神の子と叛逆者:神殺しの牙

 北方、旧ラトルキアにある白騎士の工房。表向きは新兵器の研究であるが、裏ではイリーガルな研究を重ねるウィリアムの闇が凝縮した暗部。毎夜、人を刻み医術を高める者たち。その残った死肉を試し切りし、作り上げた武器の威力を測るものもいる。

 そして、その最深部には――

 爆発音。地下から響く振動に技術者たちは顔をしかめた。

「またエッカルトさんか」

 地下への扉が開き、もうもうとした煙が吹き出てくる。それと共に這い出てきた異形を彼らは呆れた表情で眺める。

「威力の強化に努めるのはいいですけど、そのうち死にますよ。ただでさえそんな身なりになっちゃったってのに」

 エッカルトと呼ばれた男は異形であった。片手、片足は義手義足で顔の半分は火傷で覆われている。片目に入っているのはガラスの義眼。此方の方が『死』が見えるとエッカルトは言う。主であるウィリアムも含め誰も理解できない世界が彼の中にあった。

「どうでもいい。もっと、もっと、死の臭いを高めなきゃ」

 その世界を高めることだけが彼の生きがい。死を振りまく、殺戮への道具を作ることが彼の命題。そのために彼は生きている。その類稀なる死への嗅覚、殺戮への才覚が、一つの答えを生み出してしまった。

「……『雷火筒』じゃ物足りないってか。狂人め」

「人力を排した機構には無限の可能性がある。ケミカルな分野はこれから伸びるだろうな」

 人が歩む階段を一気に飛ばした存在。比較的手段を選ばぬ白騎士が今はまだ早いと判断した兵器。その産みの親は更なる高みを目指して今日も死を模索する。

「今頃、ウィリアム様はブラウスタットか……使うのかね?」

「使うんだろ。大筒まで用意させたんだ」

「あくまで闇の連中に使わせるらしいが……戦場が変わりかねんな」

 ここにいる者の大半は世間一般で狂人と呼ばれるものばかりである。しかし、エッカルトはその中でも異質な存在で、その男が生み出した最高傑作は今ブラウスタットにある。人類が歩むべきステップをいくつも省いたそれは――

 神殺しの牙であった。


     ○


 ネーデルクスは青貴子に付随して圧倒的天運を持っていた。ウェルキンゲトリクスに追い返したときも、エル・シドと渡り合ったときも、その運が道を切り開いてきた。だからこそこの巡り会わせでも彼らの中に動揺は無い。

「白の大将旗、白騎士か」

「蒼も並んでいますね。二人の大将、腕が鳴ります」

「バッカじゃねーの。何が出てくるか怖過ぎるっての」

 三貴士たちも個人差はあれど白騎士の存在を確認して絶望するものはいない。自分たちの主がそれに比肩することを、場合によっては凌駕することを疑っていないからである。

「ま、でもあれが間に合ったんなら、勝てるかもね」

 三貴士で唯一意識の低いフェンケであったが、その背後に控える巨大な影を見てにやりと微笑む。巨大なる建造物、無駄遣いの多い ネーデルクスでもとびっきりの馬鹿兵器がそれであった。費用対効果など度外視したそれは、巨大、ただただ巨大な投石器であった。この手の兵器は巨大さに比 例して破壊力と飛距離が増す。おそらく世界最高を目指したそれはエルマス・デ・グランを落としたとき以来、戦場から姿を消していた。

 このたび、とうとうその姿を戦場に顕現する。

「ウィリアムっちが来た日に組み上がるなんて運命じゃないかな」

「勝ちましょう。今日で因縁に終止符を」

「わたくしたちネーデルクスの勝利でねぇ」

 それが一、二、三台と姿を現す。ネーデルクスの総戦力、出し惜しみなしのそれはアルカディアの高まりかけた心を再度砕きかけていた。集結した戦力の差はそのまま国力の差でもある。これを覆せたのなら、それは人の差であるだろう。

「なるほど、良い絵だ。まさに神の軍、巨大なる塔が連なる神話の世界か」

 圧巻の光景。ウィリアムは微笑む。

「人の業を示すにはつくづくうってつけの相手だな」

 神の子が率いる軍勢の威容こそ支配そのもの。いずれは打ち砕かねばならぬと思っていた。人の業で在るうちは『この力』を使わず、正道のみでケリをつける気であった。それが一番良い方法だと今でも思っている。

 しかし、彼らは自分の獲物を横から掻っ攫った。大事に大事に温めてきた喰らうべき存在トモを彼らが喰らった。それも裏の方法で、邪道で、世の中に何も還元せぬモノどもが喰らってしまった。

