幕間:ネーデルクスの明日Ⅵ

「う、むう」

 シルヴィが声を詰まらせるほど、その屋敷はかつての栄華を過去に、さながら廃墟の如く其処に在った。かつて隣国の精強なる上位のカンペアドールとも渡り合い、アルカディアの伸び盛りの若手であったベルンハルトやカスパルの鼻っ柱をへし折った三貴士、ユーサーがキュクレインとの戦いで没し、その後も後継者であり次代の三貴士と期待されていた息子は、すでに使い物に成らないありさまと成っていたのだ。

「ティルザ殿、リントブルム家にようこそいらっしゃった。何もない家だが、好きにすると良い。ここにはもう、何も残ってはいないがな」

 当主である男の右足は失われ、木の棒で支えられていた。父を御前にて失い、損なわれた名誉を取り戻さんと研鑽を積み、武功を求めて戦場へ。焦り、結果、気力体力共に充実した全盛期のベルンハルトに再起不能とされ、戦える者を欠いたリントブルム家は没落を余儀なくされた。

「ヴァロ家の小僧も来ている。まったく、騒がしいことこの上ない。エフェリーン様も酔狂なことだ。あれが父上以外に理解出来るわけが無いというのに」

 そう言って指し示した先に、赤い甲冑を纏った現三貴士マルサスと同じく三貴士のアメリアも彼らの到着を待っていた。隣にはこっそりとアナトールも立っている。

「どいつもこいつもふてぶてしい奴らばかりだ。弱い三貴士、祖国を裏切ったかつての同期、そして、無様に生きながらえる俺、か。くく、ネーデルクスなどクソだよ。アルカディアの方がマシだ。師事する先を間違えたなァ、アルカディアのガキ」

 マルサスとアメリアは黙す。祖国を決定的な敗北へと導いたのは己たち。三貴士が此処まで落ちぶれたのは自分たちのせいだと彼らは思っていた。だが、アナトールや同世代である男は、自分たちの世代こそ繋げられなかった不徳の世代だと認識していたのだ。

 アナトールもまた黙ったまま。槍術院ではジャンとアナトール、その直下に位置した男であったが、戦場ではジャン同様、完全に自分の上を行っていた男である。その未来が断たれ、見返す機会も失われた絶望。自分は腕であったが、その喪失が足であった場合、ああ成らなかった保証はない。そもそも自分の身分では生かしてもらえなかっただろうが。

「未来などないさ。この国は全部、失ってしまったのだから」

 そうやって手招く先に待つ、かつての栄光の残滓。

 この落ちぶれた館の中に二度と届かない昨日以外の何が残っていると言うのだろうか。


     ○


 廃墟同然の屋敷、しかし、その区画だけは清掃が行き届き、かつての輝きをそのままにしていた。三貴士ユーサーの足跡を残した記念館じみた大広間。

「「う、ぉぉぉぉぉぉおおおおッ! 超かっけええええ!」」

 クロードとマルサスが目をキラキラさせているのは、ユーサーの遺品であるド派手な衣装の数々であった。ベースは全て赤色、金の刺繍ががっつり施され、何と言うか、眼に悪い絵面が居並ぶ。それを纏った男の絵もどでかく飾られ、その派手さに同じ感性を持つであろうクロードとマルサスはきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでいた。

「金の刺繍にある龍はドラゴンではなく、無間砂漠を越えた先、東方の幻想をモチーフとしているそうだ。神狩りの傍ら、東方の情報を集めこっそりと禁忌である砂漠越えを目論んでいたネーデルクスらしい残滓だな。裏も表も欲望にまみれている」

