進撃のアルカディア:サロモンの火

 ノルトが陥落したその日の夜、とある山脈の頂上で踊り狂う数人の影があった。黒き装束を身にまとう群れは軽妙な動きで対面を翻弄する。遠間から毒の塗布されたナイフを投げ込んだり、吹き矢を放ったり、短弓なども行使する用心っぷり。しかしそれは、決定打に成り得なかった。その対面こそ、化け物の一人。

「影は影らしく、地べたに這い蹲っていろ!」

 ロジェ・ペルラン。今も痺れを切らして距離を詰めてしまった暗殺者の頭を掴み取り、そのまま地面に叩きつけ頭部を破壊。その時も剣を周囲への警戒、盾として行使、温存しながらも戦場を優位に進めていた。

(これが元百将、レノーの懐刀か。これで序列五十二位が最高とは、層が厚過ぎる)

 隙あらば全速力で離脱。一気に山を登っていく。

(白龍が来なければ勝てないな。もう少し人数がいれば別だが、最初の暗殺失敗から此処までで数が減りすぎた。時間を稼ごうにも、隙が無さ過ぎる)

 暗殺者たちは信じられない面持ちで敵を追う。この闇夜で、たった一人の相手にこれだけ苦戦したのは記憶にないことである。そもそも暗殺失敗の時点でおかしな話なのだ。休憩中、寝ているように見えたロジェを強襲した。しかし――

 音も無く忍び寄り吹き矢の射程に入った瞬間、その暗殺者の頭部には剣が突き立っていた。いきなりの出来事に一瞬の惑いが生まれ、その一瞬でロジェは距離を詰めさらに二人を殴り殺した。こんなことどれだけ場数を踏んだとて貴族出身の武人には出来ない。

(奴は下民一歩手前の貧しい家に生まれた。荒れた生活、抗争紛いの喧嘩に明け暮れた日々、二年の傭兵生活がこの不正規戦の強さを育んだ? それにしても――)

 油断したわけではない。しかし、考え事に脳のリソースを使っていたことは事実。その一瞬を、ロジェは見逃してくれなかった。こぶし大の石を全力投球、古来より投石は実戦でも用いられる強力な手段である。

(――強いッ!?)

 咄嗟に腕で庇うも骨が折れ、木の枝という不安定な足場からの落下は避け得なかった。落ちていく中で、暗殺者の一人は仮面の下で笑う。

(良い仕事だ)

 落下中、身動きの取れぬ敵を見逃す相手ではない。現に剣を担ぎ上げ、突進してくるロジェの姿が見える。一気に距離を詰め、振り下ろした一撃の破壊力は人体を縦に裂くほどの威力であった。

「ふう、厄介な敵だった」

 ロジェの周囲にはさらに二人、隠れ潜んでいるがそれだけでは足止めにすらならない。各個撃破する必要もなくなった。相手の追撃をかわしながら前進できる戦力差である。

「待っていろレノー。必ず、果たして見せるぞ!」

 ロジェは駆ける。与えられた使命を果たさんがために。


     ○


 ウィリアムは北西の方角に目を向けていた。もし、動きがあるとすれば其処なのだ。今日の勝利などどうでも良いことである。勝利に酔った愚か者が明日も進軍するというのに馬鹿騒ぎしている。それもじきに収まっていくだろう。勝利が当たり前と成れば、空気も変わる。そしてその勝利に対する不安材料は――

「繋がるかな、ロジェ・ペルラン、レノー・ド・シャテニエ。繋がらねば、今日の勝利も、明日の勝利も、貴様らの本国は知らぬまま、俺という剣の一撃を受けることに成るぞ」

 レノーが放った一手しかない。敵国の奥深く、たった一人が状況を変えようとするならば方法などそれほど多くない。もし、ロジェが国境を越え、単身情報を伝達しようとしてもそれでは遅過ぎるのだ。ロジェが誰かに伝え、本国まで早馬を飛ばしたとしても、そこからの動き出しでは遅過ぎる。そんなことはレノーとてわかっているはず。ならば、

