進撃のアルカディア:この場の勝者

 王としての格を喪失した男の何と矮小なことか。エードゥアルトという王の変貌を見てウィリアムは驚きよりも先に哀れみが浮かんだ。七王国の中堅として、オストベルグとネーデルクスを相手取りながら、その実本気で戦うことなど考えたことも無い。なあなあの世界でこの王は存在していた。バルディアスやカスパル、ベルンハルトらが苦心して生み出した安定に乗っかり続けた王は、それがなくなった不安から全てを息子に放り投げ王宮に閉じこもっている。

「陛下、ウィリアム・フォン・リウィウス子爵をお連れしました」

 フェリクスが指し示した先にいる老人は、エアハルトなど可愛く思えるほどの衰弱を見せていた。現場に出ず、不安だけで此処まで弱る王。否、もはや王ではないのだろう。昔垣間見た王としての輝きは完全に喪失していた。

「ご無沙汰しております陛下」

 ウィリアムは言葉短く、されど深々と膝を折り忠義の姿勢を取る。

「う、うむ。良く来た。それでどうだ? 目下の懸念、ガリアスに勝てるか? い、いや、勝てずともよい。せめて負けねば、これ以上の損失さえ防げればよい」

 エードゥアルトがウィリアムを見つめる眼は、それこそ街中に溢れていた弱者のそれと同じ。懇願しているのだ。天から勝利が降ってくることを。自らは何もせず、何も出来ず、ただ待ち続けている。あの安定した日々が戻ってくることを。

「それについて陛下。私から提案がございます」

 そこで割って入ってきたのは第二王子エアハルトであった。フェリクスが止める暇もなく、ウィリアムが答えようとする間隙を縫っての発言。

「エアハルトか。余はそこな白騎士と話しておる。後にせよ」

 エードゥアルトはそれを一蹴した。その反応にフェリクスはほくそ笑むがエアハルトもまた同じ表情を浮かべていた。

「戦う必要などなく、安寧が手に入るとしたら、如何でしょうか」

 エードゥアルトの薄皮のような王としての威厳が消し飛ぶ。目に映るのは期待。

「陛下、この男の話に耳を傾けてはなりません! そのような都合の良い話など――」

「あるのです陛下。私がかねてより準備していた策の、用意が整いました。私とて無為に時を過ごしていたわけではありません。陛下の、ひいてはこの国の未来を思えば、私の提案を先んじて――」

 エアハルトの動きを咎めようとするフェリクス。フェリクス相手では勝負にもならんとエアハルトは嘲笑う。先んじるのは――

「ガリアスとの和睦、というよりも降服ではありませんか。条件は推測ですが、旧オストベルグの領土全て、ブラウスタットも欲しがるかもしれません。加えて、ユリウス王ならばエレオノーラ様も求めるでしょう。それらで手打ち、あとはアクィタニアのような属国となる。違いますか?」

 エアハルト、フェリクスは白熱していたものが一瞬で凍りつく感覚を覚えた。前者は何故わかったといった顔。後者は前者の顔色を見てそれが当たりだと理解し肝が冷えた。

「戦わぬなら言葉を交わすしかない。敗者たるこちらが発する言葉は謝罪でしょう。そして許しを請うならば手土産が要る。今のアルカディアに用意できるもの、自分自身も含めて全てを差し出さねばガリアスは止まらない、満足しない。ああ、そうだ。一つ付け加え忘れておりました。私の首、なども多少のお役には立てるのではないかと」

 びくりとするエアハルト。その反応を見て隣に立つエレオノーラは拳に力を込めた。縁談の話が持ち上がっていることはエアハルトから聞かされていた。それが高度な政治的判断から導き出された解であることはエレオノーラとて王族、理解している。一応心の準備のため時間はもらったが、今度こそ逃げられぬことを悟っていた。受け入れようと覚悟もあった。

 しかし、想い人であり曲がりなりにも自国の英雄を差し出すというのなら話は別。

「お兄様、そのようなお話であれば、かねてよりお話頂いておりました件、私は受け入れることが出来ません。自国の貴族を切り捨て、誇りを切り売り、その果てに何が残りましょうか」

「女は黙っていろ! 私は政治の話をしているのだ!」

 エアハルトの目に浮かぶ感情は、決して肉親の、可愛い妹に向けるものではなかった。エレオノーラは笑い出しそうになる気持ちを抑える。結局、全てが夢幻。誰も彼もが自分の保身を考え、利用価値があるから優しくする。実の兄でさえ、一皮剥けばこの通り。

「落ち着いてください殿下。そしてエレオノーラ様もお静かに。此処は陛下の御前、でありますれば礼を欠く行為は慎むべきかと。それに今話すべきは今後の方針でしょう。では話を戻しまして、殿下の提案は枝葉末節に差異はあれど、私の推測とそこまでの差は無い、ということで宜しいでしょうか」

 エアハルトから言葉は出てこなかった。ウィリアムの推測は大まかなものである。大まかであるがゆえに否定すべきところ、穴はなかったのだ。穿り返せば穴はあるだろうが、其処は本筋ではないし、つついた方が余計に悪印象をもたれてしまう。

