神の子と叛逆者:落日のネーデルクス
ウィリアムの一喝でアルカディア軍から躊躇が消えた。殺して、奪って、死体から武器防具をはぎ取る者も、死した躯を執拗に痛めつける者、狂気が世界を満たす。黒き雷という人工の魔法よりも、本当に恐ろしいのは躊躇なき勝者というケダモノの群れ。
人の性がそこかしこにはびこる。
○
こんなことを思うのは、きっとあの『少年』に未来を見たから。何の積み重ねも無く、薄っぺらな槍。だが、何かが在った。自分には無く、あの男やテオには在った槍使いとしての、才とも呼べるもの。
だからきっと、ほんの少し、可能性を残してしまった。
『やるぞアナトール!』
『声がでかいな。槍が乱れる』
今思えば自分には槍の才能がなかった。厳密には、槍である必要がなかったのだ。長い手足に恵まれた体躯、およそ何でも、剣でも槍でも弓でさえ、上手く扱っただろう。でも、彼はネーデルクスに生まれた。
運命の御前試合を見た。そして、同門の天才に憧れた。若き頃の彼が振るう槍、その型の美しさは比類なく、真似しようとしたこと幾たびか。
槍を選ぶのに理由など必要なかった。
だが、その理由の一つである男が、あろうことか自分の槍に負けたことで迷走し、長きに渡って低迷を続ける。彼は美しかったが、強引さが無かった。力づくで勝利を捥ぎ取らんとする執念が、無かった。型を破ることが出来なかった。
そんな自分も王会議で挫折を知り、やはり迷走した。自分たちの世代における最高傑作相手に剛の槍が何一つ通じず、柔の槍を、美しき槍を目指した。しかし、同時に分かっていたのだ。自分はアナトールやテオとは違う。
槍しかない彼らとは、ほんの少し、薄皮一枚違うのだと。
「……ちっ、こいつも、そっち側か」
剣聖、大き過ぎる名を背負ってなお揺らがず、迷わず、ただ一振りの剣であり続ける。剣しかない。剣だけに生きる。もう、それしかないから――
それを美しいと、ジャンは思った。
そう思った時点で――
「ジャン様ッ!」
ネーデルクスの宝であり、伝統の槍術を継承した天才はさらなる天才の前に沈む。完璧過ぎる剣は美しさの極致。荒々しさを忌避し目先の美しさだけを追っていた自分には到達できない高みにその男はいた。
「見事だ白薔薇。貴殿の武勇、我が心に刻もう」
ジャンの脳裏に浮かぶのはあの日の戦友たち。兄弟弟子たち。部下、弟子、そして不愛想な好敵手のいけ好かない顔。
(もう一度、槍を合わせてみたかったなァ)
天才墜つ。それと同時に――
「……え?」
ベアトリクスやオスヴァルトの騎士たちと渡り合っていたフェンケが、驚きに立ちすくむ。その腹部に広がる血に、まるで自分じゃないような感覚を覚えて――
「んだよ、せめて、剣、で」
フェンケはひざを落とした。血が流れ出る。胸を貫いた黒のいかづちは背骨をも砕き、彼女に生存の可能性を与えなかった。
「フェンケッ!」
マルサスが駆け寄ってくる。今度こそキスでも要求しようか、フェンケの脳裏に浮かぶ甘い言葉。しかし、彼女は三貴士である。
「そこに一人ッ! 逃がすなボケ!」
フェンケの叫び。その指が示す方には黒装束が。
「……ッ!」
マルサスはその意図をくみ取り、全力で黒装束を追った。黒装束の男が筒を構えた。いかづちを放つぞ、と暗に表現する。だが、マルサスは止まらない。一切の加速を落とさず、獣の如く全速で駆け抜ける。
「憤ッ!」
威嚇に怯まず、怯えの一つすら見せず、その男は駆け抜けた。鬼の膂力で大きな剣を振りぬき、黒装束に一言の問答も許さなかった。
「それで良いんだよ。ちぇ、やっぱ格好いいな、あの、背中――」
ラインベルカが抜けた後、その未熟を知恵や工夫で補ってきた『黒』のフェンケもまた墜ちる。マルサスの咆哮が戦場に響き渡り、そこには赤き嵐が吹き荒ぶ。
「アァァルカディアァッ!」
暴走する赤き嵐は剣聖に向かい――
「無粋を許せ。だが、先に仕掛けたのはそちらだ」
一太刀にて切り伏せられる。単身での戦力は現役三貴士随一。しかし、三人での息の合った絶妙のコンビネーションで互角、にもならなかった相手では格が違い過ぎた。今のギルベルトを倒せるとしたら、やはり巨星を置いて他にいないだろう。
