幕間:アルトヴァイス城の魔女Ⅲ

 ウィリアムがアルトヴァイス城に到着した頃、アルカスの王宮にて今となっては珍しい組み合わせが面と向かいお茶を嗜んでいた。

 アルカディア王国第二王子エアハルトと同じく第二王女エレオノーラ。元は一人の騎士を寵愛し、一人は騎士の敵に、もう一人は今もなお騎士の味方であった。騎士を起点に意見の対立が散見するようになり、以前のような関係性ではなくなっていたが、こうして面と向かえば穏やかなもの。双方とも棘だった雰囲気はない。

「――そう言えば皆が噂しているね。とうとう白騎士があの女と接触したと」

「あの女……お姉さまのことですか?」

「もちろんさ。あれは危険な女だからねぇ」

「実の妹をあれ呼ばわりですか。感心しません」

「あっはっは。私とは腹違いだし、そもそも仲だってすこぶる悪い。アルトハウザー家への縁談をまとめたのだって私だ。理由は簡単、魔女を王宮から遠ざけるため」

「クラウディアお姉さまはそのようなお人では」

「そのような人だよエレオノーラ。有能で忠実たる左大臣レオポルトの末路をお前は知るまい。息子であるレオデガーに家督を譲り、逃げるようにこの世を発った男が死んだ、本当の理由を」

 エレオノーラは答えに窮する。彼女とて王宮に流れる噂は知っている。ただ、半ば妄言や感情交じりのそれらは決して信憑性の高いモノではなかった。尾ひれのついた話、信じる必要などない。エレオノーラはそう思っていた。

 だが、エアハルトの口から語られるならば話は異なる。彼は無駄な嘘は言わない。いつだって正しい情報を握っている。それが身内であるならば精度は段違いに高まる。情報網の広さは王宮内でも随一、最も情報を精査出来る位置にいる男が――

「王宮内に流れる噂は知っているだろう? レオポルトとクラウディアが『関係』を持ったがゆえに夫婦仲がこじれ、妻が夫と無理心中をはかった。心中は成功。レオポルトも妻も死に、一族の醜聞が流布されるのを恐れたアルトハウザー家がそれを自殺とした、と。そんなところかな?」

「事実、なのですか?」

「全然違うよ。事実無根だ」

 エレオノーラの顔がぱっと華やぐ。クラウディアとエレオノーラの関係は非常に良好で、妹は姉のことを敬愛していた。姉も妹のことを大層可愛がり、よく二人そろって社交の場に出ていたほどである。

 だから悪い噂が虚構であることを喜んだのだ。

 それが――

「悍ましい事実を隠匿するために、私が流したデマだからね」

「……え?」

 良い方向であるとエアハルトは一言も言っていないのに。

「レオポルトはね――」


     ○


「――父は偉大な人だった。聡明で、公平で、厳格だったけど、時折優しくて……一族の誇りだった。僕の手本だった。夫婦仲も良かったんだ。身内の僕が言うのもなんだけど、政略結婚の多い貴族には珍しくおしどり夫婦というか、まあ、そんな感じ」

 朝の混乱が落ち着き、ウィリアムとレオデガーはアルトハウザー領自慢の小麦畑の中を散歩していた。ここならば誰にも咎められることなく、魔女の眼も届かないので話が出来る。レオデガーはそう言っていた。

「僕も少しずつ仕事の手伝いをして、ヴィクトーリアのことで喧嘩もしたけど、父子の信頼関係は築けていたと思う。尊敬していたし、愛されていた」

 すべて過去形。レオデガーが見ている彼方も遠い過去なのだろう。城にいたころとは違う幸せそうな笑みを浮かべていた。何処か儚げでもあるが。

「彼女が来た。最初は穏やかだったんだ。毅然とした態度だったけど決して高飛車じゃなく、きつい言葉も使うけど、優しい言葉だってあった。父も母も、当時の使用人たちも彼女への信頼を深めていた。今考えれば、種蒔きだったんだろうね」

 いきなり悪意の種をまくのではなく、土壌を整えて豊かにしてから――

「父と母の関係が少しずつ悪くなっていった。最初、僕は原因がわからなかったんだ。母もそうだったと思う。父の態度が急変したわけでもない。ただ、絶妙だったバランスが少しずつ、乱れていた。いつか元通りになる。そう思って悠長に構えていたよ」

