進撃のアルカディア:王命再び
夕餉を四人で囲み、しばしの歓談の後、アルフレッドが寝静まった頃を見計らいウィリアムとクロードはストラチェスに興じていた。イグナーツの授業でも頭の体操としてストラチェスを取り入れており、クロードもまたそれなりに指せる。無論、本気で指せばあっさり決まってしまうのでウィリアム側は駒をいくつか落としていたが。
「それで、何故今の時期に此処へ来た? 戦況が芳しくないのだろう?」
「……謹慎喰らったんすよ。あんまりにも同じような策ばっかで読まれてるってのに、あいつら全然変えようとしねえ。これが黒騎士様の必勝の策だって、そればっかりで」
「それで噛み付いたのか」
「無駄死にするくらいなら噛み付きますよ。俺は最前線にいるんすから」
「なら正解だ。死なば終わりだからな。黒騎士、アンゼルムのところならガリアスか。あの軍は厄介だろう? 一人ひとりの練度が他国より高い。強い群れだ」
クロードはため息をついた。盤面手詰まり、自国の状況も手詰まりときたらため息をつくしかない。駒落ちの優位はとっくに消えていた。
「何処も最近は強いっすよ。ネーデルクスも代替わりした三貴士はレベルたけえし、三貴士を譲り渡した連中も現役バリバリでバケモンだし。ガリアスなんて名前挙げるのも億劫になるほど英雄揃いで……極めつけはアークランド、此処にまともに勝てたためしがねえですよっと」
話している内に起死回生の一手を思いつく。狙い済ました一撃にウィリアムは感嘆の声をあげた。王を進めて火中の栗を拾おうという構え。巧い手であった。
「何処も厳しいな。というかクロードはガリアス方面に配属だったのか。前来た時はネーデルクスだと言ってなかったか?」
「ベアトリクスと喧嘩してるとこ見られて……本人は良いって言ってんのに『上』がオスヴァルトに気を使って飛ばしたっぽいす。懲罰でもないですけど、ま、最近負けがかさんでるとこに飛ばされたんで上としては死んでくれって感じですかね」
「それは……カールが良く通したな。そんな滅茶苦茶を」
「大将不在を見計らってぽーんと」
「なるほど。俺も昔は良く理不尽な命令を受けたものだ。俺も好かれる性質ではないからな。末端である以上否定は出来ないのが辛いところだ」
その妙手に対してウィリアムもまた妙手で返した。こちらは絶妙というよりも奇妙な手である。悪手にすら見えなくも無い。
「末端、かぁ。俺はまだ一兵卒。あいつらは師団長と百人隊長ですよ。ほんと、平等じゃないすよ。そりゃあベアトリクスには一度も勝ってないし、ラファエルは頭良いし……そんでも勝てないと思ったことはねえのに。ここまで差があるほど違うんすかねえ」
「そりゃあオスヴァルトにアルカディアだ。平等などありえないさ。でもな――」
手を重ねてくるごとに見える。先ほどの悪手、妙手の狙いが。クロードは眼を見開いた。
「腐ればそこで終わりだ。圧倒的格差、その中で抗った者にこそ光明は差す。俺もお前が彼らに劣っているとは思わんよ。いずれ追いつける。今は我慢の時だ。ほら――」
盤面が一気に――
「追いつき、追い越した。力を付けろ。経験を積め。五年全力で抗ってみろ。それで駄目ならまた愚痴を聞いてやる」
ウィリアムに傾いた。此処からの詰みはクロードでさえ読める。最短で五手、ウィリアムが間違えることは無いだろう。クロードは「参りました」と頭を下げた。
「ちなみにウィリアムさんは理不尽に対してどうしてきたんですか、参考までに」
「理不尽ごと捻り潰してきた。まあ、最後は逆に潰されたがね」
快活に笑うウィリアムを見てクロードは愛想笑いしか出来なかった。笑うには七年の幽閉は重過ぎる。英雄とて人、人の名が薄れるのには七年は充分過ぎたのだ。堕ちた英雄白騎士。この理不尽を超えることが果たしてかなうのだろうか――
「とりあえず生きていればどうにかなるさ。さて、頭の稽古は済んだ。次は身体の稽古をつけてやろう」
「ハァ!? いや、だってさっき死ぬほどやったばかりじゃ」
「朝と夜の修行は日課だ。日課に例外は作らない」
「そ、そんなぁ」
「いいから来い。折角来たんだ。あの二人より濃密な経験を積ませてやる。良かったな、これでまた少し縮まるぞ」
理不尽に抗うために続けている日課。当時から変わらず忘れられた英雄は牙を研ぎ続けている。いつか来たるかもしれぬ時を待ちながら――
○