彼の在り方から、彼自身がそう呼ばれることは無いのだろうが。
「ちィ、こりゃあ、さすがにきちーか」
オスヴァルトの騎士、練度高き戦士たちを蹂躙するディノであったが、ジャン、フェンケ、マルサスを失った戦場に勝機なしと見る。
「それに、いつの間にか白騎士がいねえ」
自軍を扇動し、戦場にさらなる狂気を与えた張本人がいつの間にか姿を消していた。あれほどの存在感を持った男が、それをコントロールし自らを隠匿できる。ある意味で恐ろしいそのスキルにディノは苦笑いを浮かべた。
「そこまで許せねえもんか、英雄さんよ。背負うも背負わぬも、テメエの勝手だろうに」
ディノの実感のこもったつぶやき。遠く西方を見る。自らが望んで背負った年下の女。自分もまたその国の武力を担っている。それもすべて自らが望んだ業。自らが選び、自らに課したモノ。それを他者に求めることはあまりにも酷。
人は其処まで強くない。
「日が落ちるな。落日の元超大国、か」
そのすぐ後にアメリアがその場にいた部下全ての武装解除を命じた。実質的に、ネーデルクス軍はこの場で敗北したのである。
○
星が瞬く夜更け。昨日までの己では想像もしていなかった泥だらけ、傷まみれ、それでも気分は不思議と高揚していた。手を伸ばせども届きそうもない星。等身大の己が其処にいた。だからだろうか――
「青貴子、ルドルフ・レ・ハースブルクだな」
黒装束の一団が囲む。仮面の下には怜悧な色がのぞく。
「違うよって言ったら?」
「殺して本人を探すだけのこと。どちらにせよ貴様は死ぬ」
絶体絶命の窮地も何となく心地よい。これもまた己が選択の結果。全力で逃げてきた結末なら悪くない。隣におっぱいがないのは至極残念ではあるが、それもまた己が限界であるなら受け入れられる。
「じゃあ僕がルドルフだ。いるかわからないそっくりさんを探す必要はないよ」
「ありがたし。お覚悟を」
「んー、でも足掻くのは決めてるんだよね」
ルドルフは拾った剣を構えた。はったりにもならない不格好な構え。生まれて一度も遊び以外で使用したことのない刃は、重くてとても扱える気がしなかった。
「……それで足掻けると?」
「姿勢が大事なのさ。僕の心の問題だから気にしないでよ」
ルドルフの瞳には挑戦的な光が宿る。どこまでも純粋に、自分の選択のままに生きる。真っ直ぐで、眩しくて、ほんの少しだけ羨ましく思う。
「痛みはない。すぐに済む」
自分は死ぬ。ならば胸を張って死のう。足掻いて死のう。生き抜いて死のう。
「いやー出来れば思いっきり痛いやつで頼むよ。生きてるって感じで」
「……変わった男だ。ご要望通り――」
その男にはもう神は憑いていない。魔術という名の幻想は砕けている。だから、これは与えられた天運ではない。授けられた何かではない。これは――
「お坊ちゃま、そこに、いますか?」
ただの奇跡である。
ルドルフが大きく目を見開いた瞬間、暗殺者たちの身にえもいわれぬ感覚が奔った。ただ通り過ぎただけ。血を垂らしながら、満身創痍の女騎士が通り過ぎただけで、闇に生きる彼らは理解する。
(全員動くな。天地がひっくり返っても俺達では勝てん)
最強の暗殺者である白龍は一瞬で彼我の戦力差を把握した。押せば倒れるのではないか、それだけの消耗は見て取れる。ひと際大きな切り傷と深い矢傷。死んでもおかしくないはずの痛みを背負い、それでもなお女は微笑む。
動けない。圧倒されているわけではない。殺気の一つすら向けられていない。彼女にとって暗殺者たる彼らは敵と認識されていないのだ。もし敵と判断されたなら、あっさりと蹂躙されかねない雰囲気。穏やかゆえに遠い、とてつもない開きを感じる。
「いねーよ」
「よかった。生きておられたのですね」
「今死ぬとこだった。なんつーか、捻じ曲げられた気分だね。まだ魔術とやらが残ってるのかな? ちょっとこのタイミングは――」
「もう魔術はありません。私の中から狂気が消えたように、お坊ちゃまの中にも何もありません。ただ運が良かっただけです。本当に、良かった」
