進撃のアルカディア:盤上の王

 快進撃を続けているアルカディア軍。とにかくリディアーヌの首を狙い態勢を極限まで乱した後は、逆にリディアーヌらを無視してその手足を削ぐことに力を尽くしていた。前進し先んじて拠点を潰して向かう先を奪い、散開して合流の可能性を持つ小さな群れを削っていく。局地的とはいえ位を取り数で勝れば、勝つのが道理である。

「オラオラァ! ガンガン行くぜ野郎ども!」

「よっしゃああ!」

 勢い、速さ、力、侵略の際、必要なすべてを兼ね備えた黒の傭兵団は暴れに暴れ回っていた。同じ数で当たれば圧勝、倍でも完勝、黒狼王を先頭とした彼らを一体誰が止められるというのか。鎧袖一触、もはやその強さはローレンシア最強と言っても差し支えないだろう。

「へたれんなよガキィ!」

「まだ三徹だぞおい! 酒浴びせろ! 目ェ覚めるぞ」

 何よりも彼らの強みはその継戦能力にあった。酒さえ与えておけば三日寝ずに戦える。その後一日寝て、また三日戦い続けることも出来るのだ。とにかく体力おばけの集う群れで、朝でも夜でも関係なしに戦えるのは味方にとって頼もしく、敵にとっては絶望以外の何物でもなかった。

 その中で厳しい叱咤激励にさらされているのは、アルカディア軍に所属しているクロード・リウィウスであった。ヴォルフに目をつけられたが運のツキ。ウィリアムから強引に奪い取り体験入団と称して自分の軍に組み込んでいた。

『とにかく俺の背中だけ見てろ。見たことねえ景色を見せてやんよ』

 そう言っていた通り、クロードは見たことのない景色を見ていた。勝って、勝って、浴びるほどに勝ち続け、それでもなお足りぬとばかりに勝利を求める。久しく忘れていた渇き、餓え。これだけ上り詰めた男が、それを持ち合わせていることに驚いた。

 むしろこの場の誰よりも餓えている。だから強い。

 クロードは疲労の極致にいた。しかし不思議とそれを負担には思わなかった。休むよりも前へ、勝利が欲しい。もっともっと、勝ち続けたい。どん底にいた己が、這い上がるための勝利。忘れかけていた泥の匂いがする。あの背から漂う匂い、クロードは強烈に魅かれる己に気づきつつあった。


 白騎士もまた的確に相手の急所を攻め続けていた。速さや勢いでは劣れどもその正確性に関しては比較にならぬ精度で敵の思惑を打ち砕く。もちろん一定水準の速さは持ち合わせているし、軍としての練度も低くはない。しかし、これだけの勝利を重ねているのはやはり異質であった。その先頭に立つ男が誰よりも異質ゆえに。

「シュルヴィア、グレゴールともに背後から来るであろう『金冠』の襲来は警戒しておけ。他はすでに烏合の衆に近いが、かの者が率いる『黄金騎士団』はまだ強いガリアスを保っているはず。多くの勝利と敗北を積み重ねた集団だ。甘く見るなよ」

 その上で懸念点も見逃さない。勝ちにおごらず、負けを許さず、揺らがぬ白騎士の強さを見て若き俊英たちは目指す先を知る。

「我に続け」

 その背がまとう力に彼らは魅かれる。

 彼が指揮棒を振るえば勝利が与えられる。指揮棒の通り動けば良いだけなのだ。指揮者は皆のことを皆以上に理解している。何処まで出来るか、何が出来るか、全てを精査した上で実力相応の任務を与える。こなせばしっかりと達成感を得られ、成長を促すかのような差配。気持ち悪いほどの精度で敵味方に当たっていた。

 今日も勝利を重ねる。砦を落とし、拠点を潰し、街を襲い物資を奪い尽くす。戦争とはこうやるのだ。その背はそう語っていた。


 快進撃は止まるところを見せないでいた。


     ○


 アルカディア本国では情報の整理に追われていた。毎日入ってくる情報が違い過ぎ、また前後が入れ替わりデマも交じりで錯綜している状況。されど中身はほぼすべて勝利に彩られていた。大勝の数々、久しくアルカディアが忘れていた勝利の味を思い出す。

「ウィリアム! ウィリアム! ウィリアム!」

 アルカスでは連日、英雄『ウィリアム』をたたえるべく、何らかの催しが開催されていた。その中で最もポピュラーなのが英雄の名を叫びながら行進するというもので、集会として集まればアルカス最大の広場を埋め尽くさんばかりの熱狂が渦巻く。

