進撃のアルカディア:若獅子たちへの厚き壁

 マァルブルクに至るまでの戦場が彼らの感覚を麻痺させていた。ウィリアムの入念な下準備から生まれる優位をここまで持ち込んだだけ、仮初の優位を自らの力と錯覚した。自分たちは強い。自分たちは勝てる。

「小僧、もう終わりか?」

 昔のように見下ろされて、虫けらを見るような目で見られて、ようやく魔法が解けた。

「お、れは!」

 本当は立ち上がるくらいの力は残っている。立ち上がって意地を見せる、出来るはずなのだ。それなのに身体が言うことを聞いてくれない。心が折れてしまっている。

「弱いな、小僧。強い言葉を吐くのは弱い証拠だ。弱い心を言葉で補強しているだけ。見え透いている。生来の弱さを隠す醜き姿が」

 クロード・リウィウスがその名を得る前、ただのクロードであった時、大人たちは皆こういう目で己を見下ろしていた。弱く矮小、必死に強がって、対抗しようと強い言葉を吐いて、そんな姿を見て彼らは哂うのだ。哀れなものを見る目で――

「まだ、やれる」

「なら立てばいい。俺にその槍先を向けてみろ! 俺を倒すのだろう?」

 口先ばかり。身体は動かない。心が逃げろと叫んでいる。

「俺は逃げも隠れもせんぞ!」

 バンジャマンの威圧、それを受けて風前の灯火であった戦意が今度こそ掻き消えた。弱い自分を直視して、クロードは情けなさで押し潰されそうになっていた。本物の強さを前に偽物の、張りぼてでしかなかった弱い己に心が軋む。

 心が折れていた。どうしようもなく、ぽっきりと。

「立てぬということであれば俺の勝ちだ。約束通り白騎士を俺の前に出せ」

 もうバンジャマンの視界にクロードの姿はなかった。視線を合わせる価値すらない。そのことにまたも心が砕ける。どうしようもなく、自分は弱い。

(才能はある。修練も積んでいる。足りぬのは経験と歳月。今はまだこのレベルは早過ぎた。勢いだけでは超えられぬ壁もある。今日の挫折が、いつかのお前を強くするだろう)

 興味のない振りをして心まで叩きのめしたバンジャマンであったが、内心は面白い若者の台頭に笑みを浮かべそうになるのをぐっと堪えていた。拙い技術とまだ成熟しきっていない貧弱な身体、その割に何度も光る動きを見せた。

(だから、今日は焼き付けておけ。頂というほどではないが――)

 鼻っ柱が折れたことで見えるものもあるだろう。敵方とはいえ気持ちの良い若者には加担したくなってしまう。己の悪い癖だと思いながらバンジャマンは『次の相手』に向けて威圧感を放った。猛牛が如し圧力。されどそこに揺らぎなし。

 先ほどから徐々に近づいてくる雰囲気は、警戒に値する。

(――戦場を見せてやる)

 バンジャマンの視線の先、そこに立つのは――

「子供をいたぶって武人気取りか? ガリアスの百将とやらも落ちたものだ」

 白銀の髪をさらりと流し、その体躯は性別の割りに巨大。加えてその雰囲気たるや、目の前の『牛鉄』と比して何の遜色もなし。

「子供を戦場に送り込んでいる貴様らが言うセリフではなかろう。『白熊』の」

 彼女の名は『白熊』シュルヴィア・フォン・ニクライネン。

「うるさい黙れ。さっさとその後ろの盆暗どもを動かせ」

「何だ、折角止めてやったのに」

「いらん。交渉決裂だ。戦争、するぞ」

「強引な……いいだろう。蹴散らしてくれる。行くぞお前らァ!」

 バンジャマンの背後で律儀に停止していた部下たちが吠える。バンジャマンの威圧感と部下の戦意が重なり、一つの巨大な流れが生まれていた。

「南でぬくぬく育った軟弱者には負けん。行くぞお前たち、北方魂を見せてやれ!」

「御意ッ!」

 もう一つの流れも負けずに巨大。北方の精鋭たちとシュルヴィアの雰囲気が交わり、膨大な攻めの雰囲気が生まれた。

 シュルヴィアは己が得物であるハルベルトを旋回させる。そしておもむろに歩を進めた。

 バンジャマンもそれに呼応するかのように牛刀を握りしめ前進。

「女の割りにはでかいな」

「手前はち●こ小さそうだな」

 一瞬の静寂。向かい合う二人。凄絶な笑みを浮かべ、思いっきり振りかぶり――

「「死ねッ!」」

 その轟音が開戦の合図と成った。


 二日目は東側が荒れ模様となり、その暴風は他の戦場にも轟いていたという。


     ○


 三日目、各地で激戦が続くもやはり一際激しかったのは東側であった。

 シュルヴィアとバンジャマンの激突はもはや生物が奏でる音にあらず。巨大な鉄塊が衝突するが如し轟音は、この時代にあるわけがない重機同士の激突を彷彿させる。一手、一手が重過ぎる一撃のぶつかり合いに、近寄れる者はいない。

