愚者の鎮魂歌:共犯者

「疲れがたまっていたのでしょう。ゆっくりと養生されてください」

 突如倒れたルトガルドを、近くにいたグレゴールが馬でテイラーの屋敷まで運び、ギルベルトが腕のいい医者を屋敷まで連れてきた。ウィリアムがその報せを聞いた時にはすべての算段が整った後であった。

 エレオノーラや国家の重鎮たちと談笑している場であったが、ウィリアムは報せを聞いた瞬間、驚愕しすぐさまその場を去った。急ぎ屋敷に向かい、そして――

「いえ、お騒がせをしました。またよろしくお願い致します」

 今に至る。

 ベッドの上で困り顔で微笑むルトガルド。その隣で眠るアルフレッド。周りにはウィリアムも良く知る面々が集っていた。此処に当人と医者を運んだギルベルトとグレゴール、着替えの手伝いなどはシュルヴィアとヒルダが、他にもアインハルトやメアリー、マリアンネ、ベアトリクスも居並ぶ。

「皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 ぺこりと頭を下げるルトガルドに重ねてウィリアムも頭を下げた。

「構わんさ。環境が変わって、心労が重なって、まあ色々あった。俺達でさえ堪えたんだ。妹である君ならなおさらだろう。ゆっくり養生してくれ」

 グレゴールは慌ててフォローをした。少し顔を赤らめているのは昔言っていた『冗談』の名残であろうか。ルトガルドは微笑みながら「ありがとうございます」と軽く頭を下げる。「ど、どうも」と頭を下げ返すグレゴールに戦場での鬼のような表情はない。

「気を使わせても仕方がない。行くぞ木偶の坊」

 恐縮するグレゴールを力任せに引きずっていくシュルヴィア。北方の暴れん坊も七年の時を経て空気を読む術を身に着けたようである。ちなみに双方とも独身のままであった。仲は良いが恋仲ではなく、稽古の様子はさながら殺し合いの様相だという噂も。

「俺達も帰るぞベアトリクス。何かあったら言え。出来ることはしてやる」

「は、はい兄上」

 ギルベルトとベアトリクスもこの場を去る。ぶっきらぼうであるが、その言葉の裏にある優しさに気づかぬ者はこの場にはいなかった。

「色々手続きもあるが、それは後日だな。落ち着くまでは諸々保留にしておこう」

 家の相続、領地の運営、すでに一介の貴族ではなくなっていたテイラー。その継承には、継承する者も含め様々な話し合いが必要になるだろう。特にカールは対ネーデルクスの要衝であるブラウスタット周辺を治める貴族であった。その継承に障害がないはずもなし。

「お前はしっかり休め。母上も体が弱かった。無理は禁物だ」

 アインハルトにとっては最後に残った血を分けた存在。元々口には出さないが家族思いの男である。今回の件は、アインハルトにとっても相当堪えたはずである。実の妻と娘も心配そうに父の方を見つめていた。

 医者が去り、みんな少しずつはけていく。今日という日にこれ以上悲しみが広がらなかった安堵を胸に。最後まで残ったのはヒルダとイーリス。彼女もこれから忙しくなるだろうに、それでも心配して最後まで残っていた。

「別室を用意させた。三人で寝れる大きいベッドだ。アルフレッドも任せたい。泊まっていってはくれないだろうか?」

「……気を使っているつもり? そんなんであたしがあんたに気を許すとでも?」

「そんなつもりはない。ただ、君ならアルフレッドもなついているし任せられる。少し二人で話しておきたくてな。面倒をかけるよ」

「そ、何でもいいけどルトを泣かせたら殺すわよ。はい行くわよーアルちゃーん」

「……相変わらず嫌われているな。まあ、仕方がない、か」

 ウィリアムはルトガルドを見つめた。以前見た時よりも明らかに憔悴しており、弱っているようにも見えた。儚く、今にも散りそうな雰囲気で――

「心配をかけたな。カールを、君の兄を救えなかった。許せ」

「いえ、カールお兄様の天命だったのでしょう。貴方が思い煩う必要はありません」

「そうか。そう思うとしよう」

 二人の間に沈黙の帳が下りた。他の者であれば気まずく感じる沈黙も、彼女との間であれば心地よく感じる。静謐な空気がたまらなく愛おしい。普段なら本の一つでも読み始め、彼女もまた裁縫を始めるのだが、

