ファイナルウォー:暗躍する翡翠

 ネーデルクスとエスタードの戦は苛烈さを増すばかりだが、ローレンシア全体としては穏やかな一年となった。小競り合いはあれど何処も本格的に仕掛けようとはせず、どの国もその分力を蓄えることに終始した。

 アルカディアに倣えとどの国も奴隷身分の戦場解禁を行い、あわせてその練兵にも力を入れていく。絶対数を増した戦場のモデルケースとなったのはネーデルクスとエスタードである。先んじて奴隷身分を戦陣に組み込んでいたエスタード。そこに負けじとあの敗戦から動きの軽くなったネーデルクスも奴隷身分を投入。

 戦の規模は増大し、死屍累々の戦場を見て他国の動きも鈍くなった面もある。それほどに大軍同士のぶつかり合いと言うのはおぞましいモノであったのだ。と、同時に戦の勝敗が今まで以上に国力と比例するようになり、劣る方が迂闊に仕掛けられなくなった面もあった。

 様々な要因はあれど、この一年はローレンシアが久しぶりに凪いだ年となった。戦乱渦巻く乱世にようやくゴールが見え始める。多くはそのことにほっとし、このまま乱世が終息してくれることを祈った。

 だが――

「このままじゃあ戦がなくなりますよ」

「…………」

「迷うべきところじゃないでしょう? それとも、負けるのが、また失うのが、怖いですか? ……アポロニア女王陛下」

 戦士たちにとって乱世の終わりは己らの生きる場所の喪失に他ならない。そうでなくともこのローレンシアには長く、広く血が流れた。戦いの火種には事欠かず、それを起こそうとする者は後を絶たない。

 世界は安定に向かいつつあった。長く戦が続いた中で勝者と敗者がくっきり分かれ、それが揺らがぬとなれば乱世は終わる。すでに勝者たるアルカディアと負けたとて依然超大国であるガリアスの二強となり、他は追従することすら出来ない現状があった。

 それでもなお、憎しみは理屈を超えて奔走する。自分たちを喰らって平然としている奴らが許せないのだ。アルカディアは勝ち過ぎた。あの怪物は喰らい過ぎた。

 憎しみは消えぬ。怒りは拭えぬ。

 容易く収束はしない、させない。


     ○


 吹き荒ぶ豪雪。普段雪の降らない地域であるヴァルホールでは珍しい景色が広がっていた。はしゃぐ国民をよそに、その国の王は不快げな顔で外を眺めていた。雪を見ると故郷のことを思い出してしまう。何の力も持たなかったあの時代のことを想うと反吐が出る。

 その反骨心がその男を怪物にまで昇華させた。力がなければ声すら届かない。力を手に入れた今、少しのささやきでも逃すまいと周囲が張り詰めている。立場、持つ力によって人はこうも違うのだ。同じ言葉でも意味合いすら異なってくる。

 懇願は命令となる。その滑稽さを男は嗤う。

「陛下、またあの男が謁見させてほしいと願い出てまいりました」

「追い返せ。山師と語るほど暇じゃねえ」

「しかしこれで十日目、外は吹雪いておりますし中で話の一つや二つしても良いのではありませぬか? ほんの少し、割ける時間もありましょう」

 国家の運営は全て王妃が担っており、王たる男の出る幕はない。暇はないとうそぶいてみたが、実際には戦のない冬時期は暇で仕方がないのが実情である。

「……気に食わねえな」

「はい?」

 ぼそりとつぶやく男の眼には山師にほだされた部下の顔が映る。十日、文官の中では比較的己に近しい相手を落とすのにこれだけの日数。他はすでに陥落済みだろう。その早さと天性の『力』を男は気に食わないと思っていた。

 青貴子の時と同じ。自分の求める力とは違い過ぎるモノ。武力を信仰する男にとって彼の力は認めがたいモノであった。力やそれによる実績以外に惹かれる大勢を見て、己を否定されているような気分に陥ってしまうのだ。

