幕間:受け継がれし明日

 ウィリアムはふらりと己が故郷である貧民街に足を延ばしていた。忙しさのピークはすでに越え、管理側よりも現場が悲鳴を上げている。されどウィリアムらがそれに手を出すのは越権であるし、そんなことをするくらいなら制度の一つでも整理した方がマシというもの。餅は餅屋、任せるべきところはある。

 今できる範囲でそれなりの器は作った。これ以上を変えるにはさらなる地位がいる。

「う、ウィリアム大将閣下! このような場所に何故」

「自分の定めた法が機能しているかを見に来ただけだ。それで、どうなっている?」

「訓練はそれなりに。剣闘士上がりの者は私たちでも舌を巻くほどです。ただ――」

「それゆえに御し辛い、か。対処を考えておく。しばし待っていろ」

「はっ! お気遣いいただきありがとうございます」

「励めよ。私はもう少し全体を見て回ることにしよう」

 そう言ってウィリアムはその場を離れた。勝手知ったる場所、そうであったのも昔の話。ウィリアムと言う名を手に入れてから極力、この地に足を踏み入れぬようにしていた。様々な策を講じていたとしても、完全に忘れ去られたわけではない。どこかの誰かが、ふとした拍子に思い出す可能性もあり得る。

 ウィリアムはそのリスクを冒してでも、この地を見て回りたいと思った。天に手がかかっている今だからこそ、もう一度原点を思い出さねばならない。この地で味わった辛酸の日々。姉がいなければ自分は何度も死んでいただろう。カイルやファヴェーラがいなければ五体満足などありえなかった。

 そんな地獄にも光があって、今に比べればよほど救いがあった。

「乾いていても臭いな。それにしても、子供の時分の記憶は当てにならんものだ」

 あの頃には夢があった。やりたいことと目標が一致していた。今は違う。やりたいことはすでに『二度』失われた。

「こんなに小さかったのか。可愛いモノじゃないか、『死の沼』など」

 これから先、手に入れることがあったとしても、それらはすべて切り捨てる。例外を作らないから王なのだ。王たらんとすれば、本当の王であれば――

「さらに底へ」

 誰よりも孤独であるべき。

「記憶よりも遠い。記憶に比べて大分劣化している。が、広さのイメージはさほど変わらないな。懐かしく、どこか寂しい」

 あの頃は何も思わなかった。場所が場所なのでしょっちゅう来ることはなかったが、この場はいつでも来れる場所という認識があった。

 今となっては恐ろしい話である。

「二人の騎士、その間にたたずむ女性。顔の崩落したこいつがお前か、ニュクス」

 ウィリアムはちらりと視線を背後に送る。そこには――

『はて、どうじゃったかのお。随分前の事、思い出せぬが普通よ』

 顔がかすれ輪郭がぼやけた闇の王、ニュクスがいた。そこにいつものような圧はない。どこか弱々しく、儚げで、今にも滅びゆくのではないかと思わせる。そんな雰囲気。

「そして水路で区分けされた……この芝が当時のアルカディア。お前たちの国だ。光と闇が交わる瞬間、世界が紅に包まれるとき、本当の姿が映し出される。美しき噴水は、噴き出る血潮に。緑育みし清流は、怨嗟まみれる流血となる」

 紅の世界。赤を反射して浮かび上がるこの場の本当の姿。

「美しいが残酷だ。犠牲と創造……俺にもこれをやれと貴様は言うのだろう?」

『出来ぬことはあるまい。王であれば容易いことじゃて』

「王、か。ああ、そうだ。いつか聞こうと思っていたんだが、お前にとって俺は最初から王だったのか? 薬品関係の話はさておき、子供の俺がこの場に訪れることが出来て、綺麗な水を得て、少しだけ特別扱いだったわけだ」