「本当に顔色が悪いな。明日、もう少し詳しく診てもらうか」

 ウィリアムはルトガルドの至近距離で瞳の奥を見つめた。突然、ウィリアムが近づいたために驚いたルトガルドであったが、あくまで自然体で軽く頬を染めて微笑む。

「わかりました。ばあやに連れて行ってもらいます」

「……そうか」

 その眼に揺らぎはない。ウィリアムはルトガルドの額に軽く口づける。顔を近づけた意味はそれであったと言わんばかりに。

「貴方もしばらくは忙しくなるでしょう?」

「そうだな。落ち着いたら、また三人で出かけようか」

「ええ、あの子も喜びます」

 ルトガルドの微笑み。心底嬉しそうで、楽しみに見えて――

「今日は一緒に寝るか」

「ふふ、珍しい。今日は疲れたので寄りかかってもいいですか?」

「特別にな。腕枕もサービスしてやる」

「あら、お得ですね」

 ウィリアムとルトガルド、いつものやり取り、いつもの笑顔、いつもの――


     ○


「ニュクス」

 闇の王国、ニュクスの前にウィリアムは現れた。朝一番、出かけてこちらへ直行してきたのだろう。昨日の今日、ニュクスは愉快なものを見る目でウィリアムを見つめていた。

「遅効性の毒薬……俺が確保していた分以外で、売れたか?」

『数種の自然毒を混合させたやつじゃろ? 売れた。確かに売れよったわ』

「客の名は?」

『わしは客の個人情報は守る性質でのお。明かせぬわ』

 普段なら要らぬことでもべらべら話してくる相手が、今回に限って口を割らない。ウィリアムの頭に多少の苛立ちが蠢く。ぐつぐつと、何かが沸き立つ。

『目星はついておるのじゃろうが。最初から、のお』

 けらけらと嗤うニュクス。ウィリアムは――

「嗤うなッ!」

 無駄と知りつつニュクスを斬りつけた。圧倒的速度と威力を兼ね備えた居合い斬。霞を斬ったかのような手ごたえ。ニュクスは嗤い続けている。

「すべてが貴様の望む通りとは限らんぞ。いつか、貴様の思惑すら超えてやる。旧時代の遺物め」

 ウィリアムは斬った後、用はないとばかりに一瞥もせずニュクスの御前から去っていった。ニュクスは嗤う。嗤うしかない。これはまさに――喜劇なのだから。


     ○


「あら、早かったのですね」

 アルカスに戻ってからウィリアムの帰宅時間は伸びる一方であった。しかも今はもう一人の大将を失い、人材もないのに領土は一気に広がったという歪な状況。そんな中、ウィリアムが夕餉の時間に間に合うよう帰ってくるとは誰も予想していなかった。

「アルフレッドは?」

「部屋でばあやと一緒に食べていますよ」

「なるほどな。ふむ、しかしいい匂いだ。俺にも一口分けてくれ」

 ここに来てようやく、ルトガルドの瞳が揺らいだ。

「それは……病が移るといけませんので」

「気にするな。お前から移った病なら甘んじて受けよう」

「大事な時期ですよ」

「腹が減っては戦が出来んさ」

 ウィリアムはベッドに近寄っていく。近寄るごとにルトガルドの瞳が泳ぐ。

「さあ、一口――」

 ウィリアムが手を伸ばす。ルトガルドは顔を歪めて――

 シチューごと皿を床に投げつけた。砕け散る皿。それをウィリアムは冷たく見下ろす。


     ○


 ウィリアムの冷たい視線に目を背けるルトガルド。零度の害意が己に向けられている。そのことが辛い。

「いつ気づきましたか?」

「確たる証拠は何も。ただ、お前の振る舞いに少し疑問を持った。タイミングも出来過ぎだ。カールのこと抜きに、俺はお前を殺そうとしていた。お前は当然それを理解している。そこでお前が倒れた。感じるところはあるだろう」

