幕間:愛と正義の組織

 ガリアスとアルカディアの和解、実質的には超大国の敗戦に世界は激震した。今のガリアスでさえ両雄並べば勝てる。巨星を討てども、比較対象不在により評価がばらついていた次世代の英雄たち。この戦で判明する。彼らは強い。前の時代よりも明らかに強くなっている。白騎士と黒狼王、この二人図抜けた強さに世界は震えた。

 この二人を二度と組ませてはならない。否、白騎士、黒狼王、戦女神、この三人はどういう組み合わせであっても危険極まることが白日の下にさらされたのだ。

「白騎士復活。同時にアルカディアの復権、か」

「この怪物を封じていたアルカディアの気持ちはわからんでもない。一握の野心でさえ王家を揺るがしかねん。このような時代だ、天地がひっくり返ることもある」

「黒狼王強し。急ぎ使者を送れ。いくら積んでもいい。必ず我が国が雇う」

 この大戦を契機として多くの国が今までのスタンスを変えることと成った。乱世の勝者、敗者が明確になるにつれ、少しずつ安定を見せていたローレンシアであったが、またも大炎が大陸に吹き荒れることとなり、その対策に各国は追われていた。

「ヴィーラント、アルカスに戻り次第、次の一手を打つ」

「例の人身売買、ですか?」

「ああ、国力とは人の数だ。ガリアスに勝つためには今の物量では話にならん。玉石混合、玉にも石にも使い道はある。どちらも多いに越したことはない」

「石の使い道は?」

「使い捨て、だ。玉が作る未来への礎となってもらう」

 ヴィーラントは「ううむ」と唸った。顔色一つ変えず微笑みながらこの怪物はさらりと人道を踏み外す。それが狂気でなく損得勘定で、しかも大局的に必要な悪だからやる。その冷たい計算力こそ怪物が怪物たる所以で、だからこそヴィーラントはたまに怖くなる。

「俺はどっちなんですかね?」

 こういう疑問が浮かぶほどに。

「愚問だな。俺は石に仕事を任せんよ。作業はさせるがね」

 一蹴するウィリアムの表情は変わらない。本当のところはどう思っているのか、まったく見えてこないのだ。嘘ではないと思うが、もし手抜きして石のような仕事をすれば冷徹に切り捨てられることもわかっている。この男はやるだろう。

 商売のやり方で『人』が見える。ヴィーラントも人の目利きには自信があるが、出会ってから今まで、ウィリアムという怪物だけは見えてこない。底知れぬ何かがある。見ている先が遠過ぎる。ただ、それがたんなる悪意でないことはヴィーラントたちにも通じている。ゆえに協力を惜しまないのだ。最強の男と最善の道を往く。

 これほど面白いことはない。

「そりゃあ良かった。その仕事はジギスヴァルトの奴がやりたがっていた事業なんであいつに任せてくれないですか? たぶん一番向いてますよ」

「そのつもりだ。お前やアインハルトでは優し過ぎるし、メアリーはまだ場数が足りていない。ジギスヴァルトが適任だろう」

「あいつ喜ぶだろうな。アルカディアには人口が足りていないっていつも言ってましたし」

 アルカディアもまた次なるステージに歩みを進めた。この戦場でウィリアムは完全に戦争を掴んだ。黒金を討った時には薄靄がかかっていた『確信』に至ったのだ。

 ただし、それは他の者も同じ。英雄たる力を持つ者にその確信は意味を為さない。少なくとも三人はこの世界で君臨している。他にも、野に伏す英雄がいてもおかしくないのだ。


     ○


 ネーデルクス首都の一角に、俗に暗黒街と呼ばれる区画があった。身分を持たぬ者から貴族まで裏に精通する物事のすべてが此処に集結する。ルドルフとラインベルカはフェンケの案内のもとそこに訪れていた。

 今回の件は、『ゲハイム』という組織との接触にあった。ブラウスタットを落とす一助となる。フェンケはそう言っていたが、正直ルドルフは信じていなかった。藁をも縋る思い、と言うほど切羽詰まっているわけでもない。要は大言壮語の珍獣を見物する。それだけのつもりであった。