「お、いい狙いだなアル坊。とーちゃんの血をしっかり継いでるぜ」
「ほんと!? ぼくもちちうえみたいになれるかな」
「なれるなれる。……出来ればあの人みたいのは増えないで欲しいけど」
クロードは身体の痛みに耐えながらアルフレッドの世話をしていた。ウィリアムは新しい本をごっそり仕入れたので、そちらを読むので忙しい様子。鍛えてやっているのだから世話でもしておけとはウィリアムの弁。
(この前、剣振らした時もそうだけど、筋がいいんだよな。飲み込みが早いって言うか、真似っこが上手いってか、とにかく覚えがいいわ)
一生懸命父親が作った弓を引くアルフレッドは無心で頑張っているのだろう。だからこそ普通の子と彼では少し差があるように感じてしまう。同じ純粋な頑張りや好奇心、行動する中での吸収速度が凡人のそれではないのだ。
「よーし、次はもちっと的から離れてみるかぁ」
「やたー! がんばるぞー」
クロードの指示に従い後ろへ下がるアルフレッド。てくてくと後ろ向きに後退する様はなんとも可愛らしかった。ほのぼのとする光景。
「あらかわいい。持って帰ろっと」
気配は無かった。足音も、何もなかったのに、アルフレッドの後ろに人がいた。その事実にクロードは愕然とする。愕然としながらも反応は早かった。相手を見る前に間に割って入り安全を確保、それと同時に後ろ回し蹴りをお見舞いする。
「慌て過ぎ」
その蹴りは片手で受け止められていた。
「そもそも前段階で気を抜き過ぎ。常に戦場にいる気持ちを持て、そう教えたでしょーが」
そして間髪いれずに叩き込まれた前蹴りに悶絶するクロード。それを睥睨する人物はアルフレッドを抱え込む。いずれも片手での所作。そもそももう片方の腕が無い。
いきなりのことに動転していたが、アルフレッドの目には人物を捉えてなお警戒の色は無かった。むしろ喜色すら浮かんでいる。
「ヒルダおば、おねえちゃんだあ」
「あらま、やっぱりルトガルドの息子ねえ。口も上手いんだから。本当に可愛いわ!」
ヒルダはアルフレッドのぷにぷにしたほっぺに頬ずりしまくっていた。延々と悶絶するクロードが回復するまでそれは続く。
「ひ、ヒルダ先生。いきなり酷いじゃないですか」
「酷いのはあんたでしょ、大馬鹿クロード。隙だらけでへらへらして……大事な子供を預かっている自覚無し。猛省なさい」
ヒルダ・フォン・テイラー。旧姓ガードナーの彼女はブラウスタットを喪失した戦でラインベルカと交戦、腕を失う大怪我をしていた。一時は死を覚悟するほどの状態であったが一命を取りとめる。
しかし腕を喪失し、顔の傷もあり、これ以上意中の相手の負担になりたくないと姿をくらましかけるも、それをカールが止めて、その場でのプロポーズで結婚。その後一人娘をもうけ、一児の母として今に至る。
一線を退きつつも、その経験を生かすために子育ての合間をぬって、現在はカールが所有する学校の生徒に稽古をつけていた。その厳しさはイグナーツの比ではなく、また片腕であっても暴風の末裔としての強さは失われておらず、クロードたちのトラウマとなっているほどビシバシと教鞭ではなく剣を振るっていた。
「あとベアトリクスから話は聞いたわよ。あんたほんっと馬鹿ね。やばいと思ったらテイラーの名前使いなさいって何度も言ってるでしょ。|テイラーの養子たち(テイラーズチルドレン)と言えば通じた話でしょうが。コネは使いなさい、自衛のためになら遠慮は不要。わかった?」
「う、うす! 以後気をつけます」
ヒルダ相手にはめっぽう弱いクロードであった。
「イーリスもいるの?」
「いるわよー。あっちでお花見てるからエスコートしてあげて」
「うん、わかった!」
顔を赤らめたアルフレッドは一目散に駆け出していった。クロードには目もくれず薄情な子供である。まあ、意中の相手となれば仕方が無いだろうが。
「ルトガルドさんとお茶でもしに来たんですか?」
クロードの問い。冗談めかせて言っているが、このケースはたびたびあるようで、マリアンネ、クロード、ヒルダの順に意味もなくラトルキアに足を運ぶランキングが出来るほどであった。しかし、ヒルダは首を振る。
「今日は旦那と一緒よ」
クロードは大きく眼を見開いた。それの意味するところは――
「第三軍大将が、この地に、ウィリアムさんに会いに来た」
(嬉しそうね。私にはとてもそんな顔は出来ないけれど)