ラインベルカ・リ・パリツィーダはルドルフを抱きしめる。少し、その行動に驚いたルドルフであったが、すぐに顔をしかめてみせた。
「なら、もう僕らは関係ないだろ? 僕は神の子じゃないし、君は死神じゃない。君が僕を守る理由なんて何もないじゃないか」
「はい、何もありません」
あっさりとそう言い放ったラインベルカの言葉に、存外傷つくものだとルドルフは思った。もちろん口にも顔にも出さないが。
「理由も、使命も、何もない。だから、思うが儘に貴方を守ることが出来る」
ルドルフは絶句した。少し傷ついた分、そこからの『これ』は胸を打つ。ヘルマという揺り籠から放り出されて、途方に暮れていた心があった。新たな旅立ちには不安がある。独りぼっちで生きることはつらい。とてもつらいと、思った。
だから死を前にして少し余裕があったのだ。このまま一人で生きるより、鮮烈に死んだ方が楽で、寂しくない、と。
「やめろよ。僕はようやく解放されたんだ。好きなように生きたいし、もう誰ともかかわりたくない。僕は一人で良い。独りの方が気楽で、寂しくなんかない」
半分は本当。半分は嘘。神の子として幼い頃から色々なものを見てきた。人の汚い側面ばかりを眺めてきた。もう関わりたくない。これは本音である。
しかし、同時に――
「私も解放されました。私も、好きに生きたい。好きに生きます。だから、貴方を守って生きたいと思っています。拒絶されるのは怖い。離れて生きていける自信がありません。一緒じゃ、駄目でしょうか?」
独りぼっちの寂しさを、神の子として特別扱いされていた自分は一番恐れていた。もう一つの特別を見つけるまで、本当に孤独であったのだ。二度とそこには戻りたくない。それもまた本音である。もし、本当に、心の底から信じ合えるのであれば――
「運のない僕なんて、本当の屑だぜ? お前ならいっぱい貰い手だってあるさ。僕さえ近くにいなけりゃ、僕が囲っていなければ、お前は皆に尊敬される三貴士だったはずさ。離れた方が良い。僕なんかの近くにいない方が絶対幸せになれる」
「私を孤独から救ってくれたのはお坊ちゃまです。誰のどんな手よりも、私はあの時の手が良い。小さな手で、同じように救いを求める、一緒にいてと願ってくれた、あの手が、良いんです。今度は、私が手を伸ばす番ですね。私と一緒にいて欲しいと願いながら」
たぶん、どんな言葉もラインベルカを止めることは出来ないだろう。
「僕は――」
言葉では――
「満天の星空だな。終わりには、最高の景色じゃあないか」
ラインベルカの不思議な雰囲気に身動きできなかった暗殺者たち。新たなる来訪者が放つ別格の圧力で我に返る。死を無数に塗り重ねたかのような雰囲気。屍を幾重にも積み重ねた高き山、塔の前に彼らは口を開くことすら出来ないでいた。
ウィリアム・フォン・リウィウスが舞台に躍り出た。
「白龍、戦争は終わりだ。お前たちはアルカスに戻れ」
「ゲハイムの件は――」
「報告はあとで聞く。見ての通り今は取り込み中だ。わかるだろ?」
絶対的恐怖。ウィリアムが人を従える手法の中で最も多用し、最も効率的であると認識しているモノ。白龍でさえ恐れずにはいられない。
暗殺者たちは無言で去っていった。残されたのは三人のみ。
「かの大国ネーデルクスの重鎮とは思えぬ言葉の数々だ。涙なしでは語れんよ。本当に、泣けてくる。お前たちの足元にいる屍どもが聞いたら、きっとこう言うだろうぜ。ふざけるな、許さねえ、逃げるな卑怯者、ってな」
ルドルフは顔を歪ませる。先ほど感じていた、掴みかけていた幸福がするりと抜けていった。ウィリアムという絶望的な敵を前にして――
「ちゃんと敗軍の将の責任を果たせよ。とりあえず首おいていけ。テメエが首を差し出したら悪いようにはしねえよ。ネーデルクスは俺が面倒を見てやる。ほれ、テメエの首ひとつで一国の未来が変わるんだぜ? 安いもんだろうが」
何よりも、放り投げてしまった責務の重さを思い出して――青貴子は嗤った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます