神の子と叛逆者:失う者と与えられた者

 ルドルフはポケットに入ったコインをぎゅっと握り締めた。天を仰げば澄み切った青空。しかし地上では嵐が巻き起こっていた。稲妻がそこかしこに炸裂し、そのたびに人が笑えるほど歪に死ぬ。その姿を見て混乱はさらに倍増していく。

 止められない流れが生まれていた。今まで奇跡は自分のもので、自分以外の奇跡を彼は見たことがなかった。奇跡を向けられたこともない。

「お坊ちゃま、お逃げください!」

「嵐は来た。想像していたものじゃなかったけど。いつも通りさ。いつだって僕は望む結果を手に入れてきたし、欲しい物は何でも転がり込んできた」

「お坊ちゃま!」

「でもね、ラインベルカ。コイン、外しちゃったんだ」

「お坊ちゃま、逃げて、逃げてください! 一時距離を取って、態勢を――」

「今日は僕の日じゃなかった。君の日だったんだ」

 ルドルフが見つめる先、ラインベルカは恐る恐る視線を辿っていく。今、この場で目に入るはずのない敵。アルカディアの中で一番出会いたくない最悪の相手。

「やあルドルフ。いつぶりかな?」

 後入りしたはずだった。いくつもの部隊に抜かれて、黒い集団は散開し、一人、この男は此処まで歩いてきた。確かにこの混乱ではまともに陣形は機能しないだろう。彼を阻む人の壁は存在せず、そうする意志もなければ止められまい。

 しかも、その男はまるで其処に存在しないかのように存在感すら操れるのだ。敵意も殺意もなく自然と歩いてきた。まるで散歩でもして、ばったり友人と再会したように、その男は自然な笑みを浮かべている。

 この景色を生んだ悪魔、ウィリアム・リウィウスとは思えぬ顔つきで。

「どうだったろうね。ガリアスでの王会議ぶりかな? 楽しかったよねぇ、風俗行ったり」

「良い出会いがあった。其処には感謝しているよ」

「……僕を殺すかい?」

「そうしないと、戦争が続いてしまうだろう?」

 ルドルフとウィリアムの視線の間にラインベルカが割り込んだ。ウィリアムを睨みつけるラインベルカの目は殺気に満ち溢れていた。それは対極の感情であるが背中の主を守らんとする意志の表れで、ゆえにその圧力はほんのりと温かい。

「何故、貴様がここにいる!?」

「元の位置は見えていた。戦場の流れも、人の感情も支配している。誰が何処に向かい、どう退き、何をするか、全て見えている。逆に問うが、何故俺が到達出来ぬと思った?」

 ウィリアムは完成されていた。恐怖と憤怒が支配する戦場。それを操作するなど容易く、推測して答えを導き出すなど朝飯前とでも言わんばかりの表情。怪物じみた知識量と実戦での経験値。加えて備えるは底知れぬ思考力。

 本当に見えているのだろう。先に入ったはずのギルベルトや若手たち。百戦錬磨のオスヴァルトの騎士たちにすら備わっていない何かで、この男は見抜いている。

 それが酷く恐ろしい。何処まで見抜いているのか、その眼は深淵を見通しているように見えたから。

「まあいい。どう転ぶにせよ、過ちはここらで清算すべきだろう。何をどうした結果、ルドルフといった怪物を生み出したのか知らんが、旧時代の残り火が燻っていては先の時代に差し障る。偽の神には消えてもらう。この地の魔術、確かヘルマだったか?」

 ルドルフはぽかんとしていたが、ラインベルカは目を大きく見開いた。

「なるほど。其処の女は知っていたのか。いや、知っていたと言うよりも……死神のラインベルカ。死神、くっく、お前も残り火をくべられた存在か」

「他国の貴様が何故それを知る? いや、それはどうでもいい! お坊ちゃまの前でそれ以上口を開くな。必要のない情報――」

「必要かどうかは僕が決める。口をつぐめラインベルカ」

「し、しかしお坊ちゃま」

「教えてくれたら僕の命をやる。だから教えろ、ウィリアム。ヘルマとは、何だ?」

 ルドルフの目は充血していた。ずっと疑問に思っていたのだ。何故自分だけが特別で、それが当たり前のようにまかり通るのか。何故父、親族、果ては王族までも自分を特別扱いするのか。ずっと、疑問に思っていた。

「この世界には旧時代に存在した魔術、その残り火がかすかに残っている。人の中に存在しなくなったそれは、『破局』に際し人族の存亡のため行われた大規模魔術によって時代を跨ぐことに成功した。ガリアスにはウラノス、アルカディアにはニュクス、オストベルグはアイデース、エスタードはアーレウス、そ してネーデルクスはヘルマ、だ。他にもいくつか存在するが、規模の大きさはこれらが別格。一つにつき最低でも数万の魔術師が犠牲に成ったそうだ」

「まるで神話の世界だね」

「まさにその通り。まあ、厳密には神話の時代と魔術の時代は一万年ほどかけ離れているが、其処は置いておこう。彼らは多くの人柱とその中心存在によって長く世界に存在していた。すでにほとんどが機能停止、または存在の消滅を迎えている」

