愚者の鎮魂歌:花、散る※改稿済

 ウィリアムやその周囲にとって長い冬が始まった。急激に広がった領土と人口、それを治めるための人材育成と制度作りに奔走する毎日。仕事は毎日降り積もっていくばかり。本来、気が休まるはずの冬がこれほど忙しいのはアルカディアの歴史でも類を見ないことであった。それでもウィリアムはそれら全てを捌いた上で、妻の看病にも時間を割いていた。ウィリアムは濃密な日々を全力で駆け抜ける。

 ルトガルドもまた衰弱し病を重ねるも不屈の生命力で生き延びていた。毒の効果から鑑みてもすでに致死量は越えている。生きていることそれ自体が奇跡。少しでも長く生きて共にある時間を引き延ばす。それが彼女の最後の抵抗であった。

 時は流れる。何度も山を越え、何度も死地を越え、季節が巡る。


     ○


「だいぶ暖かくなったな。何かいるものはあるか?」

「大丈夫ですよアインハルト兄さま。お気になさらずに」

 雪が解け、陽光降り注ぐテイラーの屋敷。兄と妹、すでに間にいるはずの次兄は亡く、この屋敷も随分小さくなったように感じる。雪が解け、花が咲き、希望溢れる春の日差しに胸が躍る。そんなアルカスの中でひっそりと兄妹は中庭を眺める。

 そこではいつもの如くウィリアムが剣を振るっていた。屋敷に彼が訪れた日からずっと続いている習慣。以前のように時間きっちり、早朝と深夜というわけにもいかないが、空き時間を見つけては稽古に読書に己を磨いている。

 アルカディア王国軍大将位、これだけの地位を得てなお上を目指さんとその眼はぎらついていた。当時と違う点を挙げれば、眼に宿る光の重みであろうか。

 その様子を真剣な眼で眺めているのは――

「随分熱心に見ているな」

「アルフレッドは強くなりたいそうですよ。私も守ってくれるそうです」

「……そうか。立派なものだ」

 アルフレッド・フォン・リウィウス。この屋敷の主であるウィリアムとルトガルドの一人息子。少年は辛く苦しい冬を越えて一回り成長していた。

「おや、来客のようだな。ヒルダにイーリス、あとはいつものうるさいのも来たな」

「あの子のおかげで随分助かりました。マリアンネはとても良い子ですよ」

「わかっている。ん? まだ来るのか。あの身体が大きいのは――」

「トゥンダー伯爵ですね。シュルヴィアさんも一緒」

「……あの女人ハルベルトを振り回してウィリアムのところに突っ込んでいったぞ」

「まあまあ、相変わらずお元気ですね。あら、他にもたくさん」

「新しい季節だ。腐っても大将、挨拶に来る者も多いな」

「人の旦那様を腐ってもなどと……怒りますよ?」

「……少し軽口を叩いただけだろうに。それにしてもたくさん来たものだ。この屋敷の中庭じゃ収まりきらんぞ。これほど屋敷がにぎわいを見せたのはいつぶりだったか」

「独りぼっちから今日まで、どんな関係であってもこれだけの人が周りに集まった。あの人はそれだけの力を手に入れました。それがとても誇らしい」

 ルトガルドは目を細める。突き抜けるような蒼空、その下でもがく『最愛』はきっとこれから先ももがき苦しむだろう。死するその時まで。とても優しく、真面目で、綺麗な心を持った少年はその性分故苦しみ続ける。

 だからこそ誰よりも強く、どこまでも征けるのだ。

 少女は薄れゆく景色の中、彼も知らぬ再会を思い出す。あれはまだ――


     ○


 私の人生はあの日から一変した。胸に宿る熱情に従い生きるようになった。ダンスや楽器などの御稽古を完全に切り捨て、裁縫という趣味に没頭する。それによって貴族の令嬢としての価値を下げ、政略結婚が出来ない出来損ないとされ、家を放逐される。

