ファイナルウォー:折れた剣

 その日は大貴族との会食を梯子し大量のアルコールを摂取した。あまり酒の強くないウィリアムはひとしきり吐いた後、酔い覚ましに雪深いアルカスの街並みを散策していた。ルトガルドが死に、ニュクスが滅び、クラウディアと密約を結んだ一年。戦争こそなかったが色濃い年となった。

 クラウディアは盟約通り、アルトハウザーの人間を殺して見せた。自らに溺れさせて、逃れられぬまで溺れきってから突き放す。ただそれだけで面白いように命を絶つ中毒者たち。彼女の躰は年を経るごとに魅力を増し、もはや麻薬にも等しい存在となっていた。

 どんな屈強で真面目な男でもひと呑みする魅力はある意味で最強の力である。

 レオデガーもまた遺書をしっかり残して死んでいた。誠実で優しく、一途であった男でさえこの末路。失われた光を手にしていたら、その未来は大きく変わっていただろう。アルトハウザー自体も滅ぶことはなかったかもしれない。

 誰もがクラウディアの凶行を察しながら、咎める方法はない。王宮に呼び戻されたクラウディア。その毒牙が何を喰らうのか、近しいものほど戦々恐々としていた。

 ウィリアムは雪だまりに頭を突っ込んだ。じわりと火照った頭が冷えていく感覚。ぐるぐる回る思考は己が制御を離れ、雪だまりから頭を抜き、ふらふらと散策を続けた。

「正式に大将位、マァルブルク以南の領土と伯爵位、思えばずいぶん遠くまできたもんだ。まだ道半ば、満足するには早すぎる。そもそも満足なんぞするはずもねえ、か」

 ようやく最近になって以前からの功績に対する見返りが与えられた。本来ならば約定通りラコニア以南をウィリアムが治めるはずであったが、まるっとオストベルグ一国を一個人が治めるにはあまりに広過ぎる。何度も話し合いが繰り広げられ、長きに渡り引き延ばされてきた結論も、クラウディアが中枢に戻ったことでエアハルトが妥協案を通した。

 エアハルトの案は一見大盤振る舞いだが、ウィリアムと中枢を、ひいてはクラウディアを引き離すための案であった。領土は広く豊かな土地であるが、アルカスから遠く離れた南の果てでは影響力も下がってくるだろう。

 これでは戦おうにも同じ舞台にも上がれなくなったのが現状である。

「まあやりようはいくらでもあるさ。こんなものは十分想定内。どちらにせよクラウディアという大駒一つで玉座を落とせるとは思ってねえよ。まずは種蒔き。何度飲んでもくそまずい酒ってもんを流し込んででも、繋がりってのは構築しておかねえとな」

 上へ行くためには市民の支持、などくその役にも立たない。もちろんそれがなければ本当の意味での上は目指せないが、単純に玉座を狙うとなれば押さえるべきは貴族という権力を持つ者たちである。特に大貴族はある程度囲っておかねば下もついてこず孤立してしまう。戦場では力づくで超えられる壁も、王宮ではそうもいかない。

 何と言っても爵位、それに付随する格式や伝統こそ重んじられる。広い領土を手にしても所詮ウィリアムは伯爵で、上には侯爵、公爵、大公、直系の王族が君臨する王宮で叩き上げの居場所はないに等しい。

 だが、ウィリアムにも彼ら貴族が持たぬ武器がある。アルカディア随一の資金力と武力、王宮でこそ薄れるが一歩外に出れば今のウィリアムほど『力』を持った存在はいないのだ。貴族とて王宮だけが生存圏ではない。歴史はあっても金はない貴族。名門であっても当代で一人も師団長以上を輩出していない武家。

 彼らにとってウィリアムとの繋がりは、ある意味で実益にかかわる分下手な大貴族よりも重要となる。ウィリアムとしても恩を売って損のない相手には返ってこないことは承知の上で金を貸したりもする。

 双方ともにメリットのある関係は強い。

「勝つぞ俺は。勝たなきゃ、駄目なんだよ」

 勝つための種まき。王冠と言う花を咲かせるための先行投資である。

 足元に蠢く亡者の群れ。積み重なった彼らを見下ろせば一瞬で酔いも覚めると言うもの。彼らをタダの屍とするか新たな時代への礎とするか、それはウィリアム次第である。勝って、勝って、勝ち続けて、王になってさらに勝ち抜く。

