幕間:ネーデルクスの明日Ⅱ

 ネーデルクスらしい華美な墓所、そこでひと際けばけばしい墓がジャン・ジャック・ラ・ブルダリアス、通称ジャクリーヌの墓標であった。生前と同様に大きく、派手で、死者を嘆く気にも成れないこれこそが、まさに彼の、彼女の生き方を表している。

「お前の強さに憧れた。そのお前が先に逝くとはな」

 槍術院で出会った二人は戦場に出るまでは同格の扱いであった。型はアナトール、槍合わせはジャン、と並び称されていたが、その実、アナトールは槍合わせ、つまり対人戦でジャンに勝ったことが無かった。型を重んじる道場では意識することも無かったが――

 戦場で見る見る開く差に、焦り、苦しみ、迷い、気づけば槍の振るい方を忘れていた。ライバルは遥か彼方、そのライバルすらああも変化されては、立つ瀬がない。

「あの剣聖とやり合って散ったのだ。悔いはあるまい」

 ようやく自信がついた頃には、こうして槍を合わせることも出来ない。

「お前らしい槍捌きだったと聞いている。俺もじきにそちらへ行くだろう。その時には、今度こそ本気で槍合わせを、お前を楽しませて見せる。だから、しばし待て」

 隻腕と成って己が槍を取り戻した。そこまでの迷走で培った経験を乗せ、今の自由を謳歌する。今度は眼を背けずに向き合える。ようやくこの歳に成って追いついた。

「ではな。お前の好きだった酒を置いていく。……そう言えば、あまり考えないようにしていたんだが、酒が入ると昔から、その、尻を撫で回されていたのは、そう言うことなのか? いや、よそう。考えると怖くなってきた。挫折からの逃避であってくれ」

 ある挫折を経て美しき槍を目指すと同時にオカマへと変貌したジャン、もといジャクリーヌ。それが元々素養があったのか、挫折で心情が変化したのかは分からない。本人以外分からないのだが、アナトールの脳裏に過るのは――ただのスキンシップだと思っていたボディタッチの数々。今思うと若干手つきが艶めかしかったような――

「……場合によっては死力を尽くさねばなるまいな」

 アナトールは首を振って墓地を後にした。確認すると藪蛇と成りそうなので、このことは胸に秘めた上で、彼岸の彼方でも警戒しながら事に当たろうと心に留めておく。

 槍を杖代わりに墓地の出入り口に向かうと、其処には一人の人影が、

「やあ、アナトール」

「……へあッ!?」

 笑顔のネーデルクス王、クンラートがたった一人でアナトールを待っていたのだ。


     ○


「ぷはぁ! くー、うまーい!」

「……へ、陛下、その、このような場所でおひとりと言うのは」

「お前がいるだろう? それに、このような場所だから良いのだ。余の、おっと、私の顔を知る者など誰もおるまい? あと、お前も敬称を伏せよ、クンちゃんで良い」

「良いわけないでしょうに」

「私がゆるーす!」

 場末の酒場で市井の格好をしていること以外、特に変装もしていないネーデルクス王クンラートとアナトールが酒を酌み交わす異常事態。しかし、酒場の人間は気にも留めていなかった。あまりにもかけ離れた存在ゆえに、想像すらしていないのだろう。

 自分たちの領域に王が混じっていることなど。

「随分慣れていらっしゃるようで」

「良くルドルフに連れ回されていたからな。隙あらば共に王宮を抜け出してあちらこちらの酒場、あと、いや、良そう、さすがにその先は王の威厳があるゆえに」

「いえ、すでに、その、残念ながら」

「あっはっはっは。いやはや、久方ぶりのネーデルクスはどうだ?」

「随分変わりました。街並みは同じなのに、どこか緩い感じがして、敗戦もあってもっとこう、ピリピリしたネーデルクスを、ネーデルダムを想像していたのですが」

「市井の人間にとって、敗戦など喉元過ぎれば何とやら、だ。それにピリピリした連中はこっそりとアルカディアが処分してくれたので、私も気楽に構えていられるのだよ」

 クンラートの衝撃発言にアナトールは顔を引きつらせる。

「……アルカディアが、ですか?」

「うむ、旧ネーデルクスのアキレス腱にして、新生ネーデルクスの病巣であり、私とルドルフが尻尾を掴もうと躍起になっていた、大貴族の狸どもだ。さすがは白騎士、もしかするとエアハルトの可能性もあるが、とにかく気持ちよいくらいの一掃。余もすっきり」

