進撃のアルカディア:口苦し美酒
「何故、賛成に回った? 今はもう、私の敵だと思っていたのだがね」
エアハルトは暗い笑みを浮かべて自分の妹を見ていた。
「私はお兄様の敵ではございません。私は、己の正しいと思うことに賛同したまでです。これ以上はやり過ぎる。私事ですが、かの国には私の友達もいますので」
二人の王女は双方とも母方の血を色濃く受け継いでいた。毅然で、清廉で、正しさを持った瞳は母にそっくりである。だからこそエアハルトはエレオノーラを政界から離したところに置いていた。彼女は正しい。しかし、正しさが正義とは限らぬのが政治の世界なのだ。彼女は折れない。その強さが、政を狂わせることもある。
「感謝はしておくよ。この国は助かった。私は、大きな痛手を負うがね」
「あの方を放逐しなければ、そもそもこのような事態には」
「この絵図を描いたのはあの男だ。全部分かった上で、あいつは私たちを操作しているんだ。私を追い落とすため、自分が玉座に上がるために」
「お兄様は疑心暗鬼になっておられるのです。戦士がより多く勝つために最善を尽くすのは当然のことでしょう。それを制御するのが政の役目では?」
「それを制御しているのがあの男だから狂っているんだよ、エレオノーラ」
エアハルトは自嘲した。その眼に浮かぶ光で、エレオノーラは兄が乱心でないことを知る。しかし、彼女もまた一人の人間。一人の女であった。唯一、かの者に関してだけは水平に見ることが出来ない。彼を肯定するためには、兄を否定せねばならない。
そう選択させられている。エアハルトはそう言いたいのだ。
「いずれわかる。そのいずれが来た時は、私もお前もすでに王族ではないかもしれないがね。もちろん、そうはさせないけれど」
エアハルトは今回の選択で大きな痛手を被った。白騎士が軍とその後のアルカディアを盾にとって突き付けてきた選択肢。生まれついての王族であり、国を守るよう育てられてきたエアハルトにとってどれほど屈辱的であっても、その選択肢を取らぬことは出来なかった。哀しいほどに彼は王族であったのだ。
○
突き進むアルカディア軍の背後から敵軍が現れた。いつも通りの強襲である。隊列を組みかえるマージンはしっかり取ってある。この奇襲は成功しない。こちらを乱す意図での一手であろうが、これで乱れる程度ならばこの地にまで足は届いていないだろう。
「大将閣下、どうも敵の様子が」
そう、この程度の奇襲が成功しないのは実証済み。ならばこれの狙いは別にある。他方から攻めるための陽動か、そうと見せかけた時間稼ぎか、どうあっても別の意図があるはず。その意図を――
「団長! ありゃあもしかして」
見抜く必要はなかった。
「もしかしなくても、そういうこったろうが」
目視できる範囲に入り、彼らが掲げたモノを見れば誰にでも意図はつかめる。
「お仕事終わり、かね」
先頭の男が掲げる旗、その色は純白であったのだ。
「我らの意図は見ての通りである。そちらの大将であるウィリアム殿にお渡ししたいものがある。その中身を見ていただければ此処より先、剣を交えることはなくなるだろう」
白旗を掲げる男は深々と頭を下げた。そして懐から取り出したモノは――
「アルカディア王より我らガリアスに宛てられた書状。そしてもう一つが、今回の戦の総責任者にて大将であるウィリアム様に宛てられた――」
その封蝋が押された羊皮紙一つでウィリアムは七年間北方に閉じ込められた。書状一つで英雄の歩みすら止められるモノ。その名は、
「王命、か。ふふ、よくよく縁があるものだ」
王の命令が封じられた書状、そのまま王命である。
○
「ようこそガリアス諸君。急な申し出にも拘らず御足労頂き感謝しているよ」
ガリアス側はリディアーヌを中心としてボルトース、ポールにリュテスやエウリュディケ、アダンにロランまで付き従っていた。つまりは生き残った百将上位が勢揃いと言った豪華さである。対するアルカディアはウィリアムを初めとしてヴォルフ、グレゴールにシュルヴィア、ケヴィンが。若い三人、クロード、ラファエル、ベアトリクスが末席に控える。
全員が一様に無手での集結。寸鉄すら帯びている者はいない。
