神の子と叛逆者:二つの道
ウィリアムはすっと剣を向けた。ラインベルカもまた大鎌を構えて迎撃の体勢を取る。ダメージは色濃いがそれでもなお守ってみせると気迫に溢れていた。それ以上に白騎士の殺意が上回っていたのだが――
「確かに、結構でかい責任があるよねえ。いいよ、僕の首をあげる。ただラインベルカは見逃してくれないかい? 彼女はただの女の子だ。もう、死神じゃない」
「ありえません。私がこの男の首を刈れば済む話。お下がりくださいお坊ちゃま」
「目、ほとんど見えてないよね? 血を流し過ぎたんだ。今のお前じゃ彼には勝てないよ。ま、総大将の僕が全部捨てて逃げようなんて話、土台無理だったんだ」
「無理ではありません。それは――」
「そんな虫のいい話はねえよな。責任者ってのは責任を取るためにいるんだ。さっきも言ったが、テメエの首一つで国が救われる。そういう時に首を差し出すためにえらい奴ってのは普段ふんぞり返っているんだよ。そうだろ、青貴子?」
「その通りさ。だから――」
「勝手なことばかり! 誰が偉くしてくれと頼んだ!? 望んであんな力を得たと思っているのか。勝手に背負わされて、当たり前のように責務を果たせと言う。そんな奴らのために何故ルドルフが命を懸けねばならない!」
「うまい汁は吸ってきただろう? 幸運も、立場も、与えられたにしろ、望まぬにしろ、人とは異なる扱いを受けてきたはずだ。なら対価として責任を取れって言ってんだよ」
「異なる扱いが人を幸せにするとは限らない。ルドルフはいつも孤独でした。その対価が死だと? 戯言も大概にしろ」
「頂点はいつも一人だ。王は孤独であるべき。覚悟もなく玉座に触れたのが間違いなんだよ。王でなくともその振る舞いは頂点。なら、負けたら命はねえよ」
ウィリアムの眼は冷たく夜闇に輝く。零度の瞳に情の欠片もないことを知り、ラインベルカは命を燃やす覚悟をした。残りの輝き、全てを此処で吐き出す。
「もはや問答に意味はない」
「その通りだ。俺はお前たちを逃がさない」
烈気が弾ける。一触即発の雰囲気で――
「ずっと考えてきた。何故、君が其処までムキになる? 異国出身で、実力だって図抜けている。アルカディアでなければ出世出来なかったわけじゃない。傭兵をすれば引く手数多で、今頃はガリアス辺りで王の左右なんて呼ばれてたかもしれない。ってか、僕だって君が味方に入ってくれたなら結構良い席を用意してたはずさ。白騎士、なんてもう『白』に入るしかないじゃん?」
ルドルフは心の底からの疑問に首をかしげていた。
「祖国でもない国を、民を、そこまでして背負う意味が分からない。正直言って、僕はネーデルクスに生まれたけど、祖国のために死ぬってのは無理だ。この男を見る目がなくて婚期を逃して慌てている女ならともかくさ。それって家族が出来たから? 友達が出来たから? でもさ、そういう風にも見えないんだよねえ」
自らの進退に関してはとうに諦めているからこそ、ルドルフは純粋な疑問を投げかけることが出来た。
「……俺が王になる国を背負って何が悪い」
それは、ウィリアムという怪物にとって唯一の急所である。最愛を手にかけ全てを失った。全てを失い虚無を得た。傍目には何も得ていない。失って失って、自分でも何故ここまで苦しまねばならぬのか、悪夢にうなされて、罪の意識を抱えて、咎人として生きる道。