「もうやめろ! これ以上は――」

「黙れよ。ささ、もちっと続けてウィリアム君」

「最後の残り火、俺はニュクスとウラノスに会ったことがある。ウラノスは天蓋王宮に眠る歴史と共に消滅し、ニュクスも後継者が王と成った時に消滅するそうだ。そして俺は今、もう一つの存在を見ている。この地に住まう人々の繁栄を、発展を願った魔術ヘルマは、お前の中にある。天運の正体はそれだ」

 ウィリアムは彼らと触れ合う内にそれらを見出す眼を備えるまでに成っていた。厳密にはニュクスの王と成ったことで半歩『其処』に踏み込んだただけであるが、それはウィリアムの関知するところではなかった。

「ネーデルクスの全盛期はガリアス台頭前。そこがヘルマの全盛期だったのかもしれない。詳しくはわからぬが、すでに弱ったヘルマを人の器に入れ込む術をネーデルクスは持っていたんじゃないか? ネーデルクスなら記述程度残っていてもおかしくない。何しろ、歴史を調整、修正する側であったからな」

 長き歴史の中にある国、ネーデルクス。なればそういう文献が残っていてもおかしくはない。人の中にそういう力が失われていたので、勝手は違うだろうが残された文献の模倣は出来るはず。その中で偶然成功体が生まれたのなら、それもまた奇跡だろう。

 血塗られた奇跡になるだろうが。

「なーるほど。じゃあ、僕の運は僕のものじゃないのか。今までやってきたことも、これから為そうとしていたことも、全部、ヘルマとやらのおかげってこと、かぁ」

 ウィリアムは無言で剣を引き抜いた。ルドルフの目から光が消えた。背後にとりつくヘルマごと断ち切り時代を終わらせる。もう、この地に人の手で為された以外の奇跡は必要ないのだ。

「貴様ァ、よくもお坊ちゃまに……偉そうな事を言っているが、貴様とてヘルマ様が見えている以上、魔術による恩恵を受けたのだろうがッ! ニュクス、ウラノス、ただ出会ったわけではあるまい。貴様もお坊ちゃまと同じ、魔術の恩恵を受ける旧時代だろうがッ!」

 ラインベルカは激怒していた。ルドルフが知る必要のなかった事実。生まれた瞬間から特別であった。それだけならば良い。人は生まれた瞬間から平等ではないのだ。そういう存在がいてもいいだろう。しかし、それが人工のものだと知れば、それを周りが知っていながら持ち上げて、寵愛していたとすれば、

 それは操り人形、彼らの玩具でしかない。

「ああ、その通りだ。確かに、俺は特別扱いされている。ニュクスとは取引を、ウラノスは知識の保全がされていたおかげで、消え去った過去を覗くことができた。なるほど、確かに特別扱いだ。ぐうの音も出んよ。だからこそ俺には終わらせる責務がある。彼らの望みは旧時代の存続ではない。新たなる時代を迎えるために、命を賭して彼らは繋いだのだ。お前のそれは、彼らの願いを踏みにじるものでしかない。もはや、旧き時代、神々の、魔術の時代は戻ってこないのだから」

 ウィリアムはラインベルカの怒りを容易く弾き返す。彼女たちに罪は無い。持っている手札を使って戦うのは当然のこと。愚かであったのは彼女たちにそれを背負わせた指導者たち。むしろ被害者なのだ、死神と神の子は。

「俺たちの足元には無数の屍が積み重なっている。それらの業の上に俺たちは立っている。お前たちにその自覚はあるか? その覚悟はあるか? 俺にはある!」

 ウィリアムにとって敵の怒りなど何と言うことはないのだ。本当に怖いものを彼は知っている。積み重なった憎悪ではない。痛みでも、悲しみでもない。それらの下敷きである愛こそが痛いのだ。愛のために生き、愛のために業を重ねる。

 本当に恐ろしいのは、道半ばで絶えること。

「明日のためならばいくらでも業を成す。業を背負うと言うことは、歴史を、人を背負うと言うことは、そういうことだ。全ては必要なことだった。ゲハイムの台頭も、お前たちが滅ぶことも、カールを失うことすらも、俺が導く世界のために必要なファクターでしかない」

 ラインベルカは恐怖する。強さがどうこうではない。その存在が、思考が、思想が人間離れしていた。彼の言葉を信じるならば、なんとその道の険しくおぞましい道であったか。進むも止まるも茨の道。後ろは後悔に埋め尽くされている。

 なのに振り返る気すらない。

「奪われて失って、そのたびに俺は強さを得た。失うたびにその痛みが俺を前に進ませる。失うことは進化だ。本質を知るためには持 たざるものである必要がある。人は翼もヒレもない。ゆえに空と海に思いを馳せる。人は魔術を失った。ゆえにその代替を模索して今日に至る。失い、学び、進む。人が進むためにも、与えられてきた時代にはケリをつけねばならぬのだ。間違っても滅びし旧時代に背を預けるなど、あってはならない!」