それでもなおこの場の緊張感は凄まじいものがあった。ほんの少しでも歪みがあればすぐさま弾け飛ぶのではないかと思うほど、皆の顔はこわばっている。平静なのはウィリアムとヴォルフくらいのもの。まあヴォルフはどう転んでも知ったことではない立場なので当然であるが――
「とりあえず座ってくれ。あまり長々と交渉をする気もないがね」
「ほう、ではエアハルト殿から送られてきた条件で合意してくれるのかな? それならば即決で――」
「ああ、それで構わない」
ウィリアムの回答にガリアスのみならずアルカディア側も目を丸くした。
「……自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
「むしろ驚く理由がわからない。アルカディア王家が出した条件に、何故一介の将軍でしかない私風情が口出しできようか。それがアルカディアの意思であるならば、当然私はそれを尊重するし、従うまで」
リディアーヌは裏があるのではないかと勘ぐってしまう。それほどにエアハルトの出してきた条件は現状と乖離していたのだ。
一、ガリアス王国はアルカディア王国に旧オストベルグの領土を譲渡すること。
これは現状、ガリアス本国にまで入り込んでおり、ウルテリオルまで残り三合ほどの距離まで詰めている以上、アルカディアにとって大きな後退であると言える。
これはアルカディア本国と今回の行軍が離れ過ぎたが為に起きた乖離である。この書状をしたためている最中には、旧オストベルグの領土まで勝ち進んだとの報告しか入ってなかったのだろう。現実はもっと先へ進んでいたが、それを本国が知るすべを持たなかったことからこの乖離は起きた。
二、ガリアス王国は和解金としてアルカディア王国にガリアス金貨一万枚を支払うこと。
安くもなく高くもなく。絞ろうと思えばいくらでも絞れる状況では安すぎる見方もある。これもまた現状と伝わっている情報の速度差によって生まれた乖離が原因である。ガリアスならばさして問題なく支払える金額設定。ぬるい感じは否めない
他にも何点かの項目はあれど、目玉はやはり領土の譲渡、その範囲であろう。
「この条件で合意するということは、今、君たちがこの地にて攻め取った拠点や町をすべて放棄することになるが?」
「そうなるな」
「……だったら、何でここまで攻め込んだのよ! 要らないなら最初から攻めなきゃいいじゃない! あんたは何考えてんのよ!?」
リュテスが食って掛かろうと一歩踏み込んだ瞬間、アルカディア側からは殺気が、ガリアス側も呼応して殺意が漏れる。だが、それはより深い圧力を持った者に消し飛ばされる。リュテスの歩みを二つの手が抑えた。一人はボルトース、もう一人はポールである。どちらも殺気に近い圧力でもってリュテスを止めていた。
「うちのじゃじゃ馬が申し訳ない。とはいえ疑問も当然のこと。これで良しとする理由をお聞かせ願いますかな、白騎士殿」
「私は良し悪しを判断する立場にない、それだけです。それに、この条件は緩く現状から乖離しているようで、実はそこまでずれた条件じゃない。甘く見積もっている部分は、本当の意味で現状を考えた上での必要、だと私は考えます」
ウィリアムはにやりと笑った。
「今回の勝利はひとえに外部の、ヴォルフ率いる黒の傭兵団を秘密裏に雇った、それが全てです。ポール殿が一番理解されているでしょう。あの状況から普通の方法で勝てる道はない、と。私は、アルカディアは、か細い道を渡り切っただけ。傭兵団なくばか細い道すら生まれることはなかった。そう、これは現状をよく理解した上で、地力の差から甘く作るべきとエアハルト殿下が判断されたのです。異などありえない。これは最善ですよ」
冷静に、ガリアスよりも冷静にウィリアムは今回の勝利を見つめていた。ヴォルフという規格外の一手を、秘密裏に打てることなどこの先ありえないだろう。そもそも、この一戦でヴォルフ、ウィリアム、双方とも理解してしまった。自分たちを組ませることは金輪際あり得ない。ヴォルフが拒絶するだろう。
ならば残るのは負けるはずだったアルカディア軍だけ。国力の差も明確で、領土が増えた分割ける兵力も分散してしまう。今以上に、対ガリアスに関しては苦労するだろう。厳しい手で反感を買えば、一年もしないうちにガリアスの反撃がくることは必至。だからこそエアハルトは汚名を甘んじて受けてでも、活きる道を作るために条件の最後に大きな一文をつけていた。
