神の子と叛逆者:大将の意地

 カールの報告がアルカスに届いてから、ウィリアムたちの動きは早かった。

「いきなり私に来るか。君はフェリクス派に鞍替えしたと思っていたが?」

「こちらの方が早いでしょう。何事においても。それに、私は鞍替えなどしておりませんよ。今でもエアハルト殿下の剣であり、アルカディア王家を守護する騎士であります」

 エアハルトは「ふっ」と軽く微笑んだ。この男の言葉の何と軽薄なことか。見上げる目に媚びる色など一切映っていない。心のどこかで対等、ないし自らを格上だと思っているのだ。普段なら機嫌の一つでも損ねて困らせてやろうかとも思うが――今は火急の事態。遊んでいる暇はない。

「封書が三枚。いずれも別ルートからで内容は同じもの。中身はブラウスタットの状況と、仕手に関する情報、最後には白騎士を寄越せと、名指しだったよ」

 ウィリアムもその中身は見ている。いくつか引っ掛かりがあった。おそらくエアハルトも同じ思考に至ったがためにウィリアムを此処へ通したのだろう。

「まずは封書が三枚で別ルートから来た事。これは絶対に届けるという意志、それを邪魔しようとする存在を感じます」

「ゲハイム、か。難攻不落のブラウスタットに侵入し火をつけ混乱を招き、その間隙を縫って大将の首を狙った。大それた行動だけど結果は未達」

「……未達であればいいのですが」

 ウィリアムは顔を歪めた。同時にエアハルトもまた表情を曇らせる。

「……そこだね。最後の部分から感じる違和感。援軍ではなく君を指定している、という点に私も引っ掛かりを覚えた。ブラウスタット防衛に関して、君とカール君が共存する意味はない。人と物資さえ送ればカール君一人の方が都合が良いはず」

「船頭多くして船山に上る。確かに、かの地の防衛に関して私とカールを比較した時、私がカールに勝る部分はございません。彼もそれは理解しているはず」

「ならば、答えは一つ。彼らは頭を求めている。つまり――」

「カール・フォン・テイラーに何らかの障害が発生し、指揮を取れない。または――」

「すでに死んでいる、というところか」

 他者が見ればこの文面から『それ』を拾うことなど出来ないだろう。しかし、アルカディア軍の、カールを、ウィリアムを、中身を知る者が見ればほんの少し嫌な匂いを放つのだ。だからこそウィリアムは見逃さなかった。

 これはきっとあの男の、生意気にも自分に挑戦してきた男の、大将としての意地なのだろうから。汲み取らねばいけない。ここに隠された意味を。

「準備は出来ているね」

「はい。少々時期が早まりましたが……彼らは我らに大義を与えてしまった。その意味を、ネーデルクスという国に刻み込んでみせましょう。私と、カール、この国の大将二人が」

「本当ならこれ以上、君に武功を上げられたくはない。でも、そんな場合じゃないのは理解している。国家の危機。この国に住まう者として最善を尽くそう。最初に私を頼ったこと、後悔はさせない。白々しく聞こえるかもしれんが、少し嬉しく思ったんだ。こうやってもう一度、肩を並べたことが。これが最後だろうけどね」

 ネーデルクスの誤算は軍政における頭の差であった。こと政治に関してウィリアムがエアハルトを真っ先に頼った意味を彼らは最後まで知る由もなかった。様々な失態を重ね、王からの信頼が陰った今でも、結局この国は実質的にエアハルトが動かしている。

 彼を取り込めば中のことであれば無理も利く。決断の速さと精度が桁外れに上がるのだ。何事も初動の早さが命、第二王子エアハルトならば心得ている。


     ○


「ん? ヒルダもいたのか」

 蛇蝎を見るような眼でウィリアムを睨みつけているのはヒルダ・フォン・テイラーであった。ここはアインハルトの家であるはずなのだが、当たり前のように居座り我が物顔で占拠している。まあ、同じテイラーなので問題はないだろうが――

