幕間:国生み

 その日からウィリアムは解き放たれたかのように仕事に没頭した。アルフレッドをヒルダに預け、自らはひと時として休まず一心不乱に降り積もった仕事を、その先の新たな部分にまで着手していく。短い時間の中で捌いていた効率そのままに時間をプラス。王宮に住まう魑魅魍魎たちを恐れさせるに十分な働きを見せていた。

「――奴隷たちへの練兵を急がせろ」

「兵として訓練するのは良いのですが、彼らに武器を与えるということは反乱の火種を与えることと同義。その辺りは如何いたしましょう?」

「対策はすでに講じてある。今は命令通りに動けば良い。それ以上は求めていない」

 その会話から一週間もしない内に、奴隷の一部が武装蜂起しとある集落を占領した。貴族会では「それ見たことか」などと言う者もいたが、その後の顛末を知り口を閉ざす。

 テイラーズチルドレンと呼ばれる俊英たち。彼らは同じ学び舎を卒業していた。彼らの学校の卒業生の中にラファエル、ベアトリクスなどもいるが、正確にはこの二人はテイラーズチルドレンに該当しない。彼らはみなしご、ウィリアムらが外部から集めてきた埋もれていた人材なのだ。

 クロードを除き、皆テイラー姓を名乗っている。ゆえにテイラーズチルドレン。彼らのルーツは公表されていないが、基本的に他国の奴隷身分が多い。奴隷として身請け、ある国で市民権を買い、身分をロンダリングする。多少手間だが、優秀な人材を得るためには必要経費である。普通の身分で抜きん出た者は幼少からマークされているが、奴隷身分まで評価の目は行き届いていない。

 人材の金脈は其処にあり、多くをそこで発掘、育成した。

 ウィリアムは彼らを用いて反乱を鎮圧させた。その手際と人間味のなさは親譲りで、鎮圧したのち生き延びた奴隷たちを思いつく限りの残虐な方法ですべて処刑した。その光景は周囲の市民にも見えるよう公開処刑、ショーとして行われた。

 噂はアルカディア中を飛び回り、奴隷たちは自らが持つ武器と立場の力関係を改めて知る。心に邪念が芽生えていた者も、一連の流れを知り戦意の欠片もなくなっていた。

 少しタイミングが良過ぎた事件であったが、奴隷たちにくぎを刺せたことでうやむやになった。何故、武装蜂起したのか、その理由が本人たちから語られることない。死人に口なし。白騎士の『手足』もまた語らない。

 商売も同じである。金貸し業でもテイラーが暗躍し、返済が滞っていた貴族、下級とはいえ支配者層から契約書通り資産を差し押さえ、妻や娘たちも売り払い、家の主は首を吊って自殺した。否、させた。テイラーはここまでやる。特に、幼少から育成された連中は怖い。恐怖で相手を追い込み、その余波で他の動きをけん制する。

 結果、全体としての金回りは非常に良くなっていった。

 貴族から差し押さえられたのはウィリアムが軍部を押さえているから。結局のところ世の中は力の強いものが勝つ。武力、知力、財力、権力、多種多様なそれらの中でもっとも原始的かつ、最後の一線で一番効果を発揮する武力がウィリアムの手中にある。だから負けない。負けようがない。

「ウィリアム君、久しいな。私を覚えているかね」

「ご無沙汰しておりますディーター伯爵。私が貴方様を忘れるわけがないでしょうに」

 会食に赴けば人だかりが生まれる。ほんの少しでもお近づきになろうと欲にまみれた貴族たちが押し寄せてくるのだ。今、このアルカディアで王族に次ぐ『力』を持つ男に。勝ち馬に乗る。彼らはそういうところに敏感であった。

 ウィリアムもまた彼らとの交流を深めた。これから先、大した役にならずとも味方が多くて損はない。王道には有象無象とて利用せねば届かぬ場所がある。塵も積もれば山となる。彼らは塵で、ウィリアムは山を足蹴に天へと手を伸ばす男なれば――


     ○


 エレオノーラは久方ぶりに兄であるエアハルトと会食を行っていた。最上級の料理に舌鼓を打つ二人であったが、その間にある空気は決して軽いモノではない。

「……言ったとおりになっただろう?」

 エアハルトの表情からその言葉が何を指しているのか、考える必要もないほど明確に伝わってきた。白騎士、ウィリアムの妻であるルトガルドが闘病の末亡くなった、その件であろうことはエレオノーラにも理解出来た。