 邪道には邪道を。心の中で憤怒の炎が揺れる。抑え難き衝動、抑える必要が無いというのはあまりにも甘美であった。解放し、打ち砕き、幻想を終わらせる。対価はずっと前から用意してある。支払うのが少し早まっただけ。

「落ち着け。うろたえる必要など何処にもない」

 如何に英雄、白騎士の言葉とてこの状況では心の芯にまで届かない。届かせるには知らしめねばならぬのだ。その言葉が真実であると。言い放った本人が身をもって示さねばならない。こんなもの絶望でもなんでもないのだと。

「蒼空を裂きいかづちが墜ちる。やつらが神ならこちらは魔だ。黒きいかづち、神をも殺す一撃が降り注ぎ、彼らを誅するだろう。この世に神など必要ない、と」

 ウィリアムの言葉はやはり届かない。今届く必要もない。見せ付けるだけで良い。一度ついた火は消えない。後は風を吹かせるだけで良い。それだけで勝手に火は燃え広がる。

「俺が出る。こいつらは連れて行く。お前たちは上から大筒で大物狙い。外すなよ」

「御意。御武運を」

「そりゃあこっちの台詞だ。俺の命、貴様らが握ると思え」

 黒衣の仮面集団。ウィリアムの秘策を携えた東方の魔術使い、と紹介された彼らを真面目に受け取る者はいなかった。秘策を彼らと知って落胆を隠さぬ者も多く、すでにまともに戦える状態ではない。

「出るのか?」

「ああ、後からついて来い。そして青貴子の首を取って来い」

「……わかっている」

 ウィリアムは百人ほどの黒衣の集団を引き連れてブラウスタットの外に向かう。

 それは敵にとっても味方にとってすら驚愕の光景。ゆるりと歩むその姿には余裕すら感じられる。まるで散歩でもするかのような歩み。

「何をしようとしている?」

 ルドルフは眉をひそめた。敵軍の不可解な動き。寡兵にて突如現れ、歩み、ただでさえ寡兵にもかかわらず、横に広がっていく。百人の横陣。居並ぶ百人は不審な雰囲気をたたえているが、所詮は百人程度。軽くすり潰せる戦力であろう。

「何かあるのか?」

「そう思わせるだけの行動かもしれません」

「どちらにしろ意味ねーでしょ。この軍勢相手に何か出来る戦力じゃあない」

 誰もが困惑していた。唖然としながらも弓兵が構える。その射程に入り、それでもなお悠々と彼らは歩むのだ。撃つべきか、撃たざるべきか。

「青貴子、ルドルフ・レ・ハースブルク! 貴殿は我らが英雄、カール・フォン・テイラーを人の道に反した手で暗殺した。貴殿は神に愛されており、その報いは、神罰は期待できない。ゆえに我らが貴殿を誅する。黒きいかづちが、この地に降り注ぐのだ」

 皆が呆然としていた。敵も味方も、呆然と、唖然とし、そして敵はどっと笑う。かの白騎士が自分たちの軍勢を見て乱心した、彼らはそう思ってしまった。そう思うのも無理はない。この時代に、神の子相手に、白騎士は奇跡を期待しているのだ。そんな無様な姿を見て、笑わぬ方が難しいだろう。

 神の奇跡に何度も救われているネーデルクスが敵のそれを笑う。

「くっく、お前らが笑うかよ」

 その滑稽さにウィリアムは嗤った。

「さあ、蒼空を裂いて墜ちるぞ。ごろごろと、なァ」

 嗤い、手を上げる。天に手を伸ばす。祈るように。それは所作だけ。天への祈りなど欠片もない。そもそも奇跡など期待していないのだ。ウィリアムは奇跡を勘定に入れない。今日とて人にとって早過ぎなければ、それは奇跡の体を取らず開帳していた。

 ただ、それは人の世には早過ぎた。

 ブラウスタットの外壁、打ち崩されたことで空いた隙間から覗く黒き大筒。其処に火がつけられた。敵は遠くで何をしているかなど見えない。味方にはぶつぶつと謎の呪詛をつぶやく怪しい集団が、火を用いたまじないをしているようにしか見えない。

「神鳴り、だ」

 ウィリアムの笑みが深まった瞬間、ローレンシアの大地にいかづちが炸裂した。巨大な投石器から少し離れたところに轟音と、激しい土煙が立ち上る。一瞬、誰もが音の出所を理解出来なかった。頭に入ってこないのだ。

