進撃のアルカディア:超大国ガリアス

 王の頭脳を辞して以降、サロモンは日がな一日ひとりでストラチェスを指していた。陽光降り注ぐ北向きの小さな庭を眺めながら、軒下で緩やかな時を存分に味わっていた。何局指しても、どこかで曲がりたくなる、曲げたくなる。一局として同じ盤面は無く、指せば指すほどに味わい深いものとなっていた。

「大旦那様、ロラン・ド・ルクレール様がお見えです」

「通せ」

 そんな老人の数少ない楽しみとして、

「ご隠居殿、可愛い教え子が遊びに来ましたー」

「たわけが。仕事をせんか仕事を」

 こうして教え子が尋ねてきて会話をする。他愛の無い会話でも現場から退いた己にとっては面白く聞こえるもの。その中でもこのロランと言う男はなかなかに面白い。

「なはは。軍はダルタニアン様が、政にはリディアーヌ嬢が、それぞれ上手くやっているので私の出番はありませんよ。しかもヤン殿までいた日には私に居場所はありません。こうしてご隠居をだしにサボるくらいしか楽しみが無いのです」

 明朗快活、そのくせやる気はあまり無い。

「阿呆が。やる気さえあればそれなりになったものを」

「そこが私の難点でして」

「まあお主の親類であったか、やる気のある無能よりかマシ、であるがな」

「お褒め頂き光栄です」

「褒めておらん」

 ロランは思い出したかのように手を打つ。

「アダンさんとアドンさんがまだぷりぷり言ってましたよ。ディエースパイセンの事」

 サロモンは顔を険しくする。

「帰還命令はとうの昔に出していた。帰らなかったのはあの男の判断である。カール・フォン・テイラーを危険視していたのか、その先にいる男か、両方か。別方向の視点も必要でしょう、それが、最後の報告であった」

「夏も冬もせっせせっせと穴掘り。さすがのあの人も読めませんでしたね」

「最初から戻る気は無かったようにも思える。ネーデルクス育成後は、ガリアスの外側から、ガリアスのために逐一情報を収集、動かし、自らも必要とあらば動く駒、それを、己の役割と定義付けていたのだろう。あの御方も悔いておったとも。その件に関しては」

「一介の盗賊団から引き抜いてくださった恩義をだしに、ですね」

「耳が痛いわ。救ったのは幼きリディアーヌ様であるが、な。差配したのは陛下。あの年から、よくぞあそこまで高めた。あの御方の言葉を借りれば、もったいない、だ」

 ディエースに関しては、サロモンをして内心を計りかねていた。蛇のように狡猾で、正道を嫌い邪道を愛す。飄々として掴み難く、ついぞあの薄ら笑いの下を眺めることは出来なかった。ただ、義理堅い男ではあったのだろう。最後まで、戻れと言っても聞かず、目的を達成してなお、彼は自身が危険とする者の監視として其処に在った。

 ネーデルクスに戦い方を教えることで、かの国に新しい風を吹き込んだ。そのおかげでネーデルクスもまた生まれ変わろうとしている。アルカディアに楽をさせない。ガイウス同様に白騎士を、それが育んだ者たちを危険視していた。

 恩義があった。それを彼がどう受け取っていたのか、結局それを知る者はいない。だが、彼の死が伝わった日、ほとんどの者が裏切り者が死んだだけと嘲笑っていた中、全てを知らぬはずのリディアーヌは涙を見せ、悔しがっていた。勝ち逃げは許さんと、怒っていた。

 きっと、彼がそれを見たなら、いつもの薄ら笑いを、わずかに歪めて――

『何や照れますわ』

 そう、煙に巻いていたのだろう。

「……まあよい。それで、ヴァルホールはどうであった?」

 ロランは許可も取らずに盤を挟んで対面に座った。サロモンはいつものことと特に気にした様子は無かった。

「あん、えーと、天獅子の成長は目を見張るものがありますかね。じきに我らでは届かぬ領域に達するんじゃないですか。今もリュテスの奴が対面を張っていますが、まあ、良いとこ互角でしょう。俺だったらたぶん死んでますね」