「そこまで言うなら会ってやる。つまんねえ話ならすぐ帰ってもらうがな」

「わかりました。すぐに伝えてまいります」

 自分の顔色を伺うよりも早く、ある人物を呼びに行った文官。何か他意があったわけではないだろうが、だからこそその下敷きとなる部分が気にかかる。人に好かれるという部分で強みを発揮する怪物――


     ○


「久しぶりだねヴォルフ陛下。また会えてうれしいよ」

 エルンスト・ダー・オストベルグ。世界中に『友達』と言う名の情報網を持ち、同様にゲリラ的な戦力を保有し、一説にはかき集めれば小国クラスの戦力をタダの個人が保有しているとかいないとか――とかく良い噂も悪い噂もある人物である。

 この地の王であるヴォルフ・ガンク・ストライダーにとっては警戒すべき相手であった。

「亡国の王がこんな辺境の国に何の用だ?」

 亡国と聞いてエルンストの周囲は敵意を垣間見せる。しかし、肝心のエルンストに表情の変化は見られなかった。言われ慣れてしまったのか、それとも面の皮が厚くなったのか、どう転ぼうがヴォルフにとってエルンストは嫌いな相手から動くことはない。

「今回の用向きは、一つ面白い提案を持ってきたんだ」

「俺の思う面白さとテメエの思う面白さにゃ大きな開きがあると思うがよ」

「そうでもないさ。話を聞けば君も、きっと僕らと同じ方向を向くはず」

 エルンストが顎で合図すると後ろで待機していた部下が一束の羊皮紙を取り出した。それを見てヴォルフは不機嫌な顔をする。

「俺に読めってか? あいにく俺ァ読める字に限りがあってな。学がねえんだよ」

「いえ、そういう意図はございません。こちらに書いてあるのはあくまで条件で、本題の本筋ではないのです。こんなもの文官が読み、かみ砕いて王に説明すればいいだけ。問題は大局でしょう。王が大筋さえ違えねば、国家は健全に運営されるのですから」

 書状を見て驚きを隠せない様子の文官たちを横目に、ヴォルフは「さっさと言え」とエルンストに合図する。にこりと微笑み頷く所作がまた鼻につくのはヴォルフが偉い人間、高貴なふるまいをする人間が嫌いだからだろうか。

「そこに書いてある条件で……アルカディアに対する連合軍を結成したいのです。それが私共の提案、飛ぶ鳥を落とす勢いのアルカディアを落とす唯一の方法でございます」

 ヴォルフの中で驚きはなかった。こういう提案以外、エルンストが自分の下を尋ねる理由がない。驚きはない。つまり答えも用意してある。

「返事はノーだ。テメエらと組む気はねえよ。そもそも誰がそんな話に乗るかって――」

「アポロニア女王陛下は、この話に乗って頂けるそうです」

 その返しに周囲は驚嘆を示した。ヴォルフでさえ想定していなかった返し。まさかあの女王がこんな輩に手を貸すとは思ってもみなかったのだ。

「どういうこった?」

「そもそもこのお話は個人の利害がどうこうというお話ではございません。やるべきこと、やらねばならぬお話なのです。ヴァルホール、アークランド、エスタード、そして微力ながら我がゲハイム、この三国と一勢力が手を組み、アルカディアを止めねばこの状態で乱世は終結してしまいます。ガリアスとアルカディアの二強、四弱の時代が来ます。一度そうなれば覆すのは至難の業。覆すなら今、まだ天秤が揺らいでいる今しかございません。今やらねば黒狼王の牙は届かない。戦争無き世となれば牙自体、無用の長物とされるでしょう。このまま座していれば、必ずそんな時代が来てしまいます」

 ヴォルフとて馬鹿ではない。収束している感覚は嫌でも感じていた。昨今明らかに減りつつある戦争の数。傭兵国家という歪な形をとるヴァルホールにとって食い扶持が限られてきている今、アルカディアがそのまま今のポジションで逃げ切りそうな、そんな雰囲気は確かにあった。それを止める手立てをヴォルフは思いつかず、歯がゆい日々を過ごしてきたのだが。

