進撃のアルカディア:天国から地獄へ

 三人は驚きの光景を目撃する。アナトールが切り開いた小さな穴を押し広げて三人は此処に来た。強者は、この戦場で見飽きるほど見たし、多少は目も肥えた。それでもなお、この光景には声を失ってしまう。

「何なんだよ、あの人は」

 ぽつりとこぼしたクロードの横、二人は言葉一つ出てこなかった。

 それもそのはず――

 ウィリアムが戦場で孤立し窮地、そう思って彼らは此処まで来た。急ぎ、戦い、なお急ぎ、そうしてようやく辿り着いた結果、孤立はすれども窮地ではない、そんな風に見えた。大勢に囲まれ、それでもなお紙一重の回避と鋭い攻撃で隙を生み、前進する。

 あれだけの人数差で止まらねばどうやって止めろと言うのか。

「これが、白騎士」

 また一つ一歩を刻む。すべての攻撃を紙一重で掻い潜り、紙一重ゆえの無駄のない動きで縮めて、攻めの時間を作る。まるで全体を俯瞰して視ているような視野と、冷静かつ正確無比な体捌きと剣捌きがあって初めて可能となる動き。

 ほんの少しの間なら出来なくもない。しかし、これを数分、数十分、一時間やり続けろと言ったら不可能だと多くは答えるだろう。ヴォルフですら、無理だと言い切るかもしれない。ただ、この男だけはそれを成す条件を兼ね備えていた。

「あの男の背中は、遥か彼方、か」

 人外の精神力。埒外の剣の完成度。そして常識を超えた先読み。動き出しの瞬間、骨格の、筋肉の動きで全てを読み切る眼力。それは動き出しだけではなく、動いている最中でも結果をはじき出すことが出来る。

 つまり、始まりから過程の何処からでも結果を読み切れるということ。ちらりと視線を動かし、全周囲くまなく見渡し、何秒後にどういう動きが来るか、雪だるま式に重なっていく大量の情報をすべて脳内で処理して、あとは弾き出した『結果』を回避する動きを取ればいい。回避して、回避して、余裕が生まれたら攻撃する。

 単純にして明快、だからこそこの男が化け物だという証左になる。

 白騎士は、ウィリアムは激戦の中で笑っていた。このひりつくような感覚は久しくなかったもの。七年前、彼もまた挑戦者であった。その時味わったスリルに近い感覚を今感じている。それは心地よく、刺激的で、やみつきになりそうなモノ。

 戦場にはあるのだ。人を殺し殺され、剥き出しになる場所だからこそある。

 麻薬にも似た快感。磨き抜かれた感性が叫ぶ。もっと刻め、もっと無駄を削れ、まだまだ行けるぞ、甘えるな、と。無駄を削ぎ落とす作業はウィリアムの得手とするところ。皮一枚、肉の一切れは要らない。もっと、削ぎ落とせるはず。

「止まれよ、止まってくれよォ!」

「いい加減に、死になさい!」

 まだ削ぎ落とせる。

 ガリアスだけではなく追いついてきた味方すら戦慄させる光景がそこに広がっていた。ただ一人がガリアスという最強集団を相手に充分渡り合えているのだ。二人や三人ではない。雪崩のように押し寄せる人の群れ。それを掻い潜り到達する遠雷のような矢。二人の達人を中心に万全の態勢。

 これでもなお、互角。

「まだ削れる」

 馬鹿げた情報量を処理していることを度外視すれば、ウィリアムの動きには無駄がなく体力の配分が効率的、他の者には無駄だらけで非効率的ということになる。主攻である二人の体力は底を打ちかけていた。特にリュテスの限界は近い。王の頭脳を守るために味方全員を置き去りにした疾走は彼女から体力を大きく奪っていた。

「もっと、だ」

 ウィリアムは笑った。心の底からの笑み。思考のすべてを現状の打開に割き、積み上げてきた技術の粋を結集して事に当たる。楽しくないわけがないのだ。これは辛く苦しかった努力を開放する場なのだから。

