神の子と叛逆者:国葬
親愛なるウィリアムへ。
これを君が見ていると言うことは、すでに僕は死んでいるのだろう。宣戦布告した手前、非常に恥ずかしい限りだけれどそれでも僕は思う。嗚呼、やはりか、と。
ずっと君の背中を追いかけてきた。追いかければ追いかけるほどに、どんどん遠ざかっていくそれを必死で追う毎日。大変なこともあった。悲しいこと、辛いこともたくさんあった。でも、僕は幸せだったと胸を張って言える。
君に出会えたことが僕にとって最も幸運だった出来事だろう。
あの日、君は僕を見捨てようとした。その瞬間はそりゃあショックだったけど、今思えば至極当たり前のことで、敗戦の地獄の中、誰だって自分のことで精一杯。君がそうしようとしたことは、当たり前のことだった。そして、当たり前を越えて君は、僕を繋いでくれたんだ。僕は忘れない。あの時の、呆然とした君の顔を。
きっと、考えての事じゃない。人は君らしくないと言うかもしれない。論理的で、打算的で、計画的な君らしくない一手だ、なんて、アンゼルムだったら言うかもしれないね。
でも僕は、あそこで差し出してしまった手こそ、君の本性だと思う。僕だって馬鹿じゃない。君が悪徳にまみれていること、多くの業を背負っていること、その内容までは推測の域を出ないけれど、理解、しているつもりだ。遺書だから言うけどね。
その上で、君はどうしようもなく優しいのだと僕は思う。北方で、シュルベステルが言った通りだった。君は戦場にあって優し過ぎる。殺したモノ、奪ったモノなんて戦士は一々覚えていない。よっぽど印象的なこと以外、彼らは思い返さない。
あの時の僕は、僕らは理解出来なかったけれど、それが全てだった。真反対の戦士だからこそ、白熊は君と言う存在が見えたんだろうね。
色々なことがあった。一番きつかった十人隊時代。一番楽しかったのもその時期だ。本当に色んな手を使って戦い抜いた。戦って、逃げて逃げて、戦って、やっぱり逃げて、そして、戦った。あの時は何も考えてなかったけど、君、結構えげつないことやってたでしょ? 特に北方。いくら怪物退治だって限度があるよ。まったく、当時に君ったら、思い返す度に危なっかしいことばかり。まあ、僕が足を引っ張っていたせいもあるけどさ。
対ネーデルクス戦、初めて君に重役を任された。僕を信じてくれた。あの時は本当に滅入っていたけど、内心、本当に嬉しかったんだ。君の背に学んだ。君が教えてくれた。それを発揮して、結果を出して、ようやく、居場所が見つかった気がした。
全部君のおかげだ。ありがとう。本当に、ありがとう。
そして済まない。努力したつもりだけど、きっと僕は君ほどに徹底できなかった。だからこの結果なのかもしれない。これを書いている今は、どんな末路なのか分からないけれど、きっと、僕らしく、ちょっと抜けた最後なんだろうな、と思う。
君は変わった。それはきっと、見知らぬ他人にとっては素晴らしいことで、近しい者ほど、特に、君自身にとっては最悪の方向だと思う。たまたま背負った重責だけど、背負ってみて分かった。確かに、これは重い。重くて重くて、圧し潰されそうな毎日だ。
それでも、同時に個人の幸せくらい追い求めたって良いと思うよ。ルトガルドは君のことが好きだし、アルフレッドだってお父さんが大好きだ。イーリスも君の事ばかり。ちょっと妬けるね。クロードも、マリアンネちゃんも、たくさんの人が君自身の幸せを祈っていることを忘れないでくれ。僕もその一人だと思う。
そのために、僕は大将の椅子に座った。分不相応でも、君に並び立ち、君を抑えつけて、諦めさせようと思ったんだ。結果はこのザマだけど。願わくばこれが君の目に入らず、僕と君が並び立ち、そして、君が一人の人間として生きていけることを願う。
僕は君の何に成れたかな。それが僕と同じものだと、嬉しい。
へっぽこ大将カール・フォン・テイラーより、親愛を込めて。
追伸、やはり駄目だった。でも、君ならば勝てる。エルンストを見て分かった。あれは、君に成れなかった君だ。ならば、負ける要素がない。ただ、ほんの少し心配なのは、君は存外詰めが甘いってことだ。いや、それも七年前まで、か。うん、其処に関してはあまり不安視していない。七年時間が在った。なら、君は当然神の子に勝てる手札を用意しているはず。僕は負けないことは出来たけど、勝ち筋は見出せなかった。その差だね。
あと、君ならば僕を刺した部下を見出すかもしれない。自白しに来るかもしれない。その時は、許してやって欲しい。もし、彼を悪意でもって処断するならば、僕はそれを許さない。今の君ならば大丈夫だと思うけれど、一応、ね。頼むよ、誰だって最愛ってのは守りたいモノだろ? 君が一番わかっているはずだ。だから、頼む。