 一歩、十歩、百歩、人を進めて次の時代へ託す。

「本当に、くだらねえな、俺は」

 白い息が星空に浮かぶ。何のために努力するのか、強迫観念にも似た勝利への渇望とは裏腹に、勝てば勝つほど渇いていく心があった。

 勝利が心を満たすとは限らない。むしろ逆の方が多いこともある。

『揺らいでいるな。白騎士』

 己の中で深きところ、始まりの方の業が疼く。

 道の真ん中で仁王立つ男。その眼光の鋭さはウィリアムへの憎しみに切れ味を増していた。男は腰の刃、それを支える柄に手を触れた。

『預けていた首、今日取らせて頂く』

『滅んだ国の言葉、か。久しぶりに発音したよ……父上殿』

 酩酊故に歪んだわけではない。意味ありげな笑みに男は首を振る。

『問答無用ッ!』

 裂ぱくの気合。構えはまさにかのフィーリィンと同じ、ルシタニアの正当な剣技。彼らが培ってきた技術の結晶が其処にある。

『……ウォーレン・リウィウス。俺は確かにあの日、貴様に言った。いつでも殺しに来い、と。ゆえに襲ってきたのは問題ない。だが、もう一つの条件は忘れたようだな』

 ウィリアムもまた腰に備える剣、その柄を握り構えを取った。眼前の男と比べるとどこか歪んだ構え。その笑みと同様にゆがんだそれは彼なりにアレンジを加えた模倣品。

『俺は迷いが消えたら来いと言ったぞ』

 鋭い殺意。研ぎ澄まされたそれは尋常ではない。ウォーレンと呼ばれた男は顔を歪めた。おぞましいほどの殺気と眼の煌き。先程、独り言では揺らいでいたはずの男だが、対峙するとそんなもの一切も垣間見えない。

『大事な息子を喰らい、名を奪い、追ってきた婚約者も殺した。あの日言ったとおり、貴様にとって俺は純粋に憎んでいい相手だ。なのに何故迷う? 何故こんな中途半端なところで、中途半端な襲い方をする? この状況が、迷いそのものだって言ってんだよッ!』

 互いに距離を詰め、必殺の間合いを伺う両者。

『俺は、俺が憎い。お前を憎む以上に』

 先んじたのはウォーレン。まさに本家本元、その動きはあの日のフィーリィンを彷彿とさせた。美しく埒外、早く鋭い太刀筋は初見では受けることすらかなわない。

 初見であれば――

『子をわかってやれなかった親以上に罪深い存在がいるか?』

 後手必勝。ウォーレンの刃が宙を舞う。一瞬の邂逅を制したのはウィリアムの剣であった。鋭く、早く、何よりも強い剣。技の完成度は相手が上であっても、そもそもの実力に大きな開きがある。初見であれば勝負にもなっただろうが、その太刀筋はフィーリィンと、レイと同じもの。ならば負ける道理がない。

『誰かを憎む資格など、俺にはない。例えそれが仇であっても』

 息子の覚悟を聞き流し、リウィウスとしての、ルシタニアの民としての生き方を押し付けた。自分の狭量が息子を殺したのだとウォーレンは考えてしまう。

『それがわかっているのに何故ここに現れた? 何の答えもなく死に場所を求めてってんなら、前の時点で勝負を仕掛ければよかった。ヴォルフのところに嫌気でもさしたか? それとも何か別の理由でも?』

 ルシタニアが滅ぼされ、傭兵に身をやつしたウォーレン。彼はヴォルフの下に身を寄せていたはず。ガリアスとの一戦でもそれなりに活躍を見せた男。クビにする理由もなし、そもそもあの男が容易く手放すとも思えない。

 決定的な何かがあった。関係を終わらせる何かが。

『義理は通す。俺の口からは言えん』

 道が分かたれた理由がある。

(ヴォルフの野郎に愛想をつかしたってわけでもなさそうだな。だが、離れたことに対する迷いは見て取れねえ。何かがあった。何かがあって、こいつは此処にいる)

『お前に刃を向けた俺を殺さんのか?』

『終わりたいって面を見ると斬る気も失せる。俺の足元には生きたいと願う命以外要らん。輝きが失われたことに価値があり、その喪失こそ礎となる。無駄は嫌いなんだよ、俺は』

 自らを斬ることが無駄と断じられウォーレンは渇いた笑みを浮かべた。父親らしく息子の仇に立ち向かい討ち死にする。そんなささやかな言い訳すら潰されて、生き延びてしまった。また、自分は輪の外に立つ。

『……息子は、どこに眠る?』

『アルカスから少し離れた森だ。小さいが墓もある。すぐに見つかるだろうよ』

『お前が作ったのか?』

『馬鹿言え。俺はそんなに暇じゃない』

 ウィリアムは身を翻してウォーレンに背を向けた。

『あの日の言葉をもう一度くれてやる。どんな手段でも良い。準備が出来たらいつでも殺しに来い。俺は全力でそれを潰して見せる。その時に、殺さねば勝てぬと思えば俺は貴様を殺す。終わりたければ全力を尽くすことだ、ウォーレン・リウィウスよ』

 去りゆく背中をウォーレンはただ見つめることしか出来なかった。折れた刃が悲しげに月の輝きを反射する。その鏡面に映し出されるのは何もかもを失い、死に場所すら失った男の貌。どこまでも、自分の産んだ業は己を苛んで止まない。

