進撃のアルカディア:最高の仕事

 アルカディア軍はこの『街』を夜営地として設定し、ようやく兵士たちに完全な休息を与えた。目的地を奪われて呆然としていたガリアスの背後を強襲し、狂奔する彼らを完膚なきまでに叩き潰した褒美である。今度こそ完全に折れた軍勢は脆く、逃げ出す方向もてんでバラバラ、追うべき頭が逃げた方向をしっかり押さえておけば休みも大した問題にはならぬとウィリアムは判断する。

「ご苦労だったなグレゴール。最高の仕事だった」

「指示通り動いただけだ。大したことはしていない」

 アルカディア軍の軍団長から百人隊長、ヴォルフたち黒の傭兵団の幹部クラスも交えた会議の場である。急いだためかなりの人数が離脱しているものの、後ろにケヴィンたちを配置したので上手くやっているだろう。ガリアスの離脱とは根本が違う。

「東の辺境を大回りしてここを取る、か。リスキーにもほどがあんだろ」

 ヴォルフはグレゴールが此処にいた理由を知り、大笑いしていた。

「攻め時は伝えてある。マァルブルクとは別の方向から火の手が上がったら、つまり貴様がマァルブルクを強襲する前に上げていた火の手が合図だった。それに街自体も大した防衛設備がなく落とすのは容易い」

「落とされるのも、な。くっく、そもそも俺たちが来なかったらどうするつもりだったんだ?」

「もちろん負けていたさ。大敗も大敗、歴史に残る愚将として名を残しただろうよ」

 ウィリアムは一人の男の方に目を向けた。

「まあ、信頼できる優秀な奴に商談を任せた。そこに関して大した心配はしていない」

「……恐縮です」

 その男の名はヴィーラント・フォン・アーベル。旧リウィウス商会、現テイラー商会の幹部で営業トークの達人である。細かいことは若干無視しがちだが、それを差し引いても勢いとバイタリティに溢れる商売人であった。

 アインハルトを除けばジギスヴァルトと双璧を成すテイラー商会最高の商人として皆から尊敬を集めていた。爆発力のヴィーラント、安定上昇のジギスヴァルト、どちらも売上を上げることに関しては天下一品である。

「おお、こいつは良い奴だ。気が利くし、べしゃりもうめえ。俺にくれ」

「お前そればっかりだな。もちろん答えはノーだ」

 ヴィーラントの任務はヴァルホールの王にして世界最強の男、黒狼王ヴォルフを動かすことであった。一時的にテイラー商会が傾くほどの金を持たせて、テイラー商会でも最高クラスの商人が落としに行く。結果はご覧の通り、ヴォルフとその中核部隊である黒の傭兵団、加えて副団長ニーカ率いる歩兵五千を雇えた。

「えー、くれよー。あ、もう一人の方でもいいぜ」

「もう一人? ああ、ジギスヴァルトか。あれも駄目だ。替えのきかない人材でな」

「ケチー」

「そっちも海運、貿易の都サンバルトが母体だろ? お前がわかっていないだけで、商人の質に関してはうちに負けていないさ。お前がわかっていないだけで」

「おい、喧嘩売ってんのか?」

「受け取り方は自由だ」

 睨み合う両者を見て震え上がるアルカディアの将たち。傍目には巨星級の怪物が殺気立っているようにしか見えず、敏感な者たちは冷汗が止まらなくなっていた。当の本人たちはじゃれ合っているだけであり、わかっている面々は苦笑してそれを見ていた。

「ん、そういえばジギスヴァルトの姿が見えないが」

「あいつなら戦場には興味ないからって先に帰りましたよ。俺は何かなし崩しに――」

「ふふ、そうか。二人とも大仕事だったな。とりあえず戦場でも見学してくれ」

「ま、危なくない程度に」

 苦笑するヴィーラントを尻目に、ウィリアムは全体を見渡した。

「明日以降の予定を詰める。此処からが本番、手抜きは許さん。取れる首は取れ。奪える物資は全て奪え。奴らに手心を加えるな。我らはまだまだ挑戦者、奴らは超大国ガリアスだ。相手は格上と肝に銘じよ。その上で奪い尽くせ。勝てば、俺たちが頂点だ!」