「なるほど、すでに調査済みであったというわけですか」

「まあ、これだけ早く処分できたのは、ルドルフが調査資料を残していたおかげ、と言うのもあるのだがね。私やアルカディアの調査に含まれていない、本当に厄介な連中のリスト、それをこともあろうに行きつけの風俗店に仕込んでいたのだから曲者だよ、彼は」

「何故それが発覚を……まさか?」

「お気に入りがいるのだ。許せ、アナトール」

 クンラートは気分よく酒を一気飲みする。

「ルドルフは変わったよ。昔は、本当に怖かったんだ。ほぼ同世代とは言え王族である私も、その父、先王ですら羽虫を見るような眼で見ていた。星の離宮は地獄だったよ。同じ人間だと思っていないんだ。きまぐれで、虫を殺すのと同じように人を殺していた」

 思い出に耽るクンラート。特別に創られた子、神の子ルドルフ。そのご機嫌取りに奔走し、大の大人が、王も含めて右往左往。本当に愚かな日々であった。

「星の離宮を出て、フランデレンから帰ってきてからだ。彼が変わり始めたのは。英雄王との遭遇で、さらに変わった。神から人へ、もちろんそれからも好き放題やらかしてくれたけど、笑えるモノに変わっていたんだ。好き嫌いは分かれるが、結構、若い連中からは好かれていたんだよ、今のルドルフは。女性人気は、まあ、どん底のままだけど」

 アナトールの知る神の子はまさに神の如し存在であった。彼が望めば国が動く。彼が選べば、貴族であろうがその選択を拒否できない。死ねと言われれば死ぬしかなく、殺せと言われたなら肉親すら殺めねばならない。それが神の子を取り巻くルールであった。

 ゆえにアナトールはあまり良いイメージを持っていなかった。

「神の子、など無ければ、私は、本当の意味でネーデルクスを背負う者に成ったと思う。それを造った側が言うのは、あまりに酷い言い草であろうが」

 アナトールは黙したまま。彼とてそれなりの家柄に生まれ、軍部でも足踏みしていたがそこそこの地位についていた。ゆえに、市井のモノが知らぬはずのことも、何となくは知っている。無論、細部に関しては何一つ漏れ出てくることは無いが。

「これ以上は良そう。彼は居なくなった。死神と共に。狸共にとっても最後の望みであった超大国復権の希望が断たれ、保身に走らんとするもエスタードは敵対の姿勢を取り、亡命を一人たりとも受け入れず。アークランドも同様に門戸を閉ざしたまま。身動きの取れぬ狸を戦勝国の強権でアルカディアが有無を言わせず秘密裏に一掃。上はてんやわんやしつつ、民にとっては知る由も無く、知る意味も無い。結局のところ、その程度なのだ。奇跡に頼った弱き者の影響力など。死して初めて分かる。嗚呼、大したことない、と」

 アナトールが知らぬ闘いの果てに、今のクンラートがいるのだろう。新しい国造りのために、中でこそこの国は激しい戦いを繰り広げてきた。その右腕を喪失してしまったのだ。彼に取ってこそ手痛い損失であったのだろう、ルドルフを失ったことは。

「これからどうされるおつもりなのですか?」

「ん? ああ、しばらくはアルカディアの絵図に乗ってみようと思う。私もルドルフも、隣国として彼らを警戒しつつ、最後の一線で軍門に下るもよしと考えていた」

「……まさか、負けることも勘定に入っていたと?」

「無論、負けぬが良し、それは当然だ。だが、同時に彼らが敗戦国に対して無理強いをせぬこともわかっていた。精々私たち責任者の首程度のもの。何よりもガリアスの一件、あれで私たちは確信を強めたよ。アルカディアの、いや、白騎士の狙いに、大陸の物理的制覇はない。それをするならばアポロニアも動かし、三つの巨星で超大国を滅ぼしていたはず。出来たのだ、彼らなら」