「昨日の敵は今日の友。私たちは力を示した。超大国であるガリアスに並び立つことで友たる資格を得た。ゆえに最後の条件はある。我らは、友になるべきと本国は考えております。私も、貴方方と友になりたい。私はみなさんが好きですから」
恐ろしいほどとって付けたかのようなセリフ。仮面越しでなくとも、その貌に笑顔という名の仮面が張り付いていることが透けて見える。本人も隠す気はないのだろう。
最後に、本条件が合意を得た場合、両国の関係性を今後一層深めるべく武力による不可侵条約を提案する。締結がかなえば両国はより豊かな世界を築くことが出来るだろう。共に手を取り合い世界に秩序と安定を。アルカディア王国国王エードゥアルトが名代、第二王子エアハルト・フォン・アルカディア。
力は十全に示した。そしてガリアスも多くを失った。正直、感情を抜きにすればこの条件は破格のものである。どうせ不可侵条約など乱世においてあってないようなもの。必要とあれば潰せる戦力が整った後、攻め滅ぼして約定ごと消せばいいだけ。もちろん相手も同じことを考えているだろうが。
アルカディアも休みたい。ガリアスも休みたい。力を出し尽くした分を回復し、その間に人材を育成する。国力を上げる。来るべき戦いに備えて――そのための提案である。
「仲を深めるべくあるものを用意した。何、悪いものではないよ」
ウィリアムが浮かべる笑みを見てリディアーヌとリュテスはげんなりした。仮面越しでもわかる。この顔は意地の悪いことを考えている時のもの。
「ヴァルホール原産、七年前に復活を遂げたご存じ奇跡のブドウ。旧サンバルト建国より遥か昔から作り続けられている銘酒。これ一本で、アルカディアなら家が建つなどと言われております。とても良いものですよ、これは」
一瞬、ガリアスの皆は意図が分からず呆然としていた。良い葡萄酒が目の前にある。それだけのことなのに、何故、自分たちの主であるリディアーヌはこれほどげんなりとした顔になっているのか。何故、アルカディアの面々は申し訳なさそうな顔でこちらを見ているのか。一瞬、呆然として――
「あっ!?」
全員が意図を察した。
『まずは戦にて語らおう。そして君達の降服が決まったら、上等の葡萄酒をもってそちらへ赴こうじゃないか。さあ、ガリアス諸君、私が白騎士だ! あえて言おう。君たちは挑戦者であると。戦場における頂点はこの世に三つ、私はその内の一つだ。そして君たちの中にそれはいない。超大国などと粋がったところで、君たちは黒金風情に勝てなかった時代の敗者だ! 私に感謝すると良い。私が戻ったおかげで、君たちは先王の汚名をそそぐことが出来るのだから! 時代の敗者、巨星に勝てなかった革新王ガイウスの、なァ!』
開戦前のあの言葉を全員が思い出す。
「そちらへ赴くのではなく、赴いてもらったがね」
本当に意地が悪い。ヴォルフは土産として持ってきた葡萄酒がまさかこのような手段に用いられるとは思っていなかった。先んじて内容を聞いていたため、腹を抱えて笑っている。喜んで酒を提供したこの男も意地が悪かった。似た者同士である。
「……皆、飲むとしよう」
リディアーヌは苦笑した後、真面目な顔でウィリアムに向き直る。
「注いでもらえるかな?」
「もちろんだよリディ」
ウィリアム自らが注ぐ。とぷとぷと波打つ赤い液体。ふわりとかおる甘味に、鼻をくすぐる仄かな酸味。
「私は忘れぬよ。この味を。二度と、忘れぬさ」
リディアーヌはそれを一気に飲み干した。口の中に広がる苦み。忘れられぬだろう。今日までの敗戦を。痛みを、喪失を。この苦みで刻み込む。
「それでいい。今度はそちらが挑戦者だ。俺は待つよ、高みにて」
次はリュテスがグラスを差し出す。注がれた後、一気に流し込んだ。次はロランが、エウリュディケが、ボルトースが、皆が刻み込む。
屈辱の敗戦を。超大国ガリアスはこの戦で多くを失ってしまった。だが、この敗北があったからこそのちの世に残せたものもある。今は、苦い記憶でしかないが。
こうして一つの大戦が終わりを告げた。ガリアスの敗北という驚愕と共に――
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