王道に疑問を持たぬ日はない。何故、何故、自分でなければならない。他の者はそんなことしていない。自分の道だけを邁進している。余裕のある時は他者を支えられるだろう。人はその程度の寛容さは持ち合わせている。
だが、余裕をもすべて失い、虚無に沈んでなお他者のために生きる。その狂った生に何の意味があるのか。己ですら疑問を持つ。
「悪くはないよ。ただ、病的だなって」
「お前たちの認識が甘いだけだ。王とはかくあるべきだろう」
「僕の認識とは違うね。王は与えるけどその分得るし、支えるけど支えられる。君のは全部一方通行だ。君はまるで、世界の奴隷のようだよ」
世界の奴隷。ウィリアムの顔が歪んだ。自分の本質を言い当てられたのだ。
「俺が、奴隷だと?」
ウィリアムは震える。
「人ってのは善意にしろ好意にしろ、当たり前になったら感謝なんてしない。奴隷がどれだけ尽くしたって当たり前だろ? 世界にとってそれが君だ。うん、しっくりきた。君は――」
「誰かがやらなきゃいけねーんだよ! テメエら偉い奴らがやらねえから、俺がやってやるってんだ! さっさと首を寄越せ! 下らん問答は――」
「本当に優しいんだねえ。いや、優し過ぎる」
ルドルフは心底哀れなものを見る目でウィリアムを見ていた。ラインベルカもまた問答の中で本質を知る。狂気と破壊に満ち溢れた怪物、しかしその実は誰よりも繊細で優しく、誰もがやりたくない責務を背負わんとする哀れな奴隷であった。
「戯言を。さっさと終わらせてやる」
「僕は降りるよ。彼女も降ろす。国も責任も、全部放り投げて逃げるとしよう」
「ルドルフ、様?」
ルドルフの眼は、まっすぐにウィリアムを見ていた。
「ふざけろ、ンなことが許されると思ってんのか!?」
「ああ。全部君に投げつける。君は背負うんだろう? 僕らは二度と背負わない。彼女と絵でも描いて生きていく。たまに死んでいった者たちのために祈ろう。それじゃ駄目かい? 僕らの首は本当に必要かい? すでに終わった戦なのに」
「首を――」
「僕らは降りる。僕の神に誓って。それでも君は大した意味もなく僕らを斬るかい? なら抵抗はしない。それが君の王道というのであれば、好きにすると良い」
これでラインベルカだけでも敵意を向けてくれたら、ウィリアムはためらいなくその剣を振るい首を刎ねただろう。しかし、ラインベルカもまた戦意を消し、構えを解いた。ルドルフに寄り添い、二人そろってウィリアムを見つめる。
「許すかよ、許されるかよ! お前たちはネーデルクスという国の中枢を担う存在で、そいつらの命を背負って戦っていたはずだ。なのにそんな、自分勝手な理屈で」
「僕は共依存だと思うよ。国も、民も、どちらが先ってわけじゃない。どちらかだけが預けて、背負っているわけじゃないんだ。民を王が背負い、国を民が背負い、守るべきもののために生きて、死ぬ。僕の守るべきものは、残念ながら君とは違った。たった一人で良かったんだ。だから降りる。全部放り投げてでもね。だからさ、僕が謝るとしたら、それは犠牲者にじゃない」
「黙れよ」
「手前勝手な理由で背負わせる。君に対してさ」
「黙れッ!」
「もう黙るよ。意思は表明した。あとは、君次第さ」
ウィリアムは鬼の形相で距離を縮めてくる。仮面越しでもわかるほど異様な形相で、憤怒に震えながら。
(逃げるなど許されるか)
剣を握りしめ、
(国を背負ってたんだぞ。ネーデルクスには何人の人間がいると思っている)
歯を食いしばり、
(その未来に責任も持たず頂点に立っていただと? たった一人で良いだと?)