「希望の火は――」

 人の足を超え、馬を超え、音よりも速く情報を飛ばす方法を取るしかない。

 そう、ガリアスの頭脳であったサロモンが考案し、ウィリアムも使ったことがある伝達方法。高く見通しのよい場所に火をつけ、それを受け別の地点でも火をつける。それを何箇所も繰り返すことにより、遥か遠方へ正確無比な情報を伝えることが出来るのだ。その名は考案者の名前そのままに工夫無く名づけられた。

「――灯った、か」

 その名をサロモンの火。

 ガリアスにとっての希望が灯った。しかし、

「繋がらねば意味はないぞ。守れるかな、その火を」

 まだ、目的は達成されていない。


     ○


 ロジェ・ペルランの戦場はウルテリオルの片隅から始まった。毎日が闘争の日々、素人同士加減の無い戦いをロジェは生き抜いてきた。十代半ばには誰も手に負えぬ不良少年の完成、されど所詮は子供、大人に利用されハメられ国を出る羽目になった。

 二年にも及ぶ傭兵生活で磨き上げた牙は、もはや素人のそれとは格が違った。瞬く間に傭兵として名を馳せ、何とガイウス自らが引き抜きに赴いた逸話もある。ガリアス式の戦術に対応し切れない部分もあり、序列こそ低かったが、ボルトースらも一目置く武力と生存能力は百将でも随一であった。

 序列五十二位、決して満足のいくものではなかった。まだまだ上に行ける。ロジェ本人もその確信があった。そしてそれを誰もが疑わなかった。

「レノー・ド・シャテニエです。本日よりロジェ将軍の副官として配属になりました」

「おう、兵法に関してはそれなりって聞いてる。期待してるぞ」

 もしかすると、この差配をしたガイウスだけは見えていたのかもしれない。

 ロジェが、この副官がずば抜けた感性と兵法への深い理解を備えていることに気付くまでさほど時間は必要なかった。最初は受け入れがたいことであった。叩き上げの自分よりも貴族としてのほほんと生きてきた若造のほうが上だと、飲み込むまで時間を要した。

 それでも、傍に置いている内に少しずつ見えてくる。たかが貴族の坊ちゃんと侮っていた相手が、暇な時間を見つけては兵法の勉強に精を出す勉強家だと。知識を掘り下げ、深い理解を求める求道者だと。ロジェは嫌でも理解する。

 上に立つべきはどちらか、を。

 ある日、ロジェは模擬戦を仕掛けた。結果は戦術面での敗北をロジェの武力だけで押し返した形、レノーの敗北に終わった。その結果から、ロジェは百将を辞し、レノーの副官としてガリアスに仕える道を選択したのだ。

 あの日の勝利を、悔しそうな表情を見て、ロジェは彼に『武』を見た。ガリアスの明日を見た。まだ伸びる。自分の届かぬ遥か高みへ、そのために自分は剣を握ろうと思えた。


「この火は、ガリアスの未来を背負って立つ筈だった男の残り火だ。レノー・ド・シャテニエの副官として、俺の使命を果たすッ!」

 ロジェの背後で燃える炎。その煌きこそガリアスの未来。サロモンが密かに用意させた情報伝達の手段。さしもの闇の王国も、国境付近で数ある山のひとつ、そこに用意された仕掛けまでは看破出来ていなかった。

「知ったことではない。俺は俺の任務を果たすだけ」

 対するはアルカディア最強の暗殺者、白龍。その武力は年を経るごとに研ぎ澄まされていく。己が主の飛翔とともに、自己の研鑽を怠らなかった。

 白龍の指が内圧で軋む。自らの力で破壊してしまいそうな、それほどの膂力を込めた抜き手を形成していく。その硬度は人外、鋼の如し、剣の如し手刀。

 ロジェも剣を引き抜いた。半身となり肩に背負う構え。一撃の重さに特化した戦場生まれの剣技である。実戦こそ我が故郷。

 いざ、参らん。

 闇夜に散る火花。踊り狂う殺意と闘志。最強の暗殺者と戦場の強者。夜闇の天蓋の下であれば白龍が優勢となるはず。しかし背後の炎がロジェに組する。一撃の重さはロジェ、一撃の鋭さは白龍。速さは白龍、強さはロジェ。

