進撃のアルカディア:尋常ならざる戦場たち

 己たちの格好をして、姿を隠して王の頭脳を暗殺しようとした不埒者を許すまいと、ガリアス軍末端に至るまで全ての敵意がウィリアムに向く。ヴォルフに呑まれていた者たちでさえその奸計に対する怒りによって、一時的に恐怖が消し飛んだほどである。

「良い眼だ。良い将に成長したな、二人とも」

 ウィリアムは軽く一呼吸する。先程の一撃は、最も効率の良い方法であった。戦巧者のダルタニアンを奪い、リディアーヌも殺せば戦局は完全にアルカディアのものであった。それによって混乱はさらに拡大したはずで、乗じてもっと多くの敵将を削れたはずである。

 だが、それはもう叶わない。

「やはりガリアスは強い。綺麗に倒そうとしてもなかなか……すべては俺の未熟だ。もはや混乱に乗じてどうこうなど不可能、か」

 己の理想には、自国の力も己が力も足りない。もっと力が要るのだ。戦争になっている時点で足りていない証拠。戦いは未発達の証明でしかない。

「不本意だが――」

 殺到するガリアス兵。怒りに身を任せた十人ほどの彼らを前にウィリアムは哂った。

「――力押しで征く」

 その瞬間、噴き上がるとてつもない殺意の奔流。呑み込まれたガリアス兵は居合いにて両断された。前衛の彼らは運がいい。その死を目撃せず死ねたのだから。王の頭脳が狙われたことにより高まった士気が消し飛ぶ。

「まさか弓の届くこの距離が」

 二列目、三列目、全滅まで瞬く間の出来事であった。

「安全だと思ってはいまいな」

 雰囲気が迸る。強烈な殺気を前に彼らはようやく思い出した。

 白騎士、ウィリアム・リウィウスという男が誰をどういう風に倒したのかを。

 底知れぬ深淵から噴き出してきた力、この戦場が始まってからひた隠しにしていた本来の能力を十全に見せつける。その威圧感はヴォルフと比べても遜色のない力があった。スケールでヴォルフに劣れども、完成度では己が上。そう誇示するような強さが其処にあった。

「俺は強いよ、君たちの想像以上に。哀しいかな、人類にはまだ英雄が要るのだ」

 それが俺だ。ウィリアムの眼はそう言っていた。

 英雄が動き出す。時代を終わらせた男が二人。これより時代を開始する。


     ○


 ヴォルフは二人を圧倒しながら前進を続けていた。ランスロとガロンヌという猛者相手に余裕すら垣間見える立ち回り。ただの力押しをヴォルフがやると此処までどうしようもないものか、ガリアスは戦慄を禁じ得ないでいた。

 それでも、ガリアスには希望があった。

「……ほーう」

 ヴォルフの歩みが緩やかになる。側面から来る気配、これ以上進めば自分の背後が『それ』を受けることになる。先ほどまで何が来ようと歩みを緩めなかった騎馬隊。それが緩むのだから、尋常ではない者が接近してきていたのだろう。

「ようやく来たかい、御大将」

「待たせたな」

 一見して怪物。黒き鋼を身にまとい、その背後でたなびくは獅子の御旗。ガリアスが誇る王の左右が一人、『黒獅子』のボルトース。質実剛健を絵に描いたような男が狼の王の前に立ち塞がる。強烈な強者の匂い。ヴォルフは微笑んだ。

「三人でやるぞ」

 ボルトースの弱気とも取れる発言にヴォルフは笑みを深めた。怪物は怪物を知る。もし、ボルトースが一対一にこだわれば嗤って両断しただろう。力の差はある。それを感じ取り、冷静に対処できる場数も踏んでいる。

 何よりも複数で戦うことに何の迷いもない。おそらくストラクレスを相手取った経験が迷いを飛ばしたのだろう。本来、強者であればあるほど、一対一にこだわりたがる。ランスロとガロンヌ、この二人のペアは噛み合っているようで、両者の底にある強者のプライドが乱れを生んでいた。厳密には精々一対一と半分ないし六、七割程度であっただろう。

 ただ、この相手は違う。迷いがない。勝つためならば相手の靴でも舐めるだろう。勝つためならば何でもやる。勝利に対する執念が尋常ではない。

 常勝ガリアスを体現した男がそこにいた。

「良いのかい? あっちも結構やばいと思うぜ」

「貴様を倒して向かえばいい」

 三対一、一見優位に思えるが左右に隙を持たない、死角のないヴォルフにとって一対多は得意な形であった。対照的に重量のあるボルトースとガロンヌに加えてもう一人では攻めるスペースもないだろう。先ほどまでとさほど状況は変わらない。

