進撃のアルカディア:殺意のひと矢

 ダルタニアンの死亡は敵の士気を大いに挫き、味方の士気を大きく高めた。此処から戦場は怒涛の様相を呈していく。戦場で誰よりも目立ち、まるで太陽の如し輝きを放つヴォルフが押し込めば、決して目立たずされど敵の致命を突いていくウィリアムがかき乱す。

 ガリアスは精強な軍勢である。数多の兵法に対応し、練度の高さはローレンシアでも随一であった。しかし、彼らには負けの経験があまりにも少な過ぎたのだ。指揮系統がきっちり整えられている状況でばかり戦ってきた。

 ゆえに乱れる。一度乱れてからが脆い。

「これほどか」

 ガリアスという群れは強かった。だが、ガリアスの群れを形成する個は決して最強ではない。個の勝負に持ちこめば勝ちの目は生まれる。

「これほどに、強いのか」

 何よりも――

「ばけ、ものめ」

 最強の個がアルカディア陣営にいる。

「どーしたァ? 俺ァまだまだ全開じゃねーぞォ!」

 憤怒に身を任せたあの日、ランスロはエル・シドに肉薄した。その貌にぬぐえぬ傷を刻み、生還まで果たしたのだ。強いと思った、しかし届かぬとは思わなかった。だが、今は違う。今は、全身が叫んでいる。

 この怪物には勝てない、と。

 ガロンヌもまた受けるだけで精一杯、アクィタニアでも最強、力ならばローレンシア随一と自負していた。それをこの怪物はいとも容易く凌駕し、しかも二人相手でも余裕を感じさせる速さまで兼ね備えているのだ。

 狼の王はあまりにも巨大になり過ぎた。それを知るための比較対象が、この七年間で一度もぶつかることがなかったのも痛い。一線から外されていたウィリアムは言うに及ばず、アポロニアもまたヴォルフとぶつかることをしなかった。あれだけ戦があったにもかかわらず、本当に強いやつの誰もが狼の王と戦わなかった、否、避けていたのだとしたら――

「俺を止めねえと、このまま脳みそまでぶち抜いちまうぜ?」

 止まらない。止められない。ガリアスで最強の騎士、アクィタニア最強の戦士、二人がかりでも止めることすらできない。ずんずんと突き進む。それを押されながら受けることしか彼らには出来ないでいた。未だヴォルフに有効打は与えられていない。対するガリアス側はすでに満身創痍。ランスロとガロンヌ以外、近づいただけで肉片と化す。

 これが今のヴォルフ。七年経ち名実ともに最強と成った男の真骨頂。

 地上最強、此処に在り。


     ○


「あっちもやばいが、こっちもやばいでしょ、どうにもさ」

 ロランは最初からウィリアムを狙っていた。ある程度押し込まれた後、自分が足止めをして時間を稼ぐ。その間に態勢を立て直せば、勝利はガリアスに微笑むのだ。決して勝算がないとは思わない。自分の『白雲』とウィリアムの剣は似ている。完成度はあちらが上でも、似ている部分で喰らいつくことは可能。

「まーたやられてる。名前は知らないけど、見たことあるやつだ」

 先程からそこかしこに倒れている躯。どれも綺麗な死体であった。急所を一突き、ろくに抵抗した跡もない。矢での殺しなど死んだことにすら気づかず逝った者もいた。

(そのレベルの奴ならいいけど、マリーさんクラスを討たれるのはやばい。ダルタニアンさんとかは上過ぎて普段直接指揮とかしないけど、あの人たちはバリバリ最前線組だ。その喪失ってなると群れに対するダメージがでか過ぎる)

 実は、『銀冠』には劣るとも優秀な者たち、そのレベル帯が一番危ないのだ。優秀かつ強い、頭もキレる。感度だって高い。だからこそ今のウィリアムにとってカモと成り得る。

 ウィリアムを自由にさせてはいけない、という理性。

 この程度の圧力ならば自分でも足止めできるのではないか、という本能。

 理性と本能が彼らを戦いに向かわせる。優秀で強く、感度も高い。だから間違ってしまう。今のウィリアムは七年前よりも桁外れに強い。その強さが戦場で良く視る強さとは違い過ぎて、判断を間違えてしまうのだ。どうにかなるのではないか、そういう幻想を抱かせて、死地に呑み込んでいく。底なしの闇沼へと。