 まだ削れる。ウィリアムの眼には未来が視える。禁忌を重ねて身体の深奥を手に入れた。自分がどう動けるのか、相手がどう動くのか、相手よりもそれがわかる、視える。その眼を勘定に入れたなら、まだまだ先があると感性、理性双方が語る。

 なれば実証しよう。ここにはそれが出来る環境がある。あの北方の地には存在しなかった解放の場がそこにある。すべて出し切り、立っていた方が勝者。

「化け物め」

 本日、何度口にされたかわからぬ言葉。陳腐だが、完成された白騎士を表す言葉はそれほど多くはない。化け物、怪物、人ならざる者、人を超えし者、どれも陳腐で、どれも的を射ている。

 さらに一歩、加えて二歩、止まらぬ三歩。

 白騎士が、止まらない。止められない。


     ○


 いつだってそれはガリアスの命題であった。最大規模の量を備えながら、圧倒的個の前に勝ち切れない。革新王が苦心して集めた精鋭たちも、一流ではあるが超一流、最強と呼ばれる存在には成れなかった。何処まで行ってもついて回る『武王』の存在、ガイウスは自嘲しながらこう言っていた。

『これほど世が進めども、未だ戦場には浪漫がある。先王が見せつけた圧倒的な武力。今、余らがさらされておる『黒金』、『英雄王』の武力。時代は未だに英雄の時代よ。余は、それを終わらせたかったはずなのだがなァ。結局、見惚れてしまうのだ』

 圧倒的な個はカリスマを持つ。その輝きに目を焼かれる者は多いだろう。現に、今この瞬間、敵味方問わず白騎士や黒狼王を見て憧れを抱かぬ者はいないのだ。誰もがこうなりたいと思った。誰もがこうはなれないと諦めた。

 だからこそ成った彼らに人は夢を見る。

「何、笑ってんのよ!」

 リュテスは己らが馬鹿にされているのだと思い、怒りをあらわにする。否、実際は笑われるような無様をさらす自分への怒りがほとんど。情けない己を奮い立たせる言葉であった。

「ああ、すまんな。気を悪くしないでくれ」

 猛攻を受け、捌き、かわし、敵を盾にしながら飛び道具を防ぐ立ち回りにも気を遣う。これだけのことを成して、なお言葉を放つ余裕すらあるのかとリュテスやロランは愕然としてしまう。

「正直、君が間に合ったのは想定外だったし、俺がここまでやれるのも驚きなんだ。ふふ、本当に、己でも驚くくらい間違えない。楽じゃないよ、君たちは。厳しいし、一手でも間違えれば即詰みだ。でも、一手すら間違えない。間違える気がしない」

 余裕はない。その言葉に嘘はないだろう。

 だが、同時に間違える気がしないというのも本音なのである。ギリギリの、それこそ薄氷の上で踊るかの如し。曲芸じみた動きを延々と続ける。先の見えない細い綱を全力疾走で駆け抜ける。それがこの男の日常なのだ。

 この状況が日常であるならば、ギリギリの状況で勝ち抜いてきた者ならば、誰よりも冷静に対処できるはず。冷静に、落ち着いて、死地の中で最善を尽くす。か細い活路を選び取り邁進する。一手も外すことは許されない。

「それに、もう終わりだ」

 乱戦ゆえほとんど機能していなかった『迅雷』の部隊。その側面が爆ぜた。

「なっ!?」

 ガリアスは時間をかけ過ぎたのだ。自分たちが到着したのなら敵も到着するのは道理。二代目『白熊』シュルヴィア・フォン・ニクライネンが一気の攻めを見せる。そして、先程から供給されてきた迅雷の矢が消え、場に変化が現れた。

 そこを見逃すウィリアムではない。

「しまっ――」

 隙をついてロランの剣、その持ち手を掴み引き倒す。ウィリアムを止めていた一番の要因を消すために、引く途上で全力の蹴りをお見舞いする。鳩尾に入ったそれはロランの腹から空気を吐しゃ物ごとすべて吐き出させ、遅れて来る痛みにロランは行動不能になった。