 ロランの言葉に驚きもせずサロモンは頷いた。

 今、ローレンシアには二つの巨星が輝いている。『黒狼王』ヴォルフと『戦女神』アポロニア。いくつか呼び名を持つ二人であったが、巨星を討ち果たした彼らが今の巨星。此処にウィリアムを交える論調もあるが、戦場を離れた彼を擁護するものは多くない。この二つはとにかく別格とされている。何しろこの七年、彼らが頭を取った戦場で新巨星たる二人は一度として負けたことが無いのだ。ゆえに別格。

 しかし、その後に続く準巨星クラスは各地で白熱した議論のネタとして重宝されるほど揺れ動いている。いつも名が挙がるのはネーデルクス『死神』のラインベルカは鉄板として『鬼火』のマルサス、『白薔薇』のジャクリーヌも根強い。エスタードなら『激烈』、『策烈』は欠かせない。アルカディアでは『黒騎士』、『戦鬼』、『白熊』が並ぶ。アークランドは『弓騎士』辺りが有力であろう。ガリアスは候補が多過ぎる。

 そして新興のヴァルホールでは『哭槍』と先ほど名が出た『天獅子』が有力視されていた。伸びしろで言えば前述の面子の中でも最有力と言って良い。

「と言ってもそれは戦場での話。正直ヴァルホールはサンバルトを母体としているとはいえ国力に難があり過ぎます。形も歪、制度も歪、傭兵王の引力ありきの運営では早晩潰れてしまうでしょうよ。ま、今の世の中に明日が保障されている国などないでしょうが」

 人物は良いが、国としては論外。ガリアスの脅威になり得ないというのがロランの見立て。今のところは、だが。

「そう言えばレノーの奴がアンゼルムを討ったとか」

「そのようであるな。これでかの国は後が無くなったことになる」

「もしかすると出てくるかも。失われた三つ目の巨星、かの怪物――」

「ウィリアム・リウィウス」

「そう、その男です。出てきたら世界はにぎわいますよ。私は勘弁ですがね。他の二人が理不尽な強さだとすると、彼は一人だけ理不尽と合理を兼ね備えた強さを持っている。本当なら消えていい人材じゃないんだろうけど……どうしたご隠居、顔色が」

 ロランはサロモンの様子の変化に気付いた。先ほどまでののほほんとした態度とは違う。何か恐ろしいモノを見るような目。ロランはその視線を辿る。そして――

「山頂が燃えている? あれは、まさか……『火』を使ったのか!?」

「あの男が帰ってきた。隠し手である『火』を使わねば伝達出来なかった、間に合わない状況。ロラン、急ぎリディアーヌ様に伝えよ」

「あいさー。つーかいつの間に仕込んでたんだよ。まあ、そのおかげで情報を掴めたわけか。さすが先生、レノー、やることが一々スマートだぜ」

 ロランはすぐさま身を翻した。その貌は言葉とは裏腹に厳しい顔つきであった。この時点で最悪に近い状況なのだ。正攻法での伝達でなく、サロモンが用意した『火』に頼らねばならぬ時点でほぼ最悪。しかし、本当の最悪は回避した。

(よくやったな、レノー。よく守った、ロジェ。後は、任せろ!)

 最悪でないならば、巻き返すことはいくらでも可能。

 我らは超大国、ガリアスなのだから。


     ○


 ロランがこうしてトゥラーンの中に入るのは珍しいことであった。一応、百将であるがやる気の欠片も無く、先代の王ないし頭脳が呼びつけねば知らぬ存ぜぬで押し通すほどのある意味で剛の者である。そんな男の二つ名は『昼行灯』。百将第百位、最下位の男が往く。

「……驚いたな」

「夢でも見ているかと思ったぞ」

「先王の葬儀以来じゃないか? あいつがトゥラーンに入るの」

 ロランはそんな周囲の雑言を気にすることもなく歩く。その堂々とした姿は最下位の男とは思えぬほど雰囲気があった。そもそも、実力で考えれば――

「……す、すいません。リディアーヌ様の部屋って何処にありましたっけ?」

 久方ぶりで建物の構造が飛んでいたロラン。というよりも構造を覚えていたとしても現在リディアーヌが何処にいるかなどロランにわかるはずもない。

「あー先生が使っていた部屋かー。それは盲点だった。ありがとう!」

 ロランは意気揚々とトゥラーンを歩む。ところどころわからないところを聞きながら。


     ○


 リディアーヌの部屋では烈気が火花を散らしていた。リディアーヌとダルタニアンの間にはストラチェス盤があり、その空間には重苦しい雰囲気が漂っていた。などということは一切気にせずロランは入室する。一言も無く。