 クンラートの眼は鋭く光る。

「あれほど勝利に徹した男が、最後の一線で手緩い手を打った。今回のネーデルクスへの対応も同様だ。本気で潰す気なら出来たし、せずとも狸共を一掃するなど悪手は指さん。残しておいた方が国は疲弊する。疲弊したところを喰らえば手間もかからない」

「……ネーデルクスに塩を送った? まさか」

「そのまさかだと私は睨んでいる。かつて、王会議の折、ガイウス王がおっしゃられたことを思い出したよ。七王国と言うのは、丁度良いのだと。頂点に君臨する男の戯言だと聞き流していたが、白騎士も同じ考えなのかもしれない。バランスが良い、そう、バランスだ。統一ではなく、国家間のバランスを調整し、その上で――」

 アナトールは恐ろしい思いを浮かべていた。クンラートの弁はあくまで想定に過ぎない。それが本当とは限らないし、考え過ぎかもしれないだろう。だが、もしそうであるとすれば、一国の将が、其処まで考えているとすれば、自分の主である男にとって――

「あのエスタードが七年、八年か、我慢したんだ。私もこの国を我慢させてみようと思う。その上でじっくりと腰を据えて、若き芽を育もう。真っ当に、今度こそ、次に繋がる道を」

 クンラートは微笑んだ。

「私が生かされたのはルドルフが散々、外に喧伝していたからでもあるだろう。担ぎやすい王、傀儡、操り人形。実際は二人の思惑が一致していただけなのだが、それは良い。操りやすいと思われていて、私としても現状それが最善だと思っている。今までと同じ、思惑の一致、だ。それが違えた時、そこが私の勝負どころなのだろう。其処までは精々、道化の如く踊って見せようじゃないか。踊るのは得意なのさ、私はね」

 これもまた王なのだろう。ルドルフと共に育ったネーデルクスを繋げる者。ルドルフと言う光の影で伏していた男は、今度はアルカディアの影で伏さんとする。臥薪嘗胆、今は伏して力を蓄える時。旧時代は一掃出来た。ここからがスタート。

「私は友を失った。だが、ネーデルクスまでは失わんよ。靴を舐めてでも生き延びるまで」

 アナトールもまた微笑む。自分に足りなかった、ネーデルクスに足りなかった、泥臭くとも生き延びる覇気がこの男には備わっている。ならば、大丈夫なのだろう。少なくとも時勢を読み違える愚行は冒さぬはず。

「そう言えば件の白騎士、彼がこの国に贈り物をしてくれたそうな。ローレンシアに名高き槍使い、アナトールの目にどう映るか、暇があれば見てくると良い。どうせ、エスタードとの開戦は冬が明けてから。傭兵の仕事は其処からに成るだろうし」

「白騎士の、ですか?」

「今はグディエ家にいるはずだ」

「グディエ家、槍、白騎士の、もしや」

 何かを察したアナトールの様子にクンラートは苦笑する。

「何だ、もう唾がついているのか。つけたのは黒狼王かな?」

「いや、確信は無いのですが。もしかすると、知っている者かもしれません」

「ほほう。尚更楽しみだ。また飲みに来よう。君の見立てを聞かせてくれ」

「お送りしましょうか?」

「大丈夫だ。それに、行くところもある」

 おそらくは行きつけの店。線の細かった王子が大胆に育ったものである。もう少し警戒して欲しいが、きっと彼はそれを望まないだろう。その分、それなりに鍛えているのも見て取れる。壁にかけてある杖も仕込みの槍。そう言う意味でも図太くなったのだ、王は。

 ネーデルクスの未来が明るいかは分からない。だが、少なくとも変化しているのは確か。あとは、それを担うに足る看板さえいれば――

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