『己惚れじゃよ。たまたま人様の領域に入り込み、我が物顔で冒険していた愚者がいただけ。わしがぬしを王と定めたのは、ずっと後の話じゃて』

「なら良いんだ。それが運命だったなど……さすがに許容できないからな」

『幸も不幸も、酸いも甘いも己が選択じゃと?』

「ああ、全ては俺の選択だ。俺が選んだ、覇道だ」

 血が流れる。風化した世界を流れる血潮もまた勢いが衰え、今にも流れが止まってしまいそうである。これは以前の記憶とは大きく食い違っていた。

 何かが終わりそうな気配がする。

「……お前も滅ぶのか、ニュクスよ」

『形あるものはいずれ朽ちる。魔術とて同じであろう』

 ニュクスの輪郭がさらにぼやける。それをウィリアムは哀しげに見ていた。


     ○


『ここはわしらの夢の場であった。理想を語り、未来を描き、平和と安寧、人の躍進を願った。天高く噴き上がる巨大な噴水、水路が街中に張り巡らされ、物流を担う船が行き来する。街は笑顔で溢れ、持つ者、持たざる者、皆が笑い歌う。夢は夢でしかなかったがのお。わしらの夢は失われた。意図せず、黄昏がわしらの夢を現実へと変えた』

 紅に染まる理想郷。かつてこの地にて都市一つが滅んだ。すべてが血に染まり、彼らの夢見た明日もまた血に沈んだ。

「わし『ら』、か。一人は何となく想像はつくがな。勇者アレクシスのモチーフとなった初代アルカディア王、アルカスだろう?」

 以前、ニュクスから与えられた金貨の名。どれだけ調べてもそれが作られた時代も意図もわからなかった。しかし、この怪物がアレクシスに関して何らかの関係がある可能性は高い。

『正解じゃ』

 あっさりと肯定するニュクス。

「二人か?」

『いや、三人じゃよ。わしとアルカス、そしてアレクシス』

「……別人だったのか」

『兄弟じゃな。才溢れる勇敢な英雄、アレクシス。才なくも知恵と覚悟で人を導いた王、アルカス。諸国を歩き回り世界中全てを救おうとした兄と、持たざる者のための国を作り未来のため過去を切り捨てた弟。わしの友であり、最愛であり、同志であり、敵であった』

 巷で冒険譚として語り継がれているのは兄のアレクシスで、王としてこの国の礎を築いたのは弟のアルカス。何故二人が混同されたのかはわからないが、兄弟というのは発想としてなかったので、ウィリアムとしても少し驚きがあった。

『まあすべては過去の話じゃ。わしはアレクシスと共に滅び、アルカスはその後アルカディアを建国した。数多の犠牲をエネルギー源とした魔術『ニュクス』が国家を裏で支え、大気中のマナが枯渇する大変動にも耐えることが出来た。アレクシスとアルカスが混じっておるのは本来存在したはずのアレクシスと言う存在の大半が魔術に呑まれたからじゃ。しかし、功績そのものが消えるわけではない。ゆえに近しい存在であるアルカスが彼の成した功績を引き継いだ。罪悪感からか物語として後世に名を残させたのは笑えたがのお』

 アレクシスの大半が呑まれたとはいえ、名すら残らず記憶にも記録にも存在しない目の前の女性と比較すると、名が残っている分軽度に感じる。その差は何なのか、むしろ名も顔も消えた彼女は何物なのか、など好奇心が刺激されてしまうのだ。

『わしの役目はとうに終わっておる。ぬしを見出したことは滅びゆくわしにとって最後の楽しみであった。最初は興味であったのお。小国とはいえ正統なる王の血脈と無間砂漠の中央、ここより遥か東方にて牙を研ぐ一族の末裔、この二つを引き連れておる何の変哲もない奴隷の小僧。血筋に何ら特別な部分もなく、身体も大きくない。当時は学もない。だが、その眼だけは『上』を見上げておった。白き王宮から伸びる尖塔の果て、そこが王の座とも知らず、欲しておった』

 今のウィリアムすら覚えていない時代をこのニュクスもまた覚えている。自分がそれほど欲深い眼をしていたと思わないが、人並みに一級市民が生きる一等地や貴族街、そして今となってはトゥラーンの劣化としか見えないが、当時は何よりも美しく見えた白き塔に焦がれていたことは否定できない。