 だが、それが元通りになることはなかったのだろう。レオデガーの苦渋に満ちた顔を見ればわかる。後悔と、怒り、憎しみと諦めが入り乱れる表情であった。

「父が母を毒殺した。毒を用意したのは三十年うちに仕えている執事長だった男だ。どちらも知らぬ間に彼女に呑まれていた。悪意の華が咲いたんだ。さらに悪意は伝染する。男の使用人は為すすべなく……色欲に飲み込まれていたこの城は、一瞬にして地獄と化した」

 もしかすると最初からクラウディアはレオポルトと関係を持っていたのかもしれない。それをひた隠しにして、じっくりと色香をしみこませて狂わせる。ローレンシア中に知れ渡る美姫の蜜にまみれたなら、いずれ抵抗する気力すら湧かなくなるだろう。

「父は色香に狂っていた。知らぬ間に彼女の虜になっていた。他の使用人たちもそうだ。僕も最初は抵抗した。でも、何人かの使用人に拘束されて、仕方がなかったんだ。あれは、無理だ。わかるだろ? 無理なんだよ、無理だと言ってくれ!」

 レオデガーは狂った目でウィリアムの胸倉を引っ張る。まるで許しを乞うような、拒絶し罵声を浴びせられるのを待っているかのような、哀れなる男の姿を見る。

「難しいと思います。私でも――」

「嘘だッ! 君は抵抗できる! 僕のように愚かな選択をしない! 僕が父を殺したんだ! 彼女が僕の耳に囁いた。父が妾を独占しようとしているって。馬鹿な話だろう? だから何だと突っぱねてやればいい。でも、僕は出来なかった。気づけば僕の手は真っ赤で、くく、しかもそれと時を同じくして、使用人たちも殺し合っていた。同じさ。魔女の独占を、懇願を、魔性のささやきを、聞いて、聞かされて、たくさん死んだ。いっぱい死んだ。それを見て、嗤う彼女を見て、あれが『遊び』だと知った。知ったのに、僕は、僕たちは、何も出来なかったんだ。ただ嗤って、彼女が『褒美』をくれるのを待つだけ。今も、待っている。身体がね、抗えないんだ。でも、君は出来る。何故だろうね」

 レオデガーの眼は光を求めていた。焦がれ、焦がれ、失い、弱ったところを魔女に食われたのだろう。もし、此処に『彼女』がいたら、あの御日様の匂いのする笑顔が咲いていたら、アルトヴァイス城は、アルトハウザー家はどうなっていたのだろうか――

「私を恨みますか」

「はは、何でそうなるんだい? 恨む理由なんて、資格なんて、僕は何も持たないというのに。そうだろう?」

 レオデガーは光を失った。ウィリアムは自らの覚悟の下、光を喰らったからこそ、それを糧に出来たし道を見失うこともなかった。レオデガーは蚊帳の外にいて、唐突に光を失い道を見失った。何を糧に生きればいいのか、指針がなくなってしまったのだ。

 もし、『彼女』が生きていれば、生きてさえいればレオデガーが飲まれることはなかったかもしれない。ウィリアムに啖呵を切った日のように毅然とした態度で魔女を拒絶できたかもしれない。すべては推測でしかないが――

「こっちに戻ってきてお墓には行ったかい?」

「ええ、七年分の報告と北方の土産を持っていきました」

「そうか……きっと『彼女』はすごく美しい笑顔になっただろうね。まばゆくて、あたたかくて、もう一度会いたいな。ほんの少しでも触れられたなら、僕は……嗚呼、でも、もう、伸ばす手も僕にはない。ちょっと、汚れ過ぎてしまったよ」

 渇いた笑みを浮かべるレオデガーを横目にウィリアムは嗤う。確かにレオデガーの手は汚れてしまったかもしれない。だが、自分はその比ではないし、この手で光を散らしているのだ。伸ばす手がないのは己の方。

「彼女は僕たちに飽きてきた。アルトヴァイス城という箱庭に飽きてしまった。君の来訪で確実になっただろう。彼女は君を全力で落としに来るよ。興味の対象を彼女は逃がさない。気を付けることだ。君なら、大丈夫だと思うけれど」

