進撃のアルカディア:あやつり人形たち

 ウィリアムはガリアスの兵たちに寛大な対応をした。寝食は保障し、自由は奪うが殺さないと約束する。アルカディアの皆にも彼らは大事な人質であり、交渉材料となるゆえにぞんざいな扱いは厳禁と言い含めた。

 不満は多少出たが、ウィリアムはそれらを黙殺し押し通す。レノーの亡骸も丁重に扱うことを固く誓い、ガリアスの兵からは不満が出ることは無かった。

「副将のロジェ・ペルランは?」

「現在捜索中ですが死体も上がらず行方知れずとなっております」

「乱戦に紛れて人知れず死ぬような男ではない。今でこそレノーに席を譲ったが、平民から武力で百将にまで成り上がった男だ。引き続き捜索を続けろ」

「はっ!」

 ウィリアムも一度手合わせをしたことがあるが、ロジェという男、本来人の下につくような男ではなかった。その男が納得するほどレノーに才覚があり、自ら副将に甘んじていた男が逃げ出すとも考え辛い。ゆえに答えは一つに絞られる。

(まあ、こいつらでは見つけられまい。見つけられても困る。処理は連中に任せるとして、いたちの最後っ屁がどれほどのものか、足掻きが通るか否か、ふふ、楽しみが増えたよ)

 ウィリアムがこの戦に掲げる戦略として、第一は情報の封鎖である。すでに半分程度の達成を見せているそれだが、封鎖期間は長ければ長いほどいい。レノーが放った最後の一手、その封鎖を破る一手となり得るか、少し、興味深いとウィリアムは思った。

「さて、首尾はどうなっているかな? あいつが失敗するところを見てみたい気もするが」

 ウィリアムは南の方へ目を向ける。其処には哀しげな笑みが浮かんでいた。


     ○


「手緩い!」

 ベアトリクスが周囲にはばかることなく叫んだ。「まあまあ」とラファエルがなだめるがぷりぷりと怒気を撒き散らす才女に沈静する様子は見えない。

「何が不満なんだよ?」

 クロードがガス抜きのために問うてやる。怒っている理由など明白、ウィリアムのさじ加減に不満なのだ。捕虜に対して手厚すぎる扱い、虐殺せよとか殲滅するとか、其処までのものはベアトリクスとて求めていないだろう。

 それでも彼らは敵国の人間で、多かれ少なかれ味方も殺されているのだ。

「言わんでもわかるだろう。如何に貴様が馬鹿で間抜けでもな!」

「……ひでー言い草だな。まあ、理由はあるんじゃねえの? 理由の無いことはしないだろ、あの人は。それに昔のあの人とは違うさ。家族を持って、角も取れた。無意味な虐殺なんてしないって」

 怒りの理由はわかる。しかし、そうした理由もクロードだけは知っているのだ。昨日聞かされた話に情報を逃がさぬための策として捕虜への厚遇があげられていた。ゆえにクロードは知っている。それがどのようにして成されているかまでは聞かされていないが。

「……クロード、君は何かを知っているのか?」

 ラファエルはクロードの様子にいぶかしんだ。

「べ、別に知らねーよ」

 隠し事の下手くそなクロードを見て懸念が確信に変わった。そもそもこういった不条理を一番嫌っているのがクロードなのだ。単純だし深読みをしない、出来ない。そのクロードが一番落ち着いている時点で何らかの理由がある。

 同じく単純なベアトリクスはぷりぷりと意味もなくクロードのけつを蹴り飛ばしていた。

(何故、ウィリアム様はこいつばかり贔屓するんだ。……僕の方がお役に立てるはずなのに)

 そんな考えも喧嘩を始めた二人の仲裁をしているうちに掻き消える。普段、王宮の権謀術数にもまれているラファエルにとって、この二人の単純さはちょっとした癒しでもあったのだ。ある意味でこれのあるなしがアンゼルムとラファエルの違いなのかもしれない。似ているところは多いが、環境が違い過ぎた。

「へなちょこが!」

「うるせーブス!」

 単純というよりも幼稚、と言えるかもしれない。


     ○


 鮮血が舞う。夜闇の中、悲鳴一つ生まず殺戮の嵐が吹き荒ぶ。

 誰も気付かぬ内に命が消える。ふっ、とその灯火が消えていくのだ。其処に悲しみも痛みも無い。あるのは死という事実と、永遠に来ない日の出。大人も子供も関係なく、灯が闇に飲まれていった。

