愚者の鎮魂歌:忙しき仕事場、円満なる家庭
ウィリアムはあの日以降精力的に仕事をこなしていた。誰もが目を見張る速度と量、効率的に最善を導いていく。カール亡き後の穴を 埋める獅子奮迅の働き。もちろん現場で民と接していたカールとでは仕事のスケールが違うが、マクロ的な部分では凌駕していると言ってもよかった。
シュピルチェまでの旧ネーデルクス領を誰が治めるか。これは中途であった旧オストベルグ領の割譲と合わせて裁定する文官としての仕事もこなす。貴族不足の現状、騎士ないし男爵の地位を与え、無理にでも管理者を増やさねば拡大したアルカディア領は到底回せるものではなかった。
貴族を作り出す作業は、昔であれば神のごとし事業であっただろう。その地位に今の自分がいること、自分の一存とはいかないが、ある程度己の意見が反映させられることにウィリアムは暗い喜びを覚える。
「じ、自分がシュピルチェを治める貴族、ですか?」
驚き戸惑うケヴィン。呼びつけたウィリアムは頷いた。
「実戦経験があり商いのイロハもわかっている。部隊長としても経験を積んだ。今のお前はアルカディアに足りぬ頭たる資格を十分に備えている。出来るか出来ないかは問わない。やれ」
有無を言わさぬ命令にケヴィンは「御意」と頭を下げた。自信はなくとも命令であれば従うより他に道はない。何よりも敬愛するウィリアムに適格者と言われて引く道はなかった。
「学校を卒業した人材で何人か欲しいのがいます」
「軍でも商でも好きなやつを言え。ある程度は融通してやる」
「まず第一に、クロードは無理でしょうか」
ウィリアムは難しそうな顔をした。
「クロード、か。難しいな。この前会いに行ったが、本人からネーデルクスへ槍を学びに行きたいと言われた。この前の戦のドサクサでエスタードが独立を唱え、ネーデルクスの傘下から完全に離脱した。今後、重要となるのはその部分、半属国と化したネーデルクスとエスタードの境界線だ。熾烈な争いになるだろう。だからこそあいつは希望通りそこで成長してもらいたいと思っている」
ケヴィンは食い下がることなく頷いた。欲しい人材というのは被るものである。最も欲しい人材が手に入るとはケヴィンも思っていない。しかし、意思は表明しておかねばいつか拾う機会も逸してしまう。
「であれば――」
ここからが本命、ケヴィンの人生にとって大きな岐路である以上、敬愛する白騎士とて臆するわけにはいかない。それなりの人材は引き出して見せる、やるからには勝つのが彼らの流儀である。
○
クロードが目を覚ますとそこにはむさくるしい男の顔が二つ。いずれも知っている人物であった。優秀な学校の先輩で、ケヴィンといつもつるんでいる二人である。
「……かわいい女の子がよかったっす」
「悪かったなかっこいい男で」
「冗談は顔だけにしてくださいよ」
「この怪我だ。突然ぽっくりいってもおかしくないな」
「はいはい二人ともストップ」
むさくるしさの極みとも言える男を止めたのは、ほんのりとむさくるしいさわやかな青年であった。クロードとしては少し苦手な先輩である。少々、腹黒いのだ。根っこが。
「ケヴィンから聞いたよ。ネーデルクスに行くんだって?」
「まあ、そっすね。たぶん、一番成長できると思ったんで」
成長、それを聞いて苦笑する二人。
「白薔薇は強かったか?」
きっと、その思いを植え付けたのは対峙した怪物で――
「強いし、厚いんすよ。ベアトリクスやラファエルにあって俺にない、厚みがあった。それもこの国じゃ感じたこともないほど……腹貫かれて、でも首は取られなかった。見下ろしてた眼が、もっと強くなれって、言ってた気がして」
山は越えたとはいえ大怪我。発熱もあり予断を許さぬ状況では長い問答は難しい。クロードの目がうつろになっていく。
「他人の俺らが言うのもなんだが。そういう感性は大事にしろ。お前は俺たちとは違う。もっと伸びるし、伸びねばならない人材だ。留守は任せておけ。頼りない先輩だが、留守番くらい務め上げてやる」
すでに意識が混濁しているのだろう。反応は薄い。しかし、かすかにほほ笑んだのを二人は見逃さなかった。
クロードの決心を肯定してくれた人間は少ない。彼を心配する者は当然として、彼を戦力として数えている者にとってもマイナスであろう。クロードの考えている自分より、彼は評価されつつあったのだ。
「思っていたことと逆のことを言ってしまった」
「そもそもがダメ元だったけどね。でも、いい顔してたよ、後輩君は」
