幕間:本命の一手

 星の離宮にてルドルフは絵を描いていた。最近凝っている趣味の裸婦画ではなく、一人の男を描き込んでいく。精悍で、柔和で、温厚な、人懐っこい笑み、その下にあるものを描こうと躍起になる。描けば描くほどに遠ざかる印象。表面と中身が一致しない。

「……わからないな」

 そこにはエルンストと瓜二つの肖像画が完成していた。見事なまでに好青年が描き込まれている。ただ、しっくりこない。どうにも遠く感じてしまう。

「お坊ちゃま、またそのようなものを……あら?」

 勘違いしたままどかどかと入り込んできたラインベルカははたと立ち止まる。

「うまいもんでしょ。我ながら上出来さ」

「ええ、もはや宮廷画家と比べても遜色ない出来栄えです。さすがお坊ちゃま!」

 ラインベルカはぱちぱちぱちと拍手をする。本当に驚き、心底素晴らしいと思い、素直に拍手をしている。きっと、同じ絵を他の誰かが描いたとしても、ラインベルカはこういう反応をしない。己惚れかもしれないが、彼女はルドルフを特別視している。好意か、母性か、根源はわからぬが明らかに他の者と扱いが異なっていた。

「君がいっぱいいるんだよなあ。ほんと気持ち悪い」

「……へ?」

 いきなり暴言を吐かれて意気消沈するラインベルカ。ルドルフはそれを一瞥することもなく考え込んでいた。この絵に足りぬもの、彼がひた隠しにしている何か。

「この絵に何が欠けていると思う?」

 問われたことに気づいたラインベルカはぐすんと涙ぐみながら背筋を正した。

「僕には何かが欠けているような気がするんだ。君はどう思う?」

 主の期待に応えようとじっくり絵を見つめるラインベルカ。しかしよくわからないのか首を捻ってばかりであった。エルンストの取り巻きと少し似たところがある彼女であれば、何か感じるところがあると思ったが期待外れであったようだ。

「まあいいや。で、何か用があるから来たんでしょ?」

「あ、はい。その通りです。ゲハイムの件ですが、お坊ちゃまはどうなさるおつもりですか? フェンケの熱弁に議会が揺れておりまして……お坊ちゃまの意見を聞いて来いと陛下から」

「優柔不断な王様だなあほんと。あとフェンケの奴は黙らせとけ。ゲハイムとも二度と接触させるな。あの女の好みそうな男を五、六人ぶち込んで幽閉。一か月もすりゃつやつやになって出てくるでしょ」

 ルドルフの顔に冗談の色は見えない。本気で三貴士の一人であるフェンケを幽閉せよと申しているのだ。この乱世に優秀な将を一人欠くという意味をわからぬ男ではないだろう。それでもなお幽閉とするに至った理由は明白――

「危険ですか、あの男は」

 エルンストという男の影響力。

「もちろん危険だよ。忠誠ってのは一朝一夕に生まれるモノじゃないし、そもそも僕の持論だけど忠誠ってさ、立場の差と損得があって初めて成り立つものなんだよねえ。今のエルンストにはそれがあるだろうか。ないことはないんだろうけど、ハースブルク家の僕ほど強制力はないはずでしょ。そりゃあ僕はあまり人に好かれないし、比較対象とするにはちょっと駄目かもしれないけど……ここ違いますよって言うとこなんだけど」

「も、申し訳ございません。思ってはいたんですよ、口に出せなかっただけで」

 付き合いの長さ故手に取るようにわかる。ルドルフの発言にラインベルカはちょっぴり納得していた。そう、納得していたのだ。

「……僕の駄目なところを言ってみて」

「……長くなりますが」

「……結構です」

 彼女には自分の悪いところが見えている。その上で忠誠を誓っているのだ。

「じゃあエルンストはどう思った?」

「好青年ですね」

 お坊ちゃまとは違って、などと心の声が漏れまくっている。

「それだけ?」

「はい。それ以上でもそれ以下でも。少し理想が過ぎますね。あとアルカディアのことになると露骨に復讐心を剥き出しにしていた点は、まあ仕方ないでしょう」

 良く視ている。流されず冷静に観察できたラインベルカと、表向きの好印象にほだされて呑み込まれたフェンケと、何が違うのであろうか。

「なるほど。うーむ、わからん。ちなみに僕の意見は七、三くらいで利用する方に傾いているかな。危険だけどそれゆえに利用価値はある。最終的な判断はもう少ししてから出すよ。全ては白騎士、アルカディア次第。アルカディアの危険度が増せば、毒を喰らう必要もあるだろうし」