 変わったのは人である。ゆえに厄介なのだが――

(ちーと歩みは遅くなる、な。しゃーねえ)

 ヴォルフは即座に決断する。

「部隊を二つに分ける。アナトールはてきとーに半分引き連れてあっちに向かえ。俺はもう半分と一緒にこのまま押し切る」

 ヴォルフの指さす方向を見てアナトールは意図を理解した。そのまま部隊を分け始めたアナトールから視線を外し、ヴォルフは三人に集中する。いずれも劣らぬ強者が揃い踏み。気力体力共に完熟を迎えるこの時期、それを向ける相手がいなかったことを思い出すと涙が出そうになる。

 この仕事を請けてよかった。心の底からそう思う。

「押し切る、ねえ」

 ガロンヌはぽつりとこぼす。この状況でさえ己が負けるなどと微塵も思っていない。見え透いた圧倒的自信。本来なら憤るところだが、この男ならばそれも許されるだろう。絶対的強者としてここまで押し込んだ、ヴォルフという怪物ならば。

「さあ、やろうぜ。待ちきれなくてウズウズすらァ」

「気合を入れろ。この男を殺せばこの戦にカタが付く」

 ボルトースはもう一人の男を過小評価しているわけではない。しっかり評価した上で、どちらか一方を崩せば戦が終わると判断したのだ。そしてそれは正しい。ウィリアムがヴォルフを此処に呼び出した、必要だから大枚はたいてヴォルフとその中核部隊を雇った。

 どちらが欠けても戦は終わる。逆に言えば――


     ○


 群れであること、それは必ずしも優位に立つとは限らない。圧倒的個が群れの欠陥を突けばどうなるか、それを世に知らしめた戦史でも非常に珍しい包囲戦、白騎士対超大国と揶揄される戦いが開幕した。

 押し寄せてきた十数名を切り伏せぽかりと空いた空間。緩やかではあるが包囲されている白騎士が取った行動は――

 敵の群れに突撃するという荒業であった。ただしその群れは自分より弱く、かつ目的の方向に繋がっていることなどいくつかの条件が必須となる。力押しと言った男が最初に逃げの一手を打った、リュテスたちにはそう見えてしまう。

 絶え間ない接近戦。群れの中に活路を見出した理由。

「長物封じだ。弓はもとより槍すらあの空間では邪魔だろう」

 リディアーヌは冷静に分析をしながら少し距離を取った。弓の届く距離はまずいのだ。隙あらばあの男は今度こそ確実に仕留めてくるだろう。リュテスを守りに置いていてはいつまで経っても白騎士を仕留めることは出来ない。

 白騎士を討つために、まずは己が安全圏に身を置かねばならないのだ。

「ただし、彼女にそれが通じるとは思えないがね」

 リディアーヌは遠くから聞こえる馬蹄に頬を緩めた。


 遠雷が轟く。


 ウィリアムの耳も馬蹄の響きを捉えた。それと同時に頭によぎるのはリュテス、その隣でいつも己に敵意を振りまいている女――

 ウィリアムは咄嗟に敵兵の肩を掴み、軽く持ち上げるように身体の下に潜り込んだ。その瞬間、敵兵の頭が爆ぜる。その威力にウィリアムは苦笑してしまう。男であり弓を得手としている自分でさえ、これだけ強い弓はなかなか射れない。

 ローレンシア広しと言えども、この破壊力と狙いの正確さを併せ持ち、かつこの飛距離を出せる者など彼女を置いて他にはいないだろう。

「あらあら、羽虫が飛び回って……気色悪いこと」

 エウリュディケ・ド・キテリオル。『迅雷』と謳われる彼女の弓は天下一品。『弓騎士』トリストラムや『烈弓』のマクシミリアーノ等と並び評される腕前である。

「さあ援護は任せて、制圧しなさい。わたくしの可愛いリュテス」

 遠雷が轟いた瞬間、リュテスは単身駆け出していた。己一人だけならば勝てない相手であると感覚が告げている。其処に対する悔しさはあるが、それはひとまず横に置いておく。しかし、二人であれば話は別。彼女たちが組んだ戦場はいつだって勝利に彩られていた。

 そう、二人合わせて『疾風迅雷』。己の役目は――

「とにかく突っ込む!」

 先ほどまで肩で息していた者とは思えぬ脚力を見せ、一気に距離を詰めたリュテスは槍を突き込む。それを視界の端に捉えたウィリアムが首の皮一枚で回避し、殺気を乗せた刃をリュテスに向ける。おぞましき剣、正確無比に相手を殺す必殺の刃。