二人とも実績を積み筆頭百人隊長となっていた。以前までのアルカディアと違い、百人隊長であっても任される範囲は広くなっている。どこも優秀な人材の囲い込みに躍起になっている現状で、クロードという人材は圧倒的にお買い得なのだ。実力不相応な階級、地位、この駒を擁して成り上がってやろうとする者は少なくない。二人はそれらの魔の手にクロードが引っ掛かるくらいなら自分たちの部下として大事に育てようと思っていた。これはケ ヴィンも同じである。ただ、本人にこれだけ明確なビジョンがあるなら囲う必要はない。
眠りに落ちたクロードを見て二人は微笑んだ。あのやんちゃな子供が今まさに飛翔しようとしている。今はまだ手の届くところにいるが、いずれ自分たちの手の届かぬところにまで飛んでいくだろう。その日は、そう遠くない。
「まあ、ネーデルクスは、これからのアルカディアにいるより良い環境かもしれないね」
「武人にとってはそうだろうな」
「しばらく、アルカディアから戦争はなくなるだろう。今までは外側だったけど、これからは内側をどう治めるかって戦いが始まるわけだ」
「内乱を治める仕事はあるがな」
「逆に言えば戦う機会なんてそれくらいのもの。あとは精々アークランドとの小競り合いってところでしょ」
「実際、俺たちも対アークランド向けに配置されるしな」
「ああ、戦争がなくなるわけじゃないが、間違いなく縮小はする。それならいっそのこと他国へ、ってのも悪くはないさ」
「そうだな。少し、寂しくなるが」
「一番騒がしいのがいなくなるからね。仕方ないさ」
今のアルカディアに対抗できる国はガリアスくらいのもの。そのガリアスも先の戦での傷を癒している最中であり、建前であったとしても不可侵条約を結んだ以上、絶対勝てると踏まねば戦を仕掛けてくることもないだろう。
他国は論外である。オストベルグとシュピルチェまでの領土と人を手に入れたアルカディアに比肩する国家はガリアスのみ。であれば局所的な勝利は掴めたとしても大局的にアルカディアに勝てる国は皆無ということになる。
ただ、この国力、戦力は不安定であり、アルカディアとしても膨らんだキャパシティを持て余しているのが現状。まずはこれを落ち着かせ、地に足をつけることが今の『第一』なのだ。
だからこそ今一番忙しいのは政治屋であり、アルカスに巣食う政の怪物たちである。彼らは利権を貪ろうと跳梁跋扈し始めていた。その制御のためにウィリアムはできる限り多く、自分の駒を要職に、要所に配置し影響力を増そうという考えを持っていた。
○
今、おそらくアルカディアで一番忙しい男は、猛烈な勢いで業務をこなしていた。とてつもない速さと正確さ、重要な決断であってもほぼノータイムで正着を見出し、それを遂行する、ないし、させる。
「ウィリアム様、今日だけで何人分働いてるんだ?」
「案件の処理速度が色々とおかしい」
人の配置、統治するのに何が必要か、不必要か。与えられた情報と自らのネットワークを駆使して決断していく。
誰が見ても異常な仕事量。それを悠然とこなし――
「先に失礼するよ」
誰よりも早く帰宅する。仕事はあれど日中あれだけ仕事をこなせば呼び止める者もいない。文官たちにとって白騎士はすでに戦場の怪物から内務における鉄人へと認識が変化していたのだ。
「お疲れ様です」
誰よりも仕事をこなし、誰よりも早く帰る。その目的は――
「今日もシチューだ。ばあや監修だが俺の作、うまいだろう?」
「ええ、とても」
「ちちうえー、これ味付いてないよお」
「塩は貴重なのだ。贅沢を言う悪い子はどこにいるかな?」
視線を逸らすアルフレッドを見てウィリアムとルトガルドは笑った。
ウィリアムは銀の匙にてシチューをすくい、ルトガルドの口元へ持っていく。
「はいあーん」
「ふふ、あーん」
夫婦仲睦まじい光景。アルフレッドが頬を膨らます。
「ちちうえ! ぼくにもして」
「悪い子には出来んな」
「ぼくいい子だよ」
「そのふてぶてしい面構えはどこかで見たことあるぞ。やはりあいつは有害な存在だったらしい。今後はマリアンネとも付き合い方を考えていこう」
笑いの絶えない食卓。誰もかれもが幸せそうに食事をとる。終始和やかに食事は進んでいた。まるで幸福な日常を切り取ったかのような風景。
だが、その皿に揺らめくシチューの中身を知れば皆認識を改めるだろう。ルトガルドのものだけに混入されている毒物。それをわかっていて食らうルトガルドと、それを入れて食べさせているウィリアム。どちらも笑顔。
それが恐ろしい。
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