神の子と叛逆者:無敵のカール大隊

 ルドルフは悪夢を見て目が覚めた。最近、こんなことばかり続いている。眠れないから、手慰みに絵を始めた。集中して、没頭していれば眠気がいつの間にか自分を喰らってくれる。自分を喰らうか、時を喰らってくれる。それだけが唯一の救いであった。

「絵を描く道具は、持ってきてないなあ」

 青貴子、神の子、自覚のない頃から自分は神がかっていた。運が左右する物事で負けたことはなく、世の中運のかかわらない物事などほとんどない。つまりは負けを、挫折を知らなかった。カードをめくる時、コインが落ちる時、怖いと思ったことなど一度もない。たとえ、この命を賭けていたとしても――

(初めは予感だった。アルカディアに何かがある。それで遊んでやろうと思ったら、別の存在が引き寄せられてきた。何かがある。何となく、そう思った。でも、確信を持ったのは、怖いと思ったのは、あの日が初めてだった)

 ルドルフの心に初めて恐怖が芽生えたのは、王会議の期間中に戯れでルドルフ、ヴォルフ、ウィリアム、アポロニア、他にも数名とカードゲームに興じていた時のことである。その時も運が冴え渡り、あの三人を相手取って圧勝していた。ウィリアムとアポロニアは勝てる気がしないと勝負を降り、食い下がったヴォルフは素寒貧の丸裸のパンツ一丁、一文無しになっていた。戯れも終わり、やはり自分は負けなかった。そう思っていた矢先――

『負けっぱなしは性に合わねえ。もう一勝負だ』

 何も持たない男がふざけたことをぬかした。当然一文無しの男と賭けなど出来ないと断ったが、その男はにやりと笑って自分の心臓を指さしてこう言った。

『賭けるのは俺自身だ』

 馬鹿かとルドルフは思った。賭け事で自分は負けたことがない。そう言ったしここでも実演してみせた。宣言通り独り勝ち。ぐうの音も出ないほど勝ち続けた男に対して、何故この男は軽々しく命などを賭けられるのか。

「……コール」

 ルドルフは闇夜に、その時言い放った言葉をそらんじた。未だに夢に見る光景。すべては其処から始まった。自分の中に芽生えてしまったのだ。

『いや、神の子様が、随分勝負を楽しんでいるな、と思ってな』

『うむ、良い貌だぞ青貴子』

 ルドルフは理解に苦しんでいた。二人の英雄は脇で嗤っていた。ウィリアムとて負けが込んでいたはず。しかし、何故彼はあっさり勝負を降りたのか。誰の後にそれを決めたのか。アポロニアとて本当に四枚揃えられなかったのか、本当は五枚揃い狙いで、それが叶わなかったから勝負を降りたのではないのか。自分を見て降りたのではなく――何度も繰り返す自問自答。答えを知る勇気がなかったから。

「……フォールド」

 あの時初めて勝負が怖くなった。負ける要素などないのに、負けたことがないのに、頭の中で敗北がよぎった。三人の笑みが頭から消えない。勝利への確信などないだろう。負ける方が確率が高いとさえ思っていたはず。ただ、彼らは負けっぱなしを良しとしなかった。神から、一勝でももぎ取ってやる、と、彼らの眼はそう言っていた。

 揺らぐ炎。戦いに揉まれ、戦いに洗練され、戦いに生きる者たち。

「お坊ちゃま。このような夜更けにどうされましたか?」

 あの時、彼女を引き離したのは男同士で色々やりたかったのが半分、もう半分は、揺らいだ己を見せたくなかったから。

「いやー、猛烈におっぱいを揉みたくなってね。どこかにおっぱいが落ちてないかと探していたところさ。おやおや、そこに良いおっぱいがあるね。揉んじゃおうかなあ」

 ルドルフはめいいっぱいお茶らけた態度を取る。

「最近は星の離宮に女官の影も見えませんよ」

「ネーデルクスの女に飽きたのさ。貞淑で、気品があって、スタイルもいい。素晴らしいよね。すごく、頭が良い。全部男に気に入られたいから、ぜーんぶ男に取り入るためのテクニックさ。そんな女どもを、僕を利用しようとする女どもを、縊り殺すのにも飽きただけ。その代わりに商売女を飼ってみたけど、それはそれで飽きた。刹那の欲望、その解放のために他人を侍らせるのも気味が悪い。つまるところ僕は女に飽きたのだ」