 それほどの音が、そんな場所から聞こえるわけがない。

 常識が彼らを硬直させる。

「全員構え。火をつけろ」

 ウィリアムは指示を飛ばす。横並びの黒衣の者どもが一斉に黒き筒を構えた。火をつけ、狙いを定める。敵の前線に――

 その最中にもブラウスタットから黒きいかづちがいくつも飛来する。都市で炸裂音が響き、ほんの少しの時間差で敵陣に着弾。轟音と破壊、一つのいかづちが投石器を捉えて砕き散らす。ようやく、彼らの脳が常軌を逸した状況に追いついた。

「撃て」

 地上から小さないかづちが放たれ前衛の兵が倒れ伏す。何が起きたのか、何が起きているのか、ネーデルクス軍の兵たちは理解出来なかった。アルカディア軍も理解出来ていないが、奇跡が起きている方と奇跡を向けられている方では反応が百八十度異なるだろう。

「全軍俺に続け! 一気に青貴子の首を取るぞ!」

 ギルベルトがここを機と見て出撃する。攻めの嗅覚はさすがの一言。何よりもこの状況でうろたえていない。彼の常軌も逸しているはずだが、それを脇において戦うことが出来るのだ。もしくは、怒りが戸惑いを消し飛ばしたのか。

「何だ、これは」

 また一つ、ネーデルクスが誇る巨大な投石器が打ち壊される。音、破壊力、全てがルドルフの知らぬもの、ネーデルクスの誰もが知らぬもの。

 マルサスの近くで土煙が発生し、その余波で髪が揺れる。呆然と、大事に育てた部下が肉塊も残らず噴き散るのを見つめていた。怒ればいいのか、悲しめばいいのか、何も頭に浮かんでこない。理解が、遠過ぎる。

「出し惜しみはなしだ。じゃんじゃん行くぞ。次弾装填急げ。雷火筒という魔術を見せ付けてやろう。黒き火薬と火のケミカルな反応。神にすがるお前たちには理解できまい」

 人は理解を超え過ぎた光景を前に何も出来ない。ウィリアムの用意した雷火筒は大小合わせて彼らの理解を遥かに超越していた。冷静になれば被害は限定的、大物は狙い撃ちにされているため破壊されているが、全体的な人に対する被害は決して大きくない。

 だが、そんな現実など超常の前には無意味。

「撃てェ」

 さらなるいかづちが墜ちる。人工の神鳴り。ごろごろ、と。

 ネーデルクス軍は奇跡を前に崩れる。


     ○


「何なんだ、あれは?」

 戦場を見学していたエルンストたちは呆然としていた。理解からあまりにも遠い破壊の数々。遠くで、冷静に被害範囲を見ることが出来る彼らでさえこれなのだ。直接被害にさらされているネーデルクスに冷静さなどあるわけがない。

「何を、ウィリアムは用意した?」

 その答えを誰も持たない。持つわけがない。

 ゲハイムもまた困惑の極致にいた。そして、それはそのまま隙となり、そこをついて音もなく忍び寄る影が――

「仕事の時間だ」

 迫り来る。


     ○


 アルカディアの若手三人もまたこの戦への帯同を許されていた。そしてこの光景に三者三様の感想を得る。ラファエルは歓喜を、クロードは恐怖を、ベアトリクスは困惑を、この破壊の光景から見出していた。

「こんなもん戦いになってねーよ」

 まるで超常現象のような攻撃を前に狂奔するネーデルクス。その背をつく形でクロードたちは馬を走らせていた。ネーデルクスの軍勢に交戦意欲は残っていない。

「仕方がない。私とて雷が落ちてくると眠れなくなるものだ」

「そりゃあ誰だって目の前に落ちりゃあ寝てる場合じゃねーっての」

「……む、むむ、いや、シュヴェールトがいれば眠れるがな」

「眠れるわけねえだろうが阿呆」

「ふふん、眠れぬか小心者め」

「寝てるうちに死ぬって言ってんだろ。つーかどうなってんだよこれ。いかづちを降らせるってあの人も心労でぼけちまったと思ってたのに。本当に降ってやがる。しかもネーデルクスだけにだぜ。マジで、意味わかんねえ」

「僕にもわからないさ。とにかくウィリアム様の用意した部隊は実際の被害以上の効果を生んでいるよ。外壁の上から俯瞰していると規模は意外に大したことがないんだ」

「んなもんどうでもいいだろ。神か悪魔か知らねーけど人の業を超えた何かが襲ってきてるんだ。まともに戦う気も起きねえよ」

「確かにね。恐ろしい話だ。でも、もし、これが人の業だとしたら」

「馬鹿を言え。ならば私たち戦士は廃業だ。剣も槍も、雷には勝てん」

「そう、世界が塗り変わる。僕たちは今、歴史の分岐点に立っているのかもしれない」

 興奮するラファエルはこの光景に魅入られていた。対してクロードとベアトリクスはあまり良い顔をしていない。クロードに至ってはどこか嫌悪感すら漂っていた。

(なら、戦士たる俺たちが斬るべきはネーデルクスじゃねーんじゃねえか?)