「俺ならたとえ死んでも影響は低いし、渡り合える可能性もゼロじゃない。問題は――」

 ウィリアムと遭遇できないこと。軍の動きや流れ通りに追っても捉まらないのだ。するすると手をすり抜けていく感覚。掴みどころのない姿に、己の剣を嫌でも重ねてしまう。

「くそ、どこだ、どこにいる!?」

 群れの動きは黒狼に合流しようという意思を感じる。それを追ってもいいが、少し引っかかる部分もあった。合流に意味があるとロランにはどうしても思えなかったのだ。どちらにせよ地力で劣るアルカディア側が、黒狼の襲来という奇策を利用して一時的に有利に立っただけ。立て直せばやはりガリアスが勝つ。

 意味のない動きはしないだろう。それに、そっちを咎める動きは別の者がしている。彼が抜かれたならば本命として対処すればいい。

「あの人なら、白騎士以外には抜かれまいさ」

 ロランは模索していた。姿をくらまし、雰囲気を見せぬもう一人の怪物の狙いを――


     ○


 三人の前に立ちふさがったのは一人の王であった。本来、神話の時代でもないのに王が戦場に出るなど稀なこと。ヴォルフやアポロニアはある意味で王としての責務を放棄した形で戦場に出ているが、この男は違う。

「白騎士殿はどこにいる?」

 正真正銘の王。

「そ、そこにいるだろうが!」

 政治、軍事、宗教、商業、彼が全てを司っている。

「さすがにそれでは騙されんよ。仮面と背格好、確かに彼と似ている。だが、底知れぬ雰囲気だけは見えてこない。見えないのと無いのとでは違い過ぎる、だろう?」

 目の前の虚構を即座に看破した男は静かに微笑みを解いた。

「白騎士の狙いは何となくわかった。だが、だからと言って私も一人の人間。我が手の届く範囲は決まっている。そちらは他の者に任せよう。君たち手足も、少し面倒だからね」

 憤怒の形相。穏やかな王である彼が見せるそれは強烈な圧力を内包していた。

「あの男も一人の人間だ。手足を失うのは……痛かろうよ」

 準七王国の雄、アクィタニアの王ガレリウスがクロードたちの前に君臨した。その眼は怒りに揺れている。友を失った怒り、同世代の盟友を殺されたことへのやるせなさ。彼ら若者に罪はない。戦場での殺し殺されに罪を問うことがおかしな話。

 それでもガレリウスは一人の人間であった。

「リュシュアン、ファビアン、三人は俺が殺す。他の雑兵を一掃しろ」

「「御意」」

 怒れる王を前に三人は戦慄を覚えた。一体どれだけの怪物をガリアスは擁しているのか。アルカディアにいればすぐにでも大将に成り得る存在のオンパレードである。その中でもガレリウスはダルタニアンやボルトースの盟友であり、王になる前は彼らと共に戦場で暴れ回った怪物の一人であった。

 その力、今でも決して――

「君たちを殺してどこかに潜む白騎士を討つ。なに、大した時間はかからんさ」

 ガレリウスの放つ烈気を前に、英雄の卵たちはどう抵抗するのだろうか。

 そしてこの場にいないウィリアムの狙いは何か――


     ○


 騎馬での突撃、その後に続々と後続の歩兵を投入し、混戦状態を作る。血と臓物に彩られた世界。血と泥にまみれた男が征く。手には弓、誰も視線を合わせない。極限まで気配を消してこの位置まで到達した。

 頭を削って弱い群れを作り出し混戦状態を加速させた。混乱に乗ずる方が動き易い。頭を削る行為自体もいい牽制となった。狙いが拡大しぼやけたから。

 あとは敵方の服を拝借し、呆然自失となった味方を装えばいい。

 混乱を生むための頭は削った。しかし、それはあくまで替えの利く頭でしかなかった。彼らはしょせん少し優秀な中継地点でしかないのだ。本当の頭、王の頭脳こそがウィリアムの狙い。あれを射抜けば戦局は変わる。

「情はある。好ましいとも思う。だが、迷うほどじゃない」

 ウィリアムは静かに弓を引いた。誰もウィリアムを見ていない。誰もその動作を咎めない。薄い存在感と混乱が彼らの思考を働かせなかった。

「さらばだ、リディ」

 濃縮された殺気を乗せた矢が放たれた。それは刹那のこと。感度の低い者はやはり気づかない。しかし――

 ようやく感度の高い者は気づく。そして絶望する。

 すでに矢は放たれた後なのだから。


     ○


 矢が放たれる前にヴォルフはウィリアムの居場所を見抜いていた。混沌とする戦場において静か過ぎる存在、戦場を制覇し戦火を撒き散らす王にとって、その存在は異質が過ぎたのだ。されどそれを掴めるのは戦場を支配して初めてかなうこと。王の威圧を前に慄き、熱に魅入られているようでは見つけることは出来ないだろう。