 ルドルフはゲハイムを、エルンストを毒と現した。ラインベルカの思っている以上にエルンストを評価し、恐れている。あの神の子が警戒心を抱く存在に、今更ながらラインベルカは気を引き締めた。

「まま、アルカディアの次なる一手を待ちましょ」

「承知致しました。議会には保留させるよう根回ししておきます」

「よろしくー。フェンケの件もお願いね」

「心得ております」

 ラインベルカが退出していくのを見送った後、ルドルフはおもむろに黒の絵の具を塗りたくった筆を完成した絵に叩きつけた。

「僕の部屋に野郎の絵はいらねえ。結局何もわからなかったし、無駄な労力だった。さってと、お口直しに女の子描かなきゃ。あー忙しい忙しい」

 ひょいとその絵を投げ捨て、真っ白なキャンパスを用意する。やはり男より女の子を描く方が良い。楽しいし後日役にも立つ。色々と。

「ん?」

 地面に転がる『絵』であったものを見て、少し、ほんの少しだけ何かが見えた。真黒な斜線の下で微笑む好青年。先程よりも少し真に近づいた気がする。

 ただ、そこまででしかなかった。ルドルフは婦人画に注力するため、懸念ごと色々を投げ捨てて没頭した。もちろん、此処でそこについて深めたところで意味はない。結局のところ考えるだけ無駄なのだ。わかるはずがない。

 ルドルフ・レ・ハースブルクは未だに失ったことがないのだから。


     ○


 ウィリアムは闇の王であるニュクスの前に立っていた。その足元に転がるのは幾人かの首。普段、この場にそんなものが用意されていることはない。少なくともウィリアムの経験上なかった状態。久しぶりとはいえ相手は永劫の怪物。たかだか数年程度瞬きをする内に流れてしまうだろう。よってこれは特別、それがこの時期と成れば――

「こいつらがゲハイムか」

『末端の末端じゃがのお。ゆえに気をつけよウィリアム』

 こいつら自体に意味はない。大した情報も持っていないだろう。本拠地の場所すら出てこない可能性がある。これは見せしめである。彼らがジギスヴァルトを拷問の末、殺したかのように。

『一度会った程度で決死の忠誠を得る。そういう相手じゃて』

 長年連れ添ったわけではない。濃密な時間を過ごしたわけでもない。ただ、エルンストという男の魅力に当てられただけの存在。

「エルンストにとってこいつらは重くない、か。なるほど、確かに厄介だ。間引いてもそれほど効果は出ないな。さて、どうしたものか」

 敵ながら厄介な存在である。実行者を使い捨ての駒にやらせて自分は安全圏での行動に終始している。本人がどういう思考で動いているのかはウィリアム、ニュクス共に感知するところではないが、危険度と下種さに関しては大したものだと感心してしまうほどであった。

『わしは何も言わぬよ。必要であればこうして間引くこともいとわぬがのお』

「間引きは必要だ。しかし、真に必要なのは防衛すること。替えの効かない人材には何人かつけてくれ。まあ、アルカス内で手出しは出来んだろうがな」

『構わぬ。好きにせよ』

 アルカスの中でニュクスに目をつけられることなくことを成すのは不可能に近い。それはつまりウィリアムに知られず動くことが不可能であるということ。アルカスの中であれば安全は確保されているのだ。

