進撃のアルカディア:若き世代の躍動

 怒号が、血風が、飛び交う人の群れ。右も左もわからぬ乱戦の中を己が鍛えた武技を信じてひた走る。自分が何処まで行けるのか、自分が何処で止まるのか、生きている限り進め、死するその時まで歩みを止めるな。

(ごちゃごちゃしてんのは、得意なんだよ!)

 刹那に命を燃やせ。

 今日が己を変える時。あの燃える屋敷で拾った命を、意味のある形へ――


     ○


 レノーは戦場を冷静な視点で見ていた。これだけの乱戦、中央で戦術は意味を成さない。乱戦で勝つのは勢いがある方であり、それはアルカディアにこそあった。頼みの両翼は敵本陣に達することが出来ない。敵陣ではなく自陣を守ろうと動く者たちは、若武者たちの代わりにグレゴールやシュルヴィアが止めていた。

 彼らの力と経験値があってこそ、この状況は継続する。

「時間の問題、ですか」

 そして状況の継続すなわちガリアスの敗北であった。中央が突破されたならこの戦場の総大将であるレノーの首にまで手が届く。そうなれば本当の終わり。そうなる前に撤退を命じる必要がある。

「撤退します。皆さん準備をお願いします」

「しかし閣下。此処は敵国深く、閣下がお調べになられた通り、背後には今まで不自然なまでに散らばっていたアルカディア兵どもが再編して緩やかな包囲を形成し――」

「その包囲が縮まり前後で挟まれたなら一貫の終わり。今退けば広範囲に広がる包囲の一部を切り崩し帰還することが叶うかもしれません。それに合図を、ラコニア、に」

 レノーの口が止まった。自分の考えに間違いがなければ勝てる道はなくとも、負けない方法はある。ラコニアに詰めている部隊を動かせば逃げ延びることも難しいことではないだろう。だからこそ、レノーは引っ掛かりを覚えたのだ。

(まだ、活路はある。しかしそんなことありえるだろうか。此処までの少なくは無い犠牲と綿密な準備によって作られた状況。其処に穴があるなどと、そんな自分たちに都合の良い展開が、あっていいのか? 白騎士相手に)

 そもそもこれは自分を殺すための罠。身を削り命を絶つ、そのための動きであったはず。其処に隙がある。少し考えたらわかるような隙が――

(もし、すでに――)

 レノーはゆっくりと背後に視線を移す。そんなはずはない。そんなことはありえない。しかし、もしそうであるならば全てのつじつまが合うのだ。此処までの勝利と今日の状況、全てかの者の掌の上としたならば――

 レノーは必死に考える。今思いついた『最悪』を否定する材料を。だが、思い浮かぶのはその考えを補強するものばかり。まるでそれが真実であるかのように思えてくる。否、どれだけ否定の言葉を重ねても真実は変わらない。

 この想定を覆せる要素は何も無かったのだから。

(――であれば活路は死んでいる。それどころかこの先も)

 レノーはようやく全貌を掴んだ。全てを見通せたわけではないが、白騎士の狙いはある程度読み切った。時すでに遅し、それはこの場でのこと。まだ、未来を救う手立ては残されている。それは若き英傑にとって選び難き選択肢であったが、

「撤退はしません。死力を尽くして戦いましょう。オルデンガルドを落とせば我らの勝ちです。あと一押し、一押しで我らは歴史に名を残すのです」

 周囲を鼓舞するようにレノーは檄を飛ばす。落ちかけていた士気が少し上昇した。

「了解しました! 私も前衛に加わり――」

「いいえ、貴方は前衛に加わりません。僕は副将であるロジェ、貴方に密命を託します」

 レノーは副将であるロジェを手招く。そして、耳元でささやいた。

「この戦は僕たちの負けです。それどころかこのまま行けばガリアスにとって、世界にとって取り返しのつかない状況になります」

「な、いったいどういう――」

「手短に。僕は先代の頭から何手か授かっていました。今使えるのはそのうちの一つだけ。貴方にはそれを成していただきます。僕は此処に残り、少しでも時間を稼ぎます。貴方は必ず密命を果たしてください。僕の弱さゆえに、傲慢ゆえにこの事態を招いてしまい、申し訳ございません。頼みましたよ、ロジェさん」

 レノーが見誤っていたのはウィリアムの価値ではない。ウィリアムから見た己の価値である。それを高く付け過ぎた。この戦場で、肌で感じた差の開きは、警戒するに値しないものであった。そのためにこれだけの手数をかけるはずがない。

「残った皆は?」

「限界まで時間を引き延ばしたら投降しますよ。では――」

 ロジェの耳元でレノーは語る。最後の希望を、この状況で残る最後の糸を。

「必ずや、果たして見せます」

「心配していませんよ。先輩の優秀さは僕が一番知っていますから」

「ぶち抜いていったお前が言うなよ、レノー。死ぬなよ」

「ロジェさんもお気をつけて」

 ロジェはそのまま自分の馬にまたがり、喧騒の中で姿をくらました。残ったレノーは大きく息を吸って気合を入れなおす。此処が正念場である。死中に活路を、此処からの一分一秒がガリアスの未来へ繋がるのだ。