 圧倒的な戦力差からの圧巻の勝勢。しかし、これはあまりにも不可解が過ぎた。神の子の天運すら引き裂いて蒼空を迸る黒きいかづち。姿なき破壊はまたもネーデルクスの巨大投石器を粉砕した。もはや、誰も戦おうなどと言うものはいない。


     ○


 最初はギルベルト率いる騎馬隊が敵前衛と接触し粉砕。続々と後に続く戦士らは普段自分たちに向けられていた奇跡、それが敵に向けられている現状に興奮を隠し切れていなかった。天地に轟く破壊の音は進撃の合図、勝利への号砲なれば、恐れることなど何もない。今、奇跡は、神にしろ悪魔にしろ、自分たちの味方なのだから。

「理解出来ませんね。たかが鉄の玉一つ、これほど狂奔するものですか」

「口を慎め黒星ヘイシン。影は黙すものだ」

「いいさ。お前の疑問も尤もだ。これがガリアスなら、ヴァルホールなら、致命的な状況にはならなかったかもしれない。冷静に攻撃範囲を分析し、被害と秤にかけて戦う動きも取れた、やもしれぬ。だが、ネーデルクスは違った。何故だと思う?」

「弱いから」

 即答する黒星はなかなか大物である。意思を持たぬ、ないし薄い闇の者たちの中では異質な存在であろう。まあ、東方から数多の山脈を、無間砂漠を越えて白龍の背を追ってきた武人に近い性質の暗殺者なればこそこの言葉も理解は出来る。そういう駒にも使いようはあるのだ。

「厳密には弱くなった、だ。元超大国、今は斜陽の国家。明らかに勢いは、力は落ちている。そういうところを見ずに、神の子が生み出す奇跡に縋り尽くした結果、彼らは弱くなってしまった。もし、そんな中、神が、奇跡が、自分たちに牙を剥いたらどうする?」

「偽の奇跡でも、ですか?」

「彼らにそれを判断することは出来ないよ。知識もなく、目も曇っている。散々奇跡に縋ってきたからこそ彼らは神を信じている。下手をすると今は亡き聖ローレンスの民よりも、実感がある分彼らは神の御業を信じざるを得ない」

「なるほど。疑う前に信じてしまう、と。つくづく愚か」

「まあ、どちらも神の奇跡と言う意味では贋物だ。神ならば、全知全能であれば、タネを把握し対策、いつも通り天運による『カウンター』が発動したはず。だが、認識できないモノに対しては、見ての通り何も起きないようだ」

 ウィリアムは微笑んだ。今日、少なくとも一つの傲慢を滅ぼせる。時代がこれほど移ろいで、さらに先へ進まんとしている中、それは時代の表舞台に顔を出し てきた。とっくに滅びたはずの、喪失したはずの存在が神を騙り其処にいる。ある意味で最後の傲慢こそネーデルクスの魔術であった。

「それがニュクスの言う通り弱ったためか、それとも端から認識出来ないモノに対して無力であったのか、それは誰にもわからんがな。どうでも良いことだ。とっくに終わったモノを掘り起こし、それに頼った者の末路。終わりだネーデルクスよ」

 その依り代こそが――

「そろそろお前たちも動き出せ。乱戦でも隙あらば雷火筒は鳴らせよ。敵に安堵する隙を与えるな。俺たちの作り上げた偽の奇跡から目をそらせぬよう、しっかりと耳に刻み込んでやれ」

「御意」

 身軽な動きで散開する黒の集団。ニュクスの手駒である闇の暗殺者たちにとって乱戦はむしろホームに近い状態。しっかりと役割をこなし、良い働きを見せるだろう。

「さて、俺も往くか」

 ウィリアムもまたゆったりと戦場を歩き進む。混乱の極致でウィリアムの散歩を咎める者はいなかった。もう、この地は戦場ではなくなっていたのだ。逃げ惑う羊と追う羊。絶望に飲まれているか、怒りや高揚感に飲み込まれているか、違いなどほとんどない。

 ゆえに羊飼い、王が示さねばならない。羊の歩む道を。

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