幕間:ネーデルクスの明日Ⅳ

 早朝、足元の雪が溶けるほどに型をこなす。クロードを見たシルヴィが一念発起し別の場所で型をこなし、シルヴィの変化に勘付いたディオンがクロードを見て、やはり同じように別の場所で型稽古に勤しむ。三者三様の場所、されどこなすは同じ型。

 基本のキ。それを確かめる日々。

 あいつが満足するまで絶対に満足してたまるか。言葉をかわしたわけでもない。ライバル意識が芽生えるほどの交流も無い。それなのに、なぜか思う。

 こいつには負けたくない、と。

「いきなりどうしたんですか?」

 後輩や同期たちは訝しげな表情で彼らを見ていた。今更、あんな基本を繰り返して何に成るというのか。異人の素人ならばともかく、発展形を自らの型に落とし込む段階にある彼らが何故、そう思ってしまうのも無理はない。

 これは、間違いなく遠回りなのだ。

 あまりにも迂遠な、大回り。若き彼らにそれを理解せよなどと酷な話。

 だからこそ――

「……何で、こんなに」

 その背で示すが導き手たる者の責務。

 冬を越えた二人の天才。元々、同世代の中では図抜けた基礎力を持っていた彼女らであったが、一冬を経て明らかにその精度を増していた。若き者たちの眼にも明らかにレベルが違うと感じられる槍捌き。同じ火ノ型でもシルヴィは激しく燃え盛り、ディオンはゆらりと煙立つ。全く異なる、槍の色が出ている。

 其処から匂い立つ、強さ。

 三者三様の色が溢れる。そう、『三者』の。

「彼は、だって、まだ、半年も経っていないのに」

 シルヴィとディオンの視線の先、立ち昇る火柱が如し槍が吹き荒ぶ。冬の直前、槍のネーデルクスから見れば児戯でしかなかった未熟な槍を振るう少年は、誰もが忌避する厳しく、時には理不尽な指導を飲み込んで、自分のモノとした。

「もういちゃもんをつけるところがないわい」

「懐かしい背中ねえ」

「型が上手い奴で戦場で埋もれたやつなぞ腐るほどおるが……型が下手な三貴士なぞ一人もおらんかった。上手く、強い者が上に往く。わしらには強さが無かったが」

「あの子たちには、それがある」

 旧き者たちはその背に懐かしき景色を見た。

 未だ未熟なれど、間違いなく其処に秘めし輝きはあの時代を彷彿とさせるもので、未だ充足の欠片すら抱いていない少年の顔を見て、より明確に思う。

 クロード・リウィウスの型、簡単な動作の中に見える、俺の槍。

 シルヴィやディオンが未熟であった彼を見て、強烈な焦りを覚えたのは、単なる学習速度に驚いたわけではない。あれだけ四つの型のみに打ち込めばそれなりには成る。問題はその先、どれほど繰り返そうとも立ち入れぬ者もいれば、たった一冬で超えていく者もいる。

 そのブレイクスルーの予感、否、確信を彼女たちは得た。

 ネーデルクスの自分たちではなく、他国の者が其処に辿り着く。自分たちよりも遥かに短い期間で、自分たちよりも一歩先んじる。だから急いた。現状を変えようと思えた。その予感が、出会いが、彼らを一冬で引き上げたのだ。

 槍を交えずとも高め合う。強烈な敵意。負けたくないという想い。

「まだ、まだ」

 その発言を聞いて青筋を浮かべるシルヴィとディオン。これだけ意識しているのに、あの異人は未だ自分との対話に勤しんでいる。本当に何一つ満足していないのだ。もっと先へ、もっと、もっと――あの笑みはそういう類にモノ。

「出てきたか。良い、雰囲気だぞ」

 こっそりと様子を窺っていたアナトールは微笑む。怪物性、異常性、十年で芽生える者もいれば、たった一度の戦場で手にする者もいる。彼の知る中でも突き抜けた『二人』の内一人は、本当に、ただの一戦で大きく変貌したのだ。