(ったく、テメエはまどろっこしいんだよ。シンプルにいきゃ良いのに、そーゆうのがお嫌いでいらっしゃる。ま、無駄な犠牲もなく効率的ってのは認めるがな)

 二人の猛者を相手にしてもなお、その怪物は怯むどころか底すら見せない。

(でもよ――)

 ヴォルフは歯を見せて笑う。獰猛な笑みは獣のそれ。犬歯を剥き出しにして、嬉々として顔を歪め、自分と遊んでくれる相手に敬意をもって剣を振るう。もはや遊び相手すら探すのが困難なほど、ヴォルフは強くなり過ぎた。

「それじゃあつまんねえよなッ!」

 それはおそらく他の二人も同じはずなのだ。そしてヴォルフはその中で序列をつけたがっている。否、本音を言えばただ一人との戦いを嘱望していた。もう一人はある程度見極めを終えている。やはり、ヴォルフにとって敵と成り得るのは――

「ぐぬ、まだだ!」

「まだやれるよぉ」

 ヴォルフは笑う。腹ごなしには丁度良い運動であった。


     ○


 ロランが気付いたのは殺気が放たれた瞬間、つまりは矢が放たれた後であった。優秀過ぎるがゆえに一瞬で状況を把握し、優秀がゆえに絶望する。

「あっ――」

 こぼれた言葉の間にも矢が美しい放物線を描き、狙い通りの目標に向かっていく。寸分の狂いなく、見た瞬間察してしまう予知にも似た確信。

 引き延ばされた時間の中、ロランの後悔が止めどなくあふれてくる。

(俺は馬鹿か。アルカディアの勝ち筋なんて早期決着しかない。どれだけ黒狼王や白騎士が強くとも圧倒的戦力差の前には無力。このかき乱せている間だけが勝機ならば、敵の小物を削って満足なんてするはずない。すべては布石だった。そして匂い消しだった)

 もしウィリアムが一直線に本陣へ向かえば馬鹿でも狙いを察する。それを敵の将を削り相手を弱らせるだけと勘違いさせた行動。本当の狙いを隠すための策にガリアスはまんまとはまってしまった。いや、本来の実力、思考力であればガリアス側とて狙いに気づけていたはずなのだ。それをさせなかったのはヴォルフという怪物の存在が非常に大きい。

 強過ぎる光は眼をくらましてしまう。そこにばかり目が行き、影を見ることを忘れてしまうのだ。それが致命、愚かなる行動の末路。

(俺はまだ、何も出来ていない。何が天才だ、俺の剣なんて、誰にも届かないじゃないか)

 ロランという天才は、この戦場で初めて挫折感を覚えた。『白雲』を受け止められた時にすら感じなかった敗北感。斜に構えて、全体を俯瞰できている己こそ有事では役に立つ。その傲慢がへし折れてしまった。最悪の、取り返しのつかない形で。

 才能に胡坐をかき、研鑽を怠った者のツケ。自分に支払われるのであれば笑って死ねただろう。己は其処止まりであったと思えばいいだけ。しかし、自分は生きて頭が死ぬ。恩師であるサロモンの期待に一切応えることなくただ見つめるしか出来ない己のふがいなさに乾いた笑みが浮かぶ。

「誰か、止めてくれ」

 口についた言葉は人頼りの情けないものであった。

 誰も止められぬ。出来ないから、祈るしかない。


     ○


 リディアーヌは大事な人の喪失に頭を混乱させていた。今までいくらでも死に触れてきた。それなりに仲の良い将兵の死にも立ち会ってきた。自分は少し、情のない女だな、と自嘲していたほどである。だからこそ、彼女は困惑の中にいた。

 本当の喪失、その痛みを前に、リディアーヌという鉄の女が崩れる。先程から、戦場であるというのに頭の中ではダルタニアンとの思い出が繰り返し流れているのだ。おかしいのはわかっている。やめねばならぬと理性が吠える。

(私は、何をしている?)