 彼らは完全に思い出したのだ。

 勝利をの味を。それを与えてくれる男を――思い出した。

「これ以上の勝利は危険です陛下」

 勝利は甘い。どんな蜜よりも甘い。

「ガリアスを本気で怒らせる。だけならば救いはあります。しかし、ガリアスを追い詰めたことで世界から敵意が向けられたなら、我が国に守る手段などございません」

「何を言うかエアハルトよ。勝てる時に勝っておく。お前のモットーではなかったか?」

「時と場合によりけり、です。我らはネーデルクスを始めアークランドや今回のガリアスとも接しております。それらが一斉に牙を剥けば? ありえない話ではありません」

 エアハルトは今の勝利を否定する。否、行き過ぎた勝利、パワーバランスの崩壊を恐れていた。この戦を契機に世界は色々と動き出すだろう。その一歩として強過ぎる敵を削っておく、矛先が向く可能性を増やすわけにはいかないのだ。

 己が利益という部分はある。しかし、その欲望を差し引いてもこの戦の行く末には恐ろしい未来が待っている。そういう風な印象を受けた。少なくともアルカディアの躍進をただ見ているだけなどと七王国の王であれば認めないはずである。

 エアハルトは真っ直ぐと、勝利に酔う己が父に語り掛けていた。

 ただし世論はウィリアム一色であり、それに水を差す行動は難しいのが現状である。

 アルカスは別の意味で揺れていた。


     ○


 主導権は常にアルカディアにあった。果敢に攻め続け、絶対に渡さなかった主導権。しかし、何事にもタイミングと言うものがある。攻めと言うのはいずれ切れ、続けるというのは難しくなっていく。その息継ぎ、其処こそが ガリアスの待ち望んでいたタイミングであった。逃げながら、しのぎながら、死なぬよう、王を取られぬよう、細心の注意を払い、ようやく機会が巡ってきたのだ。

「……助かりました。貴殿には助けられてばかりだね、ポール殿」

 機会を作ったのは、

「いえいえ。リディアーヌ様たちがしのぎ切った結果でしょう。私のやったことと言えば遠回りして遅刻しただけ。お叱りは後でうけまする」

 ジャン・ポール・ユボー。元王の左腕にして『金冠』と呼ばれるガリアスきっての名将である。その戦は当時としては変幻自在に工夫を凝らしたものであり、サロモンと同様今のガリアス軍に多大な影響を残している。

「まあ遅刻した分、それなりにまとまった戦力は集められましたな」

 ポールの本隊は東側を大外周りでこの砦を目指し動いていた。戦をこなしながら進む軍勢よりも、目的地へ一直線に向かったポールが速く到着できたのは道理から外れていない。もちろん、最短を全力で駆け抜けることが前提であるが。

 そしてポールの信頼する黄金騎士団の面々は破れ、四散していたガリアス兵を目立たぬよう回収し、アルカディアの知らぬルートで此方へ合流。これが戦力を整えられた理由であった。無論、リディアーヌらが最低限の戦力を守りきったからこそ、この状態があるのは言うまでもない。

 全力を、最善を尽くして手にした機会。

「まさかマリー様とダルタニアン殿が……信じ難い」

「信じるしかあるまい。我らは負けた。でなければどうして此処まで後退する事がある? わかっているだろうが、此処はすでにガリアス本国であるぞ」

 そう、犠牲は大きかった。マリー、ダルタニアンはもとより何度もリディアーヌを矢から守ったバンジャマンもすでに戦闘の続行は不可能。側近として長年くつわを並べた古参の兵も多く失った。若き将兵、数えるのも億劫になるほどの犠牲を経て、今がある。

 何よりも此処はすでに旧オストベルグ領ではない。武王の時代に奪い取り、革新王の手で固められた地盤。本来のガリアス領に食い込まれていたのだ。圧倒的速度と力。ポールの読みが少しでも甘ければ合流は無かっただろう。

 かなり余裕を持った策であったはずなのに合流してみればギリギリ。笑えるほど最高のタイミングとなったが、敵の力を考えるとやはり笑えない。

「とにかくこの地にて時間を稼ぎましょうぞ。リディアーヌ様を囲い攻撃をしのげば自ずと勝機は巡ってくる。時は我らの味方です」

 ポールの言葉に大多数は頷いた。だが、一部は釈然としない面持ちであった。無論、ポールの判断があっての今である。本来、この地で戦えるほどの戦力は無 かった。白騎士は当然この状況を知らぬだろう。明日か明後日か、此処に来て必ず面食らうはずである。そのはずなのだが――