 その後の成長は誰もが知るところ。しかしてその真価、未だ世界は知らない。

「其処まで」

「うす……え?」

 もっと続けろと言われると思い返事をしたが、真逆の言葉にクロードは仰天してしまう。

「三人とも四つの型、全てに及第点をあげましょう。見事、です」

 ティルザが人を褒めることなど滅多にない、と言うよりも娘であるシルヴィでさえ見たことがない。その賛辞が三人一括りとは言え自分にも向けられていることに、喜ぶよりも先に戸惑いが在った。

「先に言っておきますが、型稽古など実戦ではクソの役にも立ちません。そのまま用いると言うのならば、クソ以下です」

「……えぇ」

 いきなりの罵倒に、一冬をそれだけに費やした少年は腰砕けになる想いであった。

「しかし、ネーデルクスの槍は全て、この四つから派生しています。この四つが根です。枝葉だけを学ぶのも良いでしょう。それが最短なのかもしれない。顧みることの無い根に時間をかけるよりも、軍略などに時間を割いた方が国の役に立つ、ひいては将としても意義のあることかもしれません。私のやり方が正しいとは限らない」

 ティルザは三人に微笑んだ。

「それでも私は、三貴士とは大樹であるべきだと考え、その可能性を持つ者にはそう接することしか出来ません。強く、揺らがず、しっかりと大地に根を張り、それぞれの色を出してもらいたい。その一心で、私は此処で槍を握っています」

「……母上」

「シルヴィ、戦場に出ることを許可します。グディエ家として恥じることの無い戦いを、今の貴女には求めます。存分に槍を振るいなさい」

「……はいっ!」

 ずっと欲しかった母の言葉。認められたことが嬉しくて、ほころびそうになる表情を無理やり引き締める。まだ何も始まっていない。まだ何も、成していない。

「クロード」

「うす!」

「異人である貴方を強いる気はありません。心の赴くままに往きなさい。今日、私は貴方の背中に亡き曾御爺様の影を見ました。幼き日に見たほんの僅かな時間、それが今日の私を創りました。貴方の槍も、そういうモノであって欲しい。そう願います」

「う、うす」

「精進あるのみ。まだまだ、ですよ」

 ティルザの笑み。其処に含まれたどこかほっとしたような色。幼き日より彼女を知る老人たちはそれを見て微笑んでいた。名人であるティグレの幻影を追って槍を研鑽し、自分では超えられぬ壁にぶつかった。其処で彼女は超えられる者を育てる道を模索したのだ。

 本物だけが理解出来る、本物だけがついて来れる指導。

 誰もついてこなかった。実の娘ですら、真意には届かない。言って変わるようなものではないのだ。そして、一番は己の未熟。本物を見れば一発で分かることが、自分には分からせることが出来ない。ティグレがあんなにも容易く、短い時間で出来たことが――

 その荷が、今日下りた。幾人かの老人たちに浮かぶ涙と同じ感情が彼女の中で渦巻いていた。ずっと、この国には無かったもの。ほんの少しのかけ違いから、あっさりと失われたモノ。それが帰って来たのだと、彼らの槍が雄弁と語る。

「槍のネーデルクス、か」

 アナトールの眼にも見える。

「異人、四つの型は基礎の基礎、此処からどう派生するかです!」

「そうだよクロード。まずは比較的得意な型から派生させていくと良い。君だったら火や雷に成るのかな? 正統派生の炎、はいくら何でも型落ちだし、業火とか猛炎とかどうだろ? 雷も紫電、雷光とかあるし、二つの系統を混ぜたものもある」

「業火とかめっちゃかっけえな!」

「おすすめは虎ですよ、虎!」

 三人が並ぶ姿、其処にかつての栄光が垣間見えた。

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