 人物を、見るまでは――

「……これは、宜しいのですかお坊ちゃま!?」

 対面で微笑む男をルドルフは知っていた。

「さあね。でも、話を聞く価値はありそうだ」

 男は手を大きく広げ、優しげな表情でルドルフへ歩み寄る。ラインベルカは警戒を強めた。それを制するルドルフ。されどその歩みからは遠ざかる。

「男と抱擁する趣味はないんでね。それにしても、君が生きていたとはね」

 抱擁を断られ残念そうな顔をする男、

「エルンスト・ダー・オストベルグ。歴史あるオストベルグを滅ぼした哀れな王」

 翡翠の髪を持ち優しさに満ち溢れた王、オストベルグ最後の王であったエルンストがそこにいた。あの頃よりも幾分かたくましく、人好きのする笑顔は前よりも強化されている。

 エルンストの表情に揺らぎはない。端整な顔立ちに、優し気な笑顔が張り付いている。

「その通りさ。僕の弱さがオストベルグを滅ぼした。当時は無力な己を恨んだものだよ。今だって許せない。怒りが身体中を駆け回るんだ」

 苦渋に満ちた表情。心底後悔しているのだろう。亡国に際して己が弱かったことを。

(……本当にそうか?)

 ルドルフは他人の嘘に敏感である。ハースブルク家に生まれて、赤子の頃から権力争いは身近なものであったがゆえに、人を良く知るのだ。そのセンサーが警戒を強める。嘘はない。だが、全てでもない。

「ちゃちゃっと話を進めようか。それで、そもそも君たちの組織は何を目的としている? 傭兵ってわけじゃないんだろ?」

「もちろんさ。僕たちは愛と正義の組織だからね。節操のない傭兵と一緒にされちゃあ皆がかわいそうだ。とはいえ改めて問われると詰まっちゃうね。そうだなあ……僕らはみーんな友達で、この組織は友達の輪を広げて出来た互助組合みたいなものかな? 互いに助けあい、世界に平和と安定、正しい秩序をもたらすのが目的なのさ。うん、そんな感じ」

(うーわ、真顔ですげー恥ずかしいこと言ってる。ドン引きだよ僕)

 しかし、エルンストの周りにいる仲間たちは誰一人笑っていなかった。恥ずかしい夢想を当たり前のように受け入れ、それを本気で信じている眼をしている。ルドルフにとってこれほど気持ち悪い光景はなかった。

(お坊ちゃま。右の大男は北海の覇者『ヴァイク』の首領、『海王』リクハルドです。左の女は先日ヴァルホールが滅ぼしたホルスの処刑人『千人斬』のカロリーナ。他にも名の知れた武人が……極めつけは柱の影……変わり果てていますが)

 柱の影から聞こえる異質な息遣い。

(英雄の卵が随分歪んだものだね。『黒鷹』のレスター、か)

 黒い装束に身を包んだ怪物は静かに唸りをあげた。常人ではない。理性があるのかもわからない。雰囲気だけでわかってしまう。その狂気が――

「そう警戒しないでよ。みんな僕の友達さ。だよね、みんな」

 エルンストが笑顔を向けた瞬間、彼らの多くが顔を弛緩させて似つかわしくない笑みを浮かべる。彼らは口々「その通りです!」「愛と平和を!」「俺たちが作るんだ!」「人の楽土を!」などと叫ぶ。

 彼らは皆、本気でその戯言を信じているのだ。それをのたまうエルンストを心酔しているのだ。ルドルフはさらに警戒を強める。明らかにこの空気感はおかしい。おかしいことを彼らが誰一人認識していないのだ。

「良い奴らだろ? 僕はみんなが大好き、みんなは、僕のことを好きでいてくれる。僕らは世界中に輪を広げた。僕らは世界中にある」

 ルドルフは戦慄する。エルンストはこう言っているのだ。ブラウスタットの中にも自分たちの仲間が入り込んでおり、いつでも動かせる準備が整っている、と。その仲間たちはこの場にいる『友達』とやらと同じようにエルンストへ心酔している。おそらく、命すら惜しまないだろう。

「なるほど、良い組織だね。オーケー、わかった。じゃあ話を進めよう。いったい僕らはいくら出せばブラウスタットを落とせるんだい?」

 単刀直入、腹芸で遊ぶつもりであったが、目の前の集団の異質さにルドルフは吐き気を催していた。利用価値はあれど、同じ空気を吸いたくはない。この怖気が伝染する前に、この場を立ち去りたいと思っていた。