ヒルダは期待を抑えきれない若者の顔を見つめて内心嘆いた。用件をカールの口から聞いているわけではない。しかし、この時期に、この状況で大将が辺境の地ラトルキアまで足を伸ばした。それの意味するところは少し頭を動かせば誰にでもわかることである。
ヒルダは嘆く。もし、想像の通りの話であったなら、それはこの夢想の終わりを告げる鐘に成りかねないのだ。ラトルキアという土地があの男を縛り付けていた。縛り付けていたからこそ親友たるルトガルドの幸せがあったのだ。
それが壊れる。そんな未来をヒルダは見たいとは思わなかった。
○
ウィリアムとカールの再会は実に四年ぶりであった。最後に会ったのはアルカディアの、ローレンシアの戦史に残るであろう一戦、『ブラウスタット奪還戦』を終えて気が抜けたのかラトルキアまで足を伸ばして酒を酌み交わした、あの日以来のことである。ちなみにこれ以降、ブラウスタットが名を失うまで一度として、この鉄壁の都が落ちる事はなかった。この戦がカールの名を世界に刻み込んだ最大の武功であったのだ。
穏やかに安っぽいエールを酌み交わす二人の間に四年間のわだかまりはなかった。ウィリアムはカールの成長を心より喜び、カールもまた自分を育ててくれたのはウィリアムであるとある種の敬意を抱いていたためである。
「くく、大分尻に敷かれているようじゃないか」
「そっちも意外と主導権は奥さんにあると見たね」
軽口を言い合う姿はまさに親友のそれであった。まったく異なる二人の性質、しかしかけ離れてはいない。どちらもある種の狂人なのだ。もしかしたらウィリアムはカールに成っていた可能性があるし、カールもウィリアムになっていた可能性もある。遠いようで近い、喪失が無ければ、喪失があれば、『もし』に意味はないが――
和やかな雰囲気、そこでカールがポツリと、
「アンゼルムが負けたよ」
本題を投げ込んできた。ウィリアムはエールを一口あおり、銀製のジョッキを机に置く。この話をするためにわざわざ大将が訪れたのだ。堕ちた英雄のところに。
「最近は負けるのも珍しく無いそうじゃないか。何を改まって報告することが――」
「重傷だ。峠は越えたが容態は芳しくない。戦線復帰は、難しいと思う」
「……なるほどな。それで、誰が討った?」
途端、カールはバツを悪くする。ウィリアムは様子の変化に気づいたが、あえて口を挟むことをしなかった。そんなことをせずとも必ずカールは言うだろうし、言わねば話は進まない。この話は、ここからが始まりなのだから。
「ガリアスの百将、レノー・ド・シャテニエ」
ウィリアムは眉をひそめた。予想だにしていなかった回答。そもそもウィリアムはこの名を知らない。百将ということはそれなりの人物なのだろうが、王の左右や王剣、王槍、属国アクィタニアの両英傑らと曲がりなりにも渡り合ってきたアンゼルムが、そのような無名の相手に再起不能にされるとは大事件だと言えるだろう。
「強いのか?」
「わからない。僕らも何故負けたのかわからないんだ。大将になってからのアンゼルムは間違いなく強かった。王の左右とも渡り合ったし、アークランドとも勝ちはしなかったけど負けなかった。最近こそ調子を崩していたみたいだけど、それでも彼は其処に並べても遜色のない人物だったのは確かだと思う。なのになんで……」
結果が全てとはいえアルカディアに残り『二人』しかいなかった大将の内、一人を失うという大損害。この状況での喪失はある意味でカスパルやベルンハルト、ヘルベルトを失った時よりも痛かった。アルカディアでは緘口令を敷いているが、これだけの大事ではすぐに抑えきれなくなってしまうだろう。
残された唯一の大将であるカールは頭をかいた。
「レノーとやらがどういう人物か、まずは置いておこう。憶測で語っても仕方が無い。アンゼルムが生きているというのならば話を聞く機会もあるだろう。アンゼルムの件はわかった。火急の事態だな。……で、そんな状況下で、アルカディアに残された唯一の大将が、このような辺境の地へ遥々と訪れたわけだ。改めて問うとしよう。何の用だ?」
ウィリアムの射るような視線にカールは目をそらした。懐に手を入れたまま、何事かを逡巡するカールを見て、ウィリアムはエールに手をやる。若い頃は酒が苦手だった。付き合いで飲み続け、この年になってようやく、少しは良さもわかってきた。この苦さが良いのだ。この世は、苦いことばかりなのだから。