「ようやく捉えたぜ、白騎士さんよォ」

 鎧すら断ち切る刃を止めたのは、ガリアスが誇りし眠れる天才。

「雲を掴むあんたが、雲に掴まれる気分はどうだい?」

 ロラン・ド・ルクレール。『白雲』と謳われる華麗な剣が、不細工に白騎士の剣を止めていた。両の腕で、必死の表情で、美しくなくとも構わない。優雅でなくとも構わない。ここまで何の貢献も出来なかった男は乾坤一擲、この場に全てを注ぎ込む。

「全員でかかれ! 味方の屍を超えて突撃せよ! ガリアスの誇りを見せてやれッ!」

「応ッ!」

 絶対に楽をさせない。三対一、これで充分などとリディアーヌは慢心しなかった。すでに彼女の心は修羅と化している。遅過ぎた覚悟だが、それでも此処で白騎士を討てるならば十二分であろう。

「正々堂々、なんて負け犬の言葉よ!」

「勝たなきゃ意味ねえんですわ」

 まさにガリアス。死力を尽くした攻めでウィリアムを包囲する。

 犠牲は出る。それでも白騎士を止められたなら、殺せたならば、十二分。

「十万を捨ててでも、貴様の命は取るぞ、ウィリアム」

 ガリアスの熱情がただ一人の男に注がれていた。大勢の殺意が身を包む。ここは敵対者にとって地獄だろう。右を見ても左を見ても、天からも殺意が降り注ぐのだ。救いはない。だからこそウィリアムは心地よく感じてしまう。

 この場は己を許さない。徹底的に、殺すまで止まることはないだろう。

「……ふっ」

 小さく、ウィリアムは微笑んだ。やはり戦場は良い。ここは常に殺意に満ち溢れ、喧噪が耳を支配し、感覚全てが外に向けられる。内側の痛みを感じる暇がないのだ。虚無が生み出す零度を、彼らの熱が包んでくれるのだ。

 これを救いと言わずに何と呼ぶ。

「まだ甘いなリディ。十万じゃない。十五万、全て捨てる覚悟がなければ――」

 殺せたなら十二分。

「俺には勝てんよ」

 止められたなら十分。

 しかし――止められなかったら、ガリアスはどうするのだろうか。

 数多の攻撃を捌きながら、白騎士は悠然とその一歩を踏み出した。


     ○


「貴殿の出る幕か? 副団長、『哭槍』のアナトール」

「胸を借りるつもりでやらせてもらう」

 アクィタニアの王ガレリウスが側面から伸びる槍を受け止めた形で膠着していた。穂先と刃の間で軋む圧が彼らの戦力を物語っている。ガレリウス一人に満身創痍の三人からすると、互角の雰囲気を持つこの男もまた怪物であった。

(くそ、この戦場はどこ向いても化け物しかいねえ)

 クロードは心の中で吐き捨てる。アナトールの、文字通り横槍がなければ三人とも殺されていた。粘ってこれたのも実力的に抜けているベアトリクスが奮迅の働きを見せていたが為。逆に言えばクロードとラファエルはまともに打ち合うことすらできなかった。

「お前たちは白騎士と合流しろ。此処は俺が引き受ける」

「そうはさせんよ」

 ガレリウス、そしてその腹心たちがどっしりと構えた。抜く隙がない。クロードたちの前に巨大な壁が出来たように感じてしまう。

「団長の命令でな。こちらも退けんのだ」

 アナトールと歴戦の傭兵たちが力をため込む。一気にぶち抜かんとする構え。その鋭さと破壊力は放たれる前から見て取れた。

 どちらも怪物。怪物たちの群れ。

「俺らが空けた穴に飛び込め。あとはなるようになるだろ」

「いいもん持ってんだからあともうちょい捻り出してみな」

 決して個人技で劣る相手ではない。一対一ならばそれなりにやれるだろう。ベアトリクスはもちろんのこと、クロードやラファエルとて一流の武人である。才能も技術も兼ね備えている。しかし、経験と勝利の数が足りていなかった。

 黒の傭兵団やガレリウスの部下たちが持つ戦争の経験値。この巨大なひらきこそ集団戦での差に繋がっていた。個人では負ける気のしない雑兵、されど群れであれば勝てる気がしなくなる。これが数多の戦場を駆け抜けた者のみが持つ力。

 今の彼らに欠けているモノである。

「哭けよ槍、我が道を突き進むッ!」

「黒の傭兵団ナンバースリーの槍捌き、見せてもらおうか」

 死を招く槍がうなりをあげた。


     ○


 さすがにヴォルフの歩みは遅くなった。ボルトースという巨大な戦力が潤滑油として機能することでランスロ、ガロンヌも輝きを取り戻す。もちろんボルトース自体も攻めるし守る。攻めは苛烈で守りは堅牢、三人の炎は燃え盛る。