「一人五十殺。蟻一匹、逃がすなよ」

 闇が蠢く。全てが静まりし深淵こそ彼らの領域。一時の眠りが永遠の物と成るのだ。

「躯は一箇所に集めろ。一筋の煙なら、誰に気取られることも無い」

 ただの一夜。それだけで彼らには充分過ぎた。


     ○


 ラコニアから黒煙が立ち上る光景を同時に二点が観測した。ひとつは困惑を、もうひとつは沈黙を持ってそれを見上げていた。されど彼らの向かう先は同じ。狙いはまるで異なるが――

「定期連絡が途絶えて久しい。まああの小僧は我らをなめているのか、滅多なことでは連絡など寄越さんがな」

「ラコニアの黒煙、さすがに調べる必要が在るかと思われますが」

 その忠言に対して不満げな顔を隠そうとしない男の名はナゼール・ド・ルクレール。ガリアスの百将ではないが、ルクレール家自体は名家である。文官の、と一言つくが。ナゼールは政治屋どもが政の一環として軍に入れた人材である。

 もちろん武官とは水と油。責任は取らない。危険は押し付ける。自分は前線から遠いところで好き勝手言っているだけ。大概は的外れな言葉ばかりであるのも苛立ちが増す要素であった。

「ここノルトからラコニアまでは距離がある。調査隊を出すと言っても相応の準備が必要であるぞ。軍を動かせば金もかかる。無駄な経費とならんか?」

 対面する武官の額に青筋が浮かんだ。この地方に関して全権を委任されたレノーへのカウンターがこの無能なのだから始末が悪い。政治家からするとこれ以上軍部に力を付けて欲しくなく、足を引っ張るためにこの男を寄越したのではないかと憶測が飛ぶほどであった。

「準備であれば一両日中には終わります。金に関しては不足しているわけではないですし、そもそもこの異変に対する調査をせぬまま、何かが起こればそれこそ責任問題になるかと」

「そういうことは先に言え! 調査も含めて貴様に任せる。いらぬことに私を巻き込むな」

 これが曲がりなりにも人の上に立つ男なのだから笑えてくる。ガリアスは確かに人材の宝庫である。しかし、それは人口比や領土から見ると、他国と比して格段に高いというわけではないのだ。それに、革新王という光の裏側、同じくらい肥大化し腐敗したものもある程度取り除いたとはいえ消えず残っている。

 軍を統括する王の頭脳、その悩みの種が未だ消えぬ腐敗という病巣の処理であった。

 そしてその病巣を、革新王に近い場所で垣間見ていた男がいた。ガリアスは充分に警戒をしていた。レノーもまた普段送らぬ報告を、届きはしなかったが送っていた。

 その男の復活がガリアスにとっての凶報となることを、かの革新王本人が死の前に言い含めていたのだから。

 問題があったとすれば、七年という空白がほんの少し、彼らを弛緩させた、それだけであった。人であれば当然のことである。人であったなら――


     ○


 調査隊が見た光景は――

「な、何だ、これは?」

 人気の無いラコニア。灰の下に燻る夥しい数の人骨の山。数えるのも億劫になるほど、それは積み重なり彼らの困惑を恐怖に変えた。あまりにも現実離れした光景に彼らの心は耐えるので精一杯であった。

「周囲を警戒せよ! 誰かが隠れ潜んでいるかもしれんぞ!」

 ガリアス軍は選択を誤った。彼らは見つけることが出来ない影を探し、警戒すべき『周囲』を違えたのだ。彼らはもっと、広く遠くを見るべきだった。


     ○


 四万五千を率いるウィリアムは先頭を駆けていた。前へ、前へと群れを引っ張っていく。黒き煙の先、その男だけが待ち受ける光景を知っていた。最初から描いていたのだ。此処までの絵図を。此処からの絵図を。

「ラコニアの北門が開いているぞ!」

「罠かもしれません」

「であったとしても、否、だからこそ飛び込まねばならぬのだ。ラコニアには非戦闘員がいる。この戦が始まる前に避難を促したが残った人々がいたはずだ。理由はさまざまなれど、其処に意味はない。同じアルカディアの同胞として、あの不穏な黒煙は見逃せぬ」

 ウィリアムの発言に部下たちは熱きものを浮かべる。「応ッ!」と叫んで呼応する者もいた。彼らの反応にウィリアムは笑顔で頷く。「共に行こう」と。

 アルカディア軍は同胞のため、不穏なるラコニアへ至った。

 クロードは言った。「家族を持って、角が取れた」と。ウィリアム・リウィウスは変わったのだと。比較的近しいクロードでさえ、そう『錯覚』させるほどウィリアムの雰囲気は丸みを帯びた。だからこそ――