 エルンストが持ってきた話は、それをする当人への感情は別として、確かに魅力的な話であった。何よりもヴォルフにとって耐えがたいのが――

「白騎士との決着も、永遠につかぬまま。平時となれば手腕を発揮するのは白騎士の方。このままいけば後世に伝わる名として大きくなるのは、白騎士になってしまうかと。それがヴォルフ陛下の矜持に適うか、そういうお話です」

 あくまでエルンストはヴォルフが本当に重視する矜持に話をもって行きたがった。実利などどうでもいい。このままでは白騎士に負けたまま終わるぞ、と。それはとても効果的にヴォルフに刺さる。

 このまま終われない。決着をつけぬまま終わるなどありえない。

 これはヴァルホールの王以前の話で、ヴォルフの生き方そのものの問題である。

「エスタードもこの話に乗ったのか?」

「アークランドに加えてヴァルホールまで乗るなら、エスタードもまた流れに乗る、と今のエル・シド・カンペアドールがおっしゃられていました」

 自分たち次第だが「やる」と言えば済む話。これでいつの間にかなくなっていた最後の機会を得る。三国と一勢力の連合軍。質、量ともにアルカディアを凌駕することが出来るだろう。そこでなら本気の白騎士と戦える。本気の、滅ぼし合いが出来る。

「……今日、明日辺りアナトールが帰ってくる。ニーカも入れりゃ副団長も過半数だ。少し話し合う時間をくれ」

「もちろんです。時間は有限ですが、我らが起こす大波にとって数日など些細な差でしかない。共に戦えることを信じて待っております」

 ヴォルフは見事に転がされてしまった我が事を想い自嘲する。結局は終始相手のペース。呑み込まれて、心が揺らいでしまった。去りゆく背中から見える本提案への自信。彼らにとっても最初で最後の大博打。

「人を集めてくれ。至急話してえ。そこに書かれていることもまとめといてくれ」

「御意」

 今、ヴォルフはまさに時代の分水嶺に立っていることを自覚した。二進も三進もいかぬ昨今の情勢。それを覆せる最後の機会。のるかそるか――ヴォルフの心は揺れていた。


     ○


「本気で言っているのか?」

 アナトールの眼には信じられないモノを見る色が含まれていた。ヴォルフ自身、そう決断しようとしている自分が信じられないのだ。二人の夫人も言葉を発しない。されど、好きにせよと許容の雰囲気も出ている。

「俺は馬鹿だ。生まれた時からあったモノが、無くなるなんて思いもしなかった。なあ、アナトールよ。お前がいた戦場、じきにユリシーズも帰って来るだろ。続くと思うか? あれが何度も出来ると思うか?」

「…………」

 アナトールは沈黙を貫く。

 あそこは地獄であった。自分たちの体験してきた中でもとびきりの地獄絵図。戦士のお約束が通じず、何となく不文律として在った犠牲を押さえる手打ちの空気も芽生えることすらなかった。素人の死に物狂い、生への渇望と――

 成り上がるためのぎらついた眼。

「最後の機会なんだ。馬鹿だってことは十分承知している。ついてくる奴も、馬鹿だけで良い。強制参加させるつもりはねえ。参加しねえ奴は、もう収束に向かっているであろうエスタードやネーデルクス方面に投げとくさ」

「まこと、愚かな」

「お前はどうする?」

「俺も愚か者、と言うことなのだろうな」

「悪いな。ユリシーズの奴はどうすると思う?」

「戦うならついてくるだろう。あれは騎士だ。王が出向くのに騎士が帯同せぬなどありえないからな。それがどんな答えであろうと」

 アナトールの言葉にヴォルフは哀しげに微笑んだ。良い部下に恵まれた。自分と同じ馬鹿な連中がいる。その幸運と、この先の未来に横たわる絶望に思いを馳せ、静かに目を瞑る。おそらく、自分にとってこれが最後の舞台。

 いや、戦士と言う人種にとって、か。

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