「みんな好きだねー。やあ先輩、やあやあリディ嬢、ご無沙汰」

 最初はあまりにも自然に入り込んできた異物を二人は認識していなかった。それだけ集中していたこともあるが、ロランの雰囲気が違和感を感じさせないことに大きな要因があった。そして気付いたとしても――

「ふう、私は疲れているのかな。白昼夢を見ることになろうとは」

「…………え?」

 理解が進まない。こんなところにこの男がいるはずが無いのだ。

「俺はストラチェスの面白さがわからんよ。そもそもじっと座ってるのが苦手だ」

 だが、王の頭脳と王の左手、この二人を前にしてこんな気の抜けた発言が出来るのはガリアス広しと言えども、この男一人。

「あ、ウィリアム・リウィウスが娑婆に戻ったぜ」

 そして、この男が来るということは、

「レノーが先生の『火』を使って送ってきた情報だ。ま、通常の手段じゃなく『火』を使ったってことは、それだけ火急で、それだけどうしようもないってことだ」

 昼行灯でも動かねばならぬ時、それは祖国に危機が訪れたということ。

 凍った空気。リディアーヌは一度大きく深呼吸をする。時よ動けとばかりに。

「……ダルタニアン。至急戦力をかき集めろ。多少のひずみは許す」

「承知しました。この勝負はお預けということで」

「十三手先三三騎士打ちで私の勝ちだ。さっさと行け」

「……ちぇ、誤魔化せたと思ったのに」

 リディアーヌは自分の中にある恐怖を自覚する。あのアルカディアにいた日々で刻み込まれた白騎士の力。その徹底した生き方を思い出し、冷や汗が止まらない。

「期待の弟弟子がやられた。俺たちから見ると末弟だ。サロモン最後の弟子で最高傑作。ディエースパイセン、俺やお前よりも、将来は大物になるはずだった。震えてる場合じゃねーですよ。今はリディアーヌ・ド・ウルテリオル、あんたが頭だ」

 ロランの顔にいつものような気だるげな雰囲気は見えなかった。

「なら君も働いてくれたまえよ」

「ま、数合わせぐらいの期待は受けましょ」

 この返しにリディアーヌは苦い笑みを浮かべる。ロランが本気で動くつもりなら、少なくともロランはこの状況がやばいと判断していることになる。

 その見立ては正しい。

「どんな奇跡も圧倒的戦力差の前では霞む。見せ付けてやろう、ガリアスという国の強さを。藪をつついて、出てくるのが蛇で済むと思ってはいまいね」

 圧倒的後手。しかし、それでもなおガリアスという国は、その地力は、

「七年間で埋まらぬ差、ガリアスという巨龍の前に平伏すのだ、ウィリアム!」

 ローレンシアにて最強最大。


     ○


 南東、温暖湿潤の地域では蛮族との戦が繰り広げられていた。精強かつ粘り強い群れを相手に歴代のガリアス軍は苦戦を強いられてきた。迷路のような密度の高い森は天然の要害であり、攻略は困難を極める。