「ん? あはは、お金は要らないよ。僕らは全員自分の生業を持っているからね。商人なら商人の、戦士なら戦士の、自分の食い扶持は自分で稼げるし、稼げない分はみんなで助け合う。僕たちは理想のために戦うんだ。そこに対価が発生したら、それは正義じゃなくなるだろう? それじゃあ僕たちの意味がない」

 不自然此処に極まる。

「じゃあ無償でブラウスタットを落とす、と?」

「落とすのは君たちさ。僕たちは手助けをするだけ。僕らは陰ながら世界の安定に力を貸す存在で、表立って動くことはない。主役はネーデルクスで、僕らは助演さ」

「信じられないね。そもそも愛と勇気と希望だっけ? 君たちの信念とブラウスタットを滅ぼすこと、そこに繋がりがないじゃないか。むしろ反していると言ってもいい」

 エルンストは首を傾げた。

「え? だってブラウスタットは今アルカディアのでしょ?」

 本気で、理解出来ないのだ。

「アルカディアは秩序の敵だよ。戦火を撒き散らす、混沌の発生源。その申し子である白騎士を討たねば真の平和は訪れない。僕たちの最終目標である地上の楽園、平和と安定、秩序がおおう理想郷に、彼らは要らない。不純物は、摘まなきゃ、ね」

 秩序の破壊者であるアルカディアを討つための行動は全て正当化される。その大いなる歪みにこの場の誰も気づいていない。気づこうとしていない。

「そうだ。君たちにお土産があるんだ。先の大戦、その裏で暗躍していた白騎士の手下。もう判別は出来ないし、大事なところはアルカスに送っちゃったから、面白くはないけれど……はい、どうぞ」

 カロリーナが嬉々として背後を照らした。そこには首無しの死体が――

「正義は悪に勝つ。昔から決まっているんだ。正義は僕たち。悪は秩序を破壊する混沌、その申し子。悪を滅ぼすためなら何でもするさ。何でも、ね」

 狂った怪物が笑っていた。皆も笑顔でそれに追従する。おぞましい光景。もっとおぞましいのは、ルドルフの部下であるフェンケもまた彼らと同じように笑っていたのだ。それが正しいと、エルンストが言うのだから間違いない。

 彼はいい人だ、と。後日、フェンケは強弁していた。人たらしも極めれば怪物になる。エルンストは自分の強みを極めて、かつ大いに利用していた。これだけの人物を集めて、未知数なほどの規模にまで群れを育てた。

 七年間、暗躍し続けてきた伏した怪物が動き出す。


     ○


 アルカスに戻ったウィリアムたちを迎えたのは、まるで見計らったかのように送り付けられてきたあるモノであった。デニスはあまりにもおぞましい光景にその場で吐き、メアリーは呆然とその場でへたり込んだ。たいていはデニスやメアリーと同じ行動をとる。

「……なんなんだよ、何でこうなるんだよ!?」

 ヴィーラントだけが正しく怒りに溢れていた。涙を流しながら、それを優しく抱く。

「馬鹿野郎。俺と一緒にくりゃ良かったんだ。仕事が残っているからすぐに帰りたいなんて馬鹿真面目によぉ。ちくしょう……ちっくしょおォ!」

 腐臭漂うそれは――ジギスヴァルトの頭であった。しかもただ切り取られたわけではない。拷問の痕が頭の狭い範囲でも随所に見受けられた。徹底的にいたぶられ、殺されたのだろう。拷問のやり口をよく知っているウィリアムはそれを見て、どうやっていたぶられたのか、手に取るようにわかってしまう。苛烈な拷問痕、ジギスヴァルトは死の直前までこの世の地獄にあった。願わくばあの世で救いを、ウィリアムはそう願う。

 そしてウィリアムは同封されていた封書を手に取った。

「エルンストより愛を込めて、か。随分歪んだな、お坊ちゃん」

 裏面には天誅などとのたまう文言が。

「ゲハイム……ね。良いだろう。まずはアルカスを掃除するか」

 天に代わって罰を加えるというのならば、その天すら喰らってみせる。

 裏の勝負はウィリアムの得意とするところであった。

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