(貴方の手を忘れていた、マニアの自分に腹が立ちます)

 レノーは普段見せない烈気と共に咆哮のような指示を飛ばす。

(貴方が非公式にガリアスへ訪れていた際、貴方の情報は不自然なほど他国へ漏れ出なかった。ディエース様の『蛇』をはじめ、各国の草の者が出入りするウルテリオルから、ガリアスから、完璧に情報を封殺してのける『力』。今回もいないはずがない。だから、此処まで僕を引っ張り込んだ。貴方が欲しかったのは僕の命じゃない)

 その指示は的確な応手と成る。まだ、ガリアスの軍は死んでいなかった。

(貴方が潰したかったのは情報だ。最初から、貴方はそれだけを狙って動いてきた。ラコニアから此処まで、僕らの発信した情報は、何処にも漏れていない。つまり、世界は知らないのです。貴方が、白騎士が再び戦場に立ったことを)

 勢いが盛り返す。

(それを知る唯一の存在が敵である僕。死なば、祖国は気づかぬうちに進撃される)

 まだ、負けると決まったわけではない。

(それだけは、させるわけには行かないんだよ!)

 祖国のために、彼らは熱き捨石と化した。


     ○


 其処に倒れる躯は、まるで寝ているかのように穏やかな表情を浮かべていた。彼らは自分が死んだことに気づかぬまま果てたのだ。そして見た目には傷ひとつ見えない綺麗な躯が完成していた。それを作り上げた者たちは静かに景色と同化する。

「アルカスに近ければ近いほど、我らの精度は増す。我らは闇、闇の王が認めし次代の王の一助となるモノ。我らは影、貴様ら光の者が視認することかなわず」

 彼らは傷をつけることなく人を殺す術を持っていた。振動、衝撃、身体の中を破壊する術理を修めている。暗殺者としては特上の存在。闇の王の子飼いたち。

「貴様らは幸運だ。我らが長は、我らほど優しくはない」

 後方への定期連絡は彼らが痕跡を残さず消していた。そして情報の向かう先、ラコニアには彼らの長が入り込んでいる。同等の暗殺者が十人、長である最強の暗殺者が一人、ラコニアの規模であるならば一夜で充分。

 眼に映らず、匂いも音も無く、彼らは消していく。命を、あまりに容易く。


     ○


 レノーの必死の粘り。泥沼のような戦況で、誰よりも味方を鼓舞し、誰よりも大きな声で指示を飛ばした。明確で、的確な指示は軍の力を底上げする。軍は、群れは生き物の集合体である。生き物ゆえ熱があるのだ。時にそれは理屈をも超える。

「撤退せず、か。なるほど、やはり優秀だな。七年前であれば活かしてやれたが、育てる時期は過ぎ去ってしまったのだ。此処からは収穫の時期、実った英雄どもを俺が残さず喰らって、俺の時代を作る。呪うなら自分の弱さと、俺を選んだ世界を恨め」

 盛り返しつつある戦場。しかし一点だけ、不規則に、するすると、まるで盗人のような動きで進む一団があった。

「力とは人生だ。剣や槍、弓の鍛錬でなくとも、そいつの歩いた道全てが『力』と成る。お前の力はその嗅覚だよ。先天的に、後天的に、磨いた己全てをぶつけてみろ。お前が歩いた道は決して平坦ではなかった。遠い異国から身一つ、お前は此処まで来た。ならばあと一歩、踏み込んでみろ。俺は、お前が三人の中で劣っていると思ったことは無いよ」

 その一団の先頭を見て、ウィリアムは微笑んだ。


     ○


 誰も気づかなかった。敵、味方の中をするすると合間を縫って駆ける男を認識していなかった。彼は幼い頃、スリを生業としていた。世界最大の都市に生まれ、世界で最も人口密度の多い市場が彼の生きる場所であった。人ごみで、気配を消して動くのが当たり前。気づかれたなら死ぬ。そのリスクを背負って、時には捕まり殺されかけて、彼は体得していた。誰よりも効率的に、素早く対象の元に辿り着き、目的を達成する能力を。

「――左翼後退! 中央、ぜん……え?」

 するりと敵の本陣、レノーの目の前に現れた男。

「ぶは、きっちー」

 クロード・リウィウスがレノーに肉薄した。この男の事をこの場の誰もが知らない。無名の若者が誰も到達していない、まだオスヴァルトでさえ七合目、八合目付近で苦戦しているにも拘らず、誰よりも速く昇りきった、本陣へ到達して見せたのだ。