 皮肉げな男も、それらを見る眼だけはかつての輝きをかすかに浮かべていた。だからこそ、本当に焦がれ、目指したからこそ、この男の絶望は何よりも深いのだろう。

「髪型もくそかっけえ……俺も伸ばそうかな」

「わかっているな! アルカディアのガキ」

 クロードが絵の中にある男の髪型を褒めた瞬間、当主である男の眼がギラリと輝く。

「ふ、愚問です。天を衝くド派手な螺旋。セットに小一時間はかかる漢伊達。父上がおっしゃっておりました。あれは龍を宿す髪型なのだと」

「マルスラン殿か。父上の槍持ちとして信頼されていた御仁だな。さすがのセンスだ」

「一度は私も挑戦したのですが……アメリアとフェンケに罵詈雑言を投げかけられまして」

「選ばれし者のみが出来る髪型だからな。仕方がない」

「どうやってセットするんだろ?」

「今度教えてやろう少年よ」

「ありがたいと思うが良い。かつての最先端、栄光のネーデルクスを継ぐ髪型だ」

 一瞬で仲を深めた三人を、死んだ目で見ているその他の皆さま。

 何一つ理解出来ぬセンスである、特に女性陣にとっては。

「だが、髪のセンスは理解できても、これは理解出来まいよ」

 男がある場所から取り出した数点の本。ド派手な装丁であり、龍ノ型と銘打ったタイトルに否が上にも期待を盛り立ててくる。

「これが我が父、ユーサーが残した龍ノ型の指南書、だ」

 先ほどまで興味の欠片も示さなかった者たちが群がる。乗り遅れたクロードは一人おろおろしている。彼だけが龍ノ型、そこにある歴史を、栄光も、それが失われたことも、何も知らない。だから、彼らが何を騒いでいるのか理解できない。

 そして――

「……なるほど、これは、あまりにも」

 そこからの落胆もまた、理解出来なかった。

「どーなってんすか?」

 クロードが覗き見ると、そこには――

『まず飛ぶ。飛ぶ、飛んでから腰をぐいっと回して手首をぎゅるんと捻り、腰を入れてガンと打ち込む。相手の狙い目をガンガン狙って叩き込み、墜ちたらまた飛ぶ。たまに地を這って打ち込み、また飛ぶ。そこからガンガン打ち込む』

 図解は入っていた。しかし、それもお手製なのだろう。あまり巧くない絵に、あまりにも酷い解説文の数々。分かり辛いというよりも、分からせようとする気が微塵も垣間見えなかった。いや、図解までしている以上、分からせようとする気はあったのだろう。

 ただ、致命的にこれを作成した者が凄まじく苦手であっただけで。

「一事が万事、全部この有様だ。図解をもとに試して見たさ。何とか意図を紐解いて、体現しようと努力した。だが、何一つ、あの人に近づくことが出来なかった。何一つ」

「……そうか。お前が龍を継承できなかったのは、こういう」

 アナトールは同期の悔しげな背を見つめ俯く。

 せめて生きてさえいれば、繋げる機会もあっただろう。しかし、現実にユーサーは死に、息子はそれを読み解くことも出来ず、歴史は失われてしまった。

 もう、誰も、それを継承する者は現れない。

「……行きましょうクロード。残念ながら、これでは」

 ティルザが哀しげにうな垂れながら、クロードに帰ろうと促す。ここには何もなかった。求めていたものはすでに過去、現在の何処にもないのだと理解する。

「だから言ったのだ。ここには何もない、と――」

 だが――

「クロード?」

 ただ一人だけ――

「…………」

 その書物を穴が空くように見ていた。

 顔に浮かぶは、満面の笑み。その眼に映るは常人には意図不明の怪文。

 だが、その眼には、確実に何かが映っていた。


     ○


「……おう、まさか、あれで『俺』に辿り着くやつがいようとはなァ」

 遠い地平の果て、其処に一人、槍を一本抱えてずっと待ち構えていた。

「自分で書いといてあれだけどよ、ド派手に読みづらかったろ、あれ」

 男は快活に笑った。

「感謝するぜ、坊主。これで俺も、悔いなく逝ける」

 そして、派手に立ち上がった。その眼が、その姿が、その男の構成するすべてが物語っていた。これが三貴士なのだと。これが槍のネーデルクスなのだと。

 この男が『赤龍鬼』ユーサー・レ・リントブルムなのだと。

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