 ヴォルフの歩みが遅くなったと同時に、その背後を強襲しようとアダンとアドンの双騎士が動き出す。どれだけ精強な軍でも背面は弱い。それを補える戦力は彼らにはなく、それなしでも優勢だったのは先頭の推進力が源泉。

 速度が落ちたことで欠点が浮き彫りになる。所詮、精鋭とはいえ少数。さらにそれを二つに割った軍など弱点を突けば一瞬で捌ける。

「良い頃合いだね」

「好き放題やってくれたことの償いをしてもらおうよ」

「「さあ戦を終わらせよう!」」

 双騎士の強襲。ヴォルフはそれを肌で感じるも手出しが出来ない。そもそもあまり余裕もなかった。ボルトースの参入により、一対多のレベルが飛躍的に向上したのだ。全身全霊をかけてようやくこの歩み。後ろに気を遣おうものならさらに速度が落ち、結果として状況は悪化する。

(ハッ、窮地じゃねーの)

 ヴォルフに求められるのはひとえに攻めの速さ。より速く、より強く、三人を相手取ってなお圧倒出来る力こそ求められている。ギリギリの緊迫感、ヴォルフのハートに火が付いた。ひりつく感覚が己を高める。

(でもよ、すぐにどうこうって話でもねえぜ)

 己の高まりはこのまま乗っかるとして、後背の危機に関しては楽観せずとも悲観はしていない。ヴォルフが集めた精鋭である。あの日味わった苦い記憶を忘れずに、集めに集めた精鋭たち。野に散らばりし無名の強者。

「とりあえずこっちも、もっとアゲるぜ!」

「……ぬう!」

 ヴォルフは力づくで押し続ける。

 アダン、アドンの強襲で後背は一気に乱れた。乱打戦になれば戦巧者の二人に軍配が上がる。勝機は見えた。あとはそれをなぞるだけである。

「うわ、ブロリーンの部隊が一瞬で食われた」

「双騎士つえー。俺ァ、無理だぜ」

「俺だって無理だよ」

 面と向かって同じ条件でぶつかるなら戦えなくもないが、双騎士はバックアタックという優位を捨てないだろう。勝つには個で上回らねばならない。

「つーわけで、頼むぜおっさん。ユリシーズや姉御が不在の今、あんたしかいねえ」

 声をかけられた男はむすっとした顔で仲間たちに視線を向けた。ちなみにこの顔は不機嫌なわけではなく素で仏頂面なだけである。

「……心得た」

 彼は新参者であった。必要なこと以外何も語らず、ずっと仏頂面で人付き合いも苦手。入団して一年と少し、まだまだ距離感を測りかねているものがほとんどである。

「すぐに済む」

 しかし、人付き合いが下手で謎多き男が、それでも皆に信頼されているのには理由があった。その理由は単純にして明快――

「逆走してくるのが一人。それなりに使えるみたいだけど」

 アドンがにやりと笑った。雰囲気から見て取れる力は自分が勝る。僅差だが、退くほどの相手ではなかった。半端な力を持つ者から戦場では死ぬ。臆病であれば救いがあったろうに、半端者には逃げる勇気すらない。

「ん? ……赤い、髪?」

 少し離れたところでアダンは向かってくる敵を見た。大きめの体にバランスの良い筋肉をまとい、雰囲気もかなりのレベルに見て取れた。しかし、アダンが引っ掛かったのは其処ではない。髪の色、そう、『赤』い髪こそ疑問の正体。

「それにあの拵え……駄目だ、アドン!」

 刹那に込められし殺意の一太刀。

「えっ――」

 疑問が確信に変わる前に、アドンの首が宙に舞った。

『許せ。死出の旅路、安らかであることを祈る』

 赤い髪を短く切り揃えている男は静かに剣を納める。抜く瞬間はもとより、納剣でさえ納める瞬間が少し見える程度。一連の流れは誰の目にも止まらなかった。

「赤い髪、美しい拵え、何よりもその超速の居合い……君がルシタニアのレイ、か」

「違う。もうこの世界にレイはいない。俺はただの残り火だ」

 アドンを殺された怒りは脇に置く。戦場でそのような無駄な荷物を抱えてはすぐに死んでしまうだろう。今は冷静にならねばならない。レイではないと言っているが、居合いのキレ味はまさに最速最高、油断など出来ようはずもない。

 この力、レイでなくとも警戒に値する。

 自らを残り火と言った男が双騎士の片割れを討ち、もう一人を相手取る。

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