 もちろん、継続的な間引きあってのことだが。

「じっくり腰を据えて指し回すか。今は本命に取り掛からんとする大事な時期。これ以上手間をかける気はない。枝葉に気を取られて根っこでミスれば意味がないからな」

『本命とはなんじゃ?』

「国力の向上。人を増やし、使い道の幅を広げる。ある意味で宿願の一つでもある」

『……ほお』

「見ていろ。俺のやり方でこの国を変えてやる。俺自身の下地は整った。あとは暴れ回るだけだ。戦場で、宮中で、武で、商で、政で、俺は勝つ」

 ウィリアムが目指す覇道においてエルンストという存在は現状小石でしかない。今は泳がせておく。アルカスの中だけは全力で排除し、安全を確保できれば十二分である。やるべきことは多々ある。枝葉末節に囚われることなく、さりとて無視もせず、バランスの良い対処が求められていた。

 小石がどう転ぶか。それはウィリアムにも判断がつかない。


     ○


 デニスは緊張していた。あの日の金貨が自分の人生を変え、今日までお守りとして自分の支えとなってきた。それをくれた張本人に呼び出されたのだ。緊張しても仕方がない。憧れ半分、怖れ半分。デニスとてこの商会で多くの経験を積んだ。その中で多くの情報に触れてきた。あの日の英雄が決して清廉潔白でないことをデニスは知っている。

「よく来たなデニス。とりあえず座ってくれ」

「はい」

 蛇の道を知り尽くし、おそらく今でもそれらに精通している。そうでなくばありえないのだ。旧リウィウス商会の中心商材であった、多くの取引先、その末端を知れば闇の深さなど愚か者でもわかるだろう。

 目の前の英雄は皆が求める純白の騎士ではない。

「単刀直入に言おう。お前に人身売買、奴隷貿易を任せようと思う」

 そう、純白ではないのだ。目の前の男は平気でそれをのたまう。

「何故、自分なのですか?」

 デニスは表向き普通の市民の出身である。しかし、父は解放奴隷であった。奴隷時代せっせと身分を買う金をため、解放と同時に結婚しデニスを産んだのだ。ゆえに奴隷の不遇をデニスは知っている。経験せずとも父の背中を見れば自然と理解してしまう。

 その理不尽な扱いを。解放されてなお付きまとう元奴隷の烙印を。

「私がどういう家に生まれたのか――」

 知っていればそんなこと言えるはずがない。

「知っているさ。デニス・デッセル。解放奴隷を父に持ち、差別と偏見の中で生きてきた」

 知っているのにそれが言えるのであれば、

「それを知って何故!?」

 悪魔か――

「それを知るからこそ、だ。デニス、奴隷を奴隷たらしめるモノは何だと思う?」

「……個人の資質、でしょうか」

「俺の顔色を窺った答えなど聞いていない。俺はお前の、デニス・デッセルの人生に問うている。お前は何を見、何を感じてきた? 本音で語れ。ここには俺とお前しかいないのだから」

 されどその男の顔に悪意は見えず、

「…………運、かと」

「運、か。それはどういう意味だ?」

「どう生まれたか。金持ちの家に生まれたか、貧乏に生まれたか、貴族か、奴隷か、そういう意味での運だと私は思っています。それが歪んだ考えだとしても――」

「俺もそう思う。子に親は選べぬ。貴族に生まれるか、奴隷に生まれるか、そこで人生が決まると言ってもいい。まさに人生は運だ。だがな、運だけならお前は奴隷の子で、お前自身奴隷だったんじゃないか?」

 害意もなく、ただ微笑みながらデニスを見つめている。この深淵をのぞき込むかのような視線がデニスは嫌いではなかった。この眼は色々なモノを見通す。見て欲しくないものが映ることもある。だが、見て欲しいモノ、普通なら見逃すような小さな功績すら見逃さないのだ。だからデニスは、恐れていようともこの眼を嫌いにはなれなかった。

「奴隷を奴隷たらしめるもの。それは運と実力だ。運で奴隷に生まれた者は大きなハンデを背負う。それは仕方がないことだ。普通は諦める。分相応を目指す。だが、お前の父はそうしなかった。諦めず、地獄を乗り越え、自分を解放しお前を底辺の螺旋から抜け出させた。お前の今は、まずお前の父が実力でもぎ取ったものでできている。そしてお前があの日、誰よりも先んじて挙手したことで貧乏な市民から金持ちの市民へと変わった。あの場にいたことは運でも、挙手したこと、その後期待に応え続けたことは運ではない」