 完全に崩壊した戦場。薄氷が段々と分厚くなっていく。

 そこでリュテスが取った行動は、

「まだ負けてない!」

 やる気満々の言動とは裏腹に、倒れ伏すロランを槍で搦めて横に弾き、撤退の構えを見せた。ウィリアムはそれを見てにっこりと微笑む。この状況で無理押しすれば取り返しのつかない状況になる。それを回避し次に備えるのは実に賢い判断であった。

 以前のリュテスなら確実に攻めを選び死んでいた。七年の成長、その証である。

「必ず仕留めて見せる」

 リュテスは撤退を選んだ。ウィリアムという駒はこの死地で活きたのだ。敵の猛攻をかわし、敵陣のど真ん中で橋頭保が生まれた。ならば後は――

「クロード、俺の馬はそこにあるか?」

 全力で攻め潰す。次の機会は与えない。

「は、はい。ここに」

 ようやくこの戦場で主導権を得た。

「お前たちに見せてやろう。本当の戦争というものを」

 白騎士は馬を、兵を手に入れた。若く優秀な彼らの使い方をウィリアムは知っている。未熟や経験の少なさは自分がカバーすればいい。彼らの強みを引き出し弱みを消す。

 自分ならできる。そのために彼らを作ったのだから。


     ○


 ヴォルフは戦場の変化を嗅ぎ取った。白騎士が活きた。ガリアスが退いた。であれば己がやるべきことは一つ、このまま押し切るのみ。

「何故あの男に与した!」

 ボルトースもまたそれに気づく。気づいたところでどうしようもない。たった一人を相手にガリアス最高戦力の二人と数ある属国の中で最優の国の最強の武人。これだけ揃えてなお勝てない。押される。止められない。

「そりゃあテメエらが強くなり過ぎたからさ。オストベルグの領土を手に入れて、アルカディアもボコボコ、俺やアポロニアの国じゃあ国力に差があり過ぎてまともに組み合えない。ガリアスって国は強くなり過ぎた。それを咎める機会があるなら誰だってそうするぜ」

 強過ぎる存在はそれだけで敵を生む。その躍進を快く思っているのはガリアスのみ。他は苦々しくそれを眺めていたはず。

「テメエらは強い。阿呆ほど戦力を持っているし、それなりの人材も備えている。ああ、つえーよ。本当に強い。ほんと、量だけは勝てねえわ」

 勝てる機会が訪れた。勝てる状況が現れた。

「でもな、質ですげえと思ったことは一度もねえんだ。わりーけど」

 ならば掴み取る。掴んでこそ覇者。

「テメエらの敗因は戦力を分散させたこと。死体の山を築いてでも十五万、包囲してる阿呆ほどの量をそのままぶつけるべきだった。量のねえテメエらなんぞ怖くねえ。量を置き去りにしてドヤ顔で現れたテメエも怖くねえ。もう遅いぜ。さっきまでの俺も強かったけど、勝負どころの俺はもっとつえーんだわ。いいか、目ン玉かっぽじってよーく見とけ。これが強さだ。これが、最強だ!」

 黒狼王の気配が爆発する。背後の部下たちまで戦慄するほどの気迫。いわんや対面する者たちは絶望的な気分に陥ってしまう。ギリギリの戦いで自分の力正確に出し切るのが白騎士ならば、黒狼王はギリギリの戦いで限界を超えた力を出すのだ。

 真の最強を彼らは知る。


     ○


 戦況が一変した。全体の戦力で言えばガリアス優位なのは変わらない。全軍集結し正面から当たれば勝つのはガリアスである。しかし、今の手元に十五万はない。少しずつ集結しつつあるが、主戦力である歩兵の合流はまだ先になる。

 今にして思えばセオリー通りの包囲で長期戦。当たり前を当たり前のようにやったのが間違いであった。誰でもわかる一番勝率の高い策など、対策していて当たり前なのだ。白騎士なら絶対に対策をしてくる。わかっていたはずなのに、わかっていなかった。

