進撃のアルカディア:ダルタニアン

 ダルタニアンはぬるりとした恐怖に包まれていた。あちら側の熱に溢れた戦場は、ある意味で自分の理解の内側であった。圧倒的強者の存在も、ストラクレスという実例で経験済み。ゆえに驚きはあれど恐怖はない。もしもの時の戦い方は弁えている。

 しかし――

(エタンとヴァンサンは死角からの矢で射られたか。ジョルジュは背後からの一撃。背中から綺麗に心臓を一刺し、か。全員、理解の追いついていない表情で死んでいる。そして全員、若手のホープで優秀な人材。なるほど、頭を削る気か)

 この戦場は静か過ぎた。間違いなく戦闘は起きている。先ほどからちらちらと見えてはいるのだ。だが、ヴォルフが目立ち過ぎるのとウィリアムが目立たな過ぎる。ダルタニアンをして先ほどから捕捉し切れない現状があった。

(明らかに僕を避けている。いや、僕と戦う優先順位が低いだけか? とにかく若手が削られている。ウィリアム君は若手に限らず優秀な人材を確実に葬り去っている。これだけ念入りにやっているならば、間違いなく優先順位の最も高い行動がこれだ)

 ダルタニアンは七年、八年前のウィリアムを思い出していた。戦場から帰ってきた後、リュテスらを筆頭にトゥラーンで勉強会を開くほど、人材の開発に精を出していた男が、今誰よりも人材を削っているのだ。あまりにもあべこべな行動である。

(……僕は考え違いをしていたのかもしれない)

 ダルタニアンだけではなく、ガリアスの皆がウィリアムを知っていた。彼の勉強会に耳を傾け、様々なものをガリアスに与えてくれていた。短い期間ではあったが、それはガリアスにとっても必要な時間だったはず。

(彼は自分の復権のためにリュテスたちを育てた。己のいない、アルカディアへのカウンターとして。本当に、そのためだけ、己が為だけにそれをしたのなら――)

 あの優しげな笑顔も、明朗で丁寧な口調も、

「もう、僕らは用済みってことかい? ウィリアム・リウィウス」

 すべて己が為で、ただの演技であったのならば――

「さすがはガリアス。良い土壌だ。人が良く育つ」

「リディは君を……リディだけじゃない。リュテスだって口ではああ言っているが、君に対して満更ではない想いを抱いている。リディも、そうだ」

 ダルタニアンは願う。あの笑顔は嘘ではなかったのだと。人を育て、人を導く。リディアーヌと並んで白の男がガリアスから世界に安定をもたらす。そんな夢を、

「あとは……収穫するだけだ」

 ダルタニアンは見ていた。いつかきっと――彼がガリアスに来て、革新王の願いと共に自分たちの王となってくれる日を。ずっと、胸に秘めていた。あの色恋とは無縁の、年の離れたい許嫁に、本当の恋を、愛を教えてくれる存在であると、そう願っていた。

「ウィリアムッ!」

 願いは――届かなかったのだ。所詮は夢想、己が弱さが生み出した幻影に過ぎないのだから。


     ○


 ダルタニアンは剣気一閃、全力を賭して打ち込んだ。もちろんこの一撃で勝負を決める気はない。しかし、初撃で体勢を崩し、二撃で揺さぶり、三撃にて揺らがせ、四撃の完全なる崩しから、五撃必殺と相成るはダルタニアンの得意な形である。

 初撃は重要な一手目であると同時に、大駒を通すための道を作る一手なのだ。起点であり、原点。ここでしくじればすべてが台無しとなる。

 勢い、角度、ともに完璧。

(崩したッ!)

 歴戦の英傑であるダルタニアンがそう確信するほどの一手。ウィリアムの受けに特別な何かはない。速度も内包する力も、自分が上に立つ。

 だからこそ――

(なんだ? この、手ごたえは?)

 愕然としてしまう。

 狙い通りの一撃。頭に描いた通りの軌跡を描き、その剣は激突した。しかし、手に反ってきた手ごたえは想像を超えるものであった。まるで泥沼に向かって剣を振るう感覚。何処までも何所までも、勢いも速さも力すら呑み込まれていくような、

「さすがは『血騎士』。素晴らしい一撃だ」

 深い闇。

 ウィリアムと視線が交わる。心の中まで見通すかのような視線。

 肉を裂き、臓腑をえぐり、骨の髄まで観察されている。動き出しから、骨格の動作、筋肉の流動、そこからすべてを逆算し、対応した手を打つだけの剣技。徹底した観察から誰よりも先に終着点を見出す。それはもはや他者から見ると未来視と言っても過言ではないだろう。知識と実践、たゆまぬ努力が生んだ歪みの剣こそウィリアムという凡人の到達点。

 だからこそ理解出来ない。天才たちでは届かぬ境地が此処にあった。

 ゆえに――

「もう少し、見せてくれ」

 深く、より深く、深淵の底に飲まれていく。ダルタニアンの剣から彼の持つ強みが、光が消えていく。先んじるだけではない。本人すらわからぬ人体の構造、常軌を逸した行動によって得た知識。見えないはずの部分も彼は知っている。動くためにどこがどう動き、何を止めたらどこが止まるのか、すべてを把握している。

 理解を超えたところに彼はいた。光の道では辿り着けぬ、常識に囚われている内には見出すことすら出来ぬ道。誰も通らなかった、だからこそ価値がある。だからこそ意味がある。禁忌を超える。それこそが彼の覇道。

 その剣は光をかき消す闇の剣であった。


     ○


「――弱さだな。ダルタニアンよ」

 初めて指摘されたのは何の宴席だっただろうか。ガイウス陛下に言われて初めて己を知った。自分は、弱い人間なのだと。弱いから戦場で吼えて回り、弱さを隠すために勢いをつけて狂ったように暴れ回った。強く見せられていると思っていた。自分すら騙せているのだから、他人は気づくはずもない。その幻想が壊れた日を、今も覚えている。

 血騎士、戦場で誰よりも殺し、誰よりも血にまみれた男の二つ名。それは男の弱さを隠す殻でもあったのだ。

「おまえがわたしの婚約者か。わたしの名はリディアーヌ・ド・ウルテリオル。リディとよぶがいい。わたしはおまえを……ダル、ダルタニ、ダルニアン、りゃくしづらいな」

 そう言われた己が陛下のお気に入りに引き合わされた時、正直戸惑いの方が大きかった。貴族同士の婚約、年齢差はそれほど大きな問題ではない。問題は、陛下がどう思っているのか。何故、弱いと見抜いた男に自分の孫娘、明らかに平均より聡明で、言葉の端々に才覚を感じさせる才女をあてがったのか。そこが問題であり、疑問であった。

「戦車は動かずじっと全体を見つめる。それが一番厄介なのです」

「うむ、わかった」

「……では何故今戦車をこちらの陣に放り込んだのですか?」

「おもしろそうだからだ」

 なるほど、確かに面白い人材であった。武王の時代を払しょくするために、智将を育てようとしていた時代。自分は確かに教材として優秀であっただろう。弱さゆえに、それを覆い隠す強さはいくらでも身に着けていたのだから。兵法もその一つである。

「なるほど、面白い手です。しかし、今のリディでは力不足」

「ぐげぇ」

 成長するにつれて、リディは女性としても魅力を増していった。正直、好ましく思う気持ちは芽生えていた。結婚、そういうのも悪くはないのかもしれない。そう思った。

「感心しないな。私を前にして他の女のことを考えるとは」

「嫉妬で燃えてしまうそうだ」

「あはは! 楽しいなあウィリアム! 私は今最高に楽しんでいるぞ!」

 白騎士との出会い。一目見た瞬間から、リディの心がざわつくのが見て取れた。普段、リディは滅多なことがない限り他者と踊ろうとしない。踊るとしても自分を捕まえてお茶を濁す程度。しかし、あの夜は違った。嬉々として踊り、心の底から笑っていた。

「…………」

 胸中は複雑だった。

 嫉妬、もちろんあった。でも、何故だろうか、僕はその光景が――


     ○


「何故だ、何故ガリアスに、リディと共に歩まない!」

 ダルタニアンは咆哮する。それは心からの叫びであった。

「先王の出した条件のどこに不満がある!? すべてがそこにあった。覇国ガリアスの玉座も、支え合える、高め合えるパートナーも、育てがいのある才溢れる人材も、何もかもがそこにあった!」

 すべて出し尽くした。短い時間であったが、全力をぶつけた。最大の力を最速でぶつけて、それでも反ってこない手ごたえに心がへし折れる。

「何が不満なんだ? 何でアルカディアを選ぶ? ガリアスの何がいけないんだ!」

 ダルタニアンは息を切らしながら、それでも声を振り絞っていた。ウィリアムは息一つ乱れず、ダルタニアンの目を見てその様子をいぶかしんだ。

「何故、リディを選んでくれなかった」

「あまり長々と立ち止まっているわけにもいかぬのだ。許せ、ダルタニアン」

 ウィリアムはダルタニアンという男、立場上決して己を受け入れられるはずもないと思っていた。好ましく思っている女性まで、何かをしたわけではないが奪われた。彼の男としての面子もあるだろう。立場とてほぼ確約されていた玉座をあっさり他国の、馬の骨とも知らぬ小僧に譲るとなれば波風も立つ。

「何故だッ!」

 負けると分かり切った応戦。ウィリアムは哀しげにそれを受け流し、返す刀でダルタニアンを袈裟懸けに断ち切った。七年前の己であればそれなりに苦戦したであろう、負ける可能性すらあった、それだけの相手。

 この七年、禁忌を犯して正解だったとウィリアムは思う。

「僕が、勝でば、君ばガリアスに来い!」

 血を吐きながらウィリアムを睨みつける怪物。確実に致死である一撃を受けてなお、その瞳に浮かぶ戦意に色褪せる気配はない。

「リディと並んで、世界を導ぐんだ!」

 血を吐きながら、臓物をまき散らしながら、それでもウィリアムに勝とうと、剣を振るう。その勢いは先ほどよりも火勢を増し、命の残りをすべて燃焼させてやると言わんばかりの全力全開。黙っていても死ぬ。放っておいてもいい。

 ここは戦場のど真ん中。黒狼と己の登場で揺らいでいるが、きっちり体勢を立て直されると多勢に無勢、勝機を逃すことになる。

「僕の代わりに、リディを守れェ!」

 ウィリアムは自分の甘さを嗤う。この期に及んでまだ、命の輝きに目が眩んでしまったのだ。愚挙、いずれは正さねばならぬ。

「許せダルタニアン」

 それら全てを力の発揮する手前、発揮する方向とは別の方向で撃ち落とす。命を懸けた猛攻ですらクレバーに対処する。欠片の勝機すら渡さない。

 そして命運を断つ。

「ぐ、ぎぃ、まだ、ま――」

 さらに断つ。油断も慢心もない。戦士として敬意を込めた止めの一撃。

「な、ぜ、ガ……リ、アズ、に」

 もはやこれまで、それなのにその男は、最後まで国を、彼女を想っていた。

「俺はアルカディアに生まれた。ガリアスではなく、アルカディアに、だ。理由はただそれだけで、それなのに俺は捨て切れぬ。おかしな男だろう? なあ、ダルタニアンよ」

「……ぞう、か」

 最後の最後で答えを与えてしまった。救いのない答えである。それでも、彼の道行きに迷いの残らぬよう、言わねばならないのだ。自分は、ガリアスとは歩めぬ。リディアーヌと歩みは重ならぬ、と。

 ダルタニアンは落馬する。その惨状を見て、一瞬前まで命が残っていたと思う者はいないだろう。ダルタニアンであったモノは、何も映さず、何も語らない。

 ただの屍と化した。

「許せ、ダルタニアン。俺は、止まれぬのだ」

 ウィリアムは移動を再開する。少しばかり目立ち過ぎた。そろそろ黒狼の目くらましも効力が尽きてきた頃であろう。なれば少しばかりやり方を変える必要があった。

「さらに削った後、一気に詰める。王を狙うために、頭を潰さねば、な」

 一気に終盤戦、詰めの段階に移行させる。

 寡兵の勝機は浮足立った此処しかないのだから。


     ○


 リディアーヌはその光景を高台から見ていた。見えてしまった。見えない位置であればよかった。見えていなければ救いがあった。

「あ、れ?」

 一気に二人、自分は大事なものを失ってしまった。

 一人は死に、もう一人は一人を殺したことにより己にとってぬぐえぬ業を背負った。もはやどちらとも手を取る道はない。どちらとも並べない。

 立ち眩む。目の前がちかちかする。

 リディアーヌは喪失の痛みを、知ったつもりで斜に構えていたものを、とうとう正面から受け止めることになった。その重さと痛みたるや、余人には想像もつかない。


     ○


 走馬燈は、今までの光景ではなく、未来の、そうあって欲しかった光景が映っていた。

 にこやかに笑い合う二人。時に喧嘩をし、喧嘩とは思えぬほどの理路整然とした舌戦を繰り広げ、それを他の者たちがはやし立てる。自分は隅っこでそれを幸せそうに眺めているのだ。手の離れた妹を見る兄のような表情で――

 哀しい、夢想であった。

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