 ウィリアムは見逃さない。成功も失敗も。

「お前は地の底で泥にまみれた父を知っている。だからお前に任せるのだ。お前は見逃すな、お前の父のような人材を。お前が見定めろ、お前の父には成れぬ者たちを。玉石混合、どちらにも使い道はある。その見極めが出来る人材はテイラー商会広しと言えどもお前しかいない。その点に限ればデニス・デッセルはジギスヴァルトよりも上手と思っている」

 デニスはくしゃりと歪みそうな表情を抑えるので必死だった。テイラー商会にいったいどれほどの人間がいるのだろうか。その中の一人でしかない自分を、ある意味で自分よりも知っている男。焦がれぬはずがない。

「お前の懸念も理解しているよ。このアルカディアには機会の平等がない。お前の父のように這い上がろうとしても一代では上がり切れないのが現状だ。そんな国が奴隷を集めて、父のように哀れな存在を量産する。それが許せないのだろう? 其処は俺に任せろ。この案件は奴隷の戦場解禁と合わせて行うつもりだからな」

「制度を、変えるつもりですか?」

「今のアルカディアが生き残るためには必須。ゆえに必ず通る案件だ。制度を変え、今より多少マシになった国で、這い上がるも底にいるも己の自由。であれば少しは気も楽だろう。平等は遠くともゼロではなくなった。ならば、あとはそいつ次第」

 そう、すでに『道』は出来ているのだ。乱世が極まり自国防衛を真剣に考える時、誇りや慣習、差別などから不合理であった部分を変革する機会が訪れる。人が足りない。戦力はもっと足りない。なら、自国に存在する人資源を有効活用するべきだろう。その上で足りぬのならば外から何らかの手段で手に入れなければならない。

 内側をウィリアムが変革し、外側でデニスが人資源を集めてくる。この両輪が回ってアルカディアは大きく加速するのだ。

「この国が生き残るためにも誰かがやらねばならぬ仕事だ。金貸しと同様、好かれる仕事ではないが大きな利益を生む可能性は高い。さあ、どうする?」

 目の前に糞尿にまみれた金貨がある。普通の者ならば躊躇するところを、商人という人種は喜んで飛びつかねばならない。綺麗に儲けられる道などごく僅か、汚いところで戦い勝つ。誰よりも泥臭く、誰よりも執念深く、稼いだ奴が勝者。

「……及ばずながら、やってみます」

 それが商人である。

「ありがとう。お前が腹を決めてくれたなら、俺も腹を決めよう。必ず現行法を変えてみせる。俺にとって戦場は、剣や槍をぶつけ合い矢が飛び交う場所ではなくなった。ここアルカスこそが俺の戦場になったのだ。最初の道と方向性は俺が作る。しばし待て」

 ジギスヴァルトという便利な駒を喪失した代わりに、デニスという駒を立てた。これが吉と出るか凶と出るか、ウィリアムとしても楽しみな局所戦。無難に成功を収めたであろうジギスヴァルトと若きデニスは対極にあるかもしれない。

 勝てば大勝ち。負ければ大負け。商会単位で見れば、こうなる。

 しかし国全体で見た時、大商会であるテイラーを動かした時点で勝利は決まっているのだ。誰が勝っても国家規模で見ると目的は達成される。もちろん、身内であるテイラー商会が勝てば言うことはない。ただ、ウィリアムの視野での目的は、動き出した時点で完遂している。ゆえに負ける可能性はゼロなのだ。

 あとは国を動かすだけ。


     ○


 ウィリアムは自身が長い間住まわせてもらっていたテイラーの屋敷に来ていた。驚くほど昔と変わっていない内装。少しばかり寂れてしまっただろうか。カールは年中ブラウスタットにいるし、アインハルトもアルカディア中を飛び回っている。使用人は以前に比べてかなり減らしたそうだ。残っているのは旧知のメイド長と二人。伯爵の位を戴く家の本家としてはかなり簡素になっている。

