進撃のアルカディア:連戦連敗
個人での面談から全体会議を終えて、クロードたちは屋台が集う広場を練り歩いていた。約一名非常に荒れており、近づいたもの全てに噛み付かんばかりの勢い。そのためのストッパーとして二人が脇に控えているのだが、そちらの方も決して元気は良くなかった。
「んで、普通にやらねえんだよ! ぶっこみゃ勝てるんじゃねえのかよ白騎士様ァ!」
クロードは酒に弱い。弱いくせに酒癖が悪く、本人も自覚しているため滅多なことでは飲まない。されどあの会議は滅多なことだったのだろう。会議が終わるなりすぐさま広場に来て二、三杯で今の有様と化した。
「レノーはそれだけ優秀で、厄介だということだろう。白騎士を信じろよクロード」
「俺が一番知ってるんだよ! あの人はつえー。めちゃくちゃつええ。いらねえんだこんな小細工。普通にやりゃあ、あの人なら勝てるのに、何で――」
そしてクロードは吐いた。
「ふん、自信が無いのだろう。所詮七年前に終わった男だ」
「「悪口言うなぁ」」
男二人の女々しい反論にベアトリクスは盛大にため息をついた。そしてとりあえずとばかりに二人を蹴り込む。ゲロを撒き散らしながら悶絶するクロードと、思った以上に重い一撃で泣きそうなラファエル。
「私はどんな策であろうと最善を尽くす。敵将の首に手が届くなら、我が剣に止まる理由はない。レノーは私が討つ。貴様らは女々しく転がっていろ」
そう言い捨ててベアトリクスは面倒な二人を置いて去っていった。
残された二人、吐き散らかして穏やかに成ったクロードはその場で眠り、ラファエルは悪態をつきながら泥酔して力が抜けている酔っ払いを運んでやった。「僕は王族だぞ。このクソ庶民が」「弱いなら飲むなよアホぉ」「重い重い重い重いィ」などと口ずさみながら酔っ払いを運んだ王族はアルカディア史においても彼くらいのものであろう。
○
会議の様子を思い出し笑い出すウィリアム。それを見てケヴィンはため息をついた。
「笑い事じゃないですよ。みんなウィリアム様の復帰戦、恩返しだって士気も高く集まっているのに、あんな作戦じゃ反発もありますって」
「ああ、こうなるとは思っていたよ。あまりにも予想通りで、会議の前にクロードが何を言うかなってグレゴールと賭けてたんだが、勝負にならなかった。あの時は笑いを堪えるのに必死だったんだ。グレゴールもだぞ。口を隠していただろう」
「だから笑い事じゃないでしょうに……この一戦にウィリアム様自身の進退が、アルカディアの将来が決まるのでしょう? なのに何故そんなに力が抜けているのですか?」
ケヴィンは本来の階級を大幅に飛び越えてウィリアムの副官に抜擢されていた。大将の副官ということは実質的に軍団長の上に立つ存在。何度かの大将への昇進を蹴ってきたグレゴールや女傑シュルヴィアの上ともなれば気も引き締まる。
与えられたとはいえ副官という立場。苦言の一つとて言わねばならないと真面目に考えての突っ込みであったが、ウィリアム自身それを重く受け止める気はさらさらないようである。昔の印象とは大分変わった、家庭を持って角が取れたのだろうか――
「レノーは強いよ。色々調べて、アンゼルムからも話を聞いた。ただの若手じゃない。あのリディアーヌがあれだけの責任を与えている時点で傑物。その上でガリアスだぞ、彼らは。俺からすると何故正面から当たりたいのか、消耗を求めるのか、理解に苦しむよ」
ウィリアムは世間話でもするかのような穏やかな表情でケヴィンを見る。
「お前たちもそれなりに優秀に成ったがまだ若い。今の実績や実力では下からの尊敬も犠牲も引き出せぬ。その差は、お前たちが思っているよりも大きいぞ。確かに、俺が率いればそれなりに戦えるだろう。無理やりに互角、それ以上に戦わせることも出来なくはない。ただ、それで勝ってお前たちは何を得られる? 未来にとって益のない勝利など無意味だ。何よりも、勝てないとわかった相手に隙を見せてくれるほど、レノーは愚かではあるまい」
穏やかであるがゆえに、
「レノーは優秀だ。此処で敗北を得て、さらに飛翔するだろう。早晩、王の左右に食い込む可能性すらある。俺はそう判断した。だから、あの策なのだ。多少此方が泥を被ってでも、確実にあの若者の未来を絶つ。敗北すら、与える気はない」
零度の冷たさを、その虚を感じ取ることが出来ない。グレゴールたちは知っているから笑ってスルーしていたのだ。彼らは知っているから、その冷たさを、平然としていながら人を殺し、殺させ、躍らせることの出来る怪物だと。
