進撃のアルカディア:白騎士の片鱗

 突如、総大将が現れたことにより戦場の緊張感が一気に高まった。対面する二人はもちろんのこと、離れた場所にいるダルタニアンやランスロたちも身構えてしまう。感じる雰囲気に思ったほどの圧はないが、だからこそ何が出て来るかわからない恐怖があった。

「わ、私もまだやれる」

 ふらふらと立ち上がるベアトリクスの顔は蒼白になっていた。生まれて初めて経験する『死』を前にして彼女の心はとっくに折れていた。

「邪魔だ」

 一言で切り捨てるウィリアム。

「し、しかし――」

 食い下がるベアトリクスに目を向けることもなく、

「俺が殿を務める。橋は放棄、撤退だ。二度は言わんぞ」

 一瞬、前に立つ二人だけが感じ取った濃厚な殺意。目は口程に物を言う。ロランは「本物か」と笑った。自分が今、世界でどういう立ち位置にいるのか。この男と戦えばわかる。マリーも先程とは桁が違う戦意を見せた。

 もう誰もベアトリクスを見ていない。すべての視線が白騎士に向かっている。

「……強いですか?」

「わからん。圧は感じないが、本能は退けと言っている」

 ロランとマリーもただ一点、ウィリアムだけを見つめていた。げに恐ろしき引力。この場全ての視線を独り占めにする何かをこの男は持っている。積み上げてきた伝説が七年の時を超えてなお色褪せることなく彼らを脅かす。

「俺、体験主義者なんで、やってみますよ」

「骨は僕が拾ってやる。往け、ガリアスのために」

「あいさー!」

 ふわり、綿毛のような軽さで浮き上がったと思えば、一瞬で最高速に達するロラン。加速だけならばヴォルフよりも速いかもしれない。天才ゆえの体捌き、狙うは白騎士の首。

(恐ろしさはない。勝てないとは思えない。本当にこの男が黒金を討ったのか?)

 間を詰めたロラン。ここからはさっきと同様に、

(この一手で、見極めるッ!)

 ロランの剣に反応して受けに回るウィリアム。その剣に接触してからがロランの真骨頂。羽根のような柔らかなタッチで受け流し、勢いそのままに相手の視界からするりと抜け出す。相手は衝突に備えており、限りなく薄まった小さな衝撃に驚いてしまう。否、よほどの達人でなければ衝突したことにすら気づけないであろう。

 それがロランの剣。天性が生み出した触れざる剣。ロランに兵法を授けたサロモンはその剣をこう名付けた。

 『白雲』、と。

「ずっと気になっていたよ」

 それはアンタッチャブルで、

「王会議の時も、その後そちらへ赴いた時も、君だけは底を見せてくれなかった」

 誰にも束縛されることなく、その男の本質を現した剣。天才故に許された自由を謳歌する武器。どんな力も、どんな速さも意味を為さない。勝てない相手はいた。しかしこの剣を破った者はいない。否――

「ようやく……見れた」

 いなかった。

 ロランが、マリーが、それを見ていた者たち全てに激震が走る。

「で、この先は何がある?」

 触れざる剣が、その自由を束縛されていた。剣は中空にて止まり、身動き一つとれない。鍔迫り合いと言えば格好はつくが、ロランの剣を知る者にとってそれは初めて見る光景。『白雲』の性質を鑑みるに、負けに等しい均衡。ただの一手で敗れた形となる。

 ふわりと漂うかすかな血のかほり。死臭が仄かな残滓となって鼻につく。

「隙、ありだァ!」

 横に流れるロランの髪を切り裂いて、マリーの剣が姿を現した。先ほどまでベアトリクスに見えていた剣とは比較にならぬほどのキレ。鋭い一撃をウィリアムは悠然とかわした。もちろんそれは織り込み済み。『銀冠』の剣はここからいくらでも派生がある。

「いい剣だ。まったく、ガリアスは人材の宝庫だよ、本当に」

 しかし、その剣が派生することはなかった。ウィリアムはとん、と左手でマリーの手首に触れる。ただそれだけの所作で縦横無尽の『銀冠』から動きが消えた。平静なウィリアムからは圧力を感じない。いつでも勝てそうに見える。剣が、届きそうに見えてしまう。

「うちに来ないか? 俺と一緒に王道を歩もうじゃないか」

 涼やかな瞳。多くはその柔らかな光に魅了されるだろう。ただ、この二人には、この二人のみならずある程度極めた者にとってその眼は、ひどくおぞましいものに感じてしまうのだ。二人は何も考えることなく、追撃せず距離を取ってしまった。その動きは本能による反射で、戦士としては二の手を喪失する悪手である。