「……お任せを。あとは、私が請け負います」

「そうか。じゃあ、君に任せたよ」

 儚げな笑顔でレオデガーは微笑んだ。きっと、彼はこの先を理解している。まるで肩の荷が下りたかのような笑顔が、それを暗示していた。


     ○


「――お姉さまが、そんな、そんなことを!」

「事実だ。あの女からも言質は取ってある。ただ、王家にとってもこの醜聞、表に出せぬ。だから私が先んじて多少マシな嘘を流して火消したんだよ。時系列は少し弄ったけど、そんなことを気にする奴はいないから。結果は同じ、夫婦揃って死んで、息子だけが残った。それだけのことさ」

 あまりにも酷い中身に、エレオノーラは発する言葉を持たない。

「ふふ、本当にお前は、どこまで行っても綺麗なまま、か」

 その様子にエアハルトは笑うしかなかった。人としての美徳である清廉潔白であること。それが王族である自分たちにとってはマイナスでしかないのだから笑うしかない。エレオノーラはこれがある限り上に行けない。行く気もないのだろう。

 ならば、近い将来必ず彼女は切り捨てられる。

「これは兄の忠告だ。歯向かわれた時に二度とするまいと思っていたが、気が向いたのでな、一つお前に教えてやろう」

 姉の凶行を無視していきなり語り始めるエアハルト。エレオノーラはその落差にまるでついていけてなかった。エアハルトもこの場でついてくることを望んでいるわけではない。ただ、留めておいて欲しいのだ。肉親が望みを果たす、可能性程度は与えてやろう、と。

「白騎士が欲しいなら汚れろ。クラウディアを押しのけ、場合によっては殺してでもあの毒を手に入れろ。いいかい? あの男が猛毒を隠し持つように、この私も含めて軍、政限らず闘争の場に身を置くものは皆毒を持つ。毒を持たぬということは戦えぬということ。戦えぬ者に場所を与える男ではない。あれが作る世界、その中枢に無能は一人もいないだろう。今のお前よりも、面識のほとんどないクラウディアの方がよほど白騎士に近いところにいるよ。これをお前がどう受け取るか、それは自由だ。好きにしたまえ」

「わ、私は、欲しいだなんて。それに、あの人には奥方様が――」

 エアハルトは歪んだ笑みを浮かべ――

「それは彼の目的次第さ。もし、もしだよ、彼が王冠を狙うなら、今の連れ合いでは力不足。永遠に手が届かないだろうさ。玉座には血が要る。大義が要る。力が要る。今の彼なら後者二つは用意出来るけど、血だけは用意できないだろう?」

 エレオノーラはごくりとつばを飲み込む。自分の身体で揺れ動く何かを、エレオノーラはまだ知らなかった。その揺れの名を、まだ認識できていない。

「血を手に入れる近道は、お前たちどちらか二人を喰らうこと。その際に邪魔なのは、今の連れ合いだ。賭けてもいい、彼は今の連れ合いを処分するはずだ。もう、テイラー家という隠れ蓑は必要なくなったからね。さあ、そうなった時、お前はどうする? エレオノーラ・フォン・アルカディア」

 湧き上がる感情。諦めていた、抑えていた何かがあふれ出す。


     ○


 アルトヴァイス城に戻ると中央階段の上にクラウディアが立っていた。それだけでレオデガーは気圧されたかのようにたじろぐ。しかし、仮初であれど主人であるレオデガーには目もくれず、彼女の視線は階下で悠々と自分の視線を受け流す男に向けられていた。

「ウィリアム、今日の夕餉も共にせよ」

 これは挑発。器の大きさをはかるもの。

「喜んで。ああ、昨日の食前酒、あれは美味でした。今宵も期待しておりますよ」

 クラウディアは震える。

「くく、存分に期待するがよい。妾は、男の期待を裏切ったことがないでのぉ」

 昨日のはあくまで試し。如何に子供とていきなり玩具を壊す真似はしないだろう。これくらいのストレスをかけても大丈夫。そう思いまずは試し、そこから少しずつ負荷を上げていく。どういう負荷の上げ方をすべきか、彼女は興奮を抑えきれないでいた。

 魔女のじゃれ合いをどう捌くか、ウィリアムもまた頭の中で策を練る。

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