 二人の部下も重量級が揃い踏み、さながらその戦場は巨人族の戦場。東側の外壁では余人に近寄ることのできない戦場が形成されていた。

「……何なんだよ、これェ」

 あまりにも遠い戦場の高み。若き俊英にとって初めて感じる壁の高さ。

 近寄る気も起きない。心が砕けていく――


 西側も主導権は引き続きアダンとアドンが握る。攻めて欲しい時に攻めず、ラファエルが動こうとするとその芽が潰される。飄々と戦場をかき回す熟達者を相手に、ラファエルはやりたい動きを一切させてもらえなかった。

 力負けならば己が未熟と納得できた。しかし、本来自分のフィールドである頭脳の領域で明確な差をつけられてしまったことは、彼のプライドを大いに傷つけることになる。一度ついた有利でさらに引き離され、気づけば制御不能へと追いやられていく。

「ラファエル様、これ以上は」

 父に預けられた歴戦の勇士たち。彼らがいなければとっくに西側は崩壊している。その彼らをしてもこれ以上しのぐことは難しいと判断した。そう、ラファエルが頭では経験豊富で戦巧者であるアダン、アドンの双騎士には勝てぬと言外に言っているのだ。

「頼みます、先輩。僕は一兵として使ってください」

 ラファエル、屈辱の降板。唇を噛み、悔しさを爆発させる俊英にかける言葉などない。

「任せろ。と言っても、俺だってあの二人相手に優勢は取れん」

 ケヴィンと同世代の学校の先輩。テイラーズチルドレンの中では最も経験を積んでいる世代が頭についた。これで東西南とその世代が頭となる。

「ただ、落ち着いてやれば少し不利程度で抑えられるはず」

 地形の利を生かし、外壁という盾を生かし、少しでも不利を解消しようとの考え。

「相手が上手いなら、俺は動かず常に後手。この条件ならそれで五分だ」

 強者との交戦経験、挫折が彼らの世代に弱者の戦いを学ばせた。王族ゆえに勝てる戦場ばかりに投入されたラファエルが得られなかった負けの経験を彼らの世代は腐るほど持っている。だからこそ、綺羅星とは成れずとも――

「戦の空気が変わったね」

「不動、へえ、やりづらいや」

 泥臭いやり方で使命を全うする。若き彼らは知らぬであろうが、昔その戦で七王国の中堅であるアルカディアの頂点に立った男がいた。名を『不動』のバルディアス。ストラクレス、三貴士という綺羅星に囲まれ、それでもなお守り抜いた彼の戦い方こそ弱者の戦。それは強者が最も苦手とする戦いであったのだ。

「落ち着いて対処せよ。我らは高所、高き守りの中にある。焦らず、基本に忠実に、それだけで負ける理由など皆無だ。焦る必要などない。相手の好きにさせてやれ。俺たちはそこから適切な動きを取る。それで負けぬよ」

 バルディアスが育みし弱者の血脈。

「「やるじゃん」」

 それを直接知らぬ者たちの中でも、積み上げてきた『モノ』は息づいていた。

 後手必勝。ゆるりと行こう。


 しかして南側、唯一手前の橋を守るという選択をした彼らに、とうとう試練の時が訪れた。当初は互角か少し『銀冠』のマリーが優勢を取っていた。だが、戦いの中で成長する若き天才を前にとうとうマリーは体勢を崩していく。そう、そこまでは良かったのだ。

「遊び過ぎですぜ、先輩」

 マリーの背後からぬっと現れた男。長身、バランスの取れた身体、流れるような色の薄い金髪は朝日に照らされた雲海を彷彿とさせる。美しい男であった。戦場にありながら自然体、あるがままにそこにある。殺気もなく、気迫もない。

「君が動くかよ、昼行燈」

「これ以上敵を伸ばしても銅貨一つの得もないでしょうに。悪い癖ですよ、互角以上の相手にしか本気を出せないってのは」

「うるさい。僕から役を奪ったならさっさとこなせ」

「あいさー。まま、それなりにやってみますよ」

 一騎打ちの邪魔をされたなら味方ですら斬る男が、その場を譲った。そのことに部下たちですら驚きを見せる。『銀冠』ジャン・マリー・ド・ユボーの矜持とは軽いものではないのだ。数多のメリットを捨ててでもそれを通してきた男。外見に似合わず男気溢れる武人こそ『銀冠』の生きざま。それを譲るということは――