 自分がきちんと息子に向かい合っていれば――そればかりをずっと考えている。


     ○


 朝、起きると昨日の酒が抜けていた。そして思考が回転を始める。昨日の記憶を精査し、持っているピースをつなぎ合わせていく。簡単な答え合わせであったのだ。あの男はルシタニア人、その性質を、単純な巡りあわせを考えれば――答えは出てくる。

(ヴォルフとあいつの関係なんぞどうでもいい。問題は一つだ。あの男が行動を変える、その理由となるのは二つ以外ありえない。一つは息子の仇である俺。もう一つは、国の仇であるエルンスト、だ。心境の変化はこの二つ以外ない)

 エルンストがどうなれば、ウォーレンがこちらに来るか。見方を変えればウォーレンがヴォルフと袂を分かつ、そこにエルンストがかかわってくるとしたら何か――

 それもまた一つだろう。

(……組んだな)

 ウィリアムは哂った。表向きは穏やかになりつつあるローレンシア。しかし、そこに確かにくすぶる火種を、彼は嗅ぎ取ったのだ。


     ○


 ウォーレンは墓の前で涙を流していた。

 静謐な空間、余人が立ち入る意味もない森の中でひっそりと二つの墓があった。

「お前の覚悟を、言葉を、軽んじた父を許すな。くだらないゲンを担いで、かくあるべしと押し付けた、俺を許すな。俺は、本当に度し難い男だった。何も守れず、何も出来ず、家族を失い、友も、失った。もう、何も残っていない」

 いつも自分は言葉が足りないのだ。ブレンダから、今際に聞いた愛する妻の絶望。思いもしなかった。自分がどれほど彼女を愛していたのか、家族を愛していたのか、何一つ伝わっていなかったのだから。

 何もかもが足りない。

 語り合わねば理解出来ぬと言葉を連ねるも、友に届く言葉も持ち合わせていない。親友だと思っていた。何も言わずとも通じ合っているとさえ考えていた。

 だが――

『何故、お前はブレンダと大樹の前にいた!? 何故、お前が抱き留めていた! 先に裏切ったのはお前だ。いつだってお前は俺から全てを奪っていく。妻も、娘も、くく、全部、お前の事ばかりッ!』

『違う。彼女は敵を引き付けてあそこにいた。俺は敵を追っていたら追いついただけだ。お前が勘ぐるようなことは無い。それに彼女は最後に言っていた。お前のことを、ブリジットのことを、心底愛していた、と。それを伝えて欲しいと!』

『嘘つきの言葉を誰が信じる?』

『……ブラッド』

『しかも、貴様はあまつさえ、共通の仇であるはずの『ウィリアム』を見逃したと聞いたぞ。ゲハイムの、エルンストの情報網を甘く見たな。アルカディアの中にもシンパは仕込まれていた。ああ、今は、綺麗に掃除されたがなァ』

『裏切り者、裏切り者、裏切り者! 親友だと思っていたのは、俺だけだったな! 今度は気ままな傭兵生活か? くく、楽しそうで何よりだよ、親友』

『お前たちを探すためだ。そして、ゲハイムを追うために。まさか、お前たちが其処に与していたとは思わなかったが』

『ふん、ゲハイムは復讐者の群れだ。熱情を制御出来ぬものもいる。暴走を止められなかったのはエルンストの落ち度だが、それは全てが終わってから清算してもらえばいい。今の俺たちでは届かぬ場所にある首だが、エルンストなら引き摺り下ろせると言う。ならば、仇であっても利用するさ。機会があったのにやらなかったお前とは違う。俺は、俺たちは、必ず完遂してみせるッ!』

『何故その男を信じる!? その男の眼は嘘にまみれている。利用されているだけだと何故気づかない!?』

『嘘にまみれているのはどっちだ?』

 何一つ届かなかった。

『ウォーレン。わかってやれ。妻子を失ったんだんぞ。その復讐をすることに何の異議がある? 全てを終えればルシタニアは戻ってくる。エルンストが約束してくれた。出来る限りの支援を、復興の助力と成ってくれることを。だから、この戦乱の世を統べる悪意、偽のウィリアムを断ち切って終わらせよう』

『そうだ。そうしたら元通りだ。また繋げよう。我らのルシタニアで』

『ウォーレン、ブラッドはこう言っているが、俺たちはお前を信じている。共に戦おう。一人では無理でも、俺たちルシタニアの剣士全員ならば、勝てるさ』

 全てを見ていた男の眼をウォーレンは忘れない。きっと、彼にとってルシタニアは特別な道具なのだ。いきさつはどうあれ、『ウィリアム』を生んだ国。であればきっと、利用し、弄んだ後に、全てを反故にして壊す。

 そんな悪意がありありと浮かんでいた。

 そして、自分ではそれを止められない。自分が出会った中でも最強であった烈日を超えたあの男が敵に回った以上、自分如きの刃では何も出来ない。

「無力な父を、許すな」

 自分は――何も出来なかった。

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