「あら、ウィリアム様。御無沙汰しております。今、主人を呼んできますね」

 義兄夫妻の屋敷に居座るのはウィリアムでもどうかと思う。こことテイラー本家との行き来が女傑ヒルダ最近のマイムーブらしい。

「いえ、私から参りますのでお構いなく」

 アインハルトはウィリアムとルトガルド、カールとヒルダの結婚とほぼ同時に身を固めていた。もともといくつも声はかかっていたが逃げ続けていたのだが、テイラー商会の重鎮であるディートヴァルト・フォン・ロイエンタール侯爵という上位の貴族、その娘を押し売られたなら逃げ道などあるはずもない。

 そそと奥へ夫に来客の旨を知らせに行った夫人の表情はいつも穏やかな笑みが張り付いている。決してはがれることのないそれは、夫やウィリアムをして底知れぬ何かがあった。算術や商人のイロハにも精通し、昼は学校の先生やテイラー商会の手伝いもこなす才女でもある。

 ヒルダとは合わないようで意外と仲が良い。加えて、年の近い娘同士は非常に仲が良いのでよく連れて来ていた。

「あ、ウィリアム様だ!」

 カールの娘であるイーリスが頬を赤らめながら突進してくる。それをさっと抱き留め、勢い余って蹴りを放ってくるヒルダを、こちらもさっとかわして奥へ入っていく。母の暴挙に驚愕したまま固まるイーリス。舌打ちするヒルダ。ひどい母親である。

 通路を歩いていると少女とすれ違った。イーリスと同世代、つまりアルフレッドと同じ年頃の少女がぺこりとお辞儀をしており、嗚呼、貴族とはかくあれと感心する。とても出来た娘さんである。こんなことを以前どこかで、などと考えているとアインハルトの書斎にたどり着いた。

「『雷』を出す。準備は出来ているな」

「もう表に出すのか?」

「いや、使う人間は俺が用意する。あくまで今回は、そうだな、魔法、みたいな扱いで良いんじゃないか。相手は神の子、神殺しには丁度いいさ」

 神の子と聞いて顔を曇らせるアインハルト。

「あいつは、大丈夫なのか。連日ブラウスタットにネーデルクス軍が押し寄せてきているらしいが」

「何があるかわからないのが戦場だ。ただ、ブラウスタットは要塞として世界最高の強さを持っている。簡単に落ちる都市じゃない。それに、今のあいつは強い。この俺に喧嘩を売ってきた男だぞ?」

「ああ、そういえば復帰した際に、別れ際で宣戦布告したらしいな」

「僕が隣に立つ限り君を暴走させない。君はこの国の剣であり続けるんだ。僕が盾であり続けるように。それから先を望むなら、僕が君を倒す、とまで言っていたよ」

「……信じられんな。あのカールが」

「でかい口を叩いたんだ。こんなところで立ち止まってもらっちゃ困るんだよ」

 ウィリアムもまた、どこか、己に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。ここから面白くなるはずだったのだ。エアハルト陣営であるカールとフェリクス陣営のウィリアム。双頭が絡み合い喰らい合う。目指すは玉座、そのための戦場、武功。

「ここからだぞ。ここからが――」

 ここから――


     ○


「……リウィウスか。ついてこい」

 外壁が打ち崩され、見るも無残な堅牢なる蒼き盾。それでも奮戦し、此処を奪取させなかったブラウスタットの兵たちはさすがの練度であった。何度も火矢を打ち込まれたのだろう。幾度となく投石器の破壊に晒されたのだろう。無傷の建物など存在しないほど、ブラウスタットの損害は著しいものであった。

 そんな中をギルベルトの案内でウィリアムは歩いていた。

「やつれたな。疲労か?」

「貴様には関係がない。無駄口を叩くな」

 ギルベルトもまた修羅場を幾度となく超えてきたのだろう。心身ともに衰弱していた。蒼き盾、ブラウスタットの外壁の下に溢れるネーデルクス側の死体を見れば、正門の前にうず高く積まれた屍の数を見れば、彼らの死闘は容易に想像できる。