目を血走らせ、
(そんなこと――)
眼前の敵に、無抵抗で何も持たぬ二人を前に、ウィリアムは剣を振り上げる。彼らの視線は迷いなく、まっすぐにウィリアムを見る。何処か憐れみを含むその視線がまた苛立たせる。勝者は自分で、なのに何故敗者から憐れみを向けられねばならぬのか。この剣を振り下ろせば命が掻き消えるというのに、何故そこまで平然としていられる。
(許して――)
何処までも何も持たず、愛する人と世界の片隅で生きる。妻と子、数名の友人、世界に何の影響も与えぬ存在に堕ちる。何度も考えた。何度も望んだ。足元に蠢く彼らを無視できれば、その声を聞き流せれば、彼らの顔を忘れることが出来たなら、
自分だってその道を――
『駄目だよ、ウィリアム』
すっと、ウィリアムにのみ見える幻影がその剣を止めた。あの時と同じ目で、あの時と同じ表情で、彼女が目の前に立っていた。
『すべてが王になれるとは限らない。ゆえに王は絶対で、孤独なのだから』
赤い髪の二人を筆頭に足元から伸びる躯の塔。地の果てを目掛け伸びるそれは、ウィリアムが王たる振る舞いをしているか、常に見上げている。これが視界に入るたびに王であるか否か、常に自問自答せねばならない。其処に自由はなかった。
『彼らを殺す意味はないだろ? なら、人の王である君は例外を作るべきじゃない』
そして、自らが喰らうことのなかった友が現れた。『ウィリアム』という存在になって初めての、最後の友である彼は哀しげに微笑む。
(こいつらがエルンストになる可能性もある)
『そんなもの眼を見ればわかるだろう? 誤魔化すなよ親友。君は彼らを憎んでいるし、羨ましいと思っている。だから、今日の君はいつになく感情的なのさ』
(一度天上の味を知った者が、地の底に耐え得るとは思えない。天に手を伸ばすのが人だ。俺がそうであるように、彼らだって――)
『幸せの意味を知った人間は、本当の天を知る。君が『姉』や『彼女たち』、『息子』で知ったように、彼らは互いで自分たちの天を知った。今、君がやろうとしていることはそれを奪うだけの行動。それは、君の足元、最下層で蠢くあの男や女がやっていた行動と同じモノだよ。もう、この戦場で欲しいモノは全て喰らった。これ以上に意味はない』
(許せと言うのか)
『許す許さないじゃない。君は君の道を往くんだ。それだけのことだろ?』
そう言って友の影は消えていく。彼は己が手で喰らえなかった。だから足元に残らない。その末期を知らず、覚悟だけが其処にあった。遠くで白き躯が己が背を眺めている。共に背負えずすまなかったと。背負わせてすまないと、その光無き瞳は言う。
虚空にて停止した剣を、震えながら握る男を二人は見る。
「もし、もう一度何かを背負い、上に立ち、俺の前に現れたなら容赦しない。一族郎党皆殺しにしてすべての芽を摘む。ただ二人だけで世界の片隅で生きていく、その覚悟があるなら一度、ただの一度は見逃してやる」
「……すまない」
「二度と背負わぬと誓え。そして俺の前から消えろ」
「誓うよ。というか、もうこりごりなんだ。がんじがらめの君を見て、僕はこれっぽっちもその場所に魅力を感じない。いや、恐怖すら感じる。……本当に君は凄いよ。全部わかっていて、それでもそこに君臨するんだ」
「ならば消えろ。二度と俺の前に現れるな」
「行きましょう、ルドルフ様」
「うん。僕らの代わりに背負ってくれる君に感謝を。君の道行きに、ほんの少しでも救いがあることを祈るよ」
二人は歩き去っていく。ウィリアムはその背を血走った眼で追う。心の中で渦巻く衝動を抑えるので精一杯であった。何処まで行っても、どれだけ手を汚しても、やはり己は慣れることを知らない。友を失った憎しみと自分が望んだ道を往く二人への羨望。
渦巻く感情を、ギリギリの線で堪えていた。その背が見えなくなるその時まで――
「ゲハイムの件、報告はどうする?」
背後にすっと陰の如く現れた白龍の声を聞いて、ウィリアムは微動だにしない。
「あとで聞く。少し……時間をくれ」
いつだって自問自答を繰り返してきた。この道で良かったのか、この道が最善か、他に何か良い道はなかったのか。迷い、うつろい、揺らぎ、選ぶ。今日の自分はバランスがおかしかったように思える。まだ、捨て切れていない。否、捨て切らぬまま苦しまねば王道ではないのだろう。いつだって自問自答、深淵の底にて一人きり。
心底、あの道を選べた彼らが羨ましく、今の道を選択した己が憎くて仕方がない。
だからこそ、見逃したのかもしれない。理由はいくらでも用意できた。理屈付けは容易かった。でも、そうしなかったのはきっと――
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