるのは黒の傭兵団の古強者たち。元の出自は大したことないが、実戦で鍛え上げられた実力は本物。地獄が彼らを狼へと変えた。

「あまり他人の王を侮辱されては困る。抜きたくなっちゃうじゃないか」

 アポロニアの背後に控えるは彼女の騎士たち。メドラウトを初めとしてユーフェミアやトリストラムなどこちらもつわもの揃いである。

「おうおう抜け抜け。いっちょどっちが頭に立つか決めとこーぜ」

 ヴォルフが煽る。一触即発の空気が其処にあった。

「……お二方が荒れているのは、白騎士が相手だから、ですか?」

 その場の空気が一瞬で凍った。

 ヴォルフとアポロニアが硬直する。

「だったらなんだよ。あいつが相手で燃えちゃわりーか? まあ、戦わねえあんたにゃわからん世界だろうぜ、偽物のエル・シド・カンペアドールさんよお」

「私が戦っていないと見えるなら、貴方は其処止まりでしょう。今の貴方よりも私やリディアーヌといった戦わぬ者の方がよほど彼に近く、彼を理解している」

 二代目エル・シド・カンペアドールことエルビラは笑顔でヴォルフの逆鱗に手を触れた。激昂する最強を前に怯まぬはエスタードが誇る武人たち。エル・シドにあこがれ、エル・シドが選んだ次世代に仕える強力な戦力である。

「彼を戦場だけで捉えていては、後々痛い目を見ますよ」

「知ったことかよ。俺は戦士だ。戦いでしか物事を測る気はねえよ」

「だから其処止まりと言っています」

「……さっきからくそ黙ってる騎士女よりテメエをぶっ殺したくなったぜ」

「私は失望しています。我らが偉大なる烈日を討った男が、この程度なのか、と」

 三者三様で睨み合い、けん制し合う状況。とても誰かが収められる雰囲気ではない。


「はいみんなー。僕特製のお菓子だよー。焼きたてだよー」


 その男の登場で空気が一気に弛緩した。ふわりと甘く芳ばしい香りが広がり、緊張の糸がほどけていく。何よりもそのお菓子を配る男の笑みが、この空間を逆転させ穏やかなものへと変貌させる。エルビラはずれた眼鏡の位置を直した。地の底から這い上がってきた男、それこそこの特異な才一つでここまで昇ってきた青年、

「あ、リックーはお茶係ね。カロリンは僕と一緒にお菓子を配ろう」

 海王リクハルドと千人斬のカロリーナをくだけたあだ名で呼ぶ男こそ――

「皆仲よくしよう。喧嘩は良くないよ。僕らの一つ一つの勢力は弱い。こうやって集まってようやく世界に影響を、アルカディアと戦えるんだ」

 エルンスト・ダー・オストベルグ。人に好かれる不思議な魅力を持つ男。翡翠色の髪を持ち、穏やかな瞳に敵意を抱く者はいないだろう。同時に不快感を覚える者もいない。誰からも好かれ、誰からも愛される、そんな『怪物』。

「それを忘れちゃいけないよ。三国と一勢力、決して平等な集まりじゃない。でも、皆あの条件に賛同してくれてここにいるはずだ。僕らの共通の敵、アルカディアを倒して世界に秩序を取り戻す。僕は切にそう願っているよ」

 お菓子を配り終え、誰よりも速く食べ始めたのは何を隠そうエルンスト本人であった。焼き菓子を口に含みお茶を咥内に流し込む。少し熱かったのか顔を歪めるところも隙に見え、どこか小さな親近感と笑いが生まれていた。

「そこでみんなに新情報がある。白騎士の話だけど、興味ある人ー」

 エルンストの周り、ゲハイムの面々だけが挙手し、他は無視した。

「えー、ないなら言わないよー」

 そう言われて仕方がなく全員が手を上げた。

「ふふ、そこまで言うなら教えてあげる。白騎士、ウィリアム・リウィウスはこのたび伯爵の地位とマァルブルク以南の領土の管理を任された。正式に大将位を手に入れたってのもあるけど、まあこれは形式的なものだし、いつかはそうなっていた。けど――」

 領地、この配置が重要である。

「またも都落ちか。しかも今度は風よけときた。酷い国だね、アルカディアってのは」

 メドラウトが感想を述べる。

「しかしこれで分断の手間をかける必要もなくなりました」

「まずはどっちから攻めるんだ? 白騎士がいる南か? 王都のある北か?」

 エルビラ、ヴォルフも興味深く情報を精査していた。

「まあまあ、みんな落ち着いて。とりあえずお菓子でも食べて深呼吸だ。やることはある程度決まっている。あとはエル・シド様やメドラウト卿などのお知恵を拝借してきれいに仕上げていくのさ」

 ある程度決まっている。その『ある程度』がどういう考えなのか、この場にいる全員が興味を持ってしまった。あとは独壇場、人に好かれる怪物が一人語りの時間を手に入れた。きちんと落とし切るには充分な時間である。

「さあ、まったり話し合いをしようか。積極的な意見を求めまーす」

 暗躍のエルンスト。策謀のダーヌビウス。いったいこの先世界はどういうカタチとなっていくのか、今は誰にも予想が出来ない状態である。


     ○


「アルフレッドを置いていくなんて薄情が過ぎるんじゃないの?」

 ヒルダの言葉にマリアンネやベアトリクスが「そーだそーだ」と賛同する。困り顔のウィリアムに助け舟を出したのは、ウィリアムの副官として軍事、政治共に経験を積みアルカディアでも有数の人材となったラファエルであった。

「ウィリアム様が赴かれるのは危険な地域です。未だオストベルグの灯は消えず、すぐそばには超大国がある。いつ引っ繰り返ってもおかしくない、いつ戦場になってもおかしくない土地に大事な長男は連れていけないでしょう」

 もっともな理屈にぐうの音も出ないマリアンネとベアトリクス。

「こっちだって危険なのは同じじゃない。白騎士なんてどこで恨み買ってるかもわからないのに、子供を手元から離したらそれこそ暗殺者やら人さらいが押し寄せてくるっての」

 しかしさすがは年の功、ヒルダを揺らがせるには至らない。今度はラファエルがぐうの音も出なくなってしまった。実際のところ、ラファエルにとっても手放す意味が分からないというのが正直なところで、言い訳の手札はそれほど多くない。

「どちらにしても子供の意見も聞いておいた方が良いんじゃないか?」

 アインハルトの大人な意見に俄然勢いを取り戻す反ウィリアム派。マリアンネとベアトリクスはやんややんやと喝さいを送る。アルフレッドが父親と離れたがる理由はない。たった一人の肉親なのだ。一緒にいるべきと言うのが彼女たちの総意である。

「そうだな。そうしよう」

 ウィリアムが賛同したことに皆驚いた。絶対に口車を用いて回避してくると思っていたのだ。かのウィリアム研究家であるマリアンネもこれには驚きを隠せない。

「アルフレッドを呼んできてくれ。大事な話がある、と」

 今となってはテイラー邸でただ一人となった老使用人は恭しく頷く。そのまま退出し、アルフレッドを呼びに行った。

 皆が固唾を飲んで様子を見守る中、老使用人に連れられてアルフレッドが部屋に入ってきた。以前より体も大きくなり、目鼻立ちもくっきりし始めてきた。どちらかというと伯父寄りの顔立ちで、金髪で蒼い眼には不思議な光が漂っていた。

「今父さんたちは住む場所の話をしていた。父さんはマァルブルク以南の土地を任された。地理はわかるな?」

「……はい」

 アルフレッドは本が好きな少年であった。根源的なところでは大好きな父の物真似なのだろうが、同世代に比べて読書量が桁違いである。そもそも家にこれほどの蔵書数という時点で他の子と環境が違い過ぎるが。

「よろしい。なら、父が言いたいこともわかるな」

「ついてこい、か。おいていく」

「残念ながら後者だ」

 アルフレッドの顔がくしゃりと歪む。今にも泣きだしそうな顔つきになり、その様子を見ていたヒルダが腰に手を当てていた。それを止めようとする者(ラファエル)はベアトリクスが腕の関節を極めていたので動けない。