「ならば私からも一つご提案がございます」

 こうなってしまえばエアハルトの出る幕は無い。ウィリアムの独壇場である。

 エードゥアルトは威厳ありげに頷いた。

「私からの提案はシンプルです。戦い、勝つ。それだけのこと」

 あまりにもあっさりした答えにこの場の全員が目を丸くした。

「私に五万の兵とこの戦に限り軍を跨いだ人事権を頂きたい。それだけで私はガリアスに勝って見せましょう」

 五万を捻出するのは今のアルカディアでは少し難しい、がそれほどに現実的ではない戦力とは言えなかった。人事権に関してもこの戦に限ればという文言さえあれば決して突拍子も無いものではないだろう。問題は――

「随分と気安く勝てるなどと言えるものだ。今までアルカディアがどれだけ負けてきたと思っている!? 私が用意した道こそが――」

 ガリアスに勝つという、勝てるという部分なのだ。

「失礼ながら、その戦場に私はいなかった。私を取り除いたがゆえにアルカディアは負けたのです。今度も私を排除致しますか? 七年前、そうしたように。私の首、この国の土地、アルカディアを照らすエレオノーラ様という日輪、何よりも七王国として君臨してきたアルカディアの歴史を売り渡し、生き延びる道を選び取りますか? 今此処に、勝利があるにも拘らず、敗者となる道が正着でしょうか? さあ、陛下、お選びください。私という勝利を取って歴史に名君として名を刻むか、敗者として歴史の片隅に刻まれるか。陛下のご判断にしたがいまする。我は剣、陛下の剣にございますがゆえに」

 一気にまくし立てたウィリアムの勢い、そして己を勝利という傲慢にも似た自信。七年前はその片鱗だけで鼻についた。しかし今、後のない状況ではこれほど頼りに成る存在もいないだろう。輝きが違う。めっきの剥がれた王子とは、まさに格が違った。

 エアハルトが抵抗しようと口を開こうとする。しかし、それは背後から伸びる掌に押さえられた。後ろで笑うのは第一王女クラウディア。彼女は耳元で腹違いの兄にささやく。「おまえのまけ」と。

「余は貴様を、ウィリアム・フォン・リウィウスを取るぞ!」

 エードゥアルトの目に力が戻ってきた。それはウィリアムの輝きを薄くまとっただけのめっき。とはいえ多少は王らしさを取り戻した。これで操られ過ぎることもなくなるだろう。エアハルトは今度こそ明確な敗北感に包まれる。

「ご英断です陛下。全てお任せください。必ずや吉報をお届けいたします」

「負けたならどうする!?」

 エアハルトはそれでも抗する。敗北など、認められるように生まれていない。

 その可愛らしい姿を見てウィリアムは微笑んだ。

「我が首を捧げましょう。この命の一滴すらアルカディアのために」

「我らが英雄の命が失われることあらば、私も進んで縁談を受けましょう。これで最悪の事態は免れるはずです。あとはお兄様の差配に任せます」

 エレオノーラが敵に回った。この時点でエアハルトは詰んでいるのだ。ガリアスの要求で一番重要度が高いのは一にウィリアムの身柄、二にエレオノーラの縁談なのだから。属国とする国の土地などどうでも良い。それよりも二人をくれ、それが『王の頭脳』がはじき出した二つが、この国が持つ差し出す価値のあるものであったのだ。

「決まりだな。すぐに準備に取り掛かるとしよう。全てはアルカディアのために」

 フェリクスの言葉にクラウディアは哂った。この場の誰も彼もが自分の意志を押し通して、そして白騎士が勝った。フェリクスもエアハルトも、エレオノーラも別ベクトルで理解している。この場の勝者は誰かを。クラウディアは勝者を見る。見るたびに大きさを増す異質な存在。面白さの塊がそこにいた。

 未だ底を見せぬ男は静かに戦いへの歩を進めた。


     ○


 エアハルトは憤怒に包まれていた。ガリアスとの繋がりをキープした己の英断。最大最強の国家に降り、対ネーデルクスの盾として存在感を示す。いくらでも道はあった。ガリアスの味方になった方が得は多い。この国の敵はガリアスだけではなく、ネーデルクス、アークランドの強き国家に囲まれているのだから。

「大丈夫だ。冷静になれば五万の戦力では必勝など遠い。若き俊英のレノーは白騎士を完全に模倣したといわれているアンゼルムを倒した。白騎士とて、楽な相手ではない」

 今後の立ち回りを考えれば自分の指し示す道こそ安寧だとエアハルトは思う。そう、白騎士という自分にとってもてあます存在を売り払い、最近存在感を見せ始めた第二王女も譲り渡す。政治的にも盤石となるのだ。

 だから固執する。

「負けはせずとも苦戦すれば、まだ父上を動かすことは可能。大丈夫、大丈夫なはずだ。奴の強みである資金力は七年前に奴を裏切った。金がなければ国が用意する以上の頭数、武装を用意することなど出来ない。奇跡は無い。私は負けんよ。負けるはずが無い。私は王として生まれたのだから。奴とは違う!」

 もはやそれは願望でしかなかった。神頼みにも似た感情の発露。負けていないと心で、口で唱え続ける。身を侵す敗北感を必死で否定し続けて――

 ゆえに見逃す。願望が先立ち、重要なことをこぼしてしまう。ありえないこと、ありえないとしたいこと、その区別がつかない。

 全ては、七年前から仕組まれていたというのに。

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