「何だ、これは?」

 夥しい躯の山を、

「な、何故此処にアルカディア軍がいる!? レノー様は何を」

 そこで呆然としていたガリアス軍を、

「よくも、よくも無辜の民を。許さんぞガリアァスッ!」

 それらを利用することが出来る。その怒りの『演技』は彼らの心を打つ。彼らの熱情を、憤怒を、憎悪を呼び覚ますことが出来るのだ。心は零度、七年前と何も変わらない。むしろその深淵はさらに深く、遠く、冷たさを増すばかり。

「問答無用! 蹂躙せよ、戦士たち!」

「言われずとも!」

 そこにいるのはこの場を調査するだけの兵で、彼らは何もしていないのに。怒りで彼らの言葉を消し飛ばす。憎しみのアルカディア兵に敵国であるガリアスの『命乞い』など届かない。刹那的な感情の発露、殺す方、殺される方、双方の滑稽な姿に、

 絵図を描いた者は誰よりも先頭で嗤う。嬉々として、一兵すら逃がさぬとばかりに剣を振るうのだ。雰囲気は怒りで満ち溢れているのに、その貌に怒りは無い。操り人形である彼らには演じた背中だけを見せ、その笑顔は、獲物たる哀れな者共に向ける。

(大事の前の小事、此処で死んだ連中は、貴様にとっては小事でしかなかった。非戦闘員だとか、女子供とか、秤を揺らすことすら出来んさ。この光景が悪魔的? 馬鹿を言え。こんな場所で死んだたかが数百人の躯なぞより、これから奴が殺す、殺させる人数は遥かに、桁が違うのだ。しかもそいつらは、進んで奴の盾となり、掌の上で踊っていたことも知らずに死ぬ。ふ、ふふ、この先こそ、よほど悪魔的だ)

 南門から抜け出る蟻を見逃さぬために最強の暗殺者は睥睨する。熱狂するアルカディア軍の滑稽さを。あまりにも色々と重なり過ぎて、成す術なく憤怒の波に飲まれていくガリアス軍の滑稽さを。あまりにも哀れな、操り人形と獲物たちの饗宴。

 それを指揮する悪魔が視線を合わせてきた。闇を知るがゆえに、彼は自分たちが何処に潜むか良く知っている。その視線が言っていた。此処は充分、残りは後始末に向かえ、と。

(追わせていた連中では力不足、か。わかっている、俺が行く)

 最強の暗殺者、白龍はそのまま影と消える。このまま見物するのも悪趣味であろう。結果のわかりきった戦いなどただの虐殺である。調査するためだけの心構えしか持たず、怒れる戦士たちの蹂躙に耐え得るはずもなし。

 あっさりと彼らは全滅した。一言すら言い訳の余地も無く、死人に口はなし。

「さあ、我が精鋭よ。此処で足を止めるか? 此処で、無念にも虐殺された同胞たちを横目に、長き行軍の疲れを癒すか?」

「否ッ!」

 燃え盛る大炎。

「我らは忘れない。ここにいた人々を、ここで育まれていた生活を。彼らはいつも我らの隣にあった。軍人のよき理解者として長く共にあった。我らは彼らの無念を晴らさねばならない。それが戦士の使命だ! 彼らを守ること、奪われた我らの本当の使命を、奪われた戦士の、アルカディアの誇りを取り戻す! 使命を果たせ!」

「応ッ!」

 燃え広がる光景を、シュルヴィアとグレゴールは苦々しげに見ていた。やり口を知っている彼らだからわかる。先導者であり扇動者、奴こそがこの絵図を描いた者なのだと。ただし、彼らはやり口以外にも知っていることがあった。

 良くも悪くも、ウィリアム・リウィウスという男は負けず、勝つ。アルカディアが喉から手が出るほど欲しかった勝利を、あの男は容易く用意できるのだ。ゆえに黙認する。その力を知るがゆえに、水を差す事はしなかった。そもそも、彼らにはやったのはウィリアムだという確信はあれど、その種まで知ることはない。つまり水を差す、糾弾することなど端から出来ないのだ。

 情報はラコニアから出なかった。それより早く彼らは出た。その結果――

 ノルトは接敵後半日も持たず陥落した。逃げ出そうとしたナゼールは首魁としてその罪の全てを擦り付けられ、じっくりと何時間もかけて火あぶりにされたという。その醜き絶叫は、さらなる大炎を呼ぶ。

 彼らは思い出していた。彼らは知り始めていた。

 勝ち方を、その味を。生殺与奪を握り、それを行使する快感を。遥か太古の彼方より続く人の業。勝者がいるということは敗者が生まれるということ。この味を知るということはそれだけで業なのだ。それは簒奪の味なのだから。

 どれだけ時を経ても、人とはかくも愚かで醜い。

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