「そう拒絶されるとショックだよ。残念だ、本当に、残念に思う」

 ウィリアムはこれで終わりとばかりに剣を納めた。まだ、戦いは終わっていない。自分たちは死んでいないし、ここは戦場のど真ん中、剣を納めるには早過ぎる。

「良い人材は出来るだけ活かしたいのだがね」

 ウィリアムは手を挙げながら踵を返した。それは上への合図である。合図に呼応して矢が降り注ぐ。二人が距離を取ったそのスペースに降り注ぐ威嚇の矢。立ち入れば容赦せず射貫く。そう言っているようにも見えた。

「二人相手では分が悪い。俺は退かせてもらうよ」

 いけしゃあしゃあとウィリアムは言い放つ。二人の必殺を破っておきながら、二人相手では勝てぬとのたまうのだ。悠々と退いていく男を追撃することもなく二人は見送ることしか出来なかった。経験は勝てない相手ではないと叫ぶ。本能は勝てないと吠える。どちらが正しく、どちらが誤っているのか、されど事実として二人の技が破られたことだけは確かであった。

「まだ戦は始まったばかり。ガリアス諸君の健闘を祈る」

 大門の口が閉じる。白騎士の姿が消えていく。

 謎を残して白騎士は戦場からまたも姿を消した。ガリアスにとっては後味の悪い遭遇。仕留められなかったことよりも退いた事実が重くのしかかる。ガリアスでも有数の武闘派二人でも殺せなかった。それほどの圧力を感じ取れないからこそ、底知れぬものを感じずにはいられない。七年前とは何かが違う。剣も、雰囲気も、何もかもが、違って見えた。


     ○


 ガリアス本陣には東西南北に散らばる主要な将が集まっていた。東はバンジャマン、西はアダンとアドン、北は『金冠』率いる黄金騎士団の副将アルセーヌが集う。全軍が情報共有と明日以降のビジョンの共有を行うための場。すでに情報は出揃い、精査の時間となっていた。

「――以上が本日の出来事だ。何か質問はあるかね?」

 全員が沈黙する。質問はない、次へ進もうと黙して促す。

「では会議を先へ進めよう。まず、本日確認できた最重要事項についてだ。マァルブルクの南門にてウィリアム・リウィウスを確認。これで伏せてあるであろう手札が明らかとなった。伏兵は十中八九、グレゴール・フォン・トゥンダー率いる部隊だろう」

「ですね。断定は危険ですが、戦局を左右しうるという点で彼しか該当者はいないでしょう。すでにポール様の命により我ら黄金騎士団が隠し通路を探索し、三か所を発見、潰しておきました。これで北からマァルブルクを脱出する術はほぼ消失したかと」

 アルセーヌはジャン・ポール・ド・ユボーの私設騎士団に所属する男である。自身も百将であり序列としては二十一位と好位置につけている。一説にはポールの副将という立場でなく、主将として動けばさらに上を目指せる人材とされていた。本人にその気はないが。

「東も同じく。二か所発見。まだ捜索はしているが、隠し方と配置を見るにこれ以上はないだろう。引き続き伏兵と抜け道には目を光らせておくつもりだ」

 バンジャマンは事務的に回答する。将としては興味を持たねばならぬ事柄であるが、武人としてこの手の搦め手に一切興味がなく、裏表のないこの男はすぐ顔に出てしまう。

「「西は三か所かな。たぶんまだあるよ。亡命するならこっち側が本命だからね。オストベルグ王家の抜け道、その多さが逆に王家の資質を疑っちゃうよね」」

 アダン、アドンはいつも通り。好きなことばかりやっているように見えるが、二人とも要領がよくやるべきことは十分にやっていた。その上で遊びを作れるのだから優秀である。

「南はなし。ガリアスに攻められることを想定した作りなれば、抜け道など用意するはずもない。探してはいるけど、たぶん見つかることはないと思うよ」

 ダルタニアンが南の情報で締めくくった。

「これで白騎士をマァルブルクに封じ込められたわけか。あと数度揺さぶりをかけてみようか。アダン、アドン、もう少し食い込んでもいいよ」

「昨日までの相手ならね」

「もう少し遊べたけど」

「「今日の相手なら無茶しないと動かないよ」」

 珍しく弱気な回答にリディアーヌは顎に手を当てた。二人の見立てが外れることはおそらくない。無茶をする局面でもないし、そもそもウィリアムの所在が確認出来ただけで揺さぶりの目的はほぼ完遂している。退路も断った。