「隙あらば俺ごと殺せ」

 白龍は背後の暗殺者二人に指示を下す。ロジェはその指示に苦い笑みを浮かべた。自分も決死なら相手も決死、笑えるのはその命の重さである。自分はこの期に及んで死を恐れるが、彼らの眼に恐れは見出せない。

(迷いなし、か。なればこそ、俺が優位だッ!)

 恐れもまた力の源。それを捨てるなどもったいないとさえ思う。恐れを乗り越えた先に武があった。武は、今をもって己を裏切らない。

 剣と拳が爆ぜる。幾重にも絡まり合う達人同士の剣戟に付け入る隙はなし。

「まだ諦めぬか」

 火はまだ、繋がる気配を見せない。

「諦める理由が無い。このまま朝まで踊っても、俺は一向に構わんぞ!」

 されどロジェもまた諦めの気配は無かった。白龍は即座に判断する。

(無傷では埒が明かん。死んでみるとするか)

 一気呵成の攻め、ロジェの重い一撃が白龍の肩口を――

「なっ!?」

 切り裂いた。その途上で白龍は相手の剣、その持ち手を掴んだ。

「死は救済だ。俺たちのような、闇の者にとっては」

 そのまま相手の腹を蹴り飛ばす。ただの蹴りではない。最強の暗殺者が殺意を込めて放った一撃である。骨が折れ、臓腑に突き立った感触が伝わる。

「形勢が決まった。もう、立てん」

 白龍は後ろの二人に手で合図を送った。炎を消せ、と。

 すぐさま二人はサロモンの火を形成する土台を崩しにかかった。土台さえ崩せばすぐに鎮火する。鎮火すればそれで――

「ガァァアアアアアアアッ!」

 血反吐を撒き散らしながら、闘争の獣は二人の頭蓋を掴みへし折った。だらんと垂れ下がる躯。それを火に投げ込んで獣は敵に向かう。

「痛みでは止まらんか……精神が肉体を凌駕している以上、殺さねば止まるまい」

 白龍もまた浅くない傷を負っている。その上で此処からは持久戦になる覚悟をする。相手は死ぬまで止まらない。自分も同じ。

「ま、も、るッ!」

 血濡れの獣が二匹、名もなき山の頂で相打つ。


     ○


 その火が繋がるかどうか、それは誰にもわからない。もし、今日に限って見逃していたら。任務とはいえ監視者も人間である。ありえない可能性ではないだろう。監視者の監視はいないのだ。如何に真面目な気質を持つガリアスの人間とて、魔が差すこと位あるはず。いつ解放されるかもわからない、七年に及ぶ監視の中で人は腐る。

 冷静に考えれば見ている可能性の方が少ないかもしれない。

「が、ごふっ」

「終わりだ。どれだけ待っても希望は繋がらない。七年間、人が腐るには充分過ぎる」

 白龍は抜き手を抉るように抜き出す。てらてらと炎を反射して輝く真紅。

「ま、だまだァ!」

 白龍はロジェの哀れな姿に身を翻した。見ていられない、直視できないとでも言うように。白龍の貌に張り付いている表情を、ロジェは見ることが出来なかった。

「やれ」

 白龍の言葉短き指示。いつの間にか数名の影が其処にいた。彼らの手から放たれるナイフはひとつの狂いも無く、ロジェの身体に突き刺さる。

「どうやっても助からん。致死量の出血と致死量の毒、今度こそ――」

 折れろ。そう願う。しかし――

「白龍ッ!」

 背後に膨らむ気配。白龍の顔が歪んだ。今度こそ、明確な揺らぎ。

「貴様らは、何故だッ!」

 振り向き様に襲い来る剣を払う。想像以上に重い剣、渾身の一撃であることがうかがえた。もうとっくに限界を超え、希望もまた薄れ行く。それでもなお抗おうとする姿に、白龍は揺らいでしまう。何故こうも、彼らは美しいのだろうか。