 そうなれば大手を振って会いに行ける、私はそう考えた。

 家から出た場合、手に職をつける必要がある。今の自分に何ができるか、そう考えた時、王都でも有名であった母の仕事を思いついた。デザイナーなどと気取ったものでなくとも、機能性の高い衣類や修復術など覚えれば食えなくはない。周囲からは逃避と見られた裁縫もこういった目的があったのだと自分に言い聞かせる。

 誰も助けてくれない。それでも自分は外の世界を知った。あの人に出会った。もう一度会いたい。一緒に暮らしたい。ならばやることは決まっている。

 今、子供として扱われ保護されている、余裕のある今こそ積み上げる時。

 私は努力した。こんな私でもずっと変わらず友達でいてくれたヒルダの協力もあって、私、ルトガルドの名は少しずつ社交界に広まりつつあった。家から出る準備は出来た。あとはどのタイミングで家を出るか――

「ルトガルド、話がある」

 驚いたのはお父様が全てを見通していたこと。自分の行動とその変化が起きた日の出来事(アルのことは教えていないが)から逆算して、かなり正解に近いところまで辿り着いていた。その上でお父様は家から出る必要はないと言ってくれた。

 自分に貴族の令嬢としての役割はもう期待していない。行きたい道があるなら思う方を選択すればいい。ただ、どの道に進んでも自分はテイラー家の血を継いでいて、その血がある限りこの屋敷にいるのもまた自由。そう言ってお父様は笑っていた。もちろん、私がテイラーの商会員として一定の役割を持てているからこその言葉。テイラーに一切寄与出来ぬ家族にあの人は優しくない。

 どんな理由にせよ、私を遮るものは全て無くなった。

 だから、私はある日、裁縫のお仕事で稼いだお金を用いて『彼』の調査を行った。テイラーに所縁がなく、それなりにかかるが秘密保持に定評のある人材を使って。

 そして知った。少年の悲劇と今の居場所を。貴族でも一部で有名なベルンバッハ、その怪物に壊された玩具こそ彼の姉で、彼が誰よりも愛していたたった一人の肉親。

 私はいても立ってもいられず、屋敷を飛び出した。目指すは彼が世話になっている本屋である。夫婦が営むその本屋は規模こそ大型の商会に劣るが、店主の丁寧な翻訳と厳選された世界各国の本を取り揃えるそこは、隠れた名店として知られていた。

 その本屋について、私はすぐに店内へ入ることは出来なかった。何度も様子を伺い、行ったり来たりして、呼吸と心を落ち着ける。

「奪われたら許しましょう」

 店の裏手側から聞こえる声。私はびくりと慄いた。まるで地の底から響く怨嗟、どす黒い感情を濃縮した低い声の持ち主を私は知らなかった。

「盗まれたら許しましょう」

 私は何となく気になって物陰から様子を窺った。灰色がかった白い髪とぐにゃりと歪んだ姿勢。そしてその眼は私の知る何ものよりもおぞましい色を宿していた。

「殺されたら許しましょう」

 許す、おそらく今の男からは何物よりも遠い言葉。

「許しは何物よりも尊く」

 その眼は絶対に許さないと絶叫している。

「乞うて天を仰ぎ見れば」

 彼は狭い空間で隠れるように本を読んでいた。この時代の識字率は低い。王都アルカスでさえ市民の半分も読み書きは出来ないだろう。奴隷であればほぼ読めないと言ってもいい。そんな中、彼の読むことが出来、その速度は尋常ではなかった。

「神は許しと慈悲を与えてくれるでしょう」

 まるで親の仇を見るかのような眼で字を、文を追う。

「だから許しましょう」

 私はふと、恐ろしい考えがよぎった。

「許しましょう」

 この憎しみに囚われた獣が、

「許しましょう」

 あの優しく真面目で、誰よりも綺麗な眼をした少年なのではないかと、

「わたしの小さな宝物」

 アルなのではないかと、思ってしまった。

「あなたを産んだ美しい世界を」

 姉を奪われ、凌辱され、失った。もし、彼がヴラドの悪癖を知り、その証拠を見てしまったのならば、もしかするとあの宝石を突き返してきた少年でも、

「愛して頂戴」

 このような怪物に変貌してしまうのではないか。そう、思ってしまった。

「……ねえさん」

 私は今どんな顔をしているだろう。泣いているのだろうか、悲しんでいるのだろうか、笑ってはいないはず。いくら運命が、世界が残酷であっても、笑うには少しばかり悲劇が過ぎる。