『最愛の姉が死に、そこでの変貌で興味は予感へと変わった。直接会話し、幾度となく苦難を越えていくぬしを見て確信した。ぬしは王になる定めではなかったが、己が手で運命を捻じ曲げ、この場まで来ておる。あと一歩、険しい道になろうが、実現可能なところまで到達してのけた。ゆえに問う。ぬしの目指す未来を。今だからこそ』

 ニュクスの顔がぼやける。あそこにある石像と同じ、顔の砕けたそれはどんな表情を浮かべているのかもわからない。だが、それが真剣な問いであることはウィリアムでなくとも理解出来た。

 長き時を渡りアルカディアを陰で支えてきた、見守ってきた存在がとうとう滅びようとしている。自分の全存在よりも大事だった未来図を託すにふさわしい男か否か、彼女もまた最後の最後で欲が出てしまった。

「俺の目指す国は強きが上に立ち、弱きが下で支える国家だ。強ければどんな生まれでも上を目指せる。弱ければどんな生まれでもどん底まで堕ちる」

 最後の最後で――

『底に救いはあるか?』

「国家としての底上げはする。だが、今でいう奴隷を俺は甘やかさない。落ちた人間は言うに及ばず、最初から奴隷に生まれ大きなハンデを背負って生きる彼らとて、機会は与えてある。昔のように不可能ではなくなった。怠惰でなくば、命を懸ければ、上を目指す道はある。進まぬのは怠慢だ。向上心がないのなら、相応の扱いをするまで」

 他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。

『相応の扱いとは?』

「頭を一切使う必要のない作業をやらせる。家畜と同じだ。国家を回すための労働力として奉仕させる。死なぬ程度に、生かさず殺さず。考えぬ者、戦わぬ者の末路。そういった弱者は強者に使われるべきだ。それが自然の摂理、それを捻じ曲げられるほど『今』の人間は進んでいない」

『いつかは捻じ曲げられると?』

「そうでなくば人が犠牲と共に進む理由がない。発展の先に全体の幸福がある。それを信じるからこそ俺たちは今を犠牲にするのだろう? お前が命を未来へ繋げたように、俺もまた繋げるさ。いつか、全てが報われることを信じて。礎としての犠牲を強いる。それが王だ。俺がなるべき存在。人を明日へと導く者、だ」

 ニュクスは微笑んだ。もはやウィリアムは彼女が微笑んだことにも気づけないだろうが。

 彼はとても似ていた。血のつながりは欠片もないが、その眼に浮かぶ尽きぬ欲と渇望、それを乗り越えた先の王を背負う瞳は、友であり共犯者であったアルカスと同じもの。語る理想も、王として目指す先も似ている。

 最後としてはあまりにも出来過ぎた『今』が其処にある。

『辛い道のりじゃぞ? 個としての幸福は王に存在せぬ』

「とっくに切り捨てているさ。二度も、な」

『そうであったのお。もう、手遅れ、か』

「ああ、手遅れだ。後悔はあれど迷いはない。あとは進むだけさ」

 きっと『明日』は大丈夫。この男は必ず繋いでくれるはずだ。

『死後の世界、地獄でもあれば会おうぞ。その時はわしの名を教えてやろう』

「そうか、それは楽しみだ」

『最も業高き者こそ王、ゆめゆめ、忘れるでない、ぞ」

 ニュクスが崩壊していく。ウラノスと同じよう幻想的に、どこか悲しげに、それは古い時代の終わりを告げていた。

「さようなら偉大なる王よ。貴女が死の先で名を取り戻すことを願う」

 残されたのは一人の王と――

「我ら住処を失いし闇の住人。我らが技を貴方様に授ける代わりに、我らの居場所となって頂きたい。貴方が闇の王だ。ウィリアム・フォン・リウィウス」

 その手足。闇に生きる暗殺者、盗賊。

「良いだろう。存分に技を振るえ。俺がお前たちを使ってやる」

「ありがたき幸せ」

 闇を支配する者。ウィリアムは光に先んじて闇の王となった。光と闇を合わせて真の王となる。まずは一面、託されたものであるが、存分に活用してやるとウィリアムは考える。今度は借り物ではない。本物の手駒なのだ。

「俺が王だ」

 その王道に迷い無し。その足は目指すべき未来へまた一歩進む。

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