進撃のアルカディア:反撃の兆し
テイラー商会はこのアルカスにてまさに我が世の春を謳歌していた。元々宝飾の世界では最大の商会であったテイラーが、武器関係のシェアを商会ごと飲み込んだリウィウス商会を取り込み、アルカスでも最大の商会と成った。本業はアインハルトとヴィーラントがしっかりと押さえ、加えて、昨今では金融をジギスヴァルトが、一般の薬品関係をあのくそったれな日に最前で誰よりも先んじて回答した青年デニスが、そして新規事業を司るのはヴィーラントとジギスヴァルトに師事し、テイラー商会でも群を抜いた活躍を見せる盲目の乙女、メアリー・テイラーが回す。
アルカディア全体が落ち込んでなお成長を続ける集団。アインハルトを王とするかの群れは勝者足り続けていた。
その幹部たちが一堂に集う。アインハルト、ディートヴァルト、ヴィーラントにジギスヴァルト、そしてデニスとメアリーもそこに座っていた。
上座には――
「久しぶりだな。存分に稼いでいるようで何よりだ」
「七年ですか。随分、短かったですね、ウィリアムさん」
ウィリアム・フォン・リウィウスが座る。アルカディアにて最大の商会、その幹部であり精鋭たちが頭をたれるのはこの場にて一人のみ。
ヴィーラントの言葉を皮切りに各々口を開き始めた。
「当初は十年、世界情勢次第ではそれも薄氷でしたか」
「ゼークトの出奔が大きかったのお。あれで数年は間違いなく縮んだわい」
「あれだけは想定になかった大事だ。他は笑えてくるほど想定の内、結局は全てウィリアムの掌の内だったってことか」
ジギスヴァルト、ディートヴァルト、アインハルトの語らい。
「計画を前に進める。その前に確認だが……今の俺には力が無い。お前たちは独力で此処まで大きくなったし、俺という存在など不要と考えてもおかしな話じゃない。主導権はお前たちにある。俺を受け入れるか、弾くか、七年越しの答えを聞こう」
ウィリアムの言葉に皆が椅子から立ち上がった。そして膝を折り、頭をたれる。彼らの所作に迷いは無かった。七年前、誰もが想像すらしていなかった先を見通していた怪物。彼らは商人である。義理と人情など本質として持ち合わせていない。だからこそ、打算的に考えた結果、ウィリアムという怪物に歯向かうなど思考の端にもかからないのだ。
「我らの答えは七年前と変わらずに」
「此処は貴方の城だ」
「お好きに差配を。我が王」
この忠誠は打算の産物。商人とはかくあるべき。
「結構。では、『国盗り』を再開する」
七年前、彼らに語られた絵図は此処から先もある。国盗り、市場の王であるだけでは飽き足らず、権力すら手中に収めんとする遠大な計画であった。つまりはウィリアムがこの国の王となるための、王となった後、この国を世界の勝者に、世界最大の市場に、そして其処を支配する史上最大の商会としての地位を盤石とするための、まずは第一歩。
「ジギスヴァルトは門を開けよ。ヴィーラントは『あれ』を動かせ」
「「御意」」
二人は頭を下げてすぐさまこの場を去っていった。商人たるもの商機は逃さず、迅速柔軟に事を運ぶ必要がある。
「他の者は新作の武器、その量産といつもの業務も滞りなく進めよ」
全員が動き出した。超一流の商人たちが各々の役割を果たすために世界を駆け巡る。
しかし、ただ一人、歩を止めた男がウィリアムの方を向く。
「王となるのに、あれは邪魔にならんか?」
アインハルトの問い。それが指し示す意味を掴むのは容易いことである。
「ルトガルドのことなら心配要らん。一人ぐらい抱えた程度で崩れる足場なら、その程度ということ。多少の不自由は強いるだろうが……そこは納得している、双方とも」
「あれは存外欲深いぞ。先のことを考えたなら――」
「それ以上に聡いさ。我が義兄上は心配性だな。そもそもあいつには全てを伝えてある。その上であいつも納得している。良い女だよ、ルトガルドという女は」
その返しでようやくアインハルトの顔から険が取れた。この場で最も優秀な男であるが、同時に一番の脆さを抱えていた。母への愛が、父への愛憎が、全て今の家族に注がれているのだろう。カール、ルトガルド、そして新たな家族たちへと――
答えに満足して去り行く背中を見て、ウィリアムは軽く頭を下げた。
「本当に、良い女だ。許せとは言わんぞ、我が義兄よ」
それらを踏み越えた先こそ我が王道。
○
其処からは怒涛の日々であった。
商会は多くに気取られぬよう細心の注意を払い事を運ぶ。特命にてアルカスを発った二人は元より、表向きはテイラー商会、アインハルトが指揮する集団としておかしくない動きを続ける。しかし裏では新開発の武器の量産など来るべき戦いへの準備をしていた。