 ウィリアムの言葉は魔術に関する全ての否定であった。つまりはルドルフと言う存在の否定。その派生であるラインベルカもまた否定されている。彼の目指す世界に旧時代の住まう場所はないのだろう。その眼に、剣に、迷いはなかった。

「ニュクスは取引。ウラノスはただ其処に在り続けた。ヘルマは、与えてしまった。ネーデルクスは愚かな選択をしたな。斜陽の国家に、その制度や、やり方に眼を向けず、栄光の時代を夢見て、旧い物にすがった。それは後退だ。人はすでに新たな段階に至ったというのに。今更しゃしゃり出てくるなよ旧時代。お前たちはすでに、滅んだモノなのだからッ!」

 ウィリアムは駆け出す。その眼は真っ直ぐに茫然自失となったルドルフの首を狙っていた。もちろんラインベルカがその間に立つ。

「貴様にルドルフ様の何がわかる? 人の許容量を超えるモノを詰められ、吐き出しそうに成る日々の、満たされ飽和し破裂しそうな心の、何を知る!? 私が守るッ! 貴様から、世界から、それが私の……願いだッ!」

 フルフェイスの兜を装着し、自らの中に潜む狂気を、死神を引き出すのだ。背後にある人を守るために狂化する。あえてそれを使命と言わなかった。願いと言った心は伝わらなくても良い。ただ、守り隣に立てれば、それで良い。

「満ちた者の嘆きなど知るかよ!」

 ウィリアムが迫る。世界が暗闇に堕ちる。そして、次に見えるのは、

 真紅の地獄。死神は咆哮した。

「ギ、ガァ」

 ウィリアムの鋭い殺気に反応してラインベルカは大鎌を振るう。それは撒き餌であった。獣ゆえ小細工は通ずる。にやりと笑うウィリアムはその一撃をするりとなぞるようにそらし、ラインベルカと身体の位置を入れ替えた。

「ガギッ!?」

 今更気づいても遅い。位置、加速、共に自らの方が優位なのだ。如何に死神が化け物であろうと、この状況であれば当然ウィリアムが勝る。

 ウィリアムの狙いは初志貫徹、ルドルフの首であった。

「これでまた一つ、世界は人のものとなるッ!」

 時代にケリを。断片的とはいえ知る者として、道を違えさせるわけにはいかないのだ。

 自らは王で、その歩みが世界を導くのだから。

「精確さはエウリュディケ、威力はトリストラム、では私は?」

 ルドルフとウィリアムの間に突如降り注ぐ矢。それは突進してくるウィリアムの動きを予測して打ち込まれていた。抜群の精確さ、充分な威力、そして――

「早撃ち、ですよ」

 圧倒的回転数。今のウィリアムをして掻い潜ることを諦めるほど、その矢の数々は一人が撃ち込んだとは思えないほどの密度で襲い掛かってきた。ウィリアムはこの戦場で初めて想定外の事態に遭遇する。そして、後退させられたのだ。

「ッ!? この矢、マクシミリアーノか。俺としたことが頭から抜けていた」

 ウィリアムの支配する流れにあえて逆らわず、探知範囲外にいたマクシミリアーノであったが、以前よりさらに高めた男の弓は警戒の外からでも撃ち込むことが出来ていた。この離れ業にはウィリアムも苦笑いするしかない。

「ルドルフ様! そこにいらっしゃいますか!」

 少しはなれたところでマルサスの声が聞こえた。合流は時間の問題。

「ジ、ギルッ!」

 背後からの一撃をかがんでかわし、そのままもう一度身体を入れ替える。一瞬の後、元あった場所に矢が打ち込まれていた。この距離でもまだマクシミリアーノの距離。応戦するには弓が必要だが、そのためには目の前の死神をどうにかせねばならない。

「ピンポイントで欲しい奴を引き当ててくるんだな。まったく、この期に及んで、しつこい天運だ。さっさと滅べばいいものを」

 近づいてくる馬蹄。強い雰囲気が三人。おそらくは新時代の三貴士。

「簡単には討たせてくれんそうだぜ。どうする、親友?」

 ウィリアムは誰もいないはずの背後に声をかけた。逃げ惑い戦意喪失した者ばかりとはいえ此処は敵軍本陣。味方を置いて単身乗り込んできた。後ろにいるのはやはり敵のはずなのだ。しかし――

「友は俺が選ぶ。論じるまでもないがお前は違うぞ。俺の邪魔をするなよリウィウス」

 逃げ惑い、混乱する兵を切り裂いて現れたのはギルベルトとオスヴァルトの騎士たち。いずれも腕に覚えのある精鋭ばかりであった。

 そして、三貴士もこの場に到達する。

 先ほどまでの対話をしていた空間とは思えぬほど、強者がひしめき合う場所と化す。狂乱する世界にふさわしい坩堝と化したこの場で、勝ち抜いた者こそ真の勝者。

「いざ!」

 誰が言ったか、その号令と共に未だ戦意滾る強者のみの戦場が狂い咲いた。

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