「であればやめておこう。他も勢いを落としていいよ。特に東側、『白熊』との喧嘩は楽しいだろうけど、リスクを負う必要はない。包囲を維持し続けることが肝要だ。リュテスが我慢しているのに君がはしゃいでどうする」

 ぐうの音も出ないバンジャマンは静かに頭を下げた。王の左右に未だ動きなし。それはリディアーヌの指示である。包囲を砕くためには一点突破しかない。伏兵を用いれば確率は上がるだろう。警戒すべきはその合わせ技で、だからこそ各軍余裕を持たせてあるのだ。たとえ強襲されたとしても捌ける、他軍の救援が届くまでの時間を稼げる戦力はある。

「包囲を続ければいずれ食料が尽きる。伏兵等に警戒しつつ現状維持に努めよ」

「御意」

 王の頭脳はこのままで良いと答えをはじき出した。一抹の不安はあれど、それゆえに初志が揺らぐようなことはあってはならないのだ。迷ったなら王道を往け。王道には王道たる所以がある。盤石なる王道に勝るものなし。隙と成り得る要素はかなり潰したはず。

「そう言えば」

「ロランとマリーが白騎士と交戦したって聞いたけど」

「「どんな感じなの?」」

 全員の視線が二人に集まる。ロランは困ったような顔をして頭をかいた。

「いやー、止められちゃいました、俺の剣」

「僕も同じだ。二人がかりで仕掛けて止められた」

 武闘派二人が観念している様を見て、南側でない者たちの困惑は深まった。

「雰囲気からはそれほどの圧力を感じず、力も速さもそれほどとは思えなかった。ただ、俺の剣に対応出来たってことは、技術か天性か、どちらかを高い水準で備えているってことになるかと。そんぐらいですかね」

「付け加えるとすれば、奴の剣から異様な死臭が漂っていた」

「あー、確かに臭かったような。ってか、あの人本当に七年間戦場から離れていたんですか? あの臭いってどう考えても……百人、二百人は斬っている気が」

「百や二百であんな臭いにはならん。僕らが年間でどれだけ斬っていると思っている。そんな戦士の中においても異質な臭い、死をまとうならば、千、二千は斬っていてもおかしくない。とにかく異様だった。あまりやり合いたい相手ではないな」

「右に同じでーす」

 ロランとマリーの話を聞いてもはっきりしない。二人がはっきりとした答えを持っていないのだからこうなっても仕方がないだろう。警戒すべき相手ということは変わらない。ストラクレスを打破した実績があるのだ。七年前とはいえ。

「ただ、明らかに七年前とは違う雰囲気だった。それがガリアスにとって表と出るか裏と出るか、それはわからない。とにかく各自、最善を尽くそう。隙を見せず、じっくりと王者の戦いを見せつけてやろう。僕たちはガリアスだ。ガリアスなら勝たねばね」

 全員が等しく共有する考え。超大国の誇り。常勝こそが己たちの神髄。それをダルタニアンは全員に想起させる。勝って当たり前、その重圧を思い起こさせるのだ。軽いものではない。背負う責任の重さを再確認させる。

 その重さこそガリアスの強さなのだから。

 各自解散し自分たちの陣へ戻る。明日からも戦は続く。戦力的に優位とはいえ相手は白騎士、数多の奇跡を起こしてきた怪物の、次なる一手に備えながら張り詰める。弛緩しているように見える軍もあるが、むしろそういう軍こそ大事な部分での張りは桁外れである。

 三日目が過ぎ去った。次なる朝日の先、どういう動きがあるのだろうか――


     ○


 四日目、動きなし。五日、六日、着実にガリアスの思惑通りに進行する戦場。アルカディア側は必死に士気を保とうとするも、徐々に下がり始めたものを止めることは難しく、隙を見せないガリアス軍も相まって諦めムードが漂っていた。

 食料の限界も近く、補給も滞ったまま。脱走者は日増しに増え、ジャン・ポール・ド・ユボーが彼らを厚遇したことも相まって、残った者の士気はさらなる低下を見せた。逼迫した様子はなくとも、すでに限界は見えている。

 このままいけばアルカディアは、白騎士は敗れ去るだろう。依然、ガリアスに隙はなく、包囲の手を緩める様子はない。完全封殺、ガリアスの勝利まであと一歩であった。

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