「黄金騎士団は全員揃っているのか?」

 ふわりと捉えどころの無い懸念、

「広域にて運用した以上、全員と言うのは難しいだろう」

 それが、

「なるほど。では半々だ。白騎士が知るか知らぬか、俺は知っていると思うが」

 ボルトースの言葉によってあらわになる。

「俺たちは都合の良い方ではなく最悪を想定すべきだろう。その最悪すら超えてきた奴らだぞ。都合の良い方に考えていては今度こそ取り返しのつかぬ敗北をくらいかねん」

 都合の良い考え。ポールは目を見開いた。リディアーヌも、皆も、状況をどうにかしたいと願うもの全てが囚われていた幻覚。これだけの人数が揃ったのだ。 どうして白騎士が、アルカディアが知らぬと断定出来ようか。黄金騎士団全てがそろい、発見されること無くこの地に集結できた。それならば可能性は高いが、 現実はそうではない。

「あたしも同意見。あいつは最悪でも足りないし、甘えたところは絶対につついてくる。あいつと一緒に戦ったことのあるあたしが言うんだから間違いないって」

「リュテスと同じよ。ヤンでもそう判断するでしょうね」

 危険度は共に戦った者こそが知る。ポールは頭を掻いた。未だ己はかの怪物と遭遇していない。その温度差が危うく甘えた行動を取らせるところであった。

「では最悪を定義づけねば」

「白騎士は知っている。その上で戦い、負ける。これは最悪でしょーよ」

「強いのは理解している。しかし、固めた砦と言うのはそう容易く落ちまい。私には勝てぬ要素が見当たらぬよ」

「その要素を作るのがウィリアム、とはいえ私も皆目見当がつかん」

 ガリアスの知恵者が揃って思い浮かばぬ攻略法。この時点で誰かが気づくべきだったのだ。戦えば負けぬ、と。負ける道理が無い。敗北が彼らの目を曇らせた。勝利が彼らから危機感を奪ったのと対極、かつ同種の欠如。

 彼らは客観的な視点を失っていたのだ。


     ○


 翌日、翌々日、白騎士はガリアス軍が待ち構えている砦に訪れなかった。さすがにおかしいと皆が思い始めた頃、後背であがり始めた火の手に彼らは驚愕し た。懸念があった。うっすらとした不安があった。その予感は正しく、砦を守る自分たちが勝てるという理性も正しい。なれば何が間違っていたのか――

「王、この戦場における王の定義が、そうか、はは、私は何と愚かであったか」

 リディアーヌは顔を大きく歪めていた。逃げながら、しのぎ続け、ようやく掴んだ機会。それは間違いなく機会であった。勝つチャンスであり、此処しかない勝負どころであっただろう。

 そう、リディアーヌが王であったならば。

「どういうことよ!?」

 リュテスは理解できない。ガリアス軍本隊である自分たちを追い抜いて彼らが何をしようとしているのかを。否、わかっているのに頭が受け付けてくれないのだ。この戦争がすでに詰みの段階に入りつつあることを、受け入れるには若過ぎる。

「やつらの狙いがリディアーヌ様であれば、この砦に立てこもり戦う選択肢は正解だった。しかし、やつらの狙いは違ったのだ」

 ポールもまた顔を歪めていた。酷い顔つきである。

「王は、ウルテリオル、か」

 最後の言葉はロランが引き取った。自分たちに攻める価値がある。相手もそう思っているという前提に基づいた待ちの戦法。しかし、アルカディアにとってリディアーヌたちは必ずしも討つべき敵ではなくなっていたのだ。

 すでにガリアス本国。ウルテリオルは射程圏内というところ。態勢を立て直すために足を止めたガリアスと、それを尻目に歩を緩めなかったアルカディア。王を見誤ったことから起きたすれ違いは――哀れなほど大きな差を生んでしまった。

「騎馬隊を編成し明朝から追いかける」

「……折角集めた歩兵は捨てるってこと?」

「追ってもらうがおそらく間に合わない。全兵死すともウルテリオルは守る」

「主導権はまだあちらってことか。追えば地獄、待てば滅亡。選択の余地なし、だな」

 追うしかない状況。選択肢が一つなら対策は容易い。白騎士でなくとも確実に罠を張り巡らせている。慎重に進む選択肢はない。最悪のケースがこのまま先行逃げ切りされてウルテリオルを失うこと。緩手はなし。急ぎ追い、戦うしかないのだ。この前までは背中に地獄があった。今は正面に地獄が待ち構えている。

「終わってたまるか。ガリアスが、落ちていいはずが無い!」

 超大国が揺らいでいた。生きるか、滅ぶか、此処が分水嶺。

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