「理由はなんでだと思う?」

「……父上が僕のことを嫌いになったから」

「ゼロ点だ。アルフレッド」

 ウィリアムが自分の息子をやわらかく抱きしめる。あまりそういうことをしない父であった。愛情表現をするよりも背中を見せて、行動を見せて引っ張っていくタイプで、こういうのは母親が担当していた。だからこそアルフレッドは驚愕する。

「今、イーリスたちと行っている学校、楽しいか?」

「たくさん勉強してるよ。知っていることも多いけど、知らないこともいっぱいある」

「マァルブルクに俺の作った学び舎はない。最近、ベアトリクスに剣を教えてもらっているんだろ? そんなことも出来なくなる。あっちで学ぶ場所や学べるものがないわけじゃない。でも、父さんがお前に用意出来る環境は、父さんがいないとしてもここ、アルカスが最高だと思っている。アルフレッドの成長を考えた時、父さんはお前にここを薦める」

 ウィリアムはアルフレッドの頭を撫でてやる。

「危険性はどちらも変わらない。出来ることはしよう。その上で父さんはアルフレッドの意見を尊重するよ。俺の意見は置いていく、だが、アルフレッドが望むなら一緒に来てもいい。お前もそろそろ自分で人生を選ぶ時だ。最初の分岐点、どう生きる?」

 じっと息子の眼を見つめるウィリアム。すべてを見通すような眼、深く、深く、アルフレッドという少年の底を見出そうとする。

「僕は、残る」

「何故?」

「……強くなりたいから」

「何故?」

「もう誰も、泣くのは嫌だから」

 ウィリアムはほんの少しだけ悲しげに微笑んだ。ぐしゃぐしゃと頭を撫でてやり「それでこそ俺の息子だ」と褒めてやる。途端に泣き出すアルフレッド。我慢していたものがこぼれてきたのだろう。それも含めてウィリアムは思いっきり抱きしめてやった。

 たぶん、これが最後になるだろうから。

「これが答えだ。不満か、ヒルダ?」

「……文句ないよ。あたしが責任もって面倒見てあげる」

「甘やかす必要はないぞ。それに、生まれてからずっと俺の背中を見て育った男だ。俺の生き方を見て、俺の真似をして、お前たちが思っている以上にこの子は強い。俺と違い才能もある。負荷をかけてみてくれ。面白いモノが見れるかもしれんぞ」

 ウィリアムはもう一度アルフレッドの頭を撫でる。嬉しそうに相好を崩すアルフレッド。ルトガルドが死んで以来、一番幸せそうな笑顔であった。父と子の交流、心温まる風景は、この先あるのだろうか――


     ○


 白騎士。ウィリアム・フォン・リウィウス伯爵がマァルブルクへ着任した。その情報は瞬く間に世界中へ広がった。左遷や王家との不仲と取り沙汰されたこともあったが、ウィリアム自身は特に気にすることもなく領地の運営に没頭した。

 未開の土地というとオストベルグに失礼だが、度重なる戦火を越えて、大きく摩耗した土地は逆に伸びしろの塊であった。また、ウィリアム自身も領地内を精力的に動き回り、その土地で生きる者たち、彼らが何を得手とするか、直接聞いて運営判断の手札をそろえていく。

 最初は頑なだった領民たちも、ウィリアムの領主らしからぬフットワークの軽さや膨大な知識量、それにおごらず領民の意見もしっかり聞いて意見を交える柔軟性。気づけば彼らも白騎士の生み出す流れに自ら乗っていた。

 上手く回り始めた瞬間、自らの商会と領民たちの得意な領域を合わせてコラボレーションでの商売を始める。基幹たる農業から果ては金融業まで。一度壊れたおかげでアルカス以上の自由度で絵図が描けた。

 ここでの経験は王としての基礎となった。領地運営の拡大バージョンが国家運営なれば、この地での経験も十分な予行演習になるだろう。

 順風満帆。まだ、忍び寄る陰の姿は視認できていない。

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