幕間:昔話Ⅰ

 騒がしき喧噪、ウォーレンは彼らを見ているとルシタニアでの祭りを思い出してしまう。彼らの場合は、それが日常なのだから凄まじいバイタリティであると、静謐を好む男は静かに苦笑いを浮かべていた。

「よお、一杯どうだ?」

「遠慮しておこう」

 現在の主である男からの勧めをウォーレンは断った。男もまたそれほど執拗に勧めようとはしない。ただ、酒を断っている理由については興味津々の様子。

「大した理由ではない」

「復讐達成までとか?」

「復讐する権利など俺にはない。友を止めることが第一義。あとは、理由を知りたい」

「理由?」

「何故、それが納得に至るものであったなら、やはり俺にその権利はない。止められなかった、気づきもしなかった俺の、親としての穴。度し難いほどの愚かさが、弱さが、この状況を招いたのだと、そうとしか思えんからな」

 男は、渡そうとしていた酒をぐびぐびと飲み干し、どさりと腰を落とす。

「何となくよ、そりゃあ俺も馬鹿じゃねえ。あえて名前を伏せる理由も、それとなーく察してるし、色々と気にはなる。でもま、それは問わねえよ。そこは、今ここに至った以上関係ねえからな。今更それで揺らぐ立場でもあるめえ。そこはいい。ただ――」

 男はにんまりと笑みを浮かべた。

「てめえの『強さ』で、なんでそこまで自虐的なのか。そこは気になる」

「大した話など――」

「昔話くらい良いだろ? それとも、そこも絡んでくる話なのか?」

 これ以上の押し問答はこの男を刺激するだけ。そう思いウォーレンは観念したかのようにため息をついた。思い出すかのように目を瞑り、そして、口を開く。

「……大層な話ではない。ただ、井の中の蛙が大海に挑み、逃げ帰っただけの話だ」

 それはずっと昔の、ちょっとした物語。まだ、始まりに至る前の――


     〇


 ウォーレン・リウィウスは物静かな少年であった。自己主張せず、目立たず、己が生まれに殉ずる覚悟があった。剣鍛冶の家、代々、記録が残るよりも遥か昔から続く家柄である。祖国であるルシタニア、金の森に至るよりさらに昔なのだから驚嘆に値する。

 ただ、生涯を剣鍛冶に捧げる。それを繋げる。それが役目。

 彼にはその素質があった。父親よりも才能があると隠居した祖父、近年では最優と謳われし名人に言わしめた剣鍛冶の才。それに驕ることなく研鑽し、黙々と、粛々と続け、繋げていくことに誇りもあった。

 だが――

「年に一度の大祭りもいよいよ佳境。ルシタニアの伝統たる魔を断つ剣。至高の一撃を担う剣士はどちらか? 一人はご存知ブラッド・レイ・フィーリィン。もう一人は――」

 彼にはもう一つの才があった。

「ウォーレン・リウィウス! ありえない光景です。この大祭りの決勝、一年の締めくくりはレイ同士の剣士が競うが慣例にて通例。歴史を紐解いても、私の知る限り初めてのこと。長老の方々は渋い顔をしております。あ、すいません。ごめんなさい」

 剣を打ち鍛えし者、リウィウスが剣を行使するなど聞いたこともない話。伝統を重んじる長老方は当然渋面を浮かべ、険しい表情のまま腰かけている。

 とはいえ、正当な手段で勝ち上がり、フィーリィンとは別のレイを下しての決勝進出ともなれば批判のしようもない。負けたレイは茫然自失、一族から冷たい視線にさらされている。されど、彼が弱かったわけではないのだ。

 歴代で見れば平均的な、レイとして充分な技術を備えている剣士である。

 つまり――

「俺が勝つぞ、ウォーレン」

「……ああ」

 彼が強いのだ。その技量、歴代でも上位の力を持つブラッドと比して――

「おおっ!?」

 互角。あいさつ代わりの一撃必殺。中空で火花が散り、音が耳に届くころには互いに剣を鞘に納めている。それを足さばきで入れ代わり立ち代わり、立ち位置を変じながら、体勢を変えながら、幾重にも刃を重ねていく。

 本来、レイ同士しか成り立たぬはずの剣舞。美しく華麗、何よりも速い。

「しッ!」

 ブラッドの剣は速く、美しいレイの、ルシタニアの規範となるべきモノであった。誰もが彼を褒め称え、誰もが彼を当代随一と信じて疑わない。華がある。

「ふッ!」

 対するウォーレンの剣はどこか無骨で、美しさには欠けていた。速さこそ互角に近いが、見る者を魅了する華はない。だが、強い。とかく力強い。剣鍛冶で鍛えし膂力とそれを十全に発揮する技術。剣に対するリウィウスのひたむきさが、剣の行使にも表れていた。ルシタニアの剣士に求められるモノではないが。

 されどその剣――

「ぐっ!?」

 レイを圧し始める。

「ブラッド!」

 フィーリィンの縁者たちが叱責の声を上げる。レイが屈するなど、しかもリウィウスになど、あってはならないのだとその声は内包する。役割が違うのだ。同じ剣を繋げるでもそこには大きな違いがある。分けねばならない。別たれているべき。