「私の前に、戦意無き者が立つなッ!」

 それが頭の指示であったとしても――

「戦いに、感情なんている?」

 譲られた者はマリーよりも強いということ。でなくば譲らないのが『銀冠』。

「なッ!?」

 ベアトリクスは驚愕する。雰囲気の欠片もない男が、まるで煙を切ったような手ごたえを残して、視界から消えたのだ。全力の一撃を受けられた、そこまではベアトリクスも理解できた。しかし、その先は知覚の外側。

「俺は要らんと思うけどねえ。剣を曇らせるだけだぜ、お嬢さん」

 声が、背後からした。理解不能なマニューバ。ベアトリクスはぞっとする。自分より強い相手などいくらでも戦ってきた。自分の兄や親類たちは、自分よりずっと先に行っていたのだから。強者には慣れていた。

「黙れッ!」

 またも雲を掴むかのような感覚。当たっているのに、受けられたはずなのに、その剣先には何の感触も残らない。ふわりと、そして――

「まずは一死」

 首筋の薄皮を断つ。男は飄々と体を入れ替えベアトリクスの背後に回っていたのだ。おそらくは先ほどと同じ要領で、ベアトリクスが理解できぬ機動で、かわした。

「君の剣は真っ直ぐ過ぎる。それじゃあ勝てない」

 背後からかけられた言葉は圧倒的高所からの一言。

「オスヴァルトの剣を――」

 絶対に許せない、オスヴァルトの誇りを汚す言葉。

「――侮辱するなッ!」

 剣気一閃。振り返る動きすら力とした剣が奔る。

「こだわるなあ。理解出来ねーな、たかが剣だろ?」

 しかしそれはまたもかすかな感触と共に空を切った。ベアトリクスの繊細な感覚は、間違いなく剣で受けられたと認識する。かすかにそらされた軌道と当たらなかった事実だけがそれを証明するが、そんなもの何の慰めにもならない。

「つまんねーぜ、こんなもんに人生を懸けるなんてさ」

 その男は飄々とオスヴァルトの剣に唾を吐き、それを凌駕したのだから。

「これで二死。弱いぜ、お嬢ちゃん」

 砕けかけた誇りがベアトリクスを動かす。そしてそれは全て――

「三死、四死、五死、六死――」

 男の前に砕け散った。

「――はい十死」

 男の名はロラン・ド・ルクレール。序列は最下位の百位。昼行燈と呼ばれるやる気の欠片もない男。しかし、それでも彼を百将から降ろそうとする者はいなかった。それだけの才覚があったのだ。才能だけで言えばガリアス広しと言えどもロランに勝るものなし。

 ベアトリクスは粉々になった誇りと共にひざを折った。目の前が真っ暗になる。信じてきた、邁進してきた道が揺らぐ。積み上げた来た誇りと自負が消し飛んだのだ。オスヴァルトを名乗る以上、その名を汚さぬ力が必要。自分にはそれがなかった。先祖たちが積み上げてきたものにまで泥を塗った己が弱さに絶望する。

「それ以上はやめろ。趣味が悪い」

 首に添えられた剣に重なる細い剣。マリーの目は哀れみに満ちていた。

「せめて殺してやれ。それが礼儀だ」

 傷だらけの首。そこに刻まれた十の薄い傷。

「いやー、彼女はエサですよ。もちろん釣れない場合は斬りますけど」

「そういうところが好かん。武人としての矜持が欠けている」

「こだわらない主義なんですよ、俺は」

「僕が好かんと言っている」

 重なった剣が崩れ落ちた少女の首に――

「「ッ!?」」

 ロランとマリーの間を殺意に満ちた矢が通過する。あまりの殺気に二人は必要以上に距離を取った。それだけの警戒に値する矢は、橋の前で呆然とするガリアス兵を貫き、さらに背後の一人に突き立つ。狙い違わず心の臓を。

「彼女はうちの期待の星でね。殺されては困る」

 その男もまた悠然と戦場に立った。撤退する者たちを受け入れるために開かれし一人分の空間。かすかに開かれた大門の口から現れし男がまとい持つ雰囲気は――

「俺がお相手しよう、御両人」

 涼やかなものであったが、絶対からは程遠く、その癖自信に満ち溢れていた。

 『白騎士』ウィリアム・フォン・リウィウス。雪のような白き長髪をひと房にまとめ、涼やかな瞳は広く深く物事を見つめる。この世に三人しかいない巨星を下した内の一人。時代を変えた男は静かにその場で君臨する。

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