 アルカスに戻ってきてから自身の屋敷にもテイラーの屋敷にも戻る暇がなかった。帰還してすぐのお祭り騒ぎから付き合いの深い者たちの屋敷を転々とし、今後の種まきとしての付き合いがてら交流を深めていたら一週間潰れてしまった。

 まあ、その中で自分の家族がテイラーの屋敷にいることを知ったのだが。

 とにかく一休み。明日以降の修羅場を考えるとしっかり疲れを取らねばならない。何をするにもまずは変革。それが為せぬならデニスの覚悟も含めてすべて水の泡となる。しっかり休んで明日に備えよう。そういう思いで扉に手を――

「ちちうえ!」

「にいちゃん!」

 玄関の扉を開けると、精神年齢互角の幼児と少女が飛び掛かってきた。小さい方はしっかりと抱きとめ、大きい方はいなして素通りさせる。少女が柱と激突して悶絶している様子を一瞥もせず、ウィリアムはその手に抱える幼児、アルフレッドとその先にいる妻のルトガルドに視線を向けた。

「お帰りなさいませ。御無事で何よりです」

「ただいま。ルトガルド、アルフレッド。苦労を掛けただろう」

「大したことは……ヒルダが守ってくれましたから」

「そうか。今度礼を言っておかねばな」

「はい」

 ルトガルドと話している間も、力いっぱい抱き着いてくる息子を感じていた。北方から出たことのないアルフレッドにとってアルカスでの生活は、父がいないことも相まって大きなストレスであっただろう。

「しばらくはこちらに?」

 ルトガルドの質問に反応するアルフレッド。絶対に離すまいと全力で抱き着いていた。

「ああ、そのつもりだ」

 それを聞いて嬉しそうに力が入った。どう転んでも緩まることはないらしい。

「さあ、放してくれアルフレッド。お父さんと一緒にご飯でも食べよう」

「どこにもいかない?」

「もちろんだとも。話したいことがいっぱいあるんだ。聞いてくれるかい?」

「「うん!」」

 喜色満面の『二人』。そのもう片方を見てげんなりするウィリアム。

「家族団らんの真っただ中なんだが?」

「私のにいちゃん。実質家族」

「……否定しきれん要素があるから厄介だな。まあいいさ、お前の大好きなクロードの武勇伝でも聞かせてやろう」

「……オェ、やめてよにいちゃん。ご飯がまずくなるよ」

「はっはっは、やめて欲しければ帰るんだな」

「仕方ない。我慢して聞いてあげるね。あーマリアンネちゃんってやっさしいんだぁ」

「……驚きの図々しさだ」

「ヴィクトーリアの妹なので」

「なるほど、納得だ」

 いそいそとご飯の支度に行ったルトガルドを追う形で三人が行く。困った顔で笑うウィリアムとそれに抱き着き幸せそうに頬を緩めるアルフレッド。そして、図々しさ全開でウィリアムの横をスキップし、時折踊りも混ぜながらマリアンネ・フォン・ベルンバッハが何故かそこにいた。本当に理由は不明である。そもそも今日帰るとも伝えていないはず。

「あ、にいちゃんが戻ってきてから毎日此処にいたんだ」

「……こっちに来るくらいなら実家に顔を出してやれ。ヴィルヘルミーナさんが泣いているぞ、たぶん」

「あの女は泣かないね。鬼の化身ですよほんと」

 マリアンネは色々あって今は家を出ていた。基本的に一人暮らしらしいが、今の職業上そちらへ帰ることもあまりないらしい。荷物置き場程度と割り切っているそうな。

「ねえにいちゃん。久しぶりに会ったマリアンネはどう? 結構美人になったでしょ」

「美人はそんなこと言わないもんだ」

「えー、そうかなあ? まー私は聞くタイプだから。で、どうどう?」

 あのちんちくりんの少女はとても美しくなった。街を歩けば男も女も視線を向けてしまう惹きつける何かも持っている。美しく可憐、中身はかなり残念だが、それでも優良物件には違いない。現に家から出た後でも縁談が絶えぬそうだ。

 ウィリアムは困った顔でやり取りを続ける。本当に、困るのだ。

 その溌剌とした横顔は、直視できないほど『彼女』に似つつあったから――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る