「死んだろ終わりだろう! 貴様には任務を放棄して逃げ延びる選択肢もあった。何故、死を選び取る。何故、命を差し出せる。怖くは無いのか!」

 受け手とは逆の手で突き刺す。鋭き一撃、また一つ生存の可能性が消える。

「怖いさ」

 そう言うロジェの貌は――

「だが、迷いは無い」

 あまりにも晴れやかで、血濡れの今にも死にそうな男が生命力に満ち溢れるという矛盾。白龍は気圧されてしまう。その男のまなざしに。かの眼は言うのだ――

「これが俺の選んだ道だァ!」

 貴様はいつ道を違えた、と。

 乾坤一擲、死に際しその男の剣はまたも限界を超えた。重く、速く、煌きに満ちた一撃は不可避の死を運ぶ。白龍は死を覚悟した。この一撃で死ねるなら、ある意味で本望とでも言わんばかりに。

「我らは易々と死ねん」

「死は救済なれど、我らが救われることはなし」

「望み通りの死などありえぬだろう」

 その一撃は、背後に控えていた暗殺者たちの手で止められた。ロジェの腹に、心臓に、剣は突き立ち、切り裂かれた利き腕は剣を持ちながら闇夜に消える。

「……わかっている。俺は、堕ちた人間だったな」

「人間ではない」

「あのお方の道具だ。それもわかっている」

 白龍は呆然とするロジェの身体を押す。ぬるりと抜ける刃。ロジェの足はこと此処に至り倒れることを拒絶する。よろよろと後ろに下がり、背後でてらてらと輝く紅蓮に触れた。

「諦めろ、貴様は死ぬ」

 炎が、ロジェの体を蝕んでいく。もう、手を下す必要もない。

「諦めぬさ。これは、俺の選んだ男が、最後に放った一手だ。レノー・ド・シャテニエという男の命は安くない。そう。安くないのだ」

 炎が爆ぜる。火勢が増す。命を飲み込む炎が、飲み込む命に比例して輝きを増していく。

「あいつはガリアスの未来だった。死してなお、それは変わらん!」

「馬鹿が! これが繋がらねば二人とも無駄死だ。何を言おうとその事実は変わらない。死ね、そして噛み締めろ。この世界は無為な死で溢れていると。意味ある死を得られるのは数少ない選ばれし者。貴様では――」

 白龍の眼が大きく見開かれた。その視線はロジェを見ていない。その背後の――

「未来は、繋がったか」

 ロジェもまた白龍の瞳を通してそれを見る。咄嗟に白龍は己が目を隠す。

「ガリアスの未来に栄光あれ」

 しかしそれは遅過ぎた。充足して一人の戦士が死んでいく。意味ある死を携えて、冥土にたいそうな土産を抱えて、友たちが待つ死の世界へ旅立つのだ。

 迷い無く、鮮烈に、誰も知らぬ山頂にてロジェ・ペルランは散る。

 白龍の負け惜しみのような咆哮がこだました。

 遠く南の山にて灯る小さな火。それは闇夜ゆえくっきりと浮かぶ。小さくとも、その火は未来へと繋がっている。誰も知らぬこと、誰の記憶にも残らぬ二人の英傑が繋げた未来。明日は何処へ向かうか――


     ○


 ウィリアムはそれを興味深く見ていた。闇の王ニュクスが揃えた暗殺者たち、その中で最強である白龍を掻い潜ってあの火は灯った。世界は決して自分だけの味方ではない。世界は己を選んだが、どうやら楽な道まで与えてくれることはないようである。

「さて、少し急がねばな。間に合うかどうか……くく、退屈しないで済みそうだ」

 どう捌くか、誰が来るか、ウィリアムは楽しそうに思考を張り巡らす。

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