「俺は負けんよ。そして勝ち方にもこだわる」
「格好のよい戦いをするということですか?」
「まさか。それなら俺はあの策を提示すまい。俺の言う勝ち方とは――」
彼らは知っていた。この怪物は――
「より多くを得る勝利、だ。結果主義だよ、俺は」
誰よりも勝利に近いということを。
○
翌日、とうとう白騎士の復帰戦が始まった。レノー率いる精強なガリアス軍にウィリアム率いる軍勢は野戦を選択。布陣は黒騎士と同様、七年前にウィリアムが野戦にて好んで用い、勝利を重ねてきた戦型を選び、レノーに期待を抱かせた。白騎士の模倣たる黒騎士が完成させたと言われているそれに、ウィリアムが新たにどういう手を加えたのか――
「私の憧れとの距離、測らせてもらいます!」
黒騎士を打破した白騎士破りの戦術。かの戦型の穴を見出し、戦術的に優位を取ることで、そもそも地力の高いガリアスに確実な勝利を与えてくれる策。レノーの努力の結晶が試される一戦となった。
結果は――
「……どういう、ことですか?」
レノーの完勝。アンゼルムを破った時と同様に、否、それ以上の破壊力を発揮した白騎士破り。ラコニアへの撤退も、あまりにガリアス側の優位が確固たるもので、味方を引き入れるために開門するも、そこになだれ込まれては引きこもることも出来なかった。
結果、ガリアスの勝利。そしてたった一日にしてラコニアが落ちたのだ。
白騎士ウィリアム・フォン・リウィウスの復帰戦は緒戦から苦いものとなった。
○
連戦連敗。七年前ならば考えられないほどに白騎士の軍勢は敗北を重ねた。幾度も野戦を繰り返し、そのこと如くを打ち破られた。同じ陣形にこだわったわけではない。試行錯誤を重ね、手持ちの戦術を思う存分に行使し、負ける。
軍勢は四散し、気づけば兵の数は半分にまで落ち込んでいた。討たれた数も少なくは無いが、多くは敵軍に突破され、孤立したところを四方八方に散っていったのだ。脱走した兵もそれなりにいる。士気はがた落ち。
しかし、まだ現場はマシであった。
アルカスでは敗戦の報せが伝わるや否や、市民たちが期待の反動で暴徒化する事態に陥った。ウィリアムの屋敷にも押し寄せてきそうな雰囲気であったが、そこは――
「立ち入りゃ斬る。失せなゴミども」
ヒルダ・フォン・テイラーが守衛をかってでた。現大将の妻であり、かのガードナーの血統。たとえ貴族であっても位が低ければ斬られても文句は言えない。そもそも隻腕とはいえ元は現場で暴れ回っていた女傑、並みの者では近寄ることすら出来ない。
「ごめんねヒルダ。迷惑かけて」
「良いって。好きでやってるし。友達でしょ?」
「うん、ありがとう」
敵対者には鬼のような眼を向けるが、親友であるルトガルドたちには温かな笑みを送る。そうせねば人の悪意に慣れていないアルフレッドなど容易く歪んでしまうだろう。大人ですらこうなのだから――
「ま、今だけよ今だけ。すぐに掌を返すことになるから」
ヒルダは哂う。
「あの男の事は心底嫌いだけど、その『強さ』に疑いは無い。腹が立つほど周到で、呆れるほどに勤勉。私にはあれが負けるところなんて想像も出来ない。いい、あんたの旦那は最低の屑だけど、最強のクソ野郎だから安心して寝てなさい」
「悪口ばっかりだね」
「当たり前。心底嫌いだから。でも、強さだけは認めてる」
ヒルダはウィリアムと共に戦った経験は少ない。しかし、少ない中でもわかることはある。武人としての強さだけではない、もっと根源的な部分であの男は強い。心が負けを認めている。勝てないと叫んでいる。
そんな男が容易く負ける筈が無い。七年前を『直』に経験した者ならば、この敗北には違和感しか感じないだろう。続く敗戦、そこに何かの意図が無いのかと探してしまう。もちろん自分では何も浮かばないのだが。
○
王宮内でもウィリアムを呼び戻したフェリクスに対して雑言が飛び交う。相対的にガリアスを抑えていたアンゼルム及びそれを擁したエアハルト派が息を吹き返し、不安をかき立て優位に立とうと奔走していた。
「どう責任を取られるおつもりかな?」
エアハルトは愚かな兄に声をかける。
「オルデンガルドまで取られたら俺もあの男も好きにしろ。そういう約定だろう」
事前の話し合いにてウィリアムが指揮してオルデンガルドまで奪われたなら全権をエアハルトが得る、つまりこの国がガリアスの属国になると決められていた。当初はラコニアをラインと考えていたが、すでにラコニアへの包囲網が完成しつつあること、劣勢であることからオルデンガルドまでをラインとエードゥアルトが定めた。