「お前のその手に握られたもので、一つ、何かが壊れる。俺は良い。それは俺の責務だと思っているからな。だが、ルトガルドやアルフレッドはどう思うだろうか。この穏やかなる時を、兄であり伯父であるお前が破壊することを、彼らはどう受け止めるか」
カールの眉間にしわが寄った。相変わらず人の良い男である。ただし、その迷いは遅過ぎる。そもそも此処に来た時点でこの話は決着がついているのだ。ドアをノックする音が聞こえた。ルトガルドが対応に向かい、戻ってきた時の表情を見て――
「僕は、それでも、こうしなければならない」
ウィリアムはとうに終わりを悟っていたのだ。
目の前に差し出された一通の封書。そこには自分を追いやった王家の封蝋が。つまりこの封書は王命である、ということ。この隠遁生活の始まりも終わりも、この王印が基点となるらしい。ウィリアムは笑い出しそうに成るのを必死で堪えていた。
ボロボロになり、恥も外聞も捨て自分を頼ろうとしている王族の、最後の見栄がこの王命であるのだ。これを笑わずにいられようか。この期に及んで彼らは頭を下げることすらしないのだから。
「これはフェリクス殿下から陛下に陳情されたものだ。この封書にエアハルト殿下の意志は介在していない。失策続きの殿下に以前ほどの力は無いんだ。これも一つの証左だ。以前までなら殿下の意志が介在していない王命などありえなかったはず。とにかく開けてみてくれ。中身は、察しの通りだよ」
ウィリアムは王印の刻まれた封ろうを、無造作に剥がし中身を取り出す。
其処に書かれた内容は要約するとこうである。至急アルカスに戻って欲しい。大将の席を用意している。ラトルキアの管理を任された際、与えられた子爵の地位は剥奪。代わりに伯爵の地位とラコニア以南の領土を授ける。
夢物語のような内容。しかしウィリアムの眼は冷めていた。
「此処まで窮地か。ラコニア以南の土地というが果たしてどれほど残っているのか」
「不服かい? 何か要求があるなら僕が持ち帰って殿下と相談するよ」
「その必要はないよカール。この話が来た時点で俺に拒否権は無い。俺から要求することもない。本当に、何も無いんだ」
哀しそうな目で虚空を見つめるウィリアム。
「俺の返事は決まっている。準備もしてきた。勝利を確約することなど、神でもない俺に出来ることじゃないが、それなりに考えがあるのもまた事実」
「さすがはウィリアムだ。それでこそ僕らの英雄だよ」
「ブラウスタットを奪還した『穴掘り』カール大将には勝てんよ。大橋奪還から三年がかりでの大戦果。俺もあやかりたいものだ」
「よく言うよ。この世界で三人しかいない巨星を討った一人の癖に」
「そりゃあ三人さ。だって巨星は三人しかいないからな」
「あはは、それもそうだね」
笑い合う二人。ふと、ウィリアムは扉の方に視線を向けた。
「色々と話したい。少し時間を潰してきてはくれないか?」
カールは視線の方向、扉の向こう側にいる存在を、話すべき内容を察した。これは内側の、家族の問題である。自分が口を挟むべきことではない。
「わかった。大きくなったアルフレッドと遊んでくるよ。僕のこと、覚えていると良いけど」
「また覚えさせればいいさ。これからは、もう少し会う機会も多くなるだろうから」
「そうだね、その通りだ」
カールはきびすを返して扉を開ける。その先にいた人物を見てカールは哀しげに目を伏せた。自分が壊したのだ。自分たちの無力が穏やかなる時を破壊した。結局、ウィリアムという英雄無しではこの戦乱を乗り越えることは無理であった。
依然最大戦力を誇るガリアス、復権のネーデルクス、四方に睨みを利かせるアークランド、粒揃いつわもの揃いのエスタード、そして傭兵王率いる新興の国家ヴァルホール(母体は旧サンバルト)、さまざまな怪物たちが睨みを利かせる大陸で、アルカディアの力は決して大きくない。大きくなくなってしまった。
だから、壊す。一つのあたたかな家族を壊して、アルカディアは取り戻すのだ。勝利を疑わなかった日々を。忘れてしまった勝利の味を。アルカディアの英雄、白騎士という存在を。失って初めてその大きさがわかった。もう、無碍にはしない。無碍に出来ない。
世界がもう一度英雄を呼んでいるのだから。
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