「私にも飽きられましたか?」

「そりゃあこっちのセリフだよ。いつまでお前は僕に依存しているつもりだ? とっくに首輪は外している。今更、後見人だなんだなんて誰も気にしない。過去の事件だって風化した。お前も理性を得ただろう? もう、僕が飼っておく理由がない。お前が飼われる理由はもっとない」

 ラインベルカの眼が寂しげに揺れる。それを見て少し、満たされた自分を度し難いとルドルフは思った。きっと、そろそろ離れるべきなのだ。いつまでも神の子の下にいれば、彼女は『死神』のまま。婚期も逃すし、自立も出来ない。本当は出来るのに、何だって掴めるのに、それをしない馬鹿をいつまでも縛り付けておいた己が失態。いや、欲望、か。

「僕にはもう『死神』なんて要らない。この戦が終われば、僕らの都に戻ったら、星の離宮から出ていけ。フェンケにでも男を紹介してもらえ。それが良い。そうすべきさ」

 ラインベルカは静かに頭を下げて退出していった。いつまでも不幸な生い立ちなだけの少女を神に縛り付けておくべきじゃないのだ。不自由なのは、己だけで良い。

「明日は嵐になるね。賭けてもいいさ。僕は、負けない」

 ルドルフはいつもの所作でコインをはじいた。いつだってそれは思い通りの面を向け、自分が神の子であると確信を深めてきた。運は自分を裏切らない。天は自分の味方である。いつだって自分は勝利と共にあった。今度だって、それは変わらない。

 カール・フォン・テイラーが守護する蒼の要塞都市ブラウスタット。あと一押しで落ちる。その後、あの大橋を崩せば昔の関係に戻るだろう。たった一勝で良い。この一戦さえ勝てれば、悪夢だって遠のくはず。

 最後の一勝、願い、乞うた本当の勝利。ゆえにそれは遠く――


     ○


「んー、気持ちの良い晴天だね。ここからでも戦場がよーく見えるよ」

 エルンストが大きく伸びをする。それを見て周りが「危険だぞ親友」「お腹の傷に差し障りますエルンスト様!」などと騒ぎ立てるも当の本人はけろりとしている。

「もうとっくに塞がったよ。いやー、僕は運が良いねえ。普段の行いが良いからかな? あ、でもそうなるとアルカディアの大将って罪深い役職についているカール君は本当に死んじゃってるのかもね。かわいそうに。気の合う友達だったんだけどなあ」

 進軍を開始するネーデルクス軍。国力にあかせた大軍。巨大な攻城兵器が居並ぶ壮観な光景。まるで悪魔を註する神の軍勢ではないか。

「しっかしあのクソガキ、使うだけ使ってあとはポイかよ。ふざけた連中だぜ」

「仕方ないよ。彼らにも面子があるさ。僕らは日陰で良い。これで正しい世界に近づくなら、それで十分だとは思わないかい?」

「……それは、そうだけど」

「ならよし、だ。僕らは此処で我らが親友、ルドルフ君の雄姿を見学しよう。これが悪の国家アルカディアの凋落、その一端となることを祈ろうじゃないか」

 晴天の下、蒼き都市と元超大国ネーデルクスの威信をかけた大軍が相対した。


     ○


 壮観なり大ネーデルクス軍。元超大国の威信をかけた軍勢は先のガリアス軍にも匹敵する規模であった。それを先導する『赤』、 『白』、『黒』の三軍を中核としたネーデルクス軍。加えて属国に近い扱いのエスタードも参戦。ディノ、マクシミリアーノら強き将と彼らに倣う強兵たちが士 気高く居並ぶ。

 対するアルカディア軍はその光景に心が折れかけていた。全ての攻撃をはじき返してきた堅牢なるブラウスタットの外壁は半分以上打ち砕かれ、オスヴァルトの剣士たちの奮戦により敷居こそ跨れてはいないが、幾度となく打ち込まれた火矢は家屋の多くを黒く染める。攻城兵器の雨、人も建屋も関係なく吹き飛ばされてきた。

