幕間:ネーデルクスの明日Ⅲ

 アナトールがグディエ家の門を潜るのは二十年ぶりに近い。かつてはネーデルダム最大の門弟を抱え、数多くの武人を槍術院へ、戦場へ輩出した名家中の名家であった。アナトールもまた槍を学ぶためにこの門を潜り――

「握りは浅く!」

「いでえ!? ごめんなさい!」

「何じゃこのへっぴり腰が! 腰を入れんか腰を!」

「腰いわしてる爺さんに言われても説得力が――」

「まあ、減らず口を叩く余裕があるのねえ。基礎十セット追加しましょうか」

「う、うす!」

「不細工じゃのお。肩に力入れすぎじゃい」

「うすッ!」

 同じように洗礼を受けて、泣きながら帰った記憶がある。型には自信があったが、化粧上手、上手にやろうとし過ぎ、へたれ、などと当時の自分には分からぬアドバイスをこれでもかと浴びせられた。同じく、不細工、ブス、力に頼り過ぎ、などと言われたジャンと一緒に泣いて帰った記憶がよみがえる。

「……ふっ」

 颯爽と踵を返すアナトール。若き日のトラウマ、存外馬鹿に出来ぬものがあった。

(それにしても、まだ一週間も経ってないだろうに。すでに、相当仕込まれていたな。まあ、あの女傑と古豪の爺さん方に鍛えられているんだ。上手くも成る。逃げ出さずによく耐えているな。もう少ししたら、また見に来るとしよう)

 アナトールは現段階では評価出来ずと結論付けた。基本の型も名人と呼ばれる者が振るわば、底知れぬ深さが出てくるもの。基本をただのベースとしか見ぬ者にとって、あれはただの遠回りにしか過ぎない。そういう思いと共にあれば、あの修練は無意味であろう。

 ただなぞるだけであれば子供でも出来る。

「型に嵌ったままか、型を破るか、それとも――」

 冬に入る前に里帰りもかねて早入りして良かったとアナトールは微笑んだ。


     ○


 旧く、厳しく、結果も出てこない。そんなグディエ家の育成法に嫌気が差し皆が出て行った。実の娘であり、グディエ家最後の希望であるシルヴィも槍術院の寄宿舎からほとんど戻ってこず、広い道場はただ一人のために在った。

「ふっ」

 クロード・リウィウスは槍を振るう。早朝から食事を挟み夕刻まで続いた稽古、その後での自主練習。一度として実戦での稽古は無い。型、型、型、しかも基本の四つのみ。これだけ繰り返せば嫌でも身体に染み付いてくる。流れるような所作、澱みなく、槍が舞う。

「違う」

 二週間、ただひたすらに型をこなした。

「全然、違う」

 傍目には完璧に映るだろう。大概の者が此処で充分と次のステージを目指す。だが、クロードは全く満足していなかった。きっと、常に完璧の先を目指す男の背中を見続けていたから、それが旧いネーデルクスと被った。新しいと旧い、それなのに被る。

 同じことの繰り返しに意味は無い。カタチが変わらぬ範囲で、工夫する。

 流れを完璧につかんだならば、其処から先は自分の領域。

『同じ人間がいないように、最適解は人によって異なる。人真似だけでは強く成れんよ』

 練達の者にとっては児戯。子供でも出来る型。だからこそ此処で自分の色が出せたなら、それは俺の槍と成る。そのための研鑽。同じ動作の中で自分を見つけ出す苦行。

 されど、それが今のクロードにとっては何よりも楽しかった。参考にすべき相手はほとんどおらず、尊敬する男の真似だけしか出来なかった。今は違う。多くの槍に囲まれている。選択肢は無数、選び放題。こんなちんけな型でさえ、誰一人として同じ色はいない。

 自分は何色か、その探求を彼はただ一人、楽しんでいた。

「まだ、まだァ」

 少しずつ滲み出す、色。


     ○


 雪に覆われたネーデルダム。

「とっくに逃げ出したものだと思っていたよ」

 毎年、年を越す前後二週間は槍術院の寄宿舎が閉鎖される。実家が遠方にある者などを広い屋敷を持つ家が預かるのもまた、ネーデルクスの一つの風習であった。

「おお! 案内してくれた人!」

「異人を預かっていたのですか母上!」

「あ、シルヴィはそれすら知らなかったんだ」

 喧騒の道場。ディオンも含め十人ほどの槍使いがグディエ家に集まっていた。

 その喧騒を見つめるティルザの顔を見てクロードとシルヴィは直立不動と化す。

「しばらくお世話に成ります。こちらはつまらないモノですが」

「うむ、イヴァン・ブルシークだな。良い槍使いと聞いている。門弟で無い者に教えを説くわけにもいかぬだろうが、道場は好きに使うと良い。クロード」

「うす!」

「裏でいつも通りに」

「うっす!」

 そのまま槍を抱えて道場から去って行くクロード。何人かはぞんざいに扱われているように見えるクロードを嘲笑する者もいた。だが、シルヴィだけは嘲笑ではなく、疑問符を浮かべていたのだ。槍に関して、あの母親がいつも通りなどと口にしたことは無い。