「ごめんね。僕は、俺は、ねえさんのいない世界全てが許せない」

 彼はアルで、彼の眼に私は映らない。

「復讐してやる。そのために力をつけるんだ。誰よりも強くなって。全部奪ってやる」

 憎しみが彼を支配していた。其処に割って入る言葉を私は持たない。それが悲しく、やるせなく、自分の思い描く未来はこないのだと確信出来てしまった。

「殺してやる。殺してやる」

 歪なリズムに乗せられた歌と同じように、小さな声でぶつぶつと怨嗟をつぶやく少年。私に何ができるというのだろうか。少し裁縫が出来るくらいでは、彼の憎しみに何の役も立たないではないか。

「アル! また裏で商品読んでるのか!」

「……すいません」

「すいませんじゃないよまったく。丁寧に扱って読み終わったら棚に片しとけよ。昼休憩ももうすぐで終わりだからな」

「わかりました。ありがとうございますノルマンさん」

 そう言ってまた読書に戻るアル。その姿を見て私は胸が締め付けられる思いであった。先程聞こえてきた声、そこに含まれる優しさ、思いやりが彼の心に全く響いていないのだ。むしろ拒絶しているかのようにも見受けられた。

 誰も立ち入らせず、憎しみを糧に生きていく。

 そんなアルと共に生きる方法。私は自分が賢いつもりであったが、その瞬間何も思いつかなかった。その事実にも絶望し、そこからどうやって帰ったのかよく覚えていない。

 ひとしきり泣いて、考えて、何も出てこなくて――

 しばらく誰とも会わず無気力な日々が続いていた。習慣となった裁縫以外本当に何もせず、ただ堂々巡りの思考だけがぐるぐると回っていた。

 そして再び再会する。偶然、兄と共に現れた青年。遠き日の少年の面影はほとんど残っていないが、その眼は再会した時のままどす黒く濁っていた。眼を見るまでは確信を持てなかった。こんな偶然あるわけがない、と。

 そもそも異人として青年が現れたのだから訝しむのも無理はない、はず。

 そこからは重なったり、離れたり、今更語ることのないお話。

 すべてを知って、それでも心はあの日を求めた。あの日、あの時の出会いを求めた。一緒に堕ちてでも共にいたいと思ってしまった。だから私はこんな終わりでも満足しているし、共にいられた時間を考えると贅沢をしたとさえ思う。

 賢しく打算的、されど愚かであれた自分を少しだけ、好きになれた。

 だからもう十分。これ以上は彼の見出した王道、贖罪の道の邪魔になってしまう。

 自分のエゴは押し通した。あとはまた待つ日々に戻ろう。

「待つのは、得意なんです」

 もう一度出会えるその日まで――


     ○


 祭りのような騒ぎになった屋敷の中庭。知人同士がわいわい会話に花を咲かせる中、ウィリアムはその輪から外れて噴水に腰掛けた。稽古終わり、いつも此処で身体を休めていると何処からともなく彼女が現れて――

「ん?」

 一陣の風が吹いた。風に乗ってひとひらの花びらがウィリアムの手の甲に落ちる。ささやかなぬくもり。最後の――ひとかけら。

「ああ、そうか」

 アインハルトの慟哭。それを聞いて場の雰囲気が一変した。

「楽しかったよルトガルド。また、いつか二人で遊ぼうか」

 ウィリアムだけは突然の事態を受け止めることが出来た。実行犯であり、共犯者であり、夫婦だから。

 花咲く季節に、ひっそりと一輪の花が散った。地味で目立たない、しかし穏やかで優しく、何よりも命溢れし強き花が――散った。

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