「大将首見ーつけたァ!」

 そして何の躊躇も無くクロードは突っ込んでくる。レノーの周りには腕の立つ側近が何騎もいるというのに、その眼はレノーの首しか見ていない。

「ふざ、けるなガキィ!」

 側近がクロードの元へ殺到する。先ほどまで雰囲気の欠片もなかった男、倒せると踏んで彼らは向かう。接近、交戦、その瞬間、高らかに燃え盛る炎。その槍捌きは彼らが知る『疾風』にその熱を載せたもの。血しぶきが舞う。クロードは炎威が如く君臨する。

「退いてろ、ようやく回ってきたチャンスなんだ。逃す気は、ねえよ!」

 気合一閃。卓越した槍捌きで殲滅する。

「首、寄越せェェェエ!」

 功名心、向上心、野心、野望、必ず上に往く。そのためなら何でもしてやるという貌。レノーはそれを見て百将になる前の自分を思い出していた。思い出した上で思う。この若者は己とは違う。何が違うか、それはわからない。だが、あふれ出る熱量の差は、生きることに対する炎熱の差は、何かを抱かせるには十二分であった。

「我が名はレノー・ド・シャテニエ。ガリアスが誇りし百将が一人!」

 レノーもまた、決して得手ではない剣を握る。もはや逃げ場は無い。この一分一秒が未来へ繋がるとすれば、此処で死ぬわけにはいかないのだ。得手であろうがなかろうが、その剣を握り道を切り開かねばならない。

「祖国の未来を、僕がッ!」

「首――」

 レノーの剣を持つ手が槍の穂先に撫でるよう斬り落とされた。激しさの中にも繊細さが垣間見える槍捌き。自分より若いとは思えぬほどに技術が熟達していた。

「――くれッ!」

 反撃の芽を断つ一撃。逆の手も切り裂かれる。

 クロードの眼にはレノーの首、その一点だけが映り込む。

 レノーは笑った。己が道の終わりを悟りて――

「……僕の屍を超えていけ、アルカディアの若き英雄よ」

「おう!」

 言葉を言い終わるか終わらぬか、そこでレノーの首が舞う。一切の容赦なくクロードはその首を絶った。敵を殺し、昇り、殺して歩む戦士の道。

「わりーな。ご立派でお偉い、貴族様の首で俺はのし上がる。見てろミーシャ、溝鼠だった俺が、何処まで行けるのかを」

 クロードは咆哮と共にその首を掲げた。

 ガリアスの新鋭、レノー・ド・シャテニエ、オルデンガルドの地に堕つ。


     ○


 クロードの咆哮。少しずつ両軍に広がる波紋。

「へなちょこの癖に」

 オスヴァルトの才女は敵本陣まで残り八合というところまで来ていた。しかし、此処から先の密度を考えるとまだ時間はかかる。遅れて入ったクロードが先んじたという事実はベアトリクスのプライドを少し傷つけた。傷つけたが――

 無意識の内にしていた小さなガッツポーズ、それは彼女が傷ついてなお喜んでいるという証。絶対に認めないであろうが、ようやく機会を掴んだ友への賞賛がそこにあった。

「誰だあいつ」

「レノー様が、そんな」

「あんなガキがうちにいたのか」

 レノーを惜しむ声もあるが、そもそもあまりにクロードが無名過ぎて敵味方とも困惑していた。いったいあの若者は何者なのか、何故ほぼ単身で本陣に到達できたのか、疑問が渦巻いて多くの手が止まる。

「やりやがったなクロードの奴!」

「あはは、いつかはこうなるさ。実力があるんだから」

 同じ学校出身の者たち、特にウィリアムが拾ってきた俗に言うテイラーズチルドレンからは歓声が上がっていた。実力はあるが不遇であり、苗字の件でもわかるとおり世渡りも下手、不器用な姿に心配していた者は少なくなかった。

「まだ負けていないぞ! レノー様の仇を討て!」

 弛緩した空気を裂くが如し大声。その一言で空気が変化した。宙ぶらりんになっていた意識が一斉にクロードへ向く。意識の集合、敵意がクロードに突き立つ。

「どっからでもかかってきやがれ。降参したくなるぐらいボコボコにしてやんよ」

 その敵意に、クロードは嫌な汗をかく。此処は敵陣深く、周りには味方がおらず敵ばかり。主導する男はそれなりに使えるように見える。勝利から一変、危機に陥って――

「私に続――」

 男の言葉は最後まで続かなかった。後頭部に突き立つ矢。それを放った者はかなり離れた場所にいた。距離にして五百メートルはあろうかという距離。普通の弓ではそもそも届かないような距離を正確無比に射抜いた怪物は静かに笑う。

「あと少しで弓が届く距離だったのに……まあ、今日はクロードの日ってことだね」

 その射撃の冴えが、燃え上がりそうだった最後の火種まで消し飛ばした。

 敵意を塗り潰すかのような戦意を見せるオスヴァルトの威嚇も一役買っている。

 二人の間接的な援護に助けられぶすっとした表情になるクロード。何だかんだ若手三人衆は支えあい良いチームワークを構築していたのだ。三人とも認めたがらないが。

 若き時代が胎動を見せる。

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