幕間:毒を秘めし者たち

 様々な思惑が絡み合うアルカディア中枢を離れ、テイラー商会のホープであるデニスは旧オストベルグ領に入り込んでいた。様々な国籍の人買いたちが押し寄せてくる合戦跡では、武力に追いやられ、家を失い、家族を喪失した哀れな者たちが、身柄を拘束され市場に出てどこぞの国へと運ばれていく。こういった場所では早い者勝ちがルールとして存在し、先んじて鎖や枷などで拘束した『モノ』は、今この場で取り仕切っている者たちが所有しているのだ。この早い者には軍や傭兵も含まれる。

 要は勝った者が所有するのだが、今回のは大戦であり範囲が広過ぎた。そのため取りこぼしやあえて捨て置いた商品がごまんといる。

 デニスの役目はそれらの回収、および国外に出させぬこと。

「おいおい、あのガキ」

「何人買うつもりだよ?」

 もちろんデニスも選り好みはする。老人、病におかされた者は弾くし、そもそも大した値もつかない。ゆえに人飼いたちは老人をできる限り若く見せようとするし、病を隠そうとする。それを見抜くのが人買いの手腕なのだが――

「あの小僧が手を上げなかったぞ」

「ってことはありゃ駄目だ。病気持ちなんだろ」

 デニスの見切りが凄過ぎて他の者も追従する形になってしまった。しかもすでに資金力の差を十分に示した状況で、下手に食って掛かる商人はいない。全部買う気だが、釣り上げて高めで掴まされる可能性もあるし、こういった場では金を持っている奴が正義。

 下手な抵抗は命取りになりかねない。

「切り上げだ。ここは駄目だぜ」

「テイラー商会が奴隷市場にも手を出すかぁ。こりゃあ市場が乱れらァ」

「何人かのとこが声かけられているらしいぜ。ほれ、あそこのドゥシャンの野郎、いつもなら買い漁るくせに声も上げねえ。あっちのホンザもそうさ」

「でかい、強いとこばっかか。この市場も駄目かもなあ」

「あそこは市場を荒らして喰っちまうからよお。小麦も今は三分の一くらいはあそこが噛んでるだろ? 今はメアリーってのが仕切ってるらしいんだが、不作でその価格じゃ出せねえって泣きつく農場主に契約書かざして農場自体接収しちまったとか」

「鬼ばっかだよ。まあ大将がバックにいるからなあ。しかも二人ときた」

「実質国策商会だよクソが」

 テイラー商会という大商会、それのバックには二人の大将がいる。抵抗は本当に命にかかわるのだ。大将クラスの私兵を動かすだけで、並の商会なら守れもしない。それなりの領地を持った貴族ですら防衛は至難の業だろう。

 テイラー商会は商人の中で『悪食』と罵られていた。どんな業種でも、どんな市場にも、手を出し足を出し、市場をかき乱して我がものとする。そのやり口は時に強引に、時に整然と、資金力と知識、人材を生かして奪い去っていく。

 ゆえにどこも本腰を据えて勝負する気はなかった。

「どうなってるんだよ!?」

「この男なんて他所なら結構良い値がつくはずなのに」

 他の商会が散開し、売れ残りを抱えた人買いが頭を抱えていた。

「他所へ運ぶのも面倒でしょう。あっちの男二人、そこの女三人、少年はその二人、少女はそこの一人を買い取りますよ。一人につき銀二十枚、どうでしょう?」

 商品の質からすると破格の安さ。しかし、この場にデニス以外の商人はおらず、他の人買いはその商品を不良品だと思っている。デニスがそういう風に操作したのだ。場を支配して、その場では買わずにあとで安く仕入れる。

 人買いは彼が放つ悪魔の微笑みを見て銀二十枚で手を打つことを決めた。良い商品を見抜き、場を支配して安く仕入れる。テイラー商会の商人はこの基本を全員が徹底して行う。ゆえに嫌われ、ゆえに強い。

 デニスは最強のテイラー商会、その徹底したやり口の申し子であった。

 テイラー商会の看板を背負った若き俊英が動き出す。


     ○


 ウィリアムはすんと皿をひと嗅ぎし、にやりと微笑み使用人を手招いた。少しばかり青ざめた表情の使用人。ウィリアムはその頭を掴み皿に押し付ける。突然の暴挙に驚く周囲をよそに、ウィリアムは使用人の顎を外しその皿にゆらゆらと波打つスープを咥内へ流し込んだ。結果――

「あ、ぎぃい、がぁぁああああああッ!?」

 のたうち回る使用人。泡を吹き、体を痙攣させ、身体中の穴から血を噴き出し絶命に至る。その凄絶な死にざまに視線すら向けず、ウィリアムは別の皿に手を付けていた。今起きた事象など何でもない、ウィリアムの振る舞いはそう語る。