 まだ、戦う意思がある時点で充分過ぎるのだ。

 すべては床に伏せる英雄の、帰還だけが彼らの拠り所であった。

「我らが英雄、カール・フォン・テイラーが死んだ」

 彼らは絶句する。白騎士が現れ、皆の期待が膨らむ中での開口一番がこれであった。英雄の帰還を、それだけを拠り所として保っていた士気が消え去る。カールを死を知らされひざを落とすものもいた。茫然自失、戦える状態ではない。

 彼らは堕ちる。絶望の果て、希望の見えぬ底の底へと――

「我らが友、カールは卑怯にもネーデルクスが放った暗殺者の凶刃の前に倒れた。ブラウスタットから謎の火が立ち上った日から、ずっと死んでいたのだ。悲劇としか言いようが無い。私も信じたくは無いが、事実だ」

 絶望がブラウスタットを覆う。

「だが、カールは今日までただ死んでいたわけではない。彼の死を隠匿したことによって、私がここに来るまで君たちは、ブラウス タットは生き延びた。これはカール自身が君たちを信じ、自分の死すら隠し切ったが故の奇跡。彼は死んだが、今もなお皆の心の中で、死してなお共にある。共 に、戦っている」

 ウィリアムは一歩横にずれ、そこに部下たちが丁重に椅子を、鎮座する白骨の騎士を運び込んだ。日を浴びて輝くその姿に、おぞましさは一欠けらも無い。

「我が友、皆の友だ。あの日、致命傷を負いながら指示を出し、見回り、事態を沈静化させた。ギルベルトのみに来るべき死を伝え、 その後の指示を出し切って死んだ。死ぬときは戦備えで、死してなお皆と共にあるように。美しかろう? これがアルカディア軍大将、カール・フォン・テイラーだ。今もなお、彼は君たちと共にある。私たちが生きる限り、この都市が落ちぬ限り、彼は死なぬのだ。その志は、我らの胸に生き続けるのだから」

 神々しさすら漂う死に姿。其処に人は何を見るのか。

「皆に問う? 死してなお戦う男がいる。皆も知るとおり、カールと言う男は生来戦いに向いていない気性だった。優しく、穏やか で、公平で、寛容で、弱く、臆病な男であった。この姿は、弱いなりに、臆病なりに、覚悟を決めて大将として生きた男の生き様だ。彼を見て皆の心に何も浮かばぬか? 鮮烈に生きて、失意の中死が迫り、それでも強くあろうとした男を見て……私は意地でも、やつらを蹴散らし、友の戦いに終止符を打ちたくなったがな。遺志を引き継ぎ、無念を晴らさねば、俺は恥ずかしくて生きていられんよ」

 底に至り、希望も見えず、だからこそ彼らは混じりけの無い義憤にかられた。純粋な敵への憤怒、憎悪。純粋な己が大将への尊敬、忠誠。絶望が掻き消える。現状を忘れ、感情に飲み込まれた。

「私は戦う。君たちはどうする?」

 炸裂する咆哮。獣のごとくアルカディアの兵たちは吼えた。それは賛同の声、戦いの声、現実を度外視した感情のみの奔流。彼らは憤怒で恐怖を塗りつぶした。彼らは忠義で理性を納得させた。戦う理由を見つけてしまった。

「結構。では共に戦おう。我らの大将はカールだ。この戦が終わるまで、ブラウスタットを守りきるまで、私は彼の副将で、俺たちはカールの部下だ。安心しろ、俺たちは勝つ。俺とカールがくつわを並べて、負けた経験は無い」

 無敵のカール十人隊。百人隊でも変わらずに勝ち続けた。二人はアルカディアの生ける伝説。今もなおその伝説は崩れない。

「さあ、戦いの時だ。秘策はある。俺を、カールを信じろ」

 カールが死を隠して此処までしのぎきった。カールの死が彼らに火をつけた。ウィリアムは切っ掛けを与えただけ。この状況まで持ち込んだ時点で、こうなることは見えていた。死の間際にカールがつないだ火。それは蒼空を焼き尽くす憤怒となってネーデルクスに向かう。強い感情は、時として条理を覆す。

 場は整った。そして、白騎士にも秘策はある。

「先に裏を使ったのはそちらだ。俺に邪道で喧嘩を仕掛けたこと、後悔させてやる」

 ウィリアムは獰猛な笑みでネーデルクスを見下ろしていた。

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