「……随分落ち着いておられるのですね」
「どうでも良いからな。これがどう転ぼうと俺に上がり目がないことくらいわかっている。なら俺は傍観者であれば良い。勝てばお前の貌が歪み、負ければお前はガリアスの走狗、どっちにしろ笑えるさ、俺は」
「私がガリアスの走狗たるところを貴方が目撃出来ると思わぬことだ」
エアハルトはフェリクスに死刑宣告を行いこの場を後にした。エアハルトとてわかっている。全ての焦点はオルデンガルドなのだ。わざわざ父王を誘導し、其処をラインと定めたのならば何かがあるはず。エアハルトの心には白騎士に敗北して欲しい反面、何かをしてくるという苦い確信があった。
オルデンガルドで潮目が変わる。あの日、あの怪物を押し返した時のように――
(そのまま沈め、沈めよ下等生物)
エアハルトが浮かべる焦り、それこそが白騎士への信頼の裏返しであった。
○
ウィリアムはクロードとストラチェスに興じていた。まだまだ荒いがたまにハッとする手を打ってくるクロードはウィリアムにとっても面白い対局者であったのだ。現に今も咎めようもない妙手を指してきた。幾重にも紐付けされた重厚な手とは対照的な軽い手。紐は一筋、吹けば飛ぶ。しかし、その風が吹かない。
「面白い手を指す。攻めの拠点を作られたなら、俺も急ぐとしよう」
「ならこっちはそれより速く攻めるだけっす」
手数が重なり、一気に戦局は終盤戦に至る。
難しい局面、細かい寄せにこそ地力の差が出てくる。クロードの手は速いが、ウィリアムの捌きを前に致命傷まで達しない。逆にクロードの守りは薄く、軽く詰めるだけで必至が生まれてしまう状況。ゆえに王に当て続けるも、徐々に手が切れてきた。
「……負けました」
攻め手が消え、残ったのは瓦解寸前の守り。
「敗因は何処ですかね」
「あの手は良かった。あれで此方はかなり苦しくなったし、戦況としてはそちらに多少傾いたはずだ。問題はその後、攻めの拠点が出来たにも拘らず、お前は攻め急いでしまった。そこにあるだけで厄介だった手の意味が薄れ、結果として激しく見えるが捌きやすい攻めに成り下がった。どっしり構えて、守りを固めて、力を蓄えてから攻めたならお前は勝てていたかもしれん」
「……精進します」
それでも平手で此処まで指せたのはウィリアムも驚いた。クロードは色々と波の激しい男だが、最高潮の時はウィリアムも驚くほどの力を発揮する。
「同世代だとそれなりに強い方だろう」
「まあそうですね。ひとり別格の奴がいますけど、ラファエルと俺が勝率五分でそいつを追っかけている感じです。追いつける気はしないですけど」
「ふ、あの子は特別だ。本当の天才だからな。ただ、天はあの子に闘争の才能は与えなかった。争いが嫌いなんだよ。神も性格が悪い、と最近思う」
ウィリアムは駒を弄ぶ。
「文句の一つでも言わないのか?」
「勝てたら言おうと思っていました」
クロードがウィリアムの自室に来た理由は、このオルデンガルドに至れば自然と湧いてくるものであった。此処には勝てる要素がたくさん用意されていたのだ。此処にあるものをラコニアに移動させていれば無駄な敗北を重ねずに済んだ。意図的な負けとはいえ負けている以上それなりの死傷者は出ている。
現場としては文句の一つも出てくるだろう。
「何で此処にあるものを最初から使ったら駄目なんですか?」
「駄目ではない。それも悪くない手だ」
「じゃあ何で!?」
「目的に対する最善手ではないからだ。ただ勝つだけでは物足りぬ。対象を確実に仕留め、次の一手に最高の力を乗せる、いわば前段階が此処までの敗北」
ウィリアムはくるりと駒を回転させ、そのまま盤上に強く打ち込んだ。震動で立っていた駒が倒れ込む。その中で立つのは一つだけ。
「力は蓄えた。あとは開放して目的通りの勝利を得る」
ウィリアムは嗤う。
「お前はノせたら強いから、お前にだけこの戦の終着点を、目的を教えてやろう。その代わり働けよ。俺のためではない。お前のため、お前を生かしたあの女のためにも」
目的が語られる。クロードの顔色が徐々に色を変じ――
そして朝が来た。此処から潮目が変わる。
戦史に深々と刻まれた史上最大の進撃が始まるのだ。
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