そして、済まない。ありがとう。さような――
ウィリアムは静かにそれを懐にしまった。少し暇だったから、折を見て何度か読み返し、気づけば間抜けにも全文暗記しているにもかかわらず、やはり、目を通してしまう。
「人のことが言える性質か? 最後まで他人ばかりなのはお前もだろうが」
すでにカールの部下、ディーターは家族ともども北方に飛ばしてある。自害を禁じ、辺境で細々と暮らせと厳命した。それがカール大将の望みであり、遺言であることは伝えなかったが。察している節はあれど、突き付けるのは後の人生を壊すも同じ。
あの男は部下に自分の死を背負って欲しくはないだろう。これで良かったのだ。
「お前の望みは叶わない。俺はお前の死すら利用してさらに高みへと昇る。だが、その代わりに誓おう。この国を、お前が守りたかった全てを、俺は俺の方法で、遥か遠くの未来へ繋げてみせる。そして、そのために俺は悪を成すぞ、これからも、な」
胸に手をやって、一つ呼吸をする。
「俺が死するその時まで」
そして、亡き友へ誓った。
○
晴れ渡る蒼穹の下、アルカスではただ一人の男のために大勢が集まっていた。誰もが浮かれてしまう陽気、気持ちの良い日差し、今日はきっと良い日に違いない。そう思えるような一年でも最高の天候、そんな日に、その男の国葬は行われた。
「我らが英雄、アルカディア王国軍大将、カール・フォン・テイラー。その歩みは――」
史上、おそらく最も親しまれた民の英雄。貴族出身でありながら、その性格は高慢とは程遠く、姿勢は低く、ともすれば舐められることも多々あった。民と同じ視線で、幸せも苦難も、ともに分かち合った英雄の死。
彼を知る者も知らぬ者も、彼の行いは知っている。彼の言動を、何かにつけて聞いていたはず。誰もが愛した、アルカディア史上最弱の大将は、その歴史の中でも最大規模の人々に囲まれて、悲しみを、嘆きを、一身に浴びていたのだ。
花々に囲まれて、人々に囲まれて、嘆きと愛に囲まれて、
(お前は幸せ者だな。俺はきっと、こうは死ねない)
英霊として彼は皆の心の中で生きる。彼を知る者が一人もいなくなるまで、その歴史が途絶えて、繋げる者が一人もいなくなるまで、英雄は生きるのだ。
長い、長い王の言葉。耳障りの良いことを言っているが、かの王にあの男のことなど欠片とて理解出来ぬだろう。それと共に逝くのは――あまりに切ない。
「――語るべきことはいくらでもある。だが、余よりもそれを語るにふさわしきものがいる。もう一人の英雄、アルカディア王国軍大将、ウィリアム・フォン・リウィウスである」
歓声が爆発する。王としては面白くないであろうが、彼もまたカールとは別のベクトルで民から絶大の信を得ていた。人柄、振る舞い、それらを吹き飛ばすほどの実績。窮地に陥ったアルカディアをガリアス、ネーデルクスから救ってみせた男に人気がないはずもなし。
「友の言葉で送り出してやるがよい」
王が下がり、ウィリアムが登る。王の眼からこぼれる嫉妬の炎、王もまた人気商売ゆえにこの場を譲ったが、本来であれば国葬である以上、己が言葉より高きものはない。感情が渦巻き炎となって瞳に映る。
それを受け流し、ウィリアムは壇上に立つ。眼下に広がる幾千、幾万の民。アルカスの外に広がる地平線。これが王の視界、ここから見える全て、見えぬ果てまでもが王の領域。こんな状況ですら少し心が弾む。そんな自分に嫌気がさす。
「アルカディア王国軍大将、ウィリアム・フォン・リウィウスである。陛下よりこの場を賜り、最後に、こうして友と語らう機会を頂き、恐悦至極に存じます」
最後くらいは――
「少し昔話をば。私がカールと出会ったのは遠くラコニアの地、まだ私がこの仮面をつけていなかった頃でした」
裸で、ありのままで向かい合ってみよう。ウィリアムは大衆の前で珍しくその仮面を外した。この場に押し寄せる民の多くが見たことのない顔。英雄に相応しき眉目秀麗、怜悧な瞳には力強い光があった。
優しく、包み込むようなオーラがあったカールとは違い、圧倒的な存在感と輝きで呑み込んでしまうのがウィリアムという男。仮面はすでに、それを拘束する枷となっていた。
「お互い一兵卒からのスタート。彼は臆病で、私には力がなかった。ラコニアを奪われ、ラコニアを奪い返し、私たちは共に歩み始めた。幾多の戦場、数多の死闘、決して綺麗な勝利ばかりではなかった。勝てない相手からは逃げ、時には泥にまみれながら勝利し、少しずつ、私たちは強くなった。彼は知恵と勇気を、私は力と知識を蓄えて」