「証拠はありますか?」

「お前ほどの女が随分間抜けなことを言うな。足元にこぼれたシチュー以上の証拠があるか? 毒のあるなしは犬、猫にでもなめさせればわかること。それに、 お前がどのルートで毒を購入したのかも掴めている。テイラー商会を避ければバレないと思ったのだろうが……甘かったな。この国にある毒はすべて俺の手の 内。俺の知らぬ毒はこの国にない」

「さすが、ですね」

 ルトガルドは困ったような顔をして微笑んだ。ほんの少しの機微で自分の異常を察知し、すべてを丸裸にした。その力が誇らしい。そして気づいてくれたことに喜んでいる自分もいる。

「何故だ? 理由はわかる。わかるが、わからない」

「兄が死に、これ以上貴方の負担になりたくないと思いました。同じ死ぬでも、私自身の手で死ねば負担は軽くなる。そう思いました」

「それはわかっている。だが、それならお前が死ぬ必要はないだろう。だからわからないと言っている。傷つけたくなければ俺の元から去ればいいだけの話だ。当然追うが、不在時を見計らえばいくらでも逃げて、姿を隠せる隙はある」

 ウィリアムはルトガルドを高く評価していた。彼女の才覚はウィリアムの所持する人材の中でかなり貴重なものであるだろう。頭脳明晰、物事の本質を掴み、 相手の思考を読むスキルに長けている。何よりも己を絶対に裏切らないという確信。そこが強い。確固たる理由はなくとも、そこへの信頼は誰よりも固くあったのだ。だが、それが今崩れかけている。

「その手段を取った理由を教えろ。お前の選択はあまりに中途半端だ」

 どんな回答であってもウィリアムの中で認められる解はないだろう。愛があったとはいえこの関係は契約あってのことで、彼女の行動はそれを覆すものなのだ。それを認める考えをウィリアムは持ち合わせていない。

「貴方には理解できませんよ。これは私のエゴですから」

「それを判断するのは俺だ」

 視線の鍔迫り合い。互いに譲れぬものがそこにあった。

「貴方の一番になりたい。そうなれる可能性が一番高い方法を選びました」

「……意味が分からないな。どうしてそれが自害に結び付く?」

「ヴィクトーリアさんと同じじゃ勝てない。貴方は喰らった人を忘れないけれど、そこに順番はあるでしょう? 今、彼女と同じように喰われても、私はきっと二番目、三番目、もっと下かもしれない」

 ルトガルドの瞳に揺らぎはない。嘘偽りのない本音。わかっていたことであるが、彼女は誰よりもエゴイストなのだ。相手を思いやるのも、相手の望む行為を選ぶのも、最終的にはその相手から対価を、愛を得るためである。

「だから私は一番に、そうなれずとも特別になるために、私は貴方に殺されることなく死ぬことにしたのです。ゆっくりと、しかし明らかに、死に絶えていけば、貴方がその手を汚す必要もなくなる。殺せなかったという記憶、ヴィクトーリアさんと違う末路を迎えた私を、貴方はほんの少しでも特別に思ってくれるで しょうか、などと、思いました」

 ウィリアムが少しでも傷つかぬ道を、されど忘れられる道は取れなかった。それは動かなかった昔の自分、それよりも遥かに賢い選択であるが、何よりも自分の生き方に、愛に反している。

 最後まで一緒にいたかった。それらすべてを兼ね備えた道こそが自害であったのだ。バレないことが前提であるが、その道の果てにルトガルドはヴィクトーリアに勝てる気がした。勝てなくとも負けない、違うから、比較して序列は生まれ難い。だから――