「ほお、毒について知見があるか」

「今はテイラー商会に吸収されておりますが、私が経営しておりましたリウィウス商会の始まりは薬品、その原料などにございます。私自身、多少の知識もございますし、アルカディアのどこそこにどんな薬品が出回っているか、おおよその見当もつきまする」

 薬も過ぎれば毒となる。大抵の毒は薬品を強めたもの、ないし別の使い方をしたもので、薬屋の裏の顔として毒もまた取り扱っているケースは多い。裏の側面が強かったリウィウス商会など表と裏が入れ替わっていたほどである。

 そう、リウィウス商会は毒になると知って原料を売っていた。その帳簿はウィリアムの頭の中に入っている。テイラー商会に取り込まれてからの七年間、そのデータも頭の中で更新済み。危険で、違法すれすれ、完全に違法である部分まで網羅されたそれは、ある意味で王族すら知りえぬ裏の情報であった。

「人を死に至らしめる毒は、その強さのあまり危険な報せを放つもの。今回の場合は匂いでしたが、色合いや味でも大きな変化がございます。まあ、味であれば手遅れでしたが。ふふ、私はなかなかに運が良い。そも、先日のように無味無臭であれば避けようがありませぬ。ゆえに毒とは恐ろしい。本当に、恐ろしい」

 しかし、それすらウィリアムにとっては浅瀬である。

(こやつ、妾の持つ毒を知る、か。どこで、どうやって、それを知り得る?)

 毒の危険度が高ければ高いほど、それは闇を通じてでしか買えない。王族であってもそれは変わらず、その闇はウィリアムが完全に抑えている。ゆえにウィリアムは恐れず皿に手を伸ばせたし、致死性であれば匂いのみに警戒すればいいことも知っていた。

(毒で俺を殺したいなら、手前で用意するこった。それが難しいから毒は高価で、その情報は俺をすり抜けていかないんだがな)

 相手が毒蛇であっても、その毒を売る側であれば警戒は容易である。何処の誰がどういう毒を持つか、完全に知る者にとって毒は無力である。情報さえ握れば極論そのものに近づかぬだけで毒は封殺出来るのだ。

 ウィリアムは知る。ゆえに強い。大商会の長、モノの流れを操り、金の濁流を従え、今度は人すら操ろうという。生まれ持った女の武器を使う目の前の魔女も恐ろしいが、老若男女問わず世界全てを牛耳ろうとするこの男が恐ろしくないはずもなし。

 レオデガーは微笑む。あの頃よりもさらに巨大になった、自分の恋敵の強さを知って。これならば喰われる恐れはない。逆に、喰らうことまであり得る。『彼女』の人を見る目は正しかったのだ。今のような『根拠』を持たぬ時から、この男を魔人と見抜いていたのだから。自分などとは比較にもならぬ、真の怪物の饗宴。

 今後王宮で繰り広げられるであろう魑魅魍魎の中に、己はいないだろう。そう考えると少し心が安らぐのだ。それが死と同義であったとしても――

 この饗宴はウィリアムがアルトヴァイス城から出立するまで続いた。その間、クラウディアは終始ご機嫌であり、ウィリアムもまたどこか楽しげであった。


     ○


「最後は私か」

「一番楽ですので。殿下相手であれば道理だけで良い」

「ふふ、敵対する私の下にも躊躇なくやってくる胆力はさすがの一言」

 最後の砦にして最も容易き関門であるエアハルトは、魔女の下から生きて帰ったウィリアムを見て一文の書かれた羊皮紙をすっと差し出す。

「国益に沿うものならば賛同する。だが、それ以外はやはり敵だよ。君は強い、強過ぎる。アルカディアという国において君は薬には成れないんだ。強過ぎるから、君は毒にしか成れない。私は自分の分を超えてでも、毒をこの国から取り出して見せる」

 羊皮紙には法案が書かれていた。それはウィリアムの想像通りのもので、ウィリアムが求めていたそのものである。思惑を察し、それに応じる手も最善手。自分が天を掴む上で一番の難関はやはりこの男になるだろう。

「私が毒であれば、私がこの地に生き、この国がそこにある限り、徐々に毒への耐性がつきいずれは克服するでしょう。なればそちらの方がより強い国です。毒であること、お褒めの言葉として預かっておきまする」

 エアハルトにとっては目の前の男が最初にして最後の敵。兄も親族も自分の敵ではなかった。この男のみが自分の敵としてこの場に君臨している。この男に己が勝てるところは少ない。されど、唯一にして絶対の部分が勝っている。

 アルカディア王家の血筋。ウィリアムがどう足掻こうと、それを身の内に取り込む術を彼は持たない。生まれは絶対なのだ。それを超えるためには全てを破壊するしかない。だが、ウィリアムはその手を取らないだろう。彼もまたエアハルトと同じ、国益を重視しているのだから。なれば残りは一手のみ。

 すでにエレオノーラには種をまいた。クラウディアは外に出した。どちらを取ってもエアハルトの首まで届かない。届かせない。

 勝つのは己だ、両者の眼はそう語る。

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