 ここは地獄で、彼らは亡者、幽鬼にも似た彼ら唯一の心の支えが――

「ここだ。ここに、あいつがいる」

「…………」

「今もなおこのブラウスタットを支える、英雄だ」

 此処にいた。

 ウィリアムは顔を歪めた。心の底から、悲しげな表情が湧き出てくる。

 白騎士を、ウィリアムを待っていたのは――

「テイラー。リウィウスが来たぞ。これで、良いんだな」

 鎧を着こみ、兜を、盾を背負い、戦備えをする、白骨の騎士であった。


     ○


 ウィリアムは七割、八割程度この光景を想定していた。無論、白骨死体が戦備えをしているなど夢にも思わなかったが、カールという男が死んでいる、そのことは想定していたはずなのだ。なのに何故だろう。何故、心がこれほどにかじかむのだろうか。

「……これがお前の戦か、友よ」

 もはや疑いようがない。この喪失感こそ彼が友であった証。彼は友であったのだ。ゆえにこれから先の自分が喰らわねばならなかった。友だから、かけがえのない者だから、自分の手で奪わねばならなかった。奪うことすら奪われた虚無。

 これは――許し難きことである。

「テイラーの死を知るのは俺一人だ。皆、察している者はいるだろうが、重症のため床に伏していると思っている。重症の中、戦の指示を出していると、思っている」

 ギルベルトは優しげな手つきで温もりを失った屍を撫でた。そこに、まるで魂でも入っているかのように。優しく、あたたかく――その貌は平静であった。だが、その薄皮一枚の下、どれほどの憤怒を抱え込んでいるのか、ウィリアムですら想像もできない。

「ただの一刺し、それが死因だ。俺たちは何度もこの程度の傷を乗り越えてきた。だが、それは運が良かっただけだ。たまたま臓腑に傷がつかず、たまたま傷が膿み病が広がることもなかった。それだけのことだったのだ。テイラーは、運がなかった。生きるべき男が、たまたま死んだ。……許せるか? たまたまなどと、こんなふざけた話が」

 どれほどの怒りをため込めばこのような笑みが生まれるのだろうか。その貌には美しく、清廉と、凛とした笑みが張り付いていた。

「俺は許せない。俺を使えリウィウス。俺を剣として、ネーデルクスを、ゲハイムとやらを、あまねく全てを切り伏せろ。出来ぬというなら此処で斬る」

 ギルベルトの表情にはやはり怒りはない。だからこそ恐ろしいのだ。

「そのために来た。存分に振るってやるさ。そして、俺とカールがこの戦を勝利に導く」

 その恐ろしさは一振りの刃。鋭く、より鋭く、研ぎ澄ました白刃。叩けば折れる繊細さ。しかし、正面から切り裂けば何物も阻めぬ最強の剣となる。今のギルベルトはそういう状態なのだろう。使い手次第で砕けやすいガラス細工にもなる至高の剣。彼は自身を振るう主を失ったことで、皮肉にも剣としての完成を見た。

 一対一ならば巨星にも、ヴォルフにも匹敵するであろう領域に。

 もしかするとそれすらも――

「カールの死すら俺は利用するぞ。こいつもそれを望んでいる。そのための格好だろう? 見せつけてやろう。久しぶりに、無敵のカール隊といこうか」

 ウィリアムの言葉にギルベルトは「ふん」と鼻を鳴らした。ウィリアムはカールの意を酌んだ。この戦備えの意味を、カールの残した火の使い方を、彼は全て理解している。一つの怒りを刃に、大勢の憤怒を紅蓮に、男は戦場を演出する。

「……テイラーは普段から大事な人に向けた遺書を残していた。家族に、兄に、妹に、イグナーツや俺にもあった。これはお前の分だ。中は見ていない。暇な時にでも見ておけ」

 ギルベルトが投げ渡してきた封書をウィリアムはその手に受け取った。それは何となくだが、命の火を灯したバトンのような、熱く光り輝く、彼の蒼い瞳のような、そんな熱をその封書は持っていた。

 蒼き炎が繋がる。戦いの時が来た。

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