 それは、きっとルシタニアの総意で――

「…………」

 ウォーレンも、それを理解していた。

「おお!」

 だから、と彼が言葉にすることはない。あくまで彼は剣鍛冶だから剣士の体力はなかった、と言い張るだけ。結果は――皆が望むほうへ。

「勝者、ブラッド!」

 望まれてはいない。皆の期待に背くようなエゴ、彼は持ち合わせていなかった。

 それに、勝ったところで何が変わるわけでもない。自分はリウィウス。どれほど強くともそれが変わることはない。そこに不満もないのだ。充足感すらある。

「鍛錬不足だぞ。数手、ひやりとさせられたがな」

「体力さえあれば俺が勝っていた」

「ぬかせ」

「ああ、負け惜しみだ」

 だからこれでいい。これで何も間違いはない。遠方からずんずんと歩いてくる人影が見えるのは気のせいで、『彼女』の形相にウォーレンはそっぽを向く。ブラッドの目はぱあと輝き、勝利の喜びを婚約者と分かち合おうと――

「ブレンダ! 俺が勝った――」

「ウォーレン!」

 ブラッドの横を通り過ぎ、ウォーレンの腹に蹴りを一発。

「ごふっ!?」

 悶絶するウォーレンをよそに、ブレンダの顔は鬼の形相であった。

「気合が足りてない! どうして貴方はすぐにやる気がなくなるの!」

「やる気はあった。体力が――」

「剣鍛冶なら体力くらいあるでしょ! 言い訳無用!」

「……使う体力が違うんだ」

 ぎゃーぎゃーと喚き散らすブレンダ。聞き流すウォーレン。そして、それを少し恨めし気にみているブラッド。これだけで三者の関係性が見えてくるというもの。

「私に勝ったんなら優勝しなさいよ優勝!」

「ブラッドの方が強かった。それだけだろう」

 それでも憤懣やるかたない彼女は気の済むまで当たり散らしたという。

 ブレンダ・フィーリィン。とある事件によって廃絶したレイの家系、その末裔である。フィーリィンに引き取られたのち、ブラッドと結婚するまでの流れが本人の意思に関係なく組み込まれていた。意思が介在出来なかったことに彼女は不満の様子。

 ブラッドとの仲も悪くない。何よりも――

「稽古つけてあげようか?」

「俺が勝ったのに?」

「稽古つけてあげる。みっちりと」

 彼女の剣は何物よりも美しかった。レイを継ぐ中でも最も美しき剣の一族、その技を継ぎ、本人も美しいともなればその姿は格別である。ブラッドよりも速くなく、ウォーレンよりも強くない。それでも、彼女はこの二人と並べて遜色ない技があった。

 そして、強いリーダーシップ。皆を引っ張るカリスマ。美しさと相まって誰もが彼女に惹かれていた。ただし、彼女にその自覚はない。それが少し困りもので――

「早く、行くわよウォーレン!」

「いやだ」

 少しだけ、にじみ出る特別扱い。そこに何かを抱くものは少なくない。


     ○


「外界に出よう!」

 突然の提案。若き剣士たちは一様に口をあんぐりと開ける。

「私たちの、ルシタニアの技を試したいの!」

 当時の当主が外に出たことで彼女の家はレイの名を失った。レイはルシタニアの守護者、『今』はそう定義づけられている。そこから逸脱すれば――

「ダメだブレンダ。ルシタニアの戦士は外に出てはいけない」

「自分の力を試してみたくないの?」

「それは――」

 されど若き彼らには同じ気持ちがあった。日々の研鑽、それを披露する場が身内の、年に一回のお祭りだけ。ルシタニアでは何番か、全員、何となくの序列は理解している。だが、世界ではどうか。ルシタニアでは中堅でも、世界でなら――そう、思ってしまった。

「私は行くわ!」

 他ならぬブレンダの言葉に揺れぬ者はいなかった。


     ○


「……悪くない。励め」

「はい!」

 父親には一度として与えられることのなかった及第点。名人である祖父の言葉に否応なく胸が高ぶるウォーレン。あの日の想いに間違いはなかった。自分はリウィウス。繋げる者なのだ。剣を通して、いつかといつかを繋げるために――

「ウォーレン。あの子が作りすぎちゃったってご飯持ってきてくれたわよ」

「あの子?」

「ほら、あの子よあの子。よく気の付く子。ああいう子に来てもらいたいわね」

 工房にひょっこり顔を出した母親の言葉に、首をかしげるウォーレン。該当する人物が思い浮かばない。そもそもこんな小さな集落なのに、寡黙な彼は友達が少なかった。

「ブレンダ、ではないか。料理、出来ないだろうし」

 そう言ってウォーレンは作業に戻った。正しく、リウィウスを繋げるために、日々精進、日々研鑽、そして、いつか伝えよう。この世界の、感謝を。

 遥かなる時を超えて――


     ○


 しかし、最後はブレンダに押し切られ、ウォーレンたちはルシタニアの外、彼らが外界と呼ぶ世界へと踏み出すことになる。其処で彼らは知るのだ。自分たちの世界、閉じられたことで捨てたものを、逆に手にしていたものを、彼らは知る。

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