「それに、病気の私なら、体面のためにも少しだけ、私のそばにいてくれる。そんな打算もありました。どうです? とても私らしいでしょう?」

 最後の最後で、弱く賢しい己が出た。特別になりたい。一番になりたい。でも、比べられて勝てる自信がない。何よりも負けたくない。

「なるほどな。俺はまだお前をわかっていなかったようだ」

 ウィリアムはようやく一歩踏み込んだところでルトガルドを理解した。彼女は死ぬことを恐れない。自分の人生を捧げることを厭わない。永劫愛そう、ゆえに死ねと誓えば喜んで死ぬだろう。そういう狂人なのだ。ルトガルド・フォン・リウィウスという女は。

 だが、彼女は己が命を軽視する反面、想いという部分は非常に重要視していた。命を賭けて少しでも多くの想いを引き出す。より大きく、より高く、想いを求めて貪欲に。その貪欲さをウィリアムは見誤っていた。

「貴様の望む道はない」

 ウィリアムの声は冷たいまま。ルトガルドは悲しげに微笑む。バレたならばすべてがご破算、そういう賭けだったのだ。またもルトガルドは敗れた。今度のは致命的である。命の火は消え、それを想うこともなく――

(これで、ウィリアムは傷つかない)

 愛する人は傷つかぬ。この賭けもまた負けてもいい賭けであったのだ。勝てば多くを得るが、負ければすべてを失う。その失うものには愛も含まれており、それのない死に彼が心を痛めることはないだろう。

「残念ながら、これで俺がお前を見限ることもない」

 ウィリアムは冷たい顔を崩す。いたずらっぽい、どこか『あの日』の面影のある顔を見せて微笑んだ。

「お前の脚本に俺も乗る。だが、毒はすべて俺の手で摂らせるぞ。勝手は許さん。お前は俺が殺す。お前の思い通りにはさせんよ。賢しく愚かなお前を、それでも俺は愛そう。お前に拒否権はない」

 唖然とするルトガルド。ウィリアムはルトガルドの頬を撫でる。

「愛に順番をつけられるほど器用なら、俺はこんな風に生きていないさ。それに、お前は俺の愛がお前のそれに劣っていると思っているようだが、その前提が間違っている可能性だってあるさ」

「……私の重さと一途さをなめていますね」

「わかっている上で挑戦できると思っているんだ。いい加減に分かれ。俺は好きでもない女に、メリットの一つもないなら話かけたりしないし、交流も持たない。一緒に住むことも夫婦になることも、子を成すことだってしない」

 ウィリアムはルトガルドの唇を奪った。普段より荒々しく、有無を言わさぬそれはルトガルドに驚愕を、その後拒絶を生んだ。だが、ウィリアムは拘束を外さない。唇に付着するわずかな毒素、そんなもの意にも返さず――

「こんなことも、出来ん。メリットがあるなら別だがな」

 王道に必要ならウィリアムは何でもするだろう。しかし、必要のない局面でウィリアムはこのような行為をしない。出来ないのだ。

 彼もまた想いを背負い生きる者ゆえに。

「今のお前はあいつにも負けていないよ。どうも俺は馬鹿な女に弱いらしい」

「馬鹿、ですか?」

「筋金入りのな。あいつと、俺と、同じ馬鹿だ」

「ふふ、ひどいですね」

「まあな。でも、馬鹿だから好きになったんだ。それで良いだろ」

「そうですね。その言葉は、何度聞いても良いものです。全部さらけ出した今だからこそ、たまらく嬉しい。だから――」

 ウィリアムとルトガルドの視線が交錯する。優しく、愛に満ちた視線。本質の理解と道への理解、二つ合わせて彼女は頂点を目指す。最大の壁、『最愛』を打ち砕かんと。欲望の赴くままに――

「私を殺してください」

 ウィリアムが最も傷つき、

「ああ、お前を殺すよルトガルド。俺の手で」

 それがゆえに王道の糧となる方法で。

これは契約であり、この道の先には悲劇しかない。しかし、二人はその道を行く。わかった上で、狂った道を選ぶのだ。己が想いを胸に。

 世界で最も優しく残酷な日々が始まった。

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