 明日以降どう攻めるのか、白騎士の差配に皆が注目していた。


     ○


「周囲に敵影はいなかったそうだよ。ようやく人心地つけるね」

 アダンは暗い顔つきで百将が集まるたき火の前にやってきた。リディアーヌを中心に十人もいない現状に苦笑すら浮かんでこない。恐ろしいほど苛烈な攻めと戦慄を禁じ得ない布石。自分たちが戦っているのは神か悪魔か、とても同じ人だとは思えなかった。

「兵を休ませねば。明日以降、もっと厳しく攻めてくるだろうからね」

「将兵は散り散り、士気もどん底。これじゃあ勝てるもんも勝てないっての」

「リュテス、現状にどうこう言っても仕方ないでしょう?」

「でもお姉さま」

 兵以上に将の損耗が激しかった。武人として、勝たねばならなかった状況で勝ち切れなかった。特にロランとリュテスの後悔は大きい。彼らだけの責任ではないが、彼らが強ければこの状況は生まれなかったはずである。

「そもそもどうやって黒狼王がこっちに来れたんだ? 仲が良いのは王会議の時に見た。誘われたなら、まあ、理に適えば参戦するだろう。しかし、道がない」

 バンジャマンは顎髭をさすりながら考えていた。ここまで必死に逃げ延びてきた道中ではあえて無視していた黒狼王の襲来、その理由とルートを考える時が来たのだ。

「ヤンさんが裏切ったんじゃねーの? したらほら、道が出来る」

 ロランの言葉にエウリュディケがぴくりと反応する。

「アークランドを通って? ありえない話だよ。同時にヴァルホールから直接ってのもありえない。ガリアス本国には情報伝達の手段がいくらでもあるからね。それを潜り抜けてここまで来るなんて不可能だ。あの騎馬隊だけならともかく、五千も通した。なら、ガリアスを通過していないと私は考える。ゆえにヤン殿はシロ、だ」

 リディアーヌの分析にほっとするエウリュディケ。その様子を見てリュテスがにやにやしていた。ちなみにアダンは「ふん」と鼻を鳴らしていたが割愛。

「ならどうやってマァルブルクに来た?」

 ボルトースが腕組みをしながら問う。リディアーヌは頭を掻きながら――

「アークランドを通ってきた。ただし、私たちからするとヤンが守る正門ではなく裏門、水神の都ダーヌビウス。四年前アークランドが落とし、以後『鉄乙女』のユーフェミアが守護する鉄壁の城塞都市。あそこから抜けて、旧オストベルグを通りこちらへ辿り着いた。ルートとしてはそれしかない。旧オストベルグ領は手中に収めて日が浅い。伝達手段は限られているし、白騎士がマァルブルクまで押し込む中、そちらに視線が行くのは仕方がない。隙はいくらでもあるだろう。私のミスだ。二人の協力は、考えてもいなかった」

 リディアーヌが頭を掻きむしるさまを見て、誰も声をかけられなくなる。この戦が始まる前、誰が二人の協力を想像しただろうか。誰がこの状況を想像しただろうか。驕っていたわけではない。準備不足でもない。相手が強過ぎた。相手が周到過ぎた。これに対処せよなどと口が裂けても言えないだろう。

 何故なら、この場の誰もがこんな状況を想像すらできていなかったのだから。

「二人ではないよ。三人だ」

 そんな沈黙を裂いたのはアクィタニアの王ガレリウスその人である。

「だねえ。五千の兵を自らの領土で通させた。これは由々しき事態だよぉ」

 そう、先ほどからリディアーヌが顔を歪め、髪を掻きむしっていた理由は其処にある。ダーヌビウスを通させた者は誰か、それを考えた時に出てくる最悪、その絶望のシナリオにようやくこの場の全員が気付いた。そして絶句する。

「アポロニアが参戦してくるってこと?」

「アポロニアを口説き落として通させたのは間違いない。なら、その可能性も十分あり得る。何よりもあの戦争好きの女王陛下だ。参戦しない理由がない」

 アダンがこぼした問いをガレリウスが拾う。考えれば考えるほどに深まる絶望。もし、アポロニアまで現れたら、それこそ旧オストベルグ領だけではない。ガリアス本国が存亡の危機に陥るだろう。