よく通る声であった。皆が一言も聞き逃すまいと息すら潜めている部分もあるが、それだけではない何かが彼の声にはある。澄み渡る空を心地よく涼やかな声が響き渡る。叫んでいるわけではない。張り上げているわけではない。なのに何故だろうか――
「臆病な、弱虫カールは勇気を得た。力のない、やせっぽっちの私は強くなった。互いを埋め合い、高め合い……今思えばあれほど満ち足りた日々はなかっただろう。その中で生き伸びた私たちは運が良かった。本当に。だからこそ、彼は許せなかったのだ」
何故これほどに、沁みるのだろうか。
「私たちは最初から特別ではなかった。研鑽を怠らず、最善は尽くしてきたつもりだが、同じように生きてきた者は沢山いただろう。たまたま生き延びた。そして高みへ昇った、昇ってしまった。数多の犠牲を超えて、たまたま私たちがあった。それが許せないから、彼はさらに努力を重ねた。足元に広がる犠牲、彼らが守りたかった国を、民を愛した。ゆえに彼は優しく、公平に、驕らず、君たちに接していたのだ」
英雄とは思えぬ道のり、考え。そう、ウィリアムにしろカールにしろ、彼らは英雄として生まれついていない。片方は泥水をすするやせ細った少年で、もう片方もまた貴族として致命的なほど競争に向かぬ性根で、落ちこぼれであった。
「私たちの足元には多くの犠牲がある。今この地で生きる皆を支えているのは昨日の犠牲なのだ。愛する者を守るため、富のため、名誉のため、何でもいい。何かを成すために命を懸けた存在が、私たちを生かしている! カールもまた彼らと存在を共にした。英霊として、私たちの支えとなってくれる」
ウィリアムは両手を広げた。大きく、雄々しく――
「私は彼らに応えたい。彼らが愛し、守り、育んだこの国を次の世代につなげたい。私が、彼らと共に昨日と成るその日まで。歴史として、この国の支える礎と成る日まで。皆もまた同じである。君たちの努力が、刻苦が、明日を創る。君たち一人一人もまた、いつかは歴史と成るのだ。彼らと同じように。だから、前へ進もう。そのために今日は思いっきり泣こう! 明日、カールに、この戦で亡くなった尊き犠牲に、彼らに報いるために」
ウィリアムをよく知る者ほどその光景に驚きを隠せなかった。弱さなど微塵も見せぬ男が、その眼に浮かべる大粒の煌きを隠そうともしないのだ。その強さを、英雄性を、冷酷さ、残忍さ、それらを知るほどに、その言葉と態度は、
「カールは私の友であった。この国に来て最初の、そして最高の友であった。あっちで少し待っていろ。私がこの国をローレンシアにて最強、最高の国とする。そして次に繋げよう。安心して次の時代を迎えられるように。私からは以上である。御清聴、感謝する」
どこか哀しげに見える。
誰よりも強く、誰よりも英雄。そんな男が最後に見せた弱さ、それと共に去っていく優しき英雄に、彼らは滂沱の涙を流した。
蒼空のアルカディアに雨粒が落ちる。明日のために今日を泣こう。
明日を健やかに生きること、それが故人の望みなのだから――
○
アルフレッドは父の演説を聞いて放心状態であった。理解するには幼過ぎたが、それでも彼の中で何かが芽生えた瞬間である。周囲の涙、大好きな女の子の涙、強くていつも格好良かった伯母さんが泣き崩れるさまを見て、
何よりも誰よりも強い父の涙を、誰よりも優しい母の涙を見て――
もしかするとその言葉は、この小さな男の子に向けられた言葉であったのかもしれない。この日初めて、少年は弱さを知った。それは強さを知るために重要なことである。いつかこの言葉が意味を為す日が来るかもしれない。
「ははうえ、ぼくは」
まずは大好きな母親の涙をぬぐわんと、アルフレッドは母の方を向く。どんな言葉をかけようか、無言で抱きしめてみようか、何をしたら、泣き止んでくれるだろうか。そんなことを考えながら――
「…………」
見る。ゆっくりと、倒れていく大好きな母親の姿を。
「ははうえッ!」
それを支えようとして、当然のように大人の体重を子供が支えられるわけもなく、アルフレッドの手は下敷きになった。痛いが、そんなことはどうでもいい。
「ルトッ!」
先ほどまで泣いていたヒルダがこちらに駆け寄ってくる。アインハルトも血相を変えて走ってきた。無力な自分は、ただそれを見ているだけ。
「馬を用意しろッ! 俺が運ぶ」
無力が、痛い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます