幕間:ネーデルクスの明日Ⅰ

 クロードはネーデルクス王都ネーデルダムへ到着した。雪もちらつく中、何とか本格的な冬の到来前に着いた形。緯度はアルカスとほとんど変わらないため、ウルテリオル育ちのクロードには未だに多少堪える寒さであった。

「ウルテリオルとも違うし、アルカスとも違うんすね」

「ん、ああ、歴史が違うからね。ガリアスは言うに及ばず、アルカディアでさえ今の王家が成立したのは、ネーデルクスにとっては最近の事。当時の意匠と今の意匠、継ぎ足し継ぎ足しここまで来たんだ。あと、超大国時代の金満っぷりも随所に見受けられるね」

 クロードをシュピルチェ近郊で迎えたのは、同世代の若き将であった。黒い鎧を身にまとっているので『黒』の構成員であろうが、どうにも捉え難い雰囲気を醸し出している。

「いやー、何と言うか、派手、だなあと」

「アルカディアとオストベルグは質実剛健って感じだし、ガリアスは同じように派手だけど合理的な面が強いらしい。その点、ひと昔前のネーデルクスはとにかく金にモノを言わせた箱モノをバンバン建てたから……良い悪いは別にして」

「俺は好きっすけど」

「僕はあまり好きではないね」

「そ、そうですか」

 どうにもこの男とは噛み合わない、とクロードはしみじみ思っていた。

「そろそろ到着するよ。君がお世話になる家だ」

「おお! 待ってました! うーし、此処で強く成ってやるぜ!」

「あはは、ぜひ頑張って欲しいね。ここはネーデルクスの歴史を知るにはうってつけの家だし、学べるものも多いはずさ」

 頑張って欲しいと励まされ、噛み合わないと思っていた自分を恥じるクロード。

「……良い奴だったんだな、お前」

「失礼が零れ落ちているよ」

「すまんすまん。興奮して来て……うぉっ!? 超でけえ屋敷だ! ま、まさか」

「そのまさか。さあ、挨拶してくると良い。僕は此処でさようなら、だ」

「ありがとな! え、と、名前何だっけ?」

 馬車から降りるクロード。それを尻目に馬車は駆け出す。

「最初に挨拶したけど、まあ、お互い覚える必要も無いでしょ。どうせすぐにいなくなる」

 男は嗤いながら、屋敷に入っていくクロードを見つめた。道中、雑な型で修練する姿を見てきた。この歳であれでは先などありえない。そして、あの家はそう言った雑さを許さない家でもある。槍のネーデルクスにかの家ありと謳われし名家。

 そして、今と成っては若い内弟子の一人もいない、過去の栄光に縋る家でもある。


     ○


「腰を落とせ! 膝が固い! 指も固い! 全部固い!」

 指摘は全て槍の柄で。打たれること幾たびか。

「肘を閉めろ!」

 思いっきり肘を強打され、涙を浮かべるクロード。

 昨日、到着した瞬間から屋敷に併設された道場で型稽古が繰り返されていた。実戦は一度としてない。ただただ、四つの型を繰り返し繰り返し、数えるのも億劫になるほど繰り返させられる。指摘は槍の柄、痛くせねば覚えないとは師範たる彼女の弁。

「頭から通しで火、雷、風、水を十セット。常に土、地を踏みしめることを意識しなさい」

 槍を床に打ち付けるのが合図。クロードは型を開始し――

「頭をふらふら動かすなッ!」

 頭を思いっきり強打され泣きながらクロードは槍を振り続けた。


     ○


『グディエ家っすか?』

『ネーデルクスきっての槍使い、三貴士を輩出した名家だそうだ』

『すいません。何から何まで、俺、いつもお世話に成りっぱなしで』

『気にするなクロード』

『そんな……俺、必ず期待に応えてみせます! この恩は一生忘れません!』

『あはは、本当に気にしなくていいぞ』

 思い出すのは心の父であり、兄であり、最大の恩人である男の顔。

 その笑みの奥にある悪戯っぽい色に、気づくべきだった。


     ○


「じ、地獄だ。ここは」

 現当主であるティルザ・ラ・グディエの指導の厳しさは、ネーデルクス全土に周知された事実であった。幾人もの内弟子が逃げ出した苛烈な指導と、型に始まり型に終わる旧態依然としたやり方に疑問を持つ者が多く、この家がしばらく強い武人を輩出していないことも相まって、気づけば若き、新たな内弟子は絶え、旧き老人たちのみが残る『終わった名家』と目されていた。

「型に始まり型に終わるってか、型しかやらねえし……何よりも全身痛ぇ」

 そんな家に放り込まれたクロード。それを知るあの黒い男の「さようなら」の意味をようやくクロードは理解していた。彼は逃げ出すと思っていたのだろう。実際、逃げ出したい気持ちしかない。とにかく厳しく、同じことの繰り返し。

 今の状態では強く成っている気がしない。

「でも、あの人が選んでくれた場所、でもあるんだよなぁ」

 そこで何とか踏ん張れていたのは、この家をわざわざウィリアムが手配した、と言う一点であった。あの悪戯っぽい笑みの理由は分かった。しかし、あえてここを選んだ理由は分からない。だから、それが分かるまでは此処にいようと心に決めていた。

 何よりも、このまま逃げ出すほど軽い気持ちで、クロードはこの地に来ていない。


     ○


「何じゃこの小僧は?」

「かぁっ! ネーデルクスの槍を異国のもんに振るえるわけが無かろうて!」

「ここはどこじゃ?」

「まあまあ、ここはグディエの道場ですよー」

「腹減ったわい」

「さっき朝食食ったって言うとったじゃろうが」

「……何じゃこりゃ」

 老人詰め合わせと言わんばかりの景色。クロードは呆然と立ち尽くしていた。

「あの、ティルザさん」

「師範」

 早速、指導がお尻に叩き込まれた。鋭い槍捌きに早々涙目と成るクロード。

「先達方です。敬うよう」

「は、はい。でも、あんな足腰も立たないような人たちが何を――」

「槍、構え」

 クロードは反射で火ノ型の構えを取った。ここに着て三日目、すでに調教され切っている。だが、驚くべきはそんなことではない。ただの構え、それなのに――

「火ノ型、始め」

 彼らの何と堂に入ったことか。それだけで目が奪われてしまう。

「「「「ふっ」」」」

 驚くほど熟達した動き。いったいどれほど彼らはそれを繰り返したのだろうか。ティルザの型も凄かった。されど、その厚み、其処に関しては比較に成らない。速いわけでもない。強いわけでもない。だが、其処に見える厚みは、クロードが求めていたもので。

「あ、やべ」

 老人たちの動きに目を奪われていたクロードは『指導』を恐れて動き出そうとする。

「クロード、貴方は見に徹するよう。今ならば少しは、優劣を見分ける眼も出来ている頃でしょう。しかと見届けなさい。栄光の、黄金世代を支えた先達たちを」

 滑らかで、型ごとに色があって、とにかく美しい。

 同じ型でも人によってこれほど違うのかと驚嘆させられる。真紅の炎を幻視することもあれば、蒼く見えることもある。激しいモノもあれば、穏やかなモノもある。他の型も同様、思い浮かべるはその人の人生。積み重ねてきた年月。

「あ、腰をいわしたわい」

 途中抜ける者もいたが、とにかくクロードは感動していた。

「どうじゃ! これがネーデルクスっちゅうもんじゃぜ!」

「……いや、マジで、すげえっす。俺、感動して」

「……あらまあ、若い子には珍しいわね」

「大事にせえよその眼。よう見とったのがこっちにも伝わってきたわい。あれじゃな、『双黒』のひょろい方と似とるの。あれはセンスの塊じゃった」

「ほれ、型見たるからやってみい」

「う、うす!」

 そしてクロードが型を始めると数秒後には――

「下手糞!」

「何じゃこれはぶっ殺すぞガキ!」

「見るに堪えないわねえ」

 ティルザ顔負けの指導の嵐にクロードはやはり泣きながら槍を振るった。


     ○


 ネーデルクス中の天才が集められ、腕を磨く場、槍術院。そこそこ名の通った道場の推薦状と凄まじい倍率の試験を経て入院を許される選ばれし者の研鑽の場。此処に入っただけで最初の配属から百人隊長以上が確約されており、皆が此処を目指す。

 その中でも当然優劣は在り――

「次、お願いします!」

 この場で誰よりも幼い少年が五つは上であろう少年を下した。

 それを見て目を見張るのは、

「幼いのに見事な槍ですな」

 元ネーデルクス軍所属、今は黒の傭兵団副団長であるアナトールであった。

「市井の出ですがセンスはとびっきり、いずれは三貴士に届くのでは、と目されています」

「イヴァン・ブルシーク。覚えておきましょう」

「あはは、あの『隻腕』のアナトールに覚えられたとあってはやる気も出るでしょう。『疾風』か『隻腕』か、現存するローレンシア最強の槍使いの一角ですから」

「ただ生き延びただけ。多くが死んだ今、そこに何の意味も無いでしょうに」

「此処にいた頃ならば特に疑問を持つことも無いですがね」

「その後の迷走を知らぬから師範はそんなことが言えるのです」

 此処にいた頃は天才などと持て囃されていた。同じ天才と目されていた荒く強い槍を使うジャンよりも三貴士に近いと皆が思っていたほどである。しかし、実戦で、戦場で彼は知った。美しさを追い求めた自分の槍が通じず、ジャンのような力強さこそが戦場を支配しているのだと。

「己が槍を貫徹する覚悟がなかった。所詮、俺などその程度のもの」

 アナトールは自嘲する。

「それでも今、貴方は此処にいる。『隻腕』として名を馳せ」

「……ですな。お、またあの子が勝った。次の子は、ほう!」

「さすがお目が高い。イヴァンも天才ですが、ええ、あの子は鬼才です。飛び抜けた。おそらく、現在若手の中で最も三貴士に近い少年。実務経験も積んでいますし」

「蛇ノ型、その発展形か。面白い槍を使う」

「ディオン・ラングレー、出自は不明ですが、噂ではディエース殿の部下、『蛇』の一人がこの地で残した子で、任務で親が亡くなった後はディエース殿が、彼亡き後には、『黒』のフェンケ殿が世話をしていたそうです。色々と叩き込まれておりますよ、双方から」

「ほお、では軍略もあのディエース殿譲り、と」

「そう言うことです。資格は、十二分でしょう」

 イヴァンを圧倒し、そこから怒涛の勝利を積み重ねていくディオン。変幻自在の槍は掴み辛く、捉え難い。此処に集った天才たちの中でも、明らかに抜けている。勝負に成っていない。天才と呼ばれていた自分たちとて、槍術院で此処まで抜けてはいなかった。

「ほぼ当確、か」

「ええ、そして、もう一人――」

 ディオンの「次」という言葉に対して立ち上がったのは一人の少女。

「……なるほど、彼女が」

「ええ、シルヴィ・ラ・グディエ。虎が、甦りました」

 獰猛な笑みを浮かべ、ディオンと互角、いや、わずかに優勢な動き。虎の爪牙が如し強い槍。今と成ってはほとんど知る者も残っていないが、彼女の槍は先祖であるティグレに酷似していたのだ。ただし、その完成度に大きな差はあるが――

「ネーデルクスの未来も明るいですな」

「……そうあって欲しいのですが」

 どこか浮かない顔の男、自らも教えてもらった師範の複雑な表情に疑問を浮かべるアナトール。何か、引っ掛かりが在るのだ。多くの槍使いを育ててきた彼にしか見えぬ。

「……しかし、俺が見学に来てからずっと実戦ばかりですか」

「今日日型稽古は流行らず、実際に、実戦で鍛えた方が強いと。確かに効果的です。子供たちものびのびと成長でき、戦場でも成果を発揮している。否とは、言えんでしょう」

「……なるほど」

 アナトールは自身の師でもある男の顔を見て笑う。あれほど型稽古を強いていた男が、今は実戦で鍛えよと、方々からの圧力に負けたのだろう、こうやってのびのびやらせているのだから面白い。良くも悪くも変化している。自分がいた頃とは何もかもが違う。

 未だ型稽古を欠かしたことは無いが、それに意味があるかと問われたなら、アナトールは是と大声では言えない。自分が化けたのは常に実戦、型を意識せず、型を破ったことで長き時を経て強く成った。何が正しかったかなど、誰にも分からない。

 己が主である地上最強の狼は型稽古などしたことも無いだろう。

「そろそろお暇致します。ジャンにも挨拶せねば」

「そうか、うむ、では、また」

「ええ、では」

 シルヴィの咆哮が響く。確かに、全体のレベルは上がっている。特に小さい子たちの成長は目覚ましい。疑似とは言え実戦の中で鍛えるのは、戦に出た際に大きな強みと成るだろう。否定はできない。出来ないが、どうしてだろうか、こう、寂しい気持ちに成るのは。

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