軍部もまた慌しい。特別に手に入れた人事権を遺憾なく発揮し、人の入れ替えを行っていた。若手偏重の偏った人選は眉をひそめるものも多く、ベテランの軍人たちからは多少の不平不満が出てきたが、それを黙殺してでもウィリアムは若手を集った。
ウィリアムは忙しい合間にも未だ病床の盟友、アンゼルムの下にも訪れていた。幾度も言葉を交わし、七年という時がゆっくりと雪解けしていく様は、アンゼルムの妹のアンネリーゼも目の端に涙を浮かべるほどであったという。
されど時代の流れは止まることを知らない。
ガリアスの俊英レノーはアンゼルムを討ち取った勢いそのままにアルカディア軍を大いに攻め立てた。ギリギリで堪えられたのはグレゴールとシュルヴィアという二人の柱が健在であったから。黒騎士アンゼルムを支えた二人の将が戦術面で上回られてなお、力技で強引に戦線を押され気味に保っていた。それもそろそろ限界であろうが――
じわりじわりと戦線は後退していく。
○
季節は夏に差し掛かっていた。快晴の蒼空から降り注ぐ陽光は鎧を温め、外にいるだけで兵の体力を奪っていく。決してモチベーションの上がる天候ではない。それでもこの場に集まった者たちの士気は高かった。中でも――
「おいおいあいつら」
「ああ、間違いねえ」
大勢の視線が集中する彼らは別格であった。三人で固まり会話に華を咲かせている。若干、言葉が荒い気もするが周囲は気にしていない。
「ベアトリクス・フォン・オスヴァルトだ。最強の遺伝子を継ぐ女傑。未だ十代ながらその剣はオスヴァルトの系譜でも図抜けたものを持っていて、直近では『赤』の猛将アーモスを一騎打ちにて討ち取ったそうだ」
「隣にいるのはラファエル様か。フェリクス殿下のご子息、つまり王の血統で若くして師団長の地位についている。となるとコネを疑いたくなるがとんでもねえ。アンゼルム大将が重用していた才覚は本物さ。次代を担う人材なのは間違いねえよ」
輝ける若き英雄の卵たち。二人のことは誰もが知っていた。しかし此処にはもう一人の男がいる。先ほどまで大きな声を発していた男はそわそわと周囲を窺っていた。
「もう一人は――」
三人目は耳をぴくぴくとそばだてている。
「誰だ、あいつ?」
「いや知らん。何であの二人と話しているんだろう?」
三人目は無言で槍を旋回させ噂話の元に突っ込んでいった。悲鳴が二つ、喧騒に消える。
「あのへなちょこが。ああいう子供っぽさはどうにかならんのか」
「精神年齢はマリアンネと変わらないからね。純粋で良いと思うけど」
ベアトリクスは心底呆れ、ラファエルは苦笑しながらもやはり呆れていた。
「俺様の名はクロード・リウィウスだ! あそこにいる七光りどもより俺の方が伸びしろの塊だし、現時点でも七光り抜きなら対等だっつーの!」
ベアトリクスは無言で剣を引き抜く。ラファエルは笑顔のまま弓を構えた。
「良い度胸だ。私に勝ったことが一度でもあったか、へなちょこが!」
「君の優秀さは知っているけど、対等は言い過ぎじゃないかな一兵卒くん」
「うるせー七光りども! かかってこいやァ!」
そのまま乱闘を開始する三人。しかし十秒もしないうちに二人ともきっちりのされていた。君臨する女傑は涼しい顔で二人を足蹴にしている。
「く、そ、やっぱつええ」
「何故僕まで踏まれているんだ?」
ベアトリクスは上機嫌である。クロードの頭を地面にぐりぐりとこすり付けるのが趣味なのだ。そして博愛精神溢れる彼女は平等にラファエルも地に押し付ける。ちょっぴり嬉しそうなラファエルは将来に若干の不安を抱えていた。
「相変わらずお騒がせトリオだな」
そんな悪目立ちする三人に声をかけたのは、癖の無い平凡な顔立ちの青年であった。どう見てもこの三人と知り合いには見えないが、れっきとした顔見知りである。
「お久しぶりです、ケヴィン先輩!」
頭を踏みつけられているクロードが元気に声をかけた。苦笑いしながらも挨拶を返すケヴィン。彼らの関係性は――
「学校以来ですね。その後お変わりなく?」
彼らの共通項であるウィリアムの作った学校、その卒業生であった。
「まあね。最初は中央に配属されて経理の仕事やってたんだけど、人が足りなくてアークランド方面に回されていたよ。君たちみたいに八面六臂の活躍、とはなかなかいかないけどぼちぼちやってるさ」
ケヴィンはそこの一期生であり、その中でも最年長組の先輩として後輩には慕われている。面倒見が良く人の好さがあるので利用されやすいが、間違いなく優秀で、やはり良い人であった。
「三人ともウィリアム様が呼んでいたぞ。遊んでないですぐに向かえ。あとあまり騒ぐなよ。学校の品位が落ちるだろうが」
ケヴィンの右隣に立つのは同じく最年長組の先輩。
「……品位なんて俺たちにあったっけ?」