「いや、そうとも限らない。もちろん最悪を想定するのは大事だが、アポロニアが来るなら同時に攻めてくるはずだ。でも、本国にそんな様子はない。アークランド、ヴァルホール、どちらが動いても火がともる。伝達に二日もかからないのは君たちも知っての通りだ。火がともっていない。なら、今はまだ動いていないと考えるのが妥当」

 リディアーヌの考えには願望も含まれていた。しかし、一定の理屈があるのも事実。アポロニアの性格上動かないとは考えにくいが――

「それに七年間、彼女は敵味方問わず黒狼王のいる戦場を避けてきた。不自然なほど、ね。理由はわからないけど、私は除外して考えたい。ってか、除外しないと考えがまとまらないからね。昨日今日と私たちは知った。巨星クラスが組むという意味を。これでもう一人追加されたら、もうお手上げさ。情けないけど、此処は神に祈ろう」

 リディアーヌの乾いた笑みに皆が賛同した。アポロニアまで動けばただでは済まない。ヤンが構えているとはいえ、アークランドの総戦力を防げるほどの戦力はない。ヴァルホールを守るリュテスの副将にも同じことが言える。本気で攻め潰すつもりなら、総戦力で同時に動いてきたなら、ガリアス側に打つ手はない。

「神に祈る、か。我らガリアスが此処まで堕ちるか」

「馬鹿言っちゃいけないよ。まだ途上さ。とにかく散り散りになった軍を少しでもまとめて後退する必要がある。まとまりのない集団は狩られるだけだ。私たちは考えを改める必要がある。超大国ガリアス、常勝の軍勢、だが、今目の前のにあるのは敗軍間近の群れだ。まとまりがなく、本能のまま狩られるのを待つ哀れな獲物」

 そこまで卑下するか、とこの場の皆が思う。

「そうならないために取り戻さねばならない。ガリアスが積み上げてきたものを、壊された理性を、折られた矜持を、結集してもう一度戦おう。正面からぶつかればガリアスは最強だ。それを彼ら英雄に教えてやらねばならない。戦場は、英雄の手から離れるべきなのだと。私も、『同じ』考えだ」

 昔、ウィリアムとかわした会話の中で、英雄について話し合ったことがある。ゆえにリディアーヌにはわかるのだ。この戦が、ウィリアムにとって必ずしも楽しい場ではないことが。理想から、むしろ遠ざかっていると彼は考えているだろう。

 この状況は最悪である。しかし、相手もまた矜持を投げ捨てて全力で向かって来ているのだ。決して余裕があるわけではない。ちょっとしたことでころりと戦況が変わることもあるだろう。転がすためにどうすべきか、それは相手がさせまいと動くことの逆をやればいい。とにかく軍をまとめること。そしてどこでもいい。最悪は本国に入り込んでも構わない。まとまった軍勢で正面から戦うこと。これで勝てる。

 明日以降、ガリアスはさらなる地獄を見るだろう。しかし、勝つ望みはある。最後に勝った方が勝者なのだ。今は、甘んじて受けよう。だが、最後に勝つのはガリアスだ。

 そう、リディアーヌは自分に言い聞かせていた。


     ○


 進撃のアルカディア。恐ろしいほどの速度でガリアスを打ち砕いていく様は、ガリアスのみならず世界各国にまで影響を及ぼしていた。最近、高まり過ぎていたガリアスに楔を打ち込む形になると、ほくそ笑んでいた国々も次第に顔色を変えていく。マァルブルクでの勝利、此処までかと思われていたアルカディア軍が黒狼王を雇いさらなる進撃を見せた。これ以上は明らかにやり過ぎである。

 世界のパワーバランスが一気に崩れかねない進撃を前に、各国はどういう考えを持つのだろうか。白騎士と黒狼王の強さを、世界はどういう目で見つめるのか。もはやアルカディアとガリアスの両国間では収まらぬほどの激震が世界を飲み込みつつあった。

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