「ご病気でお亡くなりになったのです。邪推は品位を下げますよ」

「邪推、ね。ふふ、お前は本当に、どこまで行ってもあの頃のままだね」

 エレオノーラは怪訝な顔をする。

「踏み込む勇気がない。言い訳ばかりで、結局何一つ掴めぬまま手遅れになる」

「随分な物言いですね。如何にお兄様とはいえ限度がありましょう」

「私は妹思いだよ。だからこそいつだって忠告してきた。だが、今回の件でわかったよ。お前は勝負の土台にすら立てない。動けば勝てる立場と力を持ちながら、それに甘えて受け身であり続ける。人はお前の外面に輝きを見るが、肝心の彼は、外面よりも内面の輝きを見る。お前はあの日見たベルンバッハの娘よりも、テイラーの妹君よりも、ただただ劣る。ゆえに、彼はお前を選ばない」

「……不愉快です」

「また予言してあげよう。妻が、『たまたま』亡くなりフリーになったウィリアムが誰を選ぶか。狙いが王位だと仮定したなら選択肢は二つ。お前と、クラウディアだ」

「お姉さまは嫁いでおります。選択肢には入らないはずです」

「いいや、入る。私はウィリアムが妻を殺したと思っている。ならば、あの女も同じことをせぬなどとどうして言える? 面白ければ喜んでするぞ、あの毒婦なら。レオデガー殿を殺し、白騎士と第一王女が手を組み、王位を目指す。そしてお前は、また蚊帳の外」

「ありえません」

「ならばじっとしているがいい。すべてが手遅れになった後、また会おうじゃないか。その時お前がどんな貌をしているのか、なかなか興味深い」

「今のあの人に声をかけるなど下衆のやることです!」

「勝ち筋がそれしかないならやるべきだ。私ならやる。ウィリアムもやる。クラウディアも、フェリクスだってやるさ。お前だけだよ、泥をかぶる勇気もないのは」

「っ!?」

 太陽の姫君、エレオノーラ・フォン・アルカディア。富も地位も美貌も最高の物を持ち合わせておりながら、最後の一線を踏み越える勇気がなかった。

 だから彼女の姿は――彼の眼に映らない。


     ○


 ウィリアムは目の前に差し出された足に口づけをする。男であれば屈辱的な行為。上からそれを見下ろす存在はにやりとどす黒い笑みを浮かべていた。

「舐めよ」

 ここ、アルトヴァイス城に住まう毒婦は頭を下げている男、ウィリアムにさらなる要求を突き付けた。屈辱の上塗り、それでもウィリアムは一切の躊躇なく、揺らぎ一つ見せずその美しい足を舐め始めた。

「……気に食わんな、その眼」

 屈辱の光景。されどウィリアムの眼に屈服の色はない。ただ淡々と求められたから舐めるだけ。言ってしまえば作業である。

 アルトヴァイス城の主として君臨し、妖艶なる美貌の悪魔である己が足に口づけをし、舐め、心が揺らがぬ男がいるであろうか。彼女は今までそんな男を見たことがなかった。流し目一つで男は堕とせる。堕としてきた。

「媚びろと言われたなら媚びますが」

 しかし、この男は堕ちない。揺らぐことすらない。

「要らぬ。作り物の媚びに何の意味がある。妾は貴様が堕ちる様を見たいのだ」

「ならば私と共に歩んで頂きたい。そうすれば、嫌でも見れましょう」

「……何故か?」

「私にとって王は、誰よりも堕ちた者だから、です」

 毒婦はその言葉に、その眼に背筋がゾクゾクと、胸がドキドキと弾む。王に手を伸ばす二人の兄、王座に縛られ誰よりも不自由な父を嗤ってきた彼女にとって、堕ちると知りながらそこを目指す愚者はとても興味深い存在であった。

「私と共に国盗りを、クラウディア様」

 クラウディア・フォン・アルトハウザーは今の生活に飽きていた。何不自由ない実り豊かな大地。豊穣の土地を任されているアルトハウザー。それを裏で操り遊ぶのにも限界があったのだ。より面白い方へ。クラウディアの選択はとうに固まっていた。

「最後に笑うのは妾ぞ」

「ならば笑わせぬよう、全力を尽くします」

 嗤い合う二人。雷雲渦巻く雲海の下、怪物二人が手を組んだ。


     ○


 アルトヴァイス城での一件、秘密裏の会談があったにもかかわらず、王宮の盤面は平穏のまま時が流れた。幾度かの小競り合いはあったが、今のアルカディアとことを構えようなど何処も考えるはずもなく、激化するネーデルクス対エスタードと比較して穏やかな情勢となっていた。

 だからこそ文官は忙しく方々を駆けずり回り、膨らんだ国土、人口に見合う器を作り上げていく。こういうものは最初が肝心で、ここで間違えると取り返すのに何年もかかってしまう。頭をひねり、知恵を集め、何よりも素早く、国を再誕させる作業。

 今、アルカディアでは国生みが行われていた。それを先導するは一人の男。奴隷に生まれ、泥にまみれながらも天を目指した男。その指先は間違いなく頂点に引っ掛かっている。あと少し、あと少しで、空虚なる王座がその手に。

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