首をかしげる男はケヴィンの左隣、こちらは一つ下の世代。クロードたちにとっては二人と変わらず先輩であった。学校が増築される前は一緒の教室でイグナーツやヒルダにしごかれた仲である。年の差は多少あれど仲は良かった。
「とにかくウィリアム様の復帰戦だ。俺たちが花を添えずに誰がやるって話だろう」
「若手、ってか卒業生で軍コースのほとんどは招集されているし、学校を出て無くても白騎士のフォロワーって奴ばかりだ。面白い戦場になりそうだよね」
「俺は今から気が重いよ。ただでさえ分不相応な役目を押し付けられて……ハァ」
少し気になる発言がケヴィンからこぼれたが、あまりにも悲壮感が漂うその背中には質問を投げかけることすら躊躇われた。
「まあ色々驚くことになると思うけど、とりあえず行って話を聞いてきなよ」
呼ばれているというのであれば無視など出来ない。ウィリアム信者であるラファエルは久しぶりに会えるというので喜色満面であった。対するベアトリクスはへなちょこカールがお気に入りであり、兄と同様にウィリアムのことが嫌いである。
「その前にいい加減足を退けろや」
「む、すまん足が滑ってた」
「どんだけなげーこと滑ってんだよこのクソ足は」
「負け犬のへなちょこクロードが生意気な。踏んでくれてありがとうの一言も無いのか」
「おめー覚えとけよ。いつかぜってー復讐してやるからな」
「聞き飽きたぞへ、な、ちょ、こ」
「むきー!」
微笑ましい光景を前にしてケヴィンたちは苦笑いを浮かべていた。
(子供時代と変わらない……ってか子供のまんまだこの二人)
その光景を、いつの間にか開放されていたラファエルが少し不服気に眺める。色々と若い世代も複雑な関係を構築しているようであった。
○
「レノー将軍。どうやらラコニアにて動きあり。注意されたしとのこと」
「ようやくまみえることが叶うのですね。嗚呼、長かった」
その報告だけでレノーは状況を把握した。今のアルカディアの人材、配置、さまざまな情報を瞬時に精査し、答えを弾き出す。もしかの国が足掻くとすればあの人を出すしかない。焦がれに焦がれた、あの人を。
新進気鋭、ガリアスの若手期待の星と称されるレノーは一見して武人とは程遠い見た目であった。長い栗色の髪をひと房に束ね、繊細な指先は剣など振るったこともないように見える。もちろんそんなはずは無いのだが、心得はあれどレノー自身武力では百将の中で指折りの弱さだと自負していた。
そんな彼の愛読書が白騎士ウィリアムがお忍びでガリアスに訪れた際、何度か開催された戦術、戦略に関しての講義をまとめた本である。その横に積み重なる本はレノー自身の手で収集したウィリアムの戦歴、そのまとめであった。
「彼の戦は美しいのです。ヴォルフやアポロニア、確かに彼らは英傑だ。三大巨星を喰らい天に輝いた二つ星。戦術を、戦略を、その拙さを個人の『力』で挽回する彼らは理不尽とも言える。凄まじいが、兵法家として好ましくはない。しかし、あの人は違う。それと比する『力』を持ちながら、彼の強みは誰よりも深い知略にこそある。理不尽であるにもかかわらず、合理こそが持ち味。視野の広さと判断力は神がかっている」
レノーの部下はため息をついた。一度火がつくとかの若者は止まらなくなるのだ。実力はあるが変人、それがレノー・ド・シャテニエという人物評である。
「洞察力の深さも素晴らしい。敵はもちろんのこと、味方すら見通した先に打ち込んだ一手。ディエース様の報告にあった通りならば、まさに神の目を持つ男です。対ネーデルクスで猛威を振るうカール、ギルベルトの両名も、彼がいなければネーデルクスの片隅で死んでいただろう。他にも――」
白騎士マニア。友人からもそう揶揄されていた彼だが、そこで得た知識と軍人であった兄が講義で得た知恵、若きレノー少年はそれらを上手く取り込み、今の自分へと昇華させ若くして百将まで上り詰めた異端の天才である。
憧れるがゆえに調べ、穴があくほど、擦り切れるほど、白騎士を見つめ続けた。彼の思考を、その深淵を共有したいとあらゆる角度から見つめ、そしてその傾向を掴む。白騎士の戦術を『完成』させたと言われている黒騎士を打倒したのは、大元である白騎士を知り尽くしかつその対策を、白騎士破りの戦術を用意してきたがゆえのこと。
「――とにかく楽しみです。自分が通用するのか否か。ふふ、勝ちたいと思う自分と、凌駕されたいと思う自分が同居している。実に不思議な気分です」
そう言いながらも目をぎらつかせるレノーに隙は無い。挑戦者として胸を借りるつもりで、慢心の欠片も無く憧れに向かう。その謙虚さとガリアスの平均値の高さが組み合わさって、手のつけられない軍勢が完成するのだ。
挑戦者は興奮の渦にいた。
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