 少なくとも自分はそんな指導受けたことも無かった。

「全員、一度だけ基本の型を見せてもらいます。それ以後は好きにして構いません」

 シルヴィ以下、全員の型を見て、ティルザはそのまま道場から去って行った。一切の苦言を呈すことなく。これもまた母を知るシルヴィにとって驚愕の一幕である。

「母上がおかしいです」

「そうなの?」

「皆はともかく、私に対して何も言わなかったことは今までなかったので」

「それだけ君が上達したってことじゃない?」

「そもそも基本の型なんて誰がやっても同じですよね? それよりも先輩方、今日こそは勝たせてもらいます。僕の目標は三貴士ですので」

「うむ。私は構いませんよ。ただ、その発言を母上の前でしたら殺されますので注意するように。私よりも強いですから」

「……俄然稽古をつけてもらいたくなってきました」

「野心家だねえイヴァンは。ま、槍使いが雁首揃えて世間話をしても仕方ないわけで、早速槍合わせでもしようか。勝ち抜き戦、ガンガンやろう」

 ディオンの号令の後、彼らは即座に実戦に移った。景気の良い音が道場に木霊する。白熱する道場、その裏で型稽古をしている者のことなど、誰の頭からも消えていた。


     ○


 たっぷり槍合わせをしてご満悦のシルヴィ。久方ぶりの実家、様子のおかしかった母のことなどとっくに記憶の彼方。気分よく槍が振れた。調子も上向き。今日もディオンに一本取られたが、取り返してきっちり三度叩きのめした。

 今ならば母上にも――そう思い自室への抜け道、道場の裏を通ろうとして、見た。

「……な、んで」

 ディオンの話ではネーデルクスに来てまだ一カ月と少し、初心者である。なのに、如何に初歩の初歩とは言え、槍が炎と化す姿を幻視するなど、あるはずがないのだ。

「次、雷ノ型」

「うすッ!」

 母親が、自分を見ようともしない。見るまでも無いと放置した。あの場にいた全員を差し置いてでも、異人であるクロードの育成に注力するために。

 その眼は、一度として自分に向けられたことの無い色を宿していた。

「鋭さが足りない!」

「うす!」

 幻視するは雷。鋭く、切れ味抜群の雷光そのもの。無論、火も雷もまだかすかに見える、と言うレベル。名人芸には程遠い。だが、自分がその『かすか』に辿り着くまでいったいどれほどの時間をかけたか。そして、そこで満足した自分と満足していない異人の男。

「風は闇雲に速くしても意味がない。それはただの一側面、あらゆる速度域を持ち合わせ、自由自在に在るが風ノ型なれば。水は、まだまだです。精進あるのみ」

「うっす」

「ですが、火と雷は及第点をあげましょう」

「う、うす。照れるっす」

 シルヴィの胸に宿るは憤怒。一度だって自分は母親に褒められたことなどない。槍術院で一番を取り続けても、彼女は何一つ言わなかった。それなのに異人の男が初歩の初歩を少し、ほんの少し上手くやったからと言って、褒められるなど――

「異人、私と勝負してください!」

「……は、良いぜ。やろぶッ!?」

 ティルザの『指導』が炸裂し地面にのたうち回るクロード。

「クロードは型を続けるよう。シルヴィ、貴女は強く成りました。それは見ればわかります。しかし、彼の前で型を披露することは出来ますか? ネーデルクスの槍を担う者として、恥じぬ槍を見せる自信がありますか?」

「そ、それは……しかし、実戦ならば」

「黒騎士を破ったレノー・ド・シャテニエを討ち、バンジャマン、ガレリウス、多くの武人と交戦し、敗れはしたものの生き延びた。ジャンとも戦い、半死半生ながら、やはり生き延びた。貴女にそれが出来ますか? シルヴィ・ラ・グディエ。あの槍合わせを実戦と貴女は言う。ですが、私に言わせれば、本当の戦場を知らぬ者たちの児戯でしかない」

 ティルザはシルヴィに顔を向けることもなく言葉を連ねる。

「現状に充足したモノに成長は在りません」

 一番であることに意味は無い。

「…………」

 無言でシルヴィはこの場から去って行った。その背にクロードは初めて興味を示す。何かが零れだしている。ただの背中なのに、自分と同じ何かが、滲み出す。

「……何か嬉しそうっすね師範」

「風と水を百セット追加」

「ひゃ!?」

「返事」

「う、うす!」

 ネーデルクスの片隅で、風が吹き始めていた。

 何かが変わる。何かが生まれる。何かが――甦る。

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