 そこを長年担当しているのがアクィタニアのガロンヌであった。加えて今はボルトースも含めた連合軍がこの地で戦う。

「召集? このクソ忙しい時にいったい何の用なのかねえ」

「全軍に召集がかかっているようだ。理由は――」

 書面を見てボルトースの顔が歪む。

「どうやら、向かわん訳にもいかぬようだ」

「ふは、白騎士かい。さぁて、今回は何を用意しているかねえ」

 黒き獅子が、龍殺しが――


     ○


「エウリュディケとランスロはそっちに行っていいよ。どうやら女王様はご機嫌らしい。攻め気は見えないからね」

 ヤンはのほほんと丘を見る。其処に居並ぶ布陣も精強だが、その奥に潜む怪物に比べれば可愛いもの。この大陸に三人いる内の一人が其処に君臨していた。

「攻め気が出たらどうしますの?」

「やるだけやって逃げるだけかな」

「……賢明だな」

「この腰抜けがあのヤン・フォン・ゼークトなんて……今でも信じられませんわ」

「あっはっは、よーしグスタフ、全力で死守だ!」

 遠くでグスタフがやる気なさそうに槍を掲げた。

「ま、冗談抜きで結構ピンチだよ。二人とも気をつけてね。僕らが『最後』に見た彼は、間違いなくかの巨星、黒金を凌駕していたのだから」

 空気が引き締まる。ストラクレスの猛威は隣国で幾度と無く刃を交わした彼らもよく知っている。一度として勝てた試しがない。小細工を弄して全体の勝利を得たことならある。しかし、正面から打ち倒した経験は彼らに無かった。そもそも想像すら出来ない。

「貴様はそんな怪物と戦いたくてこっちに来たのだと思っていたが」

「いやはや、それは半分。もう半分は内緒さ。君だって秘密の一つや二つあるだろ?」

「さっさと行きますわよ!」

 雷雲招来、静かなる湖水と共に――


     ○


「あんたは残り。あたしは行く」

「ちょ、天獅子がすぐそこで睨みを利かせてるんですけど!?」

「あんたならやれる! 期待してるから頑張ってね! じゃ!」

 リュテスは瞳に炎を宿し北の空を見つめる。ようやくこの時が来たのだ。ずっと待ち望んでいた。失脚したと聞いたときは耳を疑い、結婚をしたと聞いたときは三日三晩戦場で暴れ回った。そこからずっと溜め込んだ『怒り』、その全てをぶちまける。

「まあ諦めろ。それに期待されてるのは本当さ。不可能な任務を任せるほどリュテス様も鬼じゃない」

「いやいやいや、本気で来られたら死にますよ。今の天獅子は本気でやばいですって。ぷち黒狼みたいなもんじゃないですか」

「本気なら、な。どうもあっちもそれほどやる気はなさそうだ」

「其処が不気味なんですって……まあ、リュテス様がやれと言えばやるまでですけど」

「頼むぞ副将、ガリアスで二番目に槍の強い男よ」

「一番と二番の差が非常に大きい……ってかリュテス様もう出てるぞ!」

「え、嘘!? やばい全員急げよ! 置いていかれるぞ!」

 疾風奔る。風の如し快足にて――


     ○


 そこには大軍が押し寄せていた。一国が他国への牽制をしながら出せる限界の戦力。総勢十五万もの軍勢は烈気を充満させていた。最強最大の軍。それを率いるは――

「ここ数日でようやく敗走した連中から情報が伝わってきたな」

「つーかうちが縦にも横にも広過ぎるんだって」

「と言ってもね狭くする、削られるわけにはいかないさ」

「わたくしたちはガリアス。世界最大最強の覇国なれば」

 四旗。血の如し紅蓮の旗、重厚なる黒き獅子の描かれし旗、青銅の槍、翡翠の弓、疾風迅雷の御旗も風になびいていた。さらに加わるはアクィタニアの王と竜殺し、王の剣として招かれた湖の騎士。そして何よりも――

「常勝無敗! 勝つぞ皆よ!」

 総大将である王の頭脳、リディアーヌ・ド・ウルテリオルが君臨する。革新王亡きガリアスを一つにまとめた手腕、軍事政治果ては商業にまでその才を遺憾なく発揮し、誰も文句の付けられぬ影の王として存在感を放っていた。

 呼応するガリアス軍。十五万の叫び声は世界を揺らすほどの衝撃を放つ。

「勝って全てを取り戻す!」

 眼前に聳える城塞都市。七年前ガリアスがオストベルグから奪い取り、北への橋頭堡としたオストベルグの旧首都、今の名をマァルブルク。元々戦術的に優位な地形とオストベルグらしい実利に基づいた設計により、堅牢な都市として其処に根付いた。ガリアスが手を加えてさらに強固とした都市が、何故奪われているのか、それはこの際置いておく。

 しかし事実として、現在マァルブルクを支配しているのはアルカディアであり、その尖塔の上に立つ白銀の騎士、世界が忘れかけていたもうひとりの巨星を討ちし者、ウィリアム・フォン・リウィウスが其処に君臨していた。

 最強の城塞都市を擁する白騎士と最強最大の軍を擁する王の頭脳。此処からがこの戦の、本当の始まりである。

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