 震える手を見て、自嘲しようにも上手く笑えない。何かを考えようとしても思い出が邪魔をして思考を妨げる。頭の中を埋め尽くすダルタニアン。その笑顔の果てに浮かぶのは、もう一人の男の顔。笑うことなど滅多になく、たまに笑えば苦笑や失笑ばかり、楽な道を薦めても頑として首を振らず、いばらの道をひた走る男。

 好きだった。初めて会った時からわくわくが止まらなかった。同世代、というには少し年が離れているが、初めて視界を共有出来る相手で、むしろ己が足を引っ張るという状態。そんな存在にあこがれ、手を伸ばしていた七年。

(お前は、私を、どう思って――)

 今度こそ刻み付けてやる。そう意気込んでここに来た。

 その温度差が、この状況を生んだのかもしれない。

 白騎士と呼ばれる男の道が甘いものではないと重々承知していたはず。何故、これほどの刻苦を続けられるのか、その先で何を求めているのか、今をもってそれはわからない。わからないが、その狂気にも似た熱情が消えるはずがない、そのことは承知していたはずなのだ。絶対に勝つ、勝つためならば何でもする。

 そういう男だと、わかっていたはずなのに――

 視界に入った時は、その矢が放たれた後であった。身動き一つとれぬタイミング。射抜く矢をリディアーヌは恐れない。怖いのはそれを放った者の『眼』である。少しとはいえ一緒にいた。それなりに役立ったし、互いに高め合えたのではないかと少し己惚れていた。ほんの少しでも心が通ったのではないかと、思っていた。

 それなのに、その『眼』にはさざ波一つ立っていない。殺意をまとった矢の方が感情豊かに思えるほど、その眼には何も浮かんでいなかった。放った矢で殺す相手のことなど何も思っていない、そう見えた。

(嗚呼、私は愚かだな)

 思いは跳ね返ってこない。自分の知る中で一番魅力的な女性にすらなびかぬ男が、なぜ自分に何かを想っていると期待してしまったのだろう。どこかで、また共に轡を並べることが出来る、などという幻想を何故抱いてしまったのだろう。

 自分は死ぬ。この矢を防ぐ術を己は持たない。

 だからこそその眼は、この戦場で初めて純粋な殺意を、敵意を抱いた。

 それを見て白騎士は目を見開く。ダルタニアンを喪失し、今この瞬間にも己が殺される。そうなって初めてリディアーヌは本当の覚悟を手に入れたのだ。遅過ぎる覚悟であった。本来なら、そんな遅い覚悟など許されるものではない。

 だが――

「こな――」

 彼女はガリアスの頭脳である。超大国が守るべき至宝なのだ。誰が何と言っても彼女抜きでは革新王亡き超大国は回らない。それがわかっているからこそロランは絶望し、それを誰よりも知っているからこそ――

「――くそがァ!」

 王の左右は、ガリアス最速の女は――殺意の矢から頭を守ることが出来た。顔の数センチ手前で正確に突き出された槍の穂先が矢じりの横っ面を正確に突く。その完璧かつ繊細な一突きはその数センチ先に何も通さず矢をたたき落とした。

 そのまま最速の馬は崩れ落ち、最速自身も地面にごろごろと転がり落ちる。ガリアス最速を支えるエミリアという牝馬は、滝のように噴き出す汗が疲労を色濃く映し出し、立ち上がることすら困難な状況。転がり落ちた最速の女も「ぶは、死ぬ、あたし天才、ほんと天才、でも死ぬ。もう無理」と息も絶え絶えの様子であった。

 それでも防いだ。リディアーヌの、ロランの、何よりも白騎士ウィリアムの知覚の外から一気に差し込んだガリアス最速は、全身に疲労の色を浮かべながらも槍を杖のようにして立ち上がった。

「まだ負けてないならもう大丈夫。あたしが来たし、他も来る」

 ガリアス最速、『疾風』のリュテスが王の頭脳の前に立った。二度と不敬な矢は通さない。今となっては文字通り王の、国の頭脳となったリディアーヌが死ぬときは自分たちが死んだ後である。そういう覚悟でリュテスは此処にいる。

 ここまであの『疾風』が大人しくしていた。誰よりも先んじる女が力を蓄えていた。それをすべて解放した爆走は、周りの味方すら置き去りにして誰よりも先んじた。白騎士すら見ていなかったところから湧き出して、矢を叩き落とすなど彼女にしか出来ない芸当である。ガリアス最速は伊達ではない。

「あの阿呆に刻み付けてやるんでしょ、ガリアスの強さを。あたしたちを選ばなかったこと、死ぬほど後悔させてやるってさ。つーか殺さないと、あいつは止まんない。わかってるよね、リディ」

 リュテスはリディアーヌの目を見ない。背中で語る。雄弁に、その背はガリアスの在り方を語っていた。超大国の、七王国最強最大の、その矜持こそ自分たちの在り処。

「もちろんだよ。教えてあげないとね。私たちの、ガリアスの本領を」

 ウィリアムの策は最速を前に敗れ去った。そしてその代価は――

「白騎士ィ!」

 ガリアスに火をつけるという最悪の結果となったのだ。

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