 本陣まで白騎士はあとわずかといったところ。黒狼王も遠くはない位置まで押し込んできた。下がって体勢を立て直す。それ以外の手はない。

「そして、主導権を握った君は、そうさせてはくれないのだろうね」

 それでもリディアーヌは撤退の合図を出した。屈辱の狼煙、恥辱の撤退。

 ただでは退かせてくれないだろう。白騎士も、黒狼王も、絶対に追ってくる。地の果てまで追いすがってくる。ここまでガリアスは楽に優勢を満喫していた。ここからはその逆、辛く苦しい敗勢を享受せねばならない。

「まだ負けていない。今日から、私は何度唱えるのだろうか」

 英雄たちが牙を剥く。中途半端な手は打たないだろう。

 ここからが本当の地獄である。


     ○


 ガリアスが撤退していく。アルカディア軍は鬨の声を上げる。誰もが完全包囲の窮地に敗北を覚悟していた。誰もが勝利する未来など浮かべられなかった。だからこそこの勝利は格別で、ゆえにそれをもたらした者は英雄として崇められるのだ。

 勝利に沸くアルカディア軍。撤退していく背を見つめて、安堵と開放感からかそれぞれ好き勝手なことを叫んでいた。しかし、威勢こそいいが足は止まっている。誰も追撃の姿勢を見せていない。

「こいつら阿呆か?」

「そんだけきつかったんだろ。籠城は気が滅入るからなあ」

「機を逸する理由になるかそれ?」

「……ならんな」

 黒の傭兵団の面々は彼らの鈍重な反応にやきもきしていた。自分たちだけが動くわけにはいかない。あくまで傭兵、言われたことをやるのが仕事である。自分たちだけで突出してリスクを負うのはありえない行動。

 だが、ヴォルフは迷わず追撃を選択した。退くそぶりを見せたボルトースら三人に猛然と突っ込んでいくヴォルフ。傭兵団の面々も傭兵として常識から外れた行動とはいえヴォルフの差配に文句などあるはずがない。嬉々としてその追撃に加わった。

「全軍聞けェ!」

 その勢いすら裂く声量でウィリアムは命令した。桁外れの圧力を帯びた声。歓喜の声も、敵軍への罵声も、全てが一瞬にして消え去る。恐ろしいほどの静けさが辺りに漂っていた。

「これより我が軍はガリアス軍を追撃する。今、我らは一つの岐路に立っている。追って勝利を得るか、追わずに勝利を逃すか。そう、我らはまだ勝っていないのだ。このまま彼らを逃がせば、今度は倍の数を引き連れてやってくるだろう。ガリアスにはそれが出来る。出来るから超大国なのだ。勝機は今しかない。今なら彼らは体勢を整える余裕もない。量を集める暇もない。勝つのは今だ。全力で追い、蹂躙し尽くせ。二度と逆らう気が起きぬほどに、我らの恐ろしさを刻み込め! 殺せ、奪え、犯せ! 奴らから全てを簒奪してやれ! その暁には、俺たちが、アルカディアが、ローレンシアの王になるのだ!」

 一気にウィリアムは捲し立てた。逃げるガリアスにも聞こえる大声量で、宣戦布告をしたのだ。絶対に逃がさない。絶対に倒して見せる、と。

「王に成るぞッ!」

「応ッ!」

 満足していた彼らに、さらなる欲望を与えて活性化させる。

「我に続け!」

 白騎士というカリスマは彼らに考える暇を与えなかった。思考を奪い、精神を餓えさせ、蹂躙する心を築き上げた。

「ケヴィンは歩兵たちをまとめて追って来い。俺は馬で先んじて連中の背をつついてくる」

「承知致しました。閣下もご武運を」

 白騎士は足の遅い歩兵を一旦捨て置き、即座に追撃することを選んだ。ヴォルフと同じ発想、当たり前である。ほんのひと時でも呼吸を許せば、かの超大国は浮上してくるだろう。今回のような奇襲は通じない。

 今、彼らには魔法がかかっている。敵も味方も、正常な状態ではない。魔法が解ける前に取り返しのつかないほど叩き潰さねば、揺り返しで国が滅びかねない。とことん、行けるところまで行きつく。

「さあ、共に征こうか、地獄の底